Cat Schroedinger の お部屋
 
                           雑談の部屋です。
 



落語
~説明~
落語が大好き。

3代目 三遊亭金馬

 目黒のサンマはいろんな噺家が語りますが、「三遊亭金馬」の目黒のサンマは名演の一つです。

 声がよくて、活舌がはっきりしていてわかりやすく、落語のお手本のような噺家でした。活舌が良いのは講談師の修業をしたことがあるせいかもしれません。

 古今亭志ん生も普段は「え~~~」などと演っていましたが、「黄金餅(こがねもち)」で下谷から麻布までの町名を情景描写を交えて言い立てるときは非常にリズムがあり、誰にもまねのできない語りを見せます。彼もまた講談師だったことがあります。

 金馬は目黒のサンマ以外に居酒屋、藪入りなど、持ちネタもたくさんありました。

 名人の一人だと思っています。

 

 



2018年9月2日(日)19:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

目黒のサンマ

 昨日は今年初めてサンマを食べました。今年はサンマが豊漁だそうで喜ばしいことです。

 サンマを食べると思い出すのは「目黒のサンマ」です。

 よく知られた噺ですが、ざっとあらすじを書くと、

 ある殿様、演者によっては赤井御門守が、急に馬で野駆けるに出ます。家来たちは大慌てで追いかけます。

 散々走って休憩するとお腹が減ってきました。「食事をもて」と言いますが、急な事なので弁当がありません。殿様一同腹をすかせているところに嗅いだことのない旨そうな匂いが漂ってきました。

 おつきの小姓に
 「金弥(きんや)」

 「お召しにござります。」

 「なんじゃ、この匂いは?」

 「農家におきまして、昼の際、秋刀魚を焼きうる匂いにござります。」

「ふぅー、秋刀魚と申す。魚(うお)か?
 よい匂いだのぉ。
 余は、まだ食したことはない。」

「はっ、下種魚(げすうお)にござります。 下種、下人が口にいたします。
 お上(かみ)様の、お口に入るものではござりません。」

 「控えっ。 下種、下人が口にいたし、余の口に合わんとは、太平の贅(ぜい)と申するもの。
 武士が一朝(いっちょう:ひとたび)事があり、千軍万馬(せんぐんばんば)往来の身入り、あれは食えん、これは嫌いだで、武士が務まるか。

 苦しゅうない、持参いたせ。」

 理屈に合っているので百姓に買ってきます。

 あまりのおいしさに殿はすっかり気に入ります。

 「お殿様に申し上げます。」

 「なんじゃ?」

 「お屋敷へお帰りの節、上目黒におきまして、秋刀魚を食せしことは、どうぞ、ご口外、ご無用に願いとう存じます。」

 「下種魚にござりますので、重役らの耳に入りますと、我々共の落ち度にあいなります。ご他言、ご無用に願いとう存じます。」

 「そのほうらの迷惑となることなら、余は言わんぞ。」
 

 その後殿さまはサンマが食べたくて、食べたくて仕方ありません。

 「金弥。」

 「お召しにござりますか?」

 「目黒はよいとこだのぉ。」

 「御意にござります。気温、風景、共に備わりまして。」

 「いやいや、気温だの、風景を愛(め)でるのでない。
 あの折、食した魚な、秋刀魚と申すか?」

 「その儀は内密に、私どもがお咎めを・・・」

 ある日、親類方に接待され「如何なるお料理でも」と言われて殿さまは待ってましたとばかりに

 「余はサンマを食したし!」
  
 相手は大変なことになり、すぐさま市場に買いに行きます。油が強いのでお体に害があってはいけない、骨があるのでと、蒸したり、骨を一本一本毛抜きで抜いて、分けの分からない料理にして、出します。

 臭いはサンマだがさっぱりの味です。

 「秋刀魚か?」

 「御意にござります。」

 「いず方より、取り寄せた?」

 「人を日本橋の魚河岸へ走らせまして、魚は、銚子の沖の本場にござります。」

 「何、これが、日本橋。
 
 それで、いかん。秋刀魚は目黒に限るぞ。」


 とても好きな噺です。食べることしか楽しみの無い大名の暮らし、世俗の事に無知な様子を滑稽に上手く語っています。


 その目黒でサンマはどのようにして入手できたのかはいろんな説があるようです。

 目黒川には大正時代まで船着き場があって、品川から船が上がってきていたそうです。

 

 
 



2018年9月1日(土)23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

一文笛

 桂米朝(2015年没)作の上方落語で、始めて聞きました。演者は三遊亭円楽でした。 

 この噺をしたくて、米朝さんに習おうとしましたが、ご年齢のた米朝さんの弟子である、桂ざこば兄さんに習ったそうです。

  
 貧乏な人からは決して盗まない、名人芸を誇るスリの話です。ちょっとしたいたずら心から大変な事件となり、そのために後悔し、スリを辞めると自分の指まで落とけれど、最後にいい仕事するのが落ちです。


 上の山下、稲荷町など話は関東風になっていましたが、原作のままのようです。とても良い話で、さらに三遊亭円楽が極めて上手くて感動しました。

 



2018年5月18日(金)22:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

来客が

 引っ越して初めてのお客さんでした。いろんな話に花が咲きました。

 夜遅くまで話し込んで、楽しい時間が過ぎました。

 関西では「宿替え」(やどがえ)と言います。落語の演目にも有ります。関東では「粗忽の釘」(そこつのくぎ)と言う名で演じられます。

 



2016年9月29日(木)23:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「なか」

 昨日の「なか」とは仲(なか)で仲之町。吉原の中央通りを仲之町と言ったのを、つめて「仲」。 で、吉原の事です。俗に北国(ほっこく)とも言いました。

 落語「辰巳の辻占」などの洲崎(すさき)を辰巳(たつみ)と言いました。

 「品川心中(しながわしんじゅう)」、「居残り佐平次(いのこりさへいじ)」の品川は「南(みなみ)」と言いました。

 千住は「コツ」と言いました。今でもコツ通り商店街があります。「藁人形」と言う噺があります。

 古今亭志ん生の落語の枕などに良く出てきます。「研究に行く内に研究しすぎちゃった。」とか「学校じゃああんまり教えない。」とか言っていました。

 江戸四宿は江戸時代の五街道で日本橋から初めての宿場町です。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、奥州道、日光道の千住宿です。それぞれ遊女を置いていました。内藤新宿は「文違い」(ふみちがい)と言う落語があります。



2016年8月13日(土)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

佐々木政談

 久しぶりに三遊亭圓生の「佐々木政談」を観ました。やはり素晴らしい出来で、感動しました。

 武士言葉、町人言葉、子供の言葉の見事な使い分けが見事です。笑いとは話しがメチャメチャでは大して面白くありません。話自体は途方もない事でも、ディーテイルはいかにも本当らしく有るべきです。

 映画でも筋立てと同等にディーテイルがしっかりしていると、真実みがあります。



2014年9月7日(日)23:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

江戸言葉

 最近の時代劇での言葉使いが気になることがあります。明らかに現代語を使っています。

 昔の映画はかなり武士、商人、職人で言葉使いが違っていました。落語では厳しく区別されています。

 最近の落語では江戸の女性の言葉使いは、今の下町の女性の言葉になっています。実際には江戸時代の下町の女性は男性の言葉と殆ど違わなかったようです。
 「おれはてめえにほの字だのに・・」と言った具合でした。

 志ん生の落語を音だけで聞くと、時々男性のセリフか、女性のセリフか解らないことがあります。江戸時代末期でさえ、女性の言葉使いは男性とそれほど変わらなかったようです。

 武士も若い人でも「・・・・じゃ」という言葉使いが多く、「・・・・だ」とはあまり使わなかったそうです。

 このままで映画を作ったりすると違和感が有ります。

 戦前の映画でも小説でも、明治生まれの人がらみれば、おかしな言葉を使っていると感じたでしょう。



2014年8月27日(水)23:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

2013年9月17日落語会

 久しぶりの落語会でした。演題は「百川」とおなじみの「寝床」でした。

 「百川」は六代目三遊亭円生で有名で、「寝床」は八代目桂文楽で有名です。
特に文楽は体が小さかったこともあり、子供の役は上手でした。

 「百川」は実際にあった料亭の名前で、江戸時代には有名な料亭で明治初期まで存在していました。今の日本橋室町辺りに在ったそうです。

あらすじ:
 新米で田舎から来た奉公人の百兵衛さんがひどい訛りで、客にとんでもない勘違いをさせます。あげくに常磐津の師匠をを迎えに行く使いを頼まれるが、間違って外科医をを連れて来てしまうドタバタの噺です。

感想:
 噺はとても良い出来でした。ややもすると田舎者を馬鹿にするような噺ですが、屈託無く気の荒い河岸の連中と対等以上にやりとりしている様子が滑稽でした。



 話が終わって「かっぽれ」を披露されました。素晴らしい踊りで、昔の志ん朝を思い起こさせる粋がありました。

 落語が終わってそのことを話すと、師匠が「誉められているのかな?」を嬉しそうに答えられました。
 「志ん朝さんの様に、噺の中でも舞踊の優雅さが出ている感じがしました。」と言ったら、とても喜んで居られました。



「寝床」は面白い噺ですが、多くの噺家さんが演じるので、なかなか大変です。

 八代目桂文楽を聞き慣れている私には、近代的な噺になっていたので少し違和感がありました。けれどそれなりに工夫されており、結構笑えました。



2013年9月17日(火)23:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

文七元結(ぶんしち もっとい)

 あらすじはよく知られています。聴いてみたい一は、

  http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=rMucMohn56g

 大変長い話で、大ネタです。50両ものお金をポンとくれてやるというのはやや現実離れしていますが、江戸っ子の心意気をやや誇張して噺にしています。

 とても難しい噺で、これが出来れば一人前と言われています。

 昨日の噺はもちろん一人前の噺でした。

 



2013年2月20日(水)23:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「棒鱈(ぼうだら)」

 久しぶりの落語会でした。演目は「棒鱈(ぼうだら)」と「文七元結(ぶんしち もっとい)」でした。

 棒鱈(ぼうだら)は古い話で、初めて聞きました。

 江戸っ子の二人連れが、料理屋で飲んでいたら、隣の部屋から田舎侍の酷い訛りのある話し声が聞こえてきました。そこへ芸者が来ます。話のやりとりが野暮ったく、更に酷い歌を歌い出します。芸者は仕事だから侍を誉めますが、隣で聞いている江戸っ子はイライラします。

 江戸っ子達は負けるものかと、粋な都々逸を歌ったりします。するとさらに侍はエスカレートして、更に酷い歌を歌います。

 あまりにも酷いので、どんな奴か覗きに行ったつもりが、部屋に転がり込んでしまします。そうして喧嘩になってしまいます。止めに入った板前が、料理中の胡椒を持ったまま仲裁しているうちに、胡椒をばらまき、

 みんながくしゃみひどくなって、収まります。

 なんだか静かになったようなので、気になった階下の客が「二階の喧嘩、どうなりました?」。
「あー、いま丁度、胡椒(故障=邪魔)が入ったところです。」 で落ちになります。

 棒鱈は酔っぱらいや、野暮天を差す俗語です。



2013年2月19日(火)23:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

落語会その2 「締め込み」

「締め込み」

 ヤキモチ焼きの男が家に帰ると奥さんの姿が見当たりません。
 家中探してみると、台所に風呂敷包みが置いてあります。中を開けると、男の着物と奥さんの着物なんかが入っていて、これはひょっとして、間男かなにかができて、今から駆け落ちでもしようとしていたんだろうか、きっとそうに違いないと、思いこんでしまいます。

 そこへ奥さんが帰ってきて、どこに行っていたのか、いや、そんなことより、これからどこに行くつもりