Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



2005年6月を表示

PC変更 2

引き続き午後からプリンタードライバー、PC用カメラ、・・・・次から次へとインストール!

でも要らなかったり、使っていなかったソフトも整理整頓できて、まあいいかなと(笑)

夜は島田の寿司屋、その後陶芸教室。暑くてちょっと教えておしまい。生徒は汗だく!

「チャングムの誓い」を見た。先週やれやれと思ったら、また来週は大変なことになりそう。



2005年6月30日(木)23:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

PC変更

 古いPCがとうとう作動しなくなり、新しい方へ移動。

 今日の日を予測して、外付けHDにデーターは移してあったから、問題はないけど、設定やら、ソフトの再インストールなど大変!
5時間ほどかかって、どうにか使えるようになった。

 超疲れた!!



2005年6月29日(水)22:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

晴耕雨読

仕事が多くて家にばっかりいる。
仕方ないので一日中本ばっかり読んでいる。

「中国詩境の旅」森本哲郎:PHP文庫
を読み始めた。偉く物を知ってる作者と思ったら、東大文学部卒、朝日新聞学芸部次長、東京女子大教授だそうで、流石の経歴!
内容も素晴らしい、読むのに大変。書き出しが揚州で、大好きな「杜牧」から始まっている。



2005年6月28日(火)22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

びんぼう自慢 2


 先日落語会の後で噺家と雑談中、ふと志ん生についてたずねた所、アレはものすごく練習してあるんだと言われた。この本を読んで、芸に対しては一生懸命だったと思える箇所が沢山出てきた。やはり天才とか名人とかは、まずその仕事が好きなこと、あとは少しの才能と、沢山の努力だと改めて思った。

志ん生の名言

三道楽
 「オレも、随分と馬鹿なことォして来たもんだよ。三道楽は免許皆伝だし、貧乏神とは礼状の束が来るほどのつきあいもしたし、・・・オレだって、少しはマシなとこだってあるんだよ。いくら道楽三昧したり、底抜けの貧乏したって、落語てえものをいっときも忘れたことァない。ひとつことを一生懸命つとめていりゃァ、人間いつかは花咲くもんだ。今の若い人にも。そういうことを話ィしてやりたいな、ウン、オーイ、酒ないよォ、もう一本持って来いッ」

修行
 寄席へ行くときや帰るときなんぞ、うっかり電車にのろうもんなら、往復で7銭もとられる、もったいないから、どんな遠い所へも歩いて行くんです。・・・歩くったって、ただボンヤリ歩くんじゃァなしに、落語をひとりで稽古しながら歩くんです。・・・あたしは、人間はズボラだが、落語(はなし)てえものが好きだから、入って三年間ぐらいは、自分でそういっちゃァなんだが、随分、稽古には精出しました。

酒ひとすじに
 戦争がもっときびしくなるにつれて、その酒がないってことが、あたしにとっちゃァ爆弾が降ってくるよりこわかった。

死ぬのを覚悟で満州へ
 「向こうには、まだ酒がウンとあるてえから、冥土の土産にたらふく飲んでくるよ。・・・」
このとき一緒に行ったのが、三遊亭円生だった。円生は「お国のためですと・・」



2005年6月27日(月)23:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

びんぼう自慢

「びんぼう自慢」古今亭志ん生:筑摩文庫
1977年に立風書房から刊行されたものだが、文庫本になったので購入。

 志ん生の自伝である。取材して、録音した物を本にした物。
 
 題のごとく恐ろしくびんぼうで、と言うか無頓着で驚く。しかしこの下地があって、彼の落語の中に出てくる庶民の、貧乏なのに生き生きとした生活ぶりの描写は、実に真に迫って素晴らしい。

 彼の落語での特徴は、話の中で随分乱暴者が出てきて面白いのだが、よくよく聞いていると、その乱暴者の周りの登場人物は、とても親切で優しかったり、常識人ばかりなのだ。それに乱暴者も意外と優しい面を持っている。現代の他人をあざ笑うような笑いと違って、実はとてもさわやかな笑いなのです。

 志ん生の言葉にこんなのがあった。「人の心のふれ合いてものは、暮らしのよしあしとは違いますねえ。お互いが理解しあって、助け合って、一緒になって笑ったり、泣いたりする。あたしなんぞ、いまでもあの時分の、なめくじ長屋の生活てえのが、とってもなつかしく思い出されてきますよ。」
 
 この時代にはまだ、古き良き江戸の名残があった。



2005年6月26日(日)23:28 | トラックバック(1) | コメント(1) | 落語 | 管理

お江戸の意外な生活事情

 「お江戸の意外な生活事情」中江克己 PHP 文庫

 簡単な本だが、なかなか良くまとまっていて、面白く読んだ。

 江戸時代は、今の一つだけ前の時代で、武士については多くの記録も残っているのだが、意外と庶民の生活ぶりは記録が少ない。
 
 江戸の庶民と言っても、裏長屋に住むその日暮らしの野菜籠を天秤棒で担いで売り歩く棒手振(ぼてふり)から、大工などの職人とは随分違っていた。
 大工は代表的な職人で、収入も良く、エリートだった。江戸は火事も多くいつでも仕事はあった。

 しかし多くの庶民は、収入の多少にかかわらず、貯金などをしようとは思わなくて、収入の殆どを使い切って、愉快に毎日を過ごしていた。

 江戸の町は仕事はいくらでもあり、食べていくだけならなんとでもなった。また老後もそれなりに皆が面倒見るようなシステムもあって、とても暮らしやすい世界であった。

 とても感心するのは、効率とか、進歩とかを求めないで、物を大事にし、無駄の無い生活をしてた。

 世界でも稀なシステムとして、人間の排泄物を近郊の百姓が回収し、肥料としてた。しかも肥料代として、大家にその代金を支払っていた。つまり有機窒素の循環が行われていたのには驚く。

 だからその時代世界一の100万人都市であった江戸の大川なども白魚が泳ぐほど綺麗だった。

 歌舞伎の「三人吉三廓初買」で、大川端の有名な科白
 月も朧に白魚の、かがりも霞む春の空、冷てえ風もほろ酔いに、心持良くうかうかと~~~こんな調子だった。実に上手く環境が保護されていた。

 わらじも長く履くと擦り切れるが、みんな一箇所にまとめて捨てて、最後には肥料にしてた。

 古着は徹底的にリサイクルし、ぼろ着れになるまで使った。

 今の使い捨て文化を見ていると、こんなことが何時までも続くとはとても思えない。最近やっとエコロジーがうるさくなったが、根本で違っているような気がする。経済性を問題にしていてはいつまでたっても、解決しない。特に日本とアメリカ!
 
 便利になっても、豊かになったとは言えない面もあるような気がする。そんな江戸時代の生活にに憧れる。

 今でも東南アジアではそのような生活をしているところが随分ある。いつかはバリ島あたりに住みたいと思う今日この頃!



2005年6月25日(土)23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

チャングムの誓い 第36話「誤診」 その2

医女(いじょ)下級階層の役職のひとつ。 簡単な医術を学び、医者の手伝いをする女性。

 韓国では女性が病気になっても男性に身体を診せることは、大変恥ずかしい事とされていたので、医者に診せないで病気を悪化させる人も多く、女医制度が作られました。人の身体に触れることは卑しい仕事とみなされ、医女は下層階級の仕事でした。もちろん正式な医者もいたのですが、女性の診察は医女がしていました。
 
 当時の医療は中国の影響を受け、漢方医療でした。診察は問診、顔色、触診など西洋医学と同じ所もありますが、特徴は脈診と舌の診察です。特に脈診は強い脈、普通の脈、弱い脈を区別し、細分化されてます。その習得は実に困難でした。患者を実症、間症、虚症と大まかに分類し、同じ症状でもそれぞれに違う漢方薬を処方します。その他の治療は針灸です。中でも漢方薬と針による治療は、現代の医学から見ても、素晴らしいものがありました。当時の世界の医学水準からすると、漢方は世界一でした。
 
 例えば経口のホルモン剤が可能になったのは、ごく最近です。所が漢方薬には服用すると血中のホルモンが上昇する物があります。これはとても凄いことで、現代でも解明されていません。
 現在では漢方薬が、西洋医学が苦手とする、比較的慢性の疾患に使われているためと、作用が穏やかな薬が使われているため、漢方薬は副作用が無いように思われがちですが、もちろん重大な副作用もあります。また急激な作用の薬もあります。

 針による治療は針麻酔だけが知られていますが、穿刺による排泄など、現代の医療と同じものがたくさんあります。
 
 今回のドラマの中で問題になったのは双胎妊娠、流産でした。

 病気の中で、妊娠は西洋医学の中でも、特徴的な一般には無い症状を示します。妊娠中は病気でもないのに、熱が上がり、臨床検査でも炎症があるような所見を示します。ですから医師は若い女性(若いと限らない)を診察するときは、必ず妊娠を頭に入れておかないと、診断を誤ることがあるあります。「女性を見たらまず妊娠を疑って」というのは、医師がまず始めに習う言葉です。

 当時世界で女性の医者が活躍したのは珍しいことで、現代にもその傾向は引き継がれ、韓国では女医の活躍が目立ちます。特に産婦人科では、男性医師より女医に診察を受ける方が多いようです。また現在でも韓国では中国と同様、漢方による治療がとても盛んです。
 



2005年6月24日(金)23:50 | トラックバック(1) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

チャングムの誓い 第36話「誤診」

チャングムの誓い
毎週観ている韓国ドラマ
 
今回は二人の医女が、互いに診断を譲らない場面が出た。

 「診断は自分の思ったとおりするもので、他人の意見は尊重しても、信ずる所は譲れない。でないと今後診断できなくなる。」と言う言葉には、同感!

 命がけで診断しあう場面や、医師が会議を開いて相談するも、最後には主治医が、全責任を持って治療を決定する場面には感激!

 高貴な人に針を打つ前に、医女同士で試し打ちしてから、本番で打つ手順にも、納得。

 医療系のドラマは、良い医者と悪い医者のように描きがちだが、どちらも脈診の名手で、結局はどちらかの診断が正しいという筋立てだった。医師の内面的な問題をリアルに描いていて、好感が持てた。

 よく出来てるドラマと思った。



2005年6月23日(木)23:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

阪神さよならホームランで・・・

5時間にわたる試合だった。6時から始まり11時、延長12回阪神最後の攻撃、さよならホームラン\(^O^)/

 試合内容は中日が押していたが、耐えに耐えて最後の最後にさよならとは!

 観ていると、阪神が攻撃してる時はいらいらするし、中日が攻撃してるとはらはらする。テレビで初めから最後まで放映してたから、観る方もすっかり疲れて、負けはないし、もう引き分けでと思った。5時間もでは身体に悪い。その瞬間・・・疲れも吹っ飛んだ(笑)

 こんな試合が続くと、応援も命がけ~~(笑)


 今年は間違いなく優勝!!!(笑)



2005年6月22日(水)23:38 | トラックバック(0) | コメント(2) | 今日の出来事 | 管理

自宅サーバー

 知り合いが自宅サーバーを立ち上げたので、サーバーについて勉強してた。かなり内容のある本だったのと、話が難しくてやっと完読した。こういったものは読んでるだけでなくて、実際PC触りながらでないと、なかなか理解できない。

 サーバーを立てることは、大規模でなければ出来そうだが、一日中PCを付けっぱなしにしないといけないし、ウイルス攻撃にも配慮し無いと行けなし、その割には普通のレンタルサーバーで良いと思った。

 営業の方は現在でも有料レンタルサーバー使ってて、CGIの使用制限はあるが、問題ない。

 更に個人的にサーバー立てても、それほど容量使いたい内容が無い!

 今回は見送って、何かの機会があったらサーバー立てることにした。



2005年6月21日(火)23:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

麻雀放浪記

 今日ある本を読んでいたら、麻雀の歴史が書かれていて興味深く読んだ。

 麻雀は19世紀に中国で誕生した物だが、それ以前に紙牌の馬吊(マーチャオ)があった。これは明代中期に生まれた紙カードで、500年の歴史がある。大正10年ころから日本に入り、大正15年頃「婦人畫報」で紹介され、だんだん盛んになった。アメリカ経由で日本に紹介されたそうで、七対子、緑一色などはアメリカで生まれた役だそうです。

 昭和になって、麻雀は一気に広まって昭和5年の頃ピークとなった。

 麻雀と言うとギャンブルと言う何か暗いイメージが付きまとうが、昭和28年、現在の天皇が皇太子時代、20歳の時客船ウイルソン号で外遊された時、その船中で麻雀をなさったそうです。
 
 航海4日目美しい中国女性から麻雀に誘われて、その後目的地に着くまでずっと麻雀で過ごされたそうです。殿下は毎日甲板を行ったり来たりして、麻雀に誘われるのをお待ちになったそうです。自分から自摸(ツモ)る手つきと牌を倒すポーズで「半荘ど~う?」とは言えない。

 最近はギャンブル性を排除して、明るいイメージになって、結構流行しているらしい。それに自動麻雀機の出現で、積み込みなどのいかさまも無くなったのも一因だろう。ちなみに我が家には、自動麻雀機があります。

 ふと昔観た映画を思い出した。戦後のどさくさの時代を描いた映画で、麻雀の映画では屈指の出来と思う。随分昔に観た映画のため検索したら、ストーリーが出てたので、それに若干の解説を入れ紹介。


 麻雀放浪記
監督:和田誠  原作:浅田哲也

 敗戦直後の上野。哲(真田広之)は終戦後も学校へは戻らずブラブラしていたが、ある日、勤労動員の工場で働いていた時にバクチを教えてくれた上州虎(名古屋章)と偶然会った。そして、虎に連れられてチンチロ部落に足を踏み入れる。なけなしの金しかない哲は、プロのバクチ打ちであるドサ健(鹿賀丈史)の張りにノッた。ドサ健のおかげで相当な勝金を得ることができた哲だか、その大半をコーチ料としてドサ健にとられてしまった。

 数日後、二人はアメリカ兵相手の秘密カジノ「オックス・クラブ」へ乗り込んだ。しかし、ドサ健は勝つだけ勝つと、哲が金を持っていないのを承知で帰ってしまい、哲は負け金が払えずアメリカ兵に打ちのめされてしまう。そんな哲を介抱してくれたのは、カジノのママ(加賀まりこ)だった。翌日からママのもとで本格的な麻雀修業が始まった。それにつれてママへの思慕も深くなっていった。

 ある日、哲は魔術師的なプロに出会う。出目徳(高品格)といって、虎のボス的存在だった。この徳から哲は“二の二の天和”というコンビ技を仕込まれ、いよいよドサ健と対決することになる。その頃ドサ健は、情婦のまゆみ(大竹しのぶ)の家を雀荘にして大層な羽振りだった。哲と出目徳、そしてドサ健一派との対決は、始めにわざとおかしな手つきをして、ドサ健にいちゃもんをつけさせ、牌を改めさせる。その後“二の二の天和”の技が炸裂し、哲たちの圧勝に終わった。ドサ健は持ち金全部では足りず、まゆみの家の権利書まで手離すほどだった。ドサ健は再度の対決を期すが、タネ銭がないので、まゆみを吉原に売ることにする。ここで一肌脱いだのがゼゲンの達(加藤健一)。彼は、先刻の勝負に立ち会っており、ドサ健たちのプロ魂に惚れていたのだ。達のおかげでまゆみは女郎にならずにすんだ。

 ここで言う“二の二の天和”とは二人で行う大技。牌を積む時自分に有利になるように、一つ置きに良い牌を並べるのが元禄積みです。しかしこれは牌を検められたり、ポンやチーによって自摸が変わると他の人に流れるので、たちどころに発覚するので、危険な技。もちろん山をずらして、自摸を変えることは可能だが、上から自摸ったように見せて、下から自摸のはなかなか大変。さいころで5や9がでれば、自分の山から取り出すので、簡単に有利な牌を積み込めるため、普通はさいころは二回振る。一回目は振る人を決める。その人が振った目から親が取り始める。そこで親はまずさいころを振って2を出す。自分の右の北家(右となり)のコンビが、更に2を出す。すると北家に仕込んだ牌と、親である自分の仕込んだ牌とあわせて、配牌から既に上がっていると言う、天和が完成する。

 一方、「オックス・クラブ」のママが人知れずいなくなった。男に頼ることなく一人で生きるママ、裏切られてもなお一人の男を思い続けるまゆみ。この二人の愛を通して、哲は少年から大人に成長した。

 再び対決の日が来た。哲、ドサ健、達、そして出目徳、哲は一匹狼のギャンブラーとして互角に渡り合う。この勝負の中で、幻の技十三枚返しのいかさまの場面が出る。これは持っている13枚の牌を、一瞬にして自分で積んだ山と取り替える技。実践ではとても使えない大技の一つ。二昼夜、勝負が続く。突然、出目徳が倒れた。“九連宝塔”という大きな手に、ヤクで弱っていた心臓が耐えられなかったのだ。

 “九連宝塔”とは一萬3枚、二萬から八萬迄は1枚ずつ、九萬が3枚で聴牌と言う役で、一萬から九萬まで全ての牌で上がりとなる、珍しい役。これを上がると不吉と言われている。三人は、出自徳の死体を彼の家まで運んで行き、帰りに上州虎をひろって、再び勝負を続けるべく、家に戻っていくのだった。



2005年6月20日(月)23:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

のんびりした日曜日


今日は仕事もなく、一日中のんびり。

髪が伸びたので理容室に行った。

室内にいることが多いため、気がつかなかったが、久しぶりに外を歩いたら、もうすっかり夏!



2005年6月19日(日)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

 「旅ひととせ」 美空ひばり

今日ふとテレビを観ていたら、小椋佳の曲を美空ひばりが歌ってる番組があった。どれも初めて聴く曲であまりにも見事で、聴き入った。美空ひばりの歌は、本来上手なのは解るが、聴き慣れすぎて鼻につく、という面もあった。

 今日の曲は驚くほど新鮮で、歌詞も詩情豊かで、全てに感激。演歌系でこれほど感激したのは初めて・・
NHK のサイトを見たら以下のように紹介されてた。

美空ひばり 日本の郷愁を歌う
後9・00~10・00
 平成17年6月24日は国民的歌手、美空ひばりの17回忌にあたる。日本の歌謡界の象徴として、また戦後の激動を生き抜いた日本国民の心のよりどころであった、この戦後最大の歌姫を送る最大の節目となる。その美空ひばりが残した一枚のCDがある。小椋佳が彼女の歌手生活40周年に送った記念盤だった。「旅ひととせ」というタイトルのCDは、その直後に発売された「愛燦燦」の陰に隠れて、あまりその存在を知られていない。一人の男が恋人のもとを離れて一年間、日本をひと回りし、また恋人のもとへ帰ってくるまでの物語を、12ヶ月日本各地の四季の名所を旅情豊かに歌い込んでいる。その絶妙な歌唱力と表現力は聞く者を圧倒する。
 

 4月、桜の上野を旅立ち、小豆島、鹿児島、萩、能登、雪の函館と、各地の自然、風物、歳時をハイビジョン映像で撮影、その豊かな映像詩を、誰にでもある郷愁と人の心のひだを歌い上げる美空ひばりの歌にのせて12曲を綴る。更に翌年福岡で緊急入院することになる自身の体調や、前後して亡くした弟への思いを、生前の映像に重ねていくことで、この歌を歌う彼女の心情が浮かび上がり、見るものの心に迫る。



2005年6月18日(土)23:08 | トラックバック(0) | コメント(2) | 音楽 | 管理

オフ会

オフ会の話がなかなかまとまらない。

それにしてもみんな仕事が大変そう。クウガなんかまだ仕事中だった。こんたもほとんど休みを取ってない様子。

みんな本とに頑張ってるな~~~

それを聞いただけで、私も頑張らないとと、励まされた。



2005年6月17日(金)23:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

陶芸教室 桶形花入れ

 生徒に活花の師匠でもある、お花屋さんがいる。

 教室では冴えない様に見える作品も、お花を生けてお店に飾ると、どんどん売れる。

 今回「つる物」を生けやすい桶形の花入れを作った。ロクロで形を作り、切込みを入れて、更に横の取っ手を差し込んで出来上がり。

 彼女は簡単に売れると豪語してた。

 画家より画商、作家より編集者、お百姓よりお代官様・・どこの世界も作る人より、売る人のほうが偉い感じ!(笑)






2005年6月16日(木)23:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

パスワード

 色々なサイトで、さまざまなパスワードが必要な場合がある。みんな同じパスワードにしようとしても、字数制限があったり、送られてくるパスワードもある。で適当に入れるのだが、思い出せなくなったりする。

 そこで便利なフリーソフトを発見。パソコンで使ったパスワードを、内容別に全て表示出来る。Web メールも、会員サイトも、Out look Expressも、なんでも表示。ある意味パスワードにした意味が無いとも言える恐ろしいソフト。使ってみたが全部出て来た。

 コピーしてパスワードつけて保存!でもこのパスワード忘れたら?ヤッパリまたこのソフト使って・・・同じことか(笑)



2005年6月15日(水)01:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

賞与査定

 老人ホームの賞与の査定があった。自己査定、上司の査定、部下からの査定、他の部署からの査定。最後に事務長、施設長、理事長の3人との面接。

 実際のボーナス査定額は小額でも、評価は大事で、1年に2回の査定面接だが重要な行事!

 半公共でも、仕事に対する評価、報酬は大事!

1.皆から評判の良い人・・・そのまま評価が高いが、時に嫌われてるような評価が出る。

2.目立たないがこつこつやってる人・・・結構評価が高い。良い人材だが、指導性に関しては力不足のこともある。

3.仕事は普通に出来るし、問題ない人・・・そこそこの評価となる。

4.うるさく言うが仕事も出来る人・・・評価がまちまち。

5.うるさいが仕事が出来ない人・・・大変評価が悪い

6.おとなしいが仕事が出来ない人・・・その部署からは、それほど悪い評価はつかないが、他の部署からは、容赦ない評価となる。

7.厳しい上司・・・他の部者からは良い評価。部下からもそれほど悪い評価は出ない。

8.優しい上司・・・他の部署からは悪い評価。部下からは、普通の評価。一部の部下からは良い評価。でもそう言った部下は、全体としては良くない評価を受けてる人。とびぬけて良い評価をつける上司は、えこひいきだけ!

9.皆がとてもよい評価をつけてるのに、とびぬけて悪い評価をする上司、大体相手もその人に対して悪い評価をつけてる。・・・単に仲が悪いだけ。そういう感情的な評価をする上司は、調査をして根拠がない場合は失格。

大体こんな感じ!何度やっても同じ!

 査定の一番の効果は、仕事も、指導性もあるのにおとなしい人となりで目立たない人は、こういった客観的な評価で、昇進となる。立場ができると、実力発揮となる。

 初めから目だって優れてる人は、時に悪い上司に当たっても、時がたてば自然に力を発揮してくる。意地悪な上司がいても、他の部署はちゃんと見ている。ふてくされたり、ぼやくより、ちゃんとやってる方が他の部署からの評価は上がる。

 スタンドプレーが上手くて、調子の良い人も、こういった査定によって、欠点が良く解って良い。しかしそういう人は、結構見込みのある人が多いのも事実。

 「教えるは、習うなり」と言うように、人にうるさい人は、それなりに自分も向上してることが多い。自分の仕事しか見てない人は、いくら仕事出来ても伸び悩むことが多い!ヤッパリ積極性が大事。

 仕事が出来なくて、おとなしい人とか、人との交流が無い人は、救い様が無いと言うか、お手上げ!

 人事もパターン化することが、可能と思われる。

 実際は大体の評判で人事しても、結果は同じなのだが、その部署で、上からも下からも評価が良くて、他の部署からも評価の良い人が昇進すれば、みんな納得!



2005年6月14日(火)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事の話 | 管理

杜牧の生涯

杜牧
 
 杜牧(803~852)字(あざな)は牧之(ぼくし)、西安生まれ。杜甫と韓愈を尊敬していた。李商隠、温庭筠(いん)、許渾(こん)、韋(い)荘、らと同時代の詩人。晩唐の時代であった。詩だけでなく、韓愈、柳宗元の後を継ぐ散文にも優れていた。

 詩聖である杜甫(712~770)が老杜(ろうと)といわれるのに対して、小杜(しょうと)といわれる。名前からも解るように、同じ祖先を持つ。

 杜朴は徳宗の貞元19年(803)長安で長男として生まれた。父は杜従郁、祖父は宰相となった杜祐であった。杜朴は宰相を祖父に持つ裕福な家庭に生まれ、幸せな少年時代をすごした。杜牧5歳の時弟杜顗(とぎ)が生まれた。

 杜牧10歳の時、祖父が退官、病死し、時を経ずして父の杜従郁も病死した。一家はたちまち困窮、家も売って転々とした。20歳の時受験勉強をはじめ、26歳に科挙に合格した。

 杜牧30歳の時、弟の杜顗(とぎ)も4年後に科挙に合格、幸せな日々が続いた。このころから杜朴は毎晩歓楽街に遊ぶようになる。

 杜牧35歳の時、弟の杜顗(とぎ)眼病となり失明する。その後杜朴は弟の家族を養うため、苦労することとなった。

 杜牧は科挙の進士に及第し、エリート官僚としてスタートしたが、結局地方官吏として、一生各地を転々とした。

 若い頃の、奔放な生活の詩は、明るくて爽快。写景詩に優れていて、流麗な詩情の中に、悲しい世の移り変わりを歌う。当時の政局の不安定さも、杜朴の人生に影を落としていた。



2005年6月13日(月)01:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

杜牧

漢詩の中でも特に杜牧が好き
今日はそれほど有名でない詩を

遣懷

落魄江南載酒行,
楚腰纖細掌中輕。
十年一覺揚州夢,
占得靑樓薄倖名。

(読み)
懷(おもひ)を 遣(や)る
江南に 落魄(らくはく)し  
酒を載せて 行く,
楚腰 纖細(そようせんさい)  掌中に 輕し。
十年 一たび 覺(さ)む  揚州の夢,
占(かち)得たり  靑樓 薄倖(はくこう)の名。

(意味)
江南で放蕩して過ごしていた頃、(杜牧は、名門の出で、遊び回る地位も財産もあった。杜牧が中央政界から離れて、各地で放縦な生活を送っていたことをふり返ってこういう。)

酒を(江南の船旅で、舟で)携帯して

女性の細い腰に、魂も奪われる思いをした。スマートで可愛い女性に、身も心も奪われていた。
十年経って、揚州の夢のような生活から、はじめて目覚めたが

手に入れたのは、妓楼の薄情男、遊冶郎の名だけであった。



2005年6月12日(日)00:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

阪神


 今日は午前中は偉く忙しかったが、午後から暇だった。

 阪神VS日ハムの試合があったので、仕事の合間にちょくちょく見ていた。途中でボロボロの感じになり、今日は駄目かと思ってみていたら、なななんと、矢野の満塁ホームラン!!! \(^O^)/



2005年6月11日(土)23:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理


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