Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



落語
==Explain==
落語が大好き。

古今亭志ん朝

 旅行の時友人から貰いました。

 本人のインタビューとか、エッセイ、他の噺家からのインタビューなどからなります。

 やはり二代目は大変だという感じでした。特に志ん生は型にはまらない芸風なので、言ってみれば誰も真似ることが出来ない芸風です。

 ですから文楽のようなきちんとした芸風を目指したのだと思われます。

 その芸が完成し、これから枯れた芸風になる前に早すぎました。



Apr.3.2021(Sat)20:03 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

春雨や雷蔵さんの落語「黄金餅」

 「黄金餅」2020年8月31日(月) 午後3:00~午後3:30(30分)をNHKで観ました。

 演じたのは春雨や雷蔵でした。五代目 古今亭 志ん生や志ん朝、談志の「黄金餅」を聞き慣れているので何とも違和感がありました。

 志ん生は「え~~~」などとノンビリ話始めますが、一時期講談師をやっていたこともあり、道順を語り始めると一気に講談口調で語り切ります。

 道順は
 下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、

 私(志ん生)もくたびれた。志ん朝はくたびれたは言いません。談志はもう少し沢山町名を入れ、更に早口で語ります。

 談志のスピードは凄いけれど、リズムがありません。やっぱり志ん生が一番好きです。

 春雨や雷蔵の道順を語る様子全く違いました。この話はややもすると凄惨な話です。この道順の語り口が一番の売りだと思っています。

 昔の真似ばかりしていても発展はないから、新しい語り方として認めるべきなのでしょうか、



Sep.1.2020(Tue)21:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

時そば1

寒いのでお昼は天ぷら掛け蕎麦にしました。
この時期蕎麦といえば落語の「時そば」を思い出します。
5代目古今亭志ん生が有名ですが、その前は6代目春風亭柳橋が得意としていました。

 お話は屋台の蕎麦を食べる男が、やたらと蕎麦を誉めます。割り箸から蕎麦の器、麺の具合、ちくわまで褒めちぎります。

 勘定の時になって、「銭が細かいから手出してくんな!ひい、ふう、みい・・・なな、はち、」と数えて、
「今何時(なんどき)だい?」と時刻を尋ねます。
 
 蕎麦屋の主人は「へい九つでい」と答えます。
それに続いて「とう、十一、十二・・・十六、ご馳走様!」と一文ごまかして店を去りました。


 これを見ていたちょっと間抜けが、自分んも同じようにごまかそうと、あくる日屋台のそばを注文します。
その蕎麦はまずくて、割り箸も割ってあったり、器も欠けていたり散々です。

 勘定になって、同じように!ひい、ふう、みい・・・なな、はち、」と数えて、「今何時(なんどき)だい?」と時刻を尋ねると、
「へい四つでい」と答えます。続いていつつ、むっつ、ななつ・・・」とと余分に払ってしまいます。



Feb.21.2019(Thu)00:26 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

時そば2

 これは江戸時代の時刻表示を知らないと、少し判りにくい話です。

 太陽が出る日の出を明け六つ(朝の6時ころ)に時間後の8時ころを五つ、10時ころを四つといいました。

 お昼の12時は九つになります。14時は八(やつ)今のおやつの時間です。16時は七つ、

 夕方日が落ちる18時は暮れ六つになり、20時は五つ、間抜けの客が聞いた時間は夜四つ、つまり22時です。2時間後の午前0時には暁九つになります。

 前の調子のいい客は午前0時過ぎに時間を聞いたのでした。

 曽根崎心中の
 「あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。」というのは午前4時頃です。

 民謡の「お江戸日本橋」の出だしの
 「お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ コチャ高輪 夜明けて 提灯消す。」
 とあるのは出発は午前4時頃で、芝の高輪あたりで明け六つになり夜が明けて、提灯を消すと歌っているのです。

