Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



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虫の聲

  もう行水には寒い時期ですが、秋も深まり虫の声がにぎやかです。

       「行水の すてところなし 虫の聲」

 これは鬼貫 の有名な句です。
 上島鬼貫(おにつら) (万治四年(1661)~元文三年(1738))
 
 夏も終わりに近づき、そこはかとなく秋の気配が漂うようになった。昼間の汗を流そうと行水をしていると、あたりはすべて虫の声に満ちている。もう秋だ。行水の水はどこへ捨ててよいものやら……。
 という風流な俳句ですが、いつも思い出すのは 、これを上手く茶化した川柳です。

       「鬼貫は 夜中にたらいを 持ち歩き」



2005年10月31日(月)23:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

コンサート

 小さい室内楽のコンサートがあり、久し振りに聴きに行きました。

 第一バイオリンが4、第二バイオリンも4、ビオラ3、チェロ3、コントラバス1という小さい編成でした。全員女性で、見た目も華やかでした。

 演奏曲は、グりーク「ホルベルク組曲」ドビッシー「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」マーラー「交響曲第5番第4楽章」シェーンベルク「浄められた夜」という渋い選曲でした。
アンコールは「亜麻色の髪の乙女」でした。

 ハーピストも女性で、とても見た目に良かったのですが、惜しむらくは、演奏者の服装が色は全員黒でしたが、ノースリーブあり、パンツありで、統一されていなかったこと。出来れば同じ服装の方が良いと思いました。

 もちろん演奏自身には何の関係も無いのですが、見た目も重要です。

 知り合いのとても有名なピアニストの方が、以前アメリカでオーディションを受けられました。上手く弾けたのに、落とされて、理由を聞いたところ、猫背で出て来て、猫背で弾いてばかりいたから失格と言われたそうです。さすがアメリカというか、厳しい世界ですね。



2005年10月30日(日)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

秋の雨

今日は朝から冷たい雨が降ってます。先日のヴェルレーヌの詩と共に、これも好きな詩です。

Il pleure dans Mon coeur   『言葉なき恋唄』

Il pleut doucement sur la ville.    巷に雨の降るごとく
Arthur Rimbaud             わが心にも涙ふる。
Il pleure dans mon coeur       かくも心ににじみ入る
Comme il pleut sur la ville;      このかなしみは何やらん?
Quelle est cette langueur
Qui pénètre mon coeur?

O buit doux de pluie           やるせなき心のために
Par terre et sur les toits!        おお、雨の歌よ!
Pour un ceour qui s'ennuie      やさしき雨の響きは
O le chant de la pluie!          地上にも屋上にも!

Il pleure sans raison           消えも入りなん心の奥に 
Dans mon ceour qui s'éoeure.     ゆえなきに雨に涙す。
Quoi! nulle trahison?...         何事ぞ!  裏切りもなきにあらずや?
Mon deuil est sans raison.       この喪そのゆえの知られず。

C'est bien la pire peine         ゆえしれぬかなしみぞ
De ne savoir pourquoi          げにこよなくも堪えがたし。
Sans amour et sans haine       恋もなく恨みもなきに
Mon ceour a tant de peine!      わが心かくもかなし。

Paul Verlaine                ポール ヴェルレーヌ



2005年10月29日(土)23:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

日本シリーズ

  日本シリーズ終わってしまいました。あまりのショックで言及する気にもなりませんでした。

  私の周りにはものすごいファンが一杯です。たとえば阪神が負けた批判めいた話も厳禁です。真のファンにとって阪神は宗教と同じなので、批判も許しません。

  可哀想な話があります。第5戦のチケットをとても高い値段で、苦労して手に入れて、胴上げを見る予定だった方ですが・・・・試合がありません! 
               。。(o_ _)oバタ


  払い戻し? 正規の値です。 負けるは、損したは、試合は見られないは・・・それでもその方は阪神に対しては批判も言わずに、阪神ファンを誇っていました。「今年は良くやった!褒めてやりたい!」と、さすがのファンです。

  ショックの私もぼやいた事を反省し、来期の日本一を願うばかりです。



2005年10月28日(金)22:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理

チャングムの誓い  第54話 「我が道」(最終話)

 とうとう最終回でした。最後までどきどきする展開でしたが、やっと大団円となりました。あれほど反対だった大臣たちも、王様の意思を理解し、快くチャングムたちを受け入れ、めでたしめでたしです。

 それにしても言い出したら聞かないチャングムは最後まで、頑固でしたね(笑)王様に対しても、手術させろ、させろと言い張りますし、チョンホに手術を止められても、絶対承諾しません。・・・この物語の素晴らしさは、無鉄砲なチャングムの人物像の設定にもあると思いました。

 ドラマの途中までは、宮廷内の権力争いで頼りない王様でしたが、死を覚悟した王とチャングムとの会話は素晴らしい場面でした。きっと王はチャングムが手術すれば助かると信じていたのでしょう。それでもチャングムを宮廷から逃し、最愛の男のもとへ遣るという最高の愛でした。感動的でした。

 王の手術は、単に癒着を剥がすだけなら、上手く行っていたかもしれません。もちろんお話ですから、厳密なことを言ってもなんですが、チャングムが最後に帝王切開をしますが、記録的には微妙な時代でした。母親の死なない帝王切開は1500年になるまで記録例がありません。中宗(在位1506~1544)。の時代には、ある程度帝王切開は存在したようです。いろいろ調べましたが、荒唐無稽な話ではないようです。

 1500年にスイスで帝王切開を行い成功した、という記録があるそうです。 1540年にはイタリアで行われた記録もあります。 1571年にかけて、フランスでもツールズで2人の女性の帝王切開があったそうです。1610年には、ドイツの外科医の行った詳細な手術の記録があります。

 日本で始めての帝王切開は、遅く嘉永5(1852)年でした。医師伊古田純道(いこだじゅんどう)と医師岡部均平(おかべきんぺい)によって、我が国初の帝王切開手術が行われました。患者は、本橋常七の妻「みと」で当時33歳でした。この手術には麻酔が使われていませんでしたが、「みと」は手術によく耐え胎児を取り出すことができました。彼女は2ヵ月ほどで回復し、その後88歳の天寿を全うしました。1987年に「帝王切開発祥の地」の記念碑が飯能市大字坂元に建てられています。


 有名な話ですが、ローマの皇帝、ジュリアス・シーザーが帝王切開で生まれた。というのは間違いです。まず皇帝に成ろうとして暗殺されたのですから、皇帝には成っていません。(笑)もちろん初代皇帝はアウグストゥス(Augustus Caesar, )オクタウィウスです。

 その頃の帝王切開は、死にそうあるいは死亡した妊婦から生きている胎児を取り出すのが、帝王切開でした。ユリウス・カエサルが青年になるまで生きていた母親(54歳頃)が,彼を帝王切開で生んだはずがありません。帝王切開の元になったラテン語はsectio caesarea(切って分けるという意味)で、sectio caesareaにあたるドイツ語がKaisershinittという語なので、Kaiser"に「分離する」という意味だったのですが、和訳するときに「カイザー=帝王」と訳してしまい、「帝王切開」となりました。英語ではc(a)esarean section とラテン語のままです。

 でも「分離切開」より「帝王切開」のほうが、なんだか将来王様に成れるような響きで、良い手術名のような気もします。



2005年10月27日(木)23:57 | トラックバック(1) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

寿司の話(昨日の続き)

 寿司のネタはブランドのネタを使えば良いという物でもないと思っています。

 銀座あたりの、いくらでも払える客を相手にするのならともかく、本との良い寿司屋は、時期によって安くて美味しいネタを吟味することが一番大事と思っています。たとえば「鯖」なんか関鯖が有名ですが、近海物でも関鯖以上の美味しいものもあります。

 このままでは、本当の良い寿司屋は絶滅します。残るのはバカ高い寿司屋か、格安量販店の二極化となるでしょう。

 そういえば日本の何もかも、そういう傾向にあります。特に地方では、良心的な物作りの職人さんがどんどん減ったり、格安で美味しいものを出してる店が、潰れていきます。

 



2005年10月26日(水)02:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

悪貨は良貨を駆逐

 急に寒くなって、町も人出が少なく、閑散とした雰囲気でした。
なじみの寿司屋にも客がいなくて、のんびりと話しました。

 寿司屋の値段は実に複雑で、養殖物を使えば、値段は激変します。微妙な味の違いしか判らないネタも多いため、悪貨は良貨を駆逐するのたとえのごとく、良い寿司屋はなかなか経営が大変。

 津軽海峡の青森産の「平目」、明石の「鯛」などといっても、切り身にブランド名が刻印されてる訳でもないしね~「こはだ」なんか時期によってものすごく値段が違うし。

 もうこうなったら、全てのさかなにICチップつけて、各寿司店は産地表示を義務づけて、インターネットで、確認できるようにしてと・・・とても無理な話(笑)



2005年10月25日(火)23:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

阪神

        阪神が不調ですね~

          。。(o_ _)oバタ

あまりにもふがいないので、言葉も出ません。

でも真の阪神ファンは、巨人ファンのように勝つことにはこだわりません。

  
     明日から甲子園です。絶対勝つぞ~~~あれ?



2005年10月24日(月)23:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理

火をつけること

先日ライターの話をしました。江戸時代以前には、火をつけることの大変さは、簡単に火をつけられる現代では、想像もできません。

時代劇などを観ていると、火打石で簡単に火をつけていますが、あれは間違いで実は火をつけることは結構大変なことでした。

まず火打石と、火打ち金をぶつけ、火花を綿や蒲の穂を蒸し焼きにし、炭で黒く染めた火口(ほくち)に点火します。それを付木(つけぎ)に移します。付木は杉や松を薄くそぎ、先端に着火しやすいように硫黄を塗って在ります。

一度火を消すと大変なため、火種を保存しておくのが普通でした。消えてしまうと、お隣の家に火を貰いに行くのが普通でした。

江戸中期には火入れ、灰吹き、煙管(きせる)、タバコの葉入れがセットになっている、タバコ盆というものが出来ました。火入れには火のついた炭が入っていて、いつでもタバコに火がつけられるのでした。もちろん炭が消えないように、常に気を配り、炭を足す必要がありました。野外で火がいるときは、懐炉のような携帯の火入れもありました。

もし江戸時代以前に、100円ライターでも持っていれば大変な宝物だったでしょう。



2005年10月23日(日)14:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

急に秋めいて

今日は気温がぐっと下がり、急に秋めいて・・
いつもこの頃になると、この詩を思い出します。

Chanson d'Automne       落葉/上田敏

Les sanglots longs      秋の日の
Des Violons          ヰ゛オロンの
De l'automne          ためいきの
Blessent mon coeur      身にしめて
D'une languer          ひたぶるに
Monotone            うら悲し。

Tout suffoncant        鐘のおとに
Et bleme, quand         胸ふたぎ
Sonne l'heure          色かへて
Je me souviens          涙ぐむ
Des jours anciens        過ぎし日の
Et je pleure.           おもひでや。

Et je m'en vais         げにわれは
Au vent mauvais        うらぶれて
Qui m'emporte          こゝかしこ
Deca, dela,            さだめなく
Pareil a la            とび散らふ
Feuille morte.          落葉かな。

(poem de Paul Verlaine)



2005年10月22日(土)23:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

ライト付きライター

 タバコを買ったら、ライト付きライターを沢山貰った。
以前も貰ったが、ガスの減りが早く使うことも無かったが、先日の夜、真っ暗だったので、役に立った。

 町では真の闇みたいなことは殆ど無く、思えば明るい国です。

 ヨーロッパなどでは、メインストリートでも日本の盛り場ほど明るくない。どうも日本人は明るいのが好きらしい。石油が枯渇するとか、値上げとか言われてる昨今、町の照明も考えないと・・・



2005年10月21日(金)23:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

チャングムの誓い  第53話「ふたつの愛」

今日の話は医女として進むか、チョンホの愛を貫くか、側室になるかという選択でした。結局チャングムは王と、チョンホとの話し合いから、両男性が、譲り合った形で解決しました。二人の男性の暖かい愛情なのでした。王という立場からすれば、最大の譲歩でした。医女であればともかく、女官の恋愛はご法度なのは言うまでもありません。ドラマの中の台詞にもありましたが、チョンホにしても、立場上宮廷内の女性との恋愛は、問題外なのです。ある意味良い解決でした。

恋を捨て、ますます医学に邁進するチャングム、しかしとうとうその時が来ました。王が腸閉塞です。当時開腹手術などはとんでもないことだったでしょう。大変な展開です。王が病死すれば、当然のことながら主治医は、死をもって責任を取るのは常識でした。予告編からは、王がチャングムを密かに、宮廷から亡命させチョンホと一緒にさせるようです。長い話でしたが、来週はいよいよ最終回。ハッピーエンドになるようです。



2005年10月20日(木)23:50 | トラックバック(1) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

食事会

 今日は近所のホテルの食事券を貰ったので、事務職員総出で食事会でした。
 食事は和食と洋食が選べて、どちらも量も多く、なんと言っても無料なので、皆満足。

 最後にケーキ食べ放題となっていて、皆いいほど食べたのに、女性4人でケーキ30個近く食べた。スカート緩めて、ブラジャーはずせば、もっと食べられると言ってました。ある人は8個食べました。身長150㎝も無い痩せた身体なのに、一体どこに入るのと・・・でも戻ってから、食べ過ぎて運転できないと言って、全員休憩室で休んでた。

 知り合いにケーキの大食い競争に出た人が居ます。地方大会でしたが、フルサイズのケーキで18個くらい食べて、2位だったそうです。優勝者は20個以上だったそうです。やはり食べ物によって得意、不得意があるようで(笑)この方は何杯以、賞金とか、無料とかいった事に良く挑戦し、いろんな店に名前が出ています。



2005年10月19日(水)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事の話 | 管理

新しい施設

  今日は新しい施設の開設許可が出て、今までの苦労が報われました。朝から心配していたが、夕方になってやっと連絡が来て、関係者一同胸をなでおろした。これから忙しくなりそう。

  一方施設で、寿退職三人ほど出るとかで、人事が大騒ぎ。女性の結婚、出産は、どんなに仕事していても、一瞬にしてどうにもならなくなる。新しい施設の幹部予定の一人も退職するそうで、直属の上司がせっかく「一人前になったのに」と嘆いていた。まだ結婚の日取りが決まってないので、延ばすように説得するらしい。せめて3月まで勤めてくれば、新卒の人が採れるから何とかすると言ってました。

  女性が多い職場のため、結婚、妊娠、出産、育児と働く女性のための根本的な妙案は無いものかと、切実に思う今日この頃。特に幹部になるには、とても遠回りになるし、どうかするとそれっきりになる、困った問題。



2005年10月18日(火)23:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事の話 | 管理

ミサンガ

 探偵ナイトスクープで観たのですが、小学校5年生の時好きな女の子に、ミサンガを作ってもらいました。その後すぐ転校してその子と音信がなくなったけれど、彼はそのミサンガを付け続け、とうとう20歳になってしまいました。彼女を作ろうとしても、ミサンガが気になって、どうすることも出来ません。

 自然に切れればいいのですが、これがまたえらく丈夫で、10年もの間色は変色して、ねずみ色になったけれど、切れる気配がありません。この際彼女を探し出して、これを切ってもらうという話でした。

 いろいろ探し回って、ようやく彼女を探し出したところ、彼の名前は覚えていましたが、ミサンガのことはすっかり忘れて、覚えていませんでした。無理も無いことですね。小学校5年生の遊びごとですから仕方ありません。彼にとっては切ってもらうことも重要ですが、彼女に会うことも大事な目的でした。

 彼女はなかなかの美人で、彼女にミサンガを切ってもらい、その呪縛から逃れ、涙の開放でした。これから付き合えると話的には面白いのですが、すでに彼氏も居るということで、それで終わりでした。

 その後彼も解放され、合コンなどに気楽にでられるようになって、楽しくやっているようです。

  一寸良い話に感動!



2005年10月17日(月)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

「プリティ・ガール」

マーサー・クーリッジ監督
主演:ジュリア・スタイルズ ルーク・マブリー

デンマークの皇太子であるエドヴァルド(ルーク・マブリー)は、周囲の期待とは裏腹に気ままな生活を繰り返し、タブロイド誌の紙面を賑わすのが日常茶飯事。この辺は実際にはイギリス王室の様で、名前も似せています。

そんな彼はある日、テレビを見ていて開放的なアメリカに行きたいと思いつき、国をお忍びで抜け出すことにしました。反対を押し切り側近のソレンを従え、留学生としてエドと名乗りアメリカのウィスコンシンに来ました。彼はとても綺麗なクイーズイングリッシュを使います。いい加減な彼ですが、所々礼儀正しかったり、シェークスピアなどについては、とても詳しかったりします。きっと本物の王子というものはこんなものと思わせます。側近のソレンも、もし側近ならばこんな風だろうと思わせる、なかなか良い演技です。