 さらに複雑なのは午前0時を十二支の子(ね)とし、2時間ごとに丑(うし)・・・お昼の12時は午(うま)という表示もありました。

 「草木も眠る丑三つ時」という言葉があります。
 これは午前2時です。丑の刻2時間を4等分して30分毎の、丑の時間の三つ目「丑の三刻」を表しています。

 一刻を争うは30分以内にという意味になります。江戸時代はのんびりしていたので、30分以内とは大急ぎのことでした。

 そもそも日の出から、日の入りまでを昼にしていたので、夏と冬は時間が全然違いました。春分と秋分の時だけが昼間と夜が同じ時間でした。



Feb.20.2019(Wed)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

3代目 三遊亭金馬

 目黒のサンマはいろんな噺家が語りますが、「三遊亭金馬」の目黒のサンマは名演の一つです。

 声がよくて、活舌がはっきりしていてわかりやすく、落語のお手本のような噺家でした。活舌が良いのは講談師の修業をしたことがあるせいかもしれません。

 古今亭志ん生も普段は「え~~~」などと演っていましたが、「黄金餅(こがねもち)」で下谷から麻布までの町名を情景描写を交えて言い立てるときは非常にリズムがあり、誰にもまねのできない語りを見せます。彼もまた講談師だったことがあります。

 金馬は目黒のサンマ以外に居酒屋、藪入りなど、持ちネタもたくさんありました。

 名人の一人だと思っています。

 

 



Sep.2.2018(Sun)19:33 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

目黒のサンマ

 昨日は今年初めてサンマを食べました。今年はサンマが豊漁だそうで喜ばしいことです。

 サンマを食べると思い出すのは「目黒のサンマ」です。

 よく知られた噺ですが、ざっとあらすじを書くと、

 ある殿様、演者によっては赤井御門守が、急に馬で野駆けるに出ます。家来たちは大慌てで追いかけます。

 散々走って休憩するとお腹が減ってきました。「食事をもて」と言いますが、急な事なので弁当がありません。殿様一同腹をすかせているところに嗅いだことのない旨そうな匂いが漂ってきました。

 おつきの小姓に
 「金弥(きんや)」

 「お召しにござります。」

 「なんじゃ、この匂いは?」

 「農家におきまして、昼の際、秋刀魚を焼きうる匂いにござります。」

「ふぅー、秋刀魚と申す。魚(うお)か?
 よい匂いだのぉ。
 余は、まだ食したことはない。」

「はっ、下種魚(げすうお)にござります。 下種、下人が口にいたします。
 お上(かみ)様の、お口に入るものではござりません。」

 「控えっ。 下種、下人が口にいたし、余の口に合わんとは、太平の贅(ぜい)と申するもの。
 武士が一朝(いっちょう:ひとたび)事があり、千軍万馬(せんぐんばんば)往来の身入り、あれは食えん、これは嫌いだで、武士が務まるか。

 苦しゅうない、持参いたせ。」

 理屈に合っているので百姓に買ってきます。

 あまりのおいしさに殿はすっかり気に入ります。

 「お殿様に申し上げます。」

 「なんじゃ?」

 「お屋敷へお帰りの節、上目黒におきまして、秋刀魚を食せしことは、どうぞ、ご口外、ご無用に願いとう存じます。」

 「下種魚にござりますので、重役らの耳に入りますと、我々共の落ち度にあいなります。ご他言、ご無用に願いとう存じます。」

 「そのほうらの迷惑となることなら、余は言わんぞ。」
 

 その後殿さまはサンマが食べたくて、食べたくて仕方ありません。

 「金弥。」

 「お召しにござりますか?」

 「目黒はよいとこだのぉ。」

 「御意にござります。気温、風景、共に備わりまして。」

 「いやいや、気温だの、風景を愛(め)でるのでない。
 あの折、食した魚な、秋刀魚と申すか?」

 「その儀は内密に、私どもがお咎めを・・・」

 ある日、親類方に接待され「如何なるお料理でも」と言われて殿さまは待ってましたとばかりに

 「余はサンマを食したし!」
  
 相手は大変なことになり、すぐさま市場に買いに行きます。油が強いのでお体に害があってはいけない、骨があるのでと、蒸したり、骨を一本一本毛抜きで抜いて、分けの分からない料理にして、出します。

 臭いはサンマだがさっぱりの味です。

 「秋刀魚か?」

 「御意にござります。」

 「いず方より、取り寄せた?」

 「人を日本橋の魚河岸へ走らせまして、魚は、銚子の沖の本場にござります。」

 「何、これが、日本橋。
 
 それで、いかん。秋刀魚は目黒に限るぞ。」


 とても好きな噺です。食べることしか楽しみの無い大名の暮らし、世俗の事に無知な様子を滑稽に上手く語っています。


 その目黒でサンマはどのようにして入手できたのかはいろんな説があるようです。

 目黒川には大正時代まで船着き場があって、品川から船が上がってきていたそうです。

 

 
 



Sep.1.2018(Sat)23:07 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

一文笛

 桂米朝(2015年没)作の上方落語で、始めて聞きました。演者は三遊亭円楽でした。 

 この噺をしたくて、米朝さんに習おうとしましたが、ご年齢のた米朝さんの弟子である、桂ざこば兄さんに習ったそうです。

  
 貧乏な人からは決して盗まない、名人芸を誇るスリの話です。ちょっとしたいたずら心から大変な事件となり、そのために後悔し、スリを辞めると自分の指まで落とけれど、最後にいい仕事するのが落ちです。


 上の山下、稲荷町など話は関東風になっていましたが、原作のままのようです。とても良い話で、さらに三遊亭円楽が極めて上手くて感動しました。

 



May.18.2018(Fri)22:54 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

来客が

 引っ越して初めてのお客さんでした。いろんな話に花が咲きました。

 夜遅くまで話し込んで、楽しい時間が過ぎました。

 関西では「宿替え」(やどがえ)と言います。落語の演目にも有ります。関東では「粗忽の釘」(そこつのくぎ)と言う名で演じられます。

 



Sep.29.2016(Thu)23:49 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

「なか」

 昨日の「なか」とは仲(なか)で仲之町。吉原の中央通りを仲之町と言ったのを、つめて「仲」。 で、吉原の事です。俗に北国(ほっこく)とも言いました。

 落語「辰巳の辻占」などの洲崎(すさき)を辰巳(たつみ)と言いました。

 「品川心中(しながわしんじゅう)」、「居残り佐平次(いのこりさへいじ)」の品川は「南(みなみ)」と言いました。

 千住は「コツ」と言いました。今でもコツ通り商店街があります。「藁人形」と言う噺があります。

 古今亭志ん生の落語の枕などに良く出てきます。「研究に行く内に研究しすぎちゃった。」とか「学校じゃああんまり教えない。」とか言っていました。

 江戸四宿は江戸時代の五街道で日本橋から初めての宿場町です。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、奥州道、日光道の千住宿です。それぞれ遊女を置いていました。内藤新宿は「文違い」(ふみちがい)と言う落語があります。



Aug.13.2016(Sat)20:52 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

佐々木政談

 久しぶりに三遊亭圓生の「佐々木政談」を観ました。やはり素晴らしい出来で、感動しました。

 武士言葉、町人言葉、子供の言葉の見事な使い分けが見事です。笑いとは話しがメチャメチャでは大して面白くありません。話自体は途方もない事でも、ディーテイルはいかにも本当らしく有るべきです。

 映画でも筋立てと同等にディーテイルがしっかりしていると、真実みがあります。



Sep.7.2014(Sun)23:02 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

江戸言葉

 最近の時代劇での言葉使いが気になることがあります。明らかに現代語を使っています。

 昔の映画はかなり武士、商人、職人で言葉使いが違っていました。落語では厳しく区別されています。

 最近の落語では江戸の女性の言葉使いは、今の下町の女性の言葉になっています。実際には江戸時代の下町の女性は男性の言葉と殆ど違わなかったようです。
 「おれはてめえにほの字だのに・・」と言った具合でした。

 志ん生の落語を音だけで聞くと、時々男性のセリフか、女性のセリフか解らないことがあります。江戸時代末期でさえ、女性の言葉使いは男性とそれほど変わらなかったようです。

 武士も若い人でも「・・・・じゃ」という言葉使いが多く、「・・・・だ」とはあまり使わなかったそうです。

 このままで映画を作ったりすると違和感が有ります。

 戦前の映画でも小説でも、明治生まれの人がらみれば、おかしな言葉を使っていると感じたでしょう。



Aug.27.2014(Wed)23:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

2013年9月17日落語会

 久しぶりの落語会でした。演題は「百川」とおなじみの「寝床」でした。

 「百川」は六代目三遊亭円生で有名で、「寝床」は八代目桂文楽で有名です。
特に文楽は体が小さかったこともあり、子供の役は上手でした。

 「百川」は実際にあった料亭の名前で、江戸時代には有名な料亭で明治初期まで存在していました。今の日本橋室町辺りに在ったそうです。

あらすじ:
 新米で田舎から来た奉公人の百兵衛さんがひどい訛りで、客にとんでもない勘違いをさせます。あげくに常磐津の師匠をを迎えに行く使いを頼まれるが、間違って外科医をを連れて来てしまうドタバタの噺です。

感想:
 噺はとても良い出来でした。ややもすると田舎者を馬鹿にするような噺ですが、屈託無く気の荒い河岸の連中と対等以上にやりとりしている様子が滑稽でした。



 話が終わって「かっぽれ」を披露されました。素晴らしい踊りで、昔の志ん朝を思い起こさせる粋がありました。

 落語が終わってそのことを話すと、師匠が「誉められているのかな?」を嬉しそうに答えられました。
 「志ん朝さんの様に、噺の中でも舞踊の優雅さが出ている感じがしました。」と言ったら、とても喜んで居られました。



「寝床」は面白い噺ですが、多くの噺家さんが演じるので、なかなか大変です。

 八代目桂文楽を聞き慣れている私には、近代的な噺になっていたので少し違和感がありました。けれどそれなりに工夫されており、結構笑えました。



Sep.17.2013(Tue)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

文七元結(ぶんしち もっとい)

 あらすじはよく知られています。聴いてみたい一は、

  http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=rMucMohn56g

 大変長い話で、大ネタです。50両ものお金をポンとくれてやるというのはやや現実離れしていますが、江戸っ子の心意気をやや誇張して噺にしています。

 とても難しい噺で、これが出来れば一人前と言われています。

 昨日の噺はもちろん一人前の噺でした。

 



Feb.20.2013(Wed)23:55 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

「棒鱈(ぼうだら)」

 久しぶりの落語会でした。演目は「棒鱈(ぼうだら)」と「文七元結(ぶんしち もっとい)」でした。

 棒鱈(ぼうだら)は古い話で、初めて聞きました。

 江戸っ子の二人連れが、料理屋で飲んでいたら、隣の部屋から田舎侍の酷い訛りのある話し声が聞こえてきました。そこへ芸者が来ます。話のやりとりが野暮ったく、更に酷い歌を歌い出します。芸者は仕事だから侍を誉めますが、隣で聞いている江戸っ子はイライラします。

 江戸っ子達は負けるものかと、粋な都々逸を歌ったりします。するとさらに侍はエスカレートして、更に酷い歌を歌います。

 あまりにも酷いので、どんな奴か覗きに行ったつもりが、部屋に転がり込んでしまします。そうして喧嘩になってしまいます。止めに入った板前が、料理中の胡椒を持ったまま仲裁しているうちに、胡椒をばらまき、

 みんながくしゃみひどくなって、収まります。

 なんだか静かになったようなので、気になった階下の客が「二階の喧嘩、どうなりました?」。
「あー、いま丁度、胡椒(故障=邪魔)が入ったところです。」 で落ちになります。

 棒鱈は酔っぱらいや、野暮天を差す俗語です。



Feb.19.2013(Tue)23:17 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

落語会その2 「締め込み」

「締め込み」

 ヤキモチ焼きの男が家に帰ると奥さんの姿が見当たりません。
 家中探してみると、台所に風呂敷包みが置いてあります。中を開けると、男の着物と奥さんの着物なんかが入っていて、これはひょっとして、間男かなにかができて、今から駆け落ちでもしようとしていたんだろうか、きっとそうに違いないと、思いこんでしまいます。

 そこへ奥さんが帰ってきて、どこに行っていたのか、いや、そんなことより、これからどこに行くつもりなのか、一体誰と出て行こうとしていたのかと奥さんを問い詰めるのですが、奥さんは知らぬ存ぜぬの一点張り。

 喧嘩は次第に大喧嘩となり、逃げ損なった泥棒が見かねて仲裁に入ります。
 夫婦別れになる所を仲裁してくれて、夫婦は感謝し、酒を振る舞います。酔いつぶれた泥棒は寝込んでしまい、一晩泊めることにします。

 「ドロボウが家の中にいるんだから、外からつっかえぼうをしておいで!」

感想:
 熱演でしたが、夫婦喧嘩の描写が現代的で、江戸っ子の威勢の良さや、粋の良さが無い感じがしました。おっちょこちょいで、気が短くて、心で泣いても、弱みを見せない気っぷの良さを出さないといけません。
 
 江戸の女性ももっと気っぷが良くて、負けん気でないと可哀相な女性になってしまう演出でした。噺家によっては、お前の顔なんか見たくない、出てけ」、「こっちこそ、出てくわ」と言った喧嘩です。

 やや演出過剰な雰囲気でした。個人的には、今日の噺の夫婦喧嘩は江戸風が感じられませんでした。しかしこれからの時代、このような演出の方が受けるかもしれません。



May.16.2012(Wed)00:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

落語会 「竈幽霊(へっついゆうれい)」

 今日は久々の落語会でした。演題は「竈幽霊(へっついゆうれい)」と「締め込み」でした。


竈幽霊(へっついゆうれい)

あらすじ:
 道具屋で竈幽を売っていましたが、買った客が次から次へと返しに来ます。売った値段の半額で買い戻すため、道具屋は大儲けです。ところがあの竈幽から幽霊が出るとの噂が立ち、客が寄りつかなくなってしまいます。

 仕方ないので、道具屋は誰かにお金を付けて引き取って貰おうとします。それを聞きつけた熊さんは友人と持ち帰ります。運ぶ途中で竈幽をぶつけてしまいますが、中からお金が出てきました。

 丑三つ時に、ぼぉっと青白い火の玉が二つ、三つ浮かんだかと思うと、どろどろと丑三つ時に、ぼぉっと青白い火の玉が二つ、三つ浮かんだかと思うと、どろどろと瓶の中から、青白い顔をした男が現れます。度胸のある熊さんは幽霊に一体何の未練があって化けて出てくるのかとたずねます。

 幽霊が言うには、自分は賭け事が好きで、ある夜、博打で大当たりし思わぬ大金を儲け、友人達とどんちゃん騒ぎをして、そのとき食べたフグにあたって死んでしまった。博打で当たっただけでなく、ふぐにも当たった。死んだのは仕方ないが、せっかく儲けた大金に未練があるといいます。

 熊さんはそれでは半分返すといいます。お金をもらった幽霊は、礼を言い、最後にもう一つだけ願いを聞いてほしいと申し出ます。これで成仏するが、中途半端な金額になったので、できれば最後にもう一勝負したい。

 よかろう、と熊さんは、受けて立ちます。幽霊は喜び、もらったお金をすべてかけます。一回で大きな勝負と熊さんも驚きますが、急がないと夜が明けてしまうと。幽霊は丁。古道具屋の主人は半。出た目は五二の半。主人の勝ち。

 幽霊は悔しがり、もう一勝負といいます。それは構わないが、もうかける金がないだろうと、主人が聞くと、

「あっしも幽霊だ。決して足は出しません」

感想:
 とても良い出来でした。
 熊さんの気っぷの良さと、幽霊の未練たらしい性格を演じ分け、更に博打好きの幽霊が、嬉しそうにサイコロを振る様子を上手く演じられました。

 この話は幽霊がサイコロをふる仕草も一つの見せ所です。


 



May.15.2012(Tue)22:34 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

「とり」を取ることに

 いつも落語会に来ていただいている噺家さんが、寄席で「とり」を取られることになりました。

 「とり」とは寄席で最後に出演する者。上がりを受け取る人の意です。実力、人気の両方がないと勤めらせん。更に「とり」の噺家はその日の一番の大ネタをします。時には1時間以上の噺になることもあります。



 噺が終わると、深々とお辞儀しありがとうございました・・・・
 噺家最高の栄誉です。

 以前から応援していたので、とてもうれしく思います。
 みんなでお祝いしようという話が出ています。

 



Oct.4.2011(Tue)23:50 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

落語会

 久しぶりに落語会がありました。生憎の雨のためお客さんも少なくて、ちょっと寂しい感じの会となりました。

 ベテラン2人で「開帳の雪隠」と「御神酒徳利」が演じられました。

 「御神酒徳利(おみきどっくり)」

 馬喰町に刈豆屋という旅籠があった。師走十三日は年に一度の大掃除。ご先祖さまが徳川家よりいただいた家宝の御神酒徳利を盗られでもしたらたいへんだと、かよい番頭の善六がとりあえず水瓶のなかに沈めておいた。
 所が善六はそのことを忘れてしまったので、大事な御神酒徳利がなくなった、と大騒ぎになります。家へ帰った善六は水瓶のなかへ入れておいたことを思い出しますが、いまさら自分が忘れてたとはいい出しにくいので夜逃げしようと言い出します。女房の父は占い師で、そろばん占いで徳利の行方を占うということにした。適当にそろばん玉をはじいて水瓶のなかの御神酒徳利を見つけ出します。主人をはじめ、みんな大喜びで祝宴がはじます。
 それを偶然泊まっていた大阪の鴻池善右衛門の支配人。その支配人が善六に、是非大阪までいってほしいと頼み込む。鴻池の娘が病になって、どんな名医に診せても癒らない。そこでなんとか善六に占ってもらいたいというのである。