一方農場育ちのペイジ(ジュリア・スタイルズ)は、医者になって、国境なき医師団に入ろうとするまじめな学生で、バイトも頑張っています。男兄弟の中で育ち、現代のアメリカの女性そのものです。

  出会った二人は、かみ合わないことばっかりですが、ペイジは彼がお金持ちのお坊ちゃまということを見抜き、軽蔑したりしますが、努力する彼に惹かれていきます。第一エドヴァルドはアメリカ人には無い雰囲気で、なんと言っても物凄く美男子です。エドヴァルドは、そんなに綺麗でもない彼女の真摯な所に惹かれていきます。

すったもんだの末に、ハッピーエンドになります。たわいも無い話でしたが、王子での彼の言葉使いや、実際に王子ならこうなると思わせるシナリオは巧みですし、ペイジが題名と違って、プリティーじゃなくて、普通の女子大生というのも面白い所です。アメリカでの題名は、Prince and Meです。こちらの方が話しに合っています。王室に行っても、とことんアメリカンで通します。起工式の土を掘る儀式で、スコップに足をかけて、山盛り掬って、「ウィスコンシンの農場育ちよ!」と言ったりします。もちろん自分の夢や、独立心は、失いません。こんな所はアメリカ人には受けるのでしょう。

 お決まりの単純なシンデレラ物語ですが、設定や、英語の使い方、人物設定などは巧みで、王室の雰囲気も、現代ならきっとこんな風だろうと思わせる、なぜか納得できるような内容でした。

 映画は訴えるような物も大事ですが、ディーテールがしっかりしたものは、観ていて説得力があります。単純で、有りそうも無い話ですが、観ている内はその気になるような、楽しい作品でした。



2005年10月16日(日)23:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

お利口な赤ちゃん

お利口な赤ちゃんにするには、エイコサペンタエン酸やドコサヘキサエン酸といった不飽和脂肪酸を摂ると良いとされています。しかし不飽和脂肪酸を大量に含魚の摂取は、水銀の摂取量が増えて、悪い影響があるのです。そういったことを調べた記事がありました。

妊娠中の母親の魚の摂取量と、毛髪の水銀値を調べ、生まれた赤ちゃんの知能を調べたそうです。生後6ヶ月の赤ちゃんの知能は、写真などを見せて慣れた後、新しい写真を見せて、興味を示して注視する時間を計って、知能を測定したそうです。

結論は、やっぱり魚を沢山食べた母体から生まれた赤ちゃんはお利口だそうです。しかし水銀濃度が高かった母体から生まれた赤ちゃんは、逆に知能は低い傾向にあったそうです。だから妊娠中は水銀濃度が低くて、不飽和脂肪酸の多い魚を沢山食べると良いそうです。ビンナガマグロの缶詰やイワシなどが勧められています。

不飽和脂肪酸の薬飲んじゃうのも、良いかもしれません。実際に大人になって、お利口とかどうとかは、教育によるところが多いのでしょうけど。

さかな、さかな~さかなを食べると~頭、頭、頭~~



2005年10月15日(土)23:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

チャングムの誓い  第52話「誤解」

チャングムが数々の病気を治したことから、中宗がチャングムを主治医にすると言い出して、大臣たちは大騒ぎ。中宗は夜、医女の部屋にチャングムを訪ね、チャングムは中宗を散歩に誘い、王ゆえの緊張と心痛を解きほぐすべく、アドバイスする。チャングムは、心許せる相手と語らうことも勧めるが、中宗にはそんな相手が思い浮かばないのでした。そんなことで、知らず知らず中宗もチャングムに心を惹かれていくのでした。

 中宗とチャングムが治療の一環として行っている散歩は、宮中でうわさとなります。皇太后はいっそのことチャングムを側室にするよう、中宗に進言。チョンホとチャングムの仲を知ったヨンセンは、中宗にチャングムの気持ちを尊重するよう嘆願。また皇后はチャングムに、中宗にその気がないから側室になる心配はないと告げますが、実は王自身も気づかなかったのですが、皇太后の進言の通り王はチャングムに心を惹かれていたのでした。さすが親心です。事情を知らなければ実に良い解決に思えます。

 所が、チャングムはチョンホを慕っているし、医道を全うしたい気持ちで一杯です。チャングムノ周りのネイウォン(内医院)の人たちも、またヨンセン、チャンドク、ミン尚宮等もチャングムに医療を続けさせたいと願います。さらにミンジョンホとの関係を心配します。今やチャングムの良き理解者となった、皇后も同様です。

 一方皇太后始め、大臣たちはチャングムが、側室になることに大賛成です。宮廷内の勢力争いから、一気に恋愛問題となって来ました。次回はついに三角関係がぶつかり合うようです。最後まで目が話せません。

 
 話は日本の江戸時代の大奥の事になりますが、将軍から声がかかると、実際には取り巻きが、これはという女性を将軍にお奨めするのですが、映画のように泣く泣くということは無かったそうです。殆どの女性は名誉なこととして、さらに一族に対して多大な恩恵があるため、とても喜んだそうです。

 中には側室になるのを拒否する人もあったそうですが、別にお咎めも無かったそうです。もちろん準備というか、取り巻きが本人に承諾を得る段階ですから、それに将軍の方も恋愛というより、気に入るかどうか程度の問題で、代わりはいくらでも居たのですから、問題なかったのでしょう。吉原など公娼があって、人身売買が普通だった頃の話ですから、現代の感覚では語れませんが、結構人権は守られていたようです。
 
 大奥のことは、江戸幕府が倒れてからも、そこに居た人たちは、なかなかそういった事を話したがらなかったそうです。



2005年10月14日(金)00:19 | トラックバック(1) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

メモリー増設 (2)

 ペリカン便でメモリー到着。ノート型パソコンだから、まず周辺機器をはずし、裏のバッテリーをはずします。この機種の場合、ボードをはずし、メモリースロットの予備が一個あるから、何か金属のものに触れて、身体の静電気を放電させ、そこに裏表を間違いなく差し込みます。カチッと入ったらそれで終わり。

 後は、ボードを戻し、裏のバッテリーを戻し。周辺機器を付けて完成です。「マイコンピゥータ」を開き、「システムノタスク」の「システム情報を表示する」をクリック。
「システムのプロパティ」「全般タブ」で右下に・・・・なるほど増設前は460MBだったのに、1.4GB になりました。

 使ってみるとウインドウを沢山出しても遅くならないし、一度出したものはものすごく早い。写真なんかの反応も早~~い!特にDVDの画像などは、滞りが無い。

 なんだかPCがお利口になった感じ。人間の頭も、メモリー増設とかが出来ると良いのにね~~

 何時の日か脳の中に新しい回路が出来るような注射が出来るかも。英語の単語ダウンロードできるとか、中国語がダウンロードできるとか、もう そうなったらいつも最新式のにしようとするけど、容量が一杯ですとか、脳の基盤総取替えとなりますという注意が出たりして(笑)

 実は人間の脳の記憶領野は、それほど使われていなくて、まだまだ容量の空きは一杯あるそうです。演算装置に問題があるのかもしれません。脳でもコンピューターでも、一度は何かで入力しないといけないのは同じ。やっぱり勉強しないと駄目なのかな?



2005年10月13日(木)19:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

採用試験

今日施設の採用試験があった。
採用試験の問題です。意味は解っても、綺麗な日本語にするなると結構大変。特に後半の文章はなかなか難しい。

以下の文章を和訳しなさい

 Albert Einstein, one of the greatest scientists the world has ever known, was born in Germany in 1879, and in 1940, became an American citizen. The Nazi government had forced him to leave his homeland.

Although he was busy as a scientist, he was always interested in art. He liked classical music, and played the violin very well. One day, when Charles Chaplin invited him to an opening night of one of his movies, Einstein accepted the offer and enjoyed seeing the movie.

Einstein was also well- known as a humanist, and after World War II, he came to believe in “ World Government.”

The following is the outline of his essay, “ I Believe ”, in which he tells us how we should live in this World. You will learn a lot from this great scientist’s view of life.

Strange is our life here upon earth. Each of us comes for a short visit, not knowing why, yet sometimes seeming to find a purpose.

From the point of view of daily life, however, there is one thing we do know: that man is here for the good of other men-above all for those upon whose smile and health our own happiness depends, and also for the great number of people we do not know but can sympathize with when they suffer. Many times a day I realize how much my own outer and inner life is built upon the hard work of other people, both living and dead, and how much I must make efforts in order to give in return as much as I have received.



2005年10月12日(水)23:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事の話 | 管理


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