 断り切れなくて、とうとう大阪に行くことになります。途中神奈川宿でも、占うことになって、運良く占いが当たります。大阪に到着しそこでも神奈川宿の稲荷が現れて、その助けで娘の病気の因を占う事が出来て、娘が全快するという噺です。

 長い噺ですが、最後まできちんと演じられとても良い出来でした。

 もう一つの噺「開帳の雪隠」はたわいないお話ですが、軽妙な話しぶりで和やかな感じを受けました。



Sep.20.2011(Tue)23:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

8代目三笑亭 可楽

 8代目三笑亭 可楽(1898年1月3日 - 1964年8月23日)の「二番煎じ」を聞きました。
 地味な芸風ながら、江戸っ子弁で古い江戸落語をさらりと演じています。酒の飲み方や、猪鍋の食べ方はとても自然で、誇張が無くて良いと思いました。

 現代ではもっと説明を入れたり、くすぐりを多くしたりするのが普通ですが、あっさりした「二番煎じ」でした。聞き慣れない人にはやっぱり不親切かもしれません。
 
 その辺がそれほど人気が上がらなかった原因かもしれません。落語はよく聞いている人には回りくどい説明は、面白さが半減します。逆に初めて聞く人や、それほど聞いたことがない人は、説明が少ないと面白さが判りません。
 
 江戸言葉がだんだん使われなくなるこの頃では、落語の中の言葉も判りやすいように言い換えたり、説明したりするようになっています。

 私も、刺し子の長半天(ながばんてん)ソロバン玉の三尺 豆絞りの手ぬぐいを奴にかぶり・・・などという下りは歌舞伎の衣装を思い出すのですが、色の表現や、かぶり方などはぴんと来ないこともよくあります。
 普段には着物が着られなくなり、着物の話が出てくると戸惑います。やっぱり言葉は生きているとつくづく感じます。



Sep.7.2011(Wed)23:33 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin

富について

 落語では富札を扱った噺は「宿屋の富」以外にも、「富久」、「水屋の富」、「御慶(ぎょけい)」があります。

 江戸時代の「富くじは現代の宝くじそのものです。
室町時代から有りましたが、寛永年間(1624~44)ころ幕府が認めたようで関西の寺社が始め、江戸では宝永年間(1704~10)ころより盛んになったようです。

 寺社の修繕費用捻出のために始まりました。文化文政期(1804~29)に最盛期となり、月に20回以上富がありました。落語に出てくる千両富はまれで、普通は100両~500両が一の富でした。千両富は現代の年末ジャンボといったところです。

 富札は時代によって違いますが、1枚1朱~1分でした。1分は1両の四分の一ですからとても高額でした。1朱は1分の四分の一です。庶民にはおいそれと買える金額ではなかったので共同購入する「割り符」や、現代の私設馬券(ノミ屋)みたいな違法の「影富」が盛んになりました。

 有名なのが谷中感応寺(天王寺)、湯島天神、目黒龍泉寺(目黒不動)で江戸の三富と呼ばれました。倍率は2000倍~3000橋でした。勧進元の寺社は30%~50%の収益になりました。現代の宝くじの期待値が50%ですから、現代よりましだったと言えます。

 いつの世もギャンブルに熱中する人は居たもので、いろんな弊害が出てくるようになりました。御三家の水戸藩が「影富」をやって、これを河内山宗春がゆすったスキャンダルが勃発し大変な騒ぎになりました。正式な記録はありません。

 そんなことで、幕府はしばしば禁止令を出すこともありました。また抑制政策も取られたこともありました。逆に文化文政から天保年間は緩やかになりましたが、天保13年(1842)富は全面禁止になりました。

 



Feb.17.2011(Thu)23:37 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin


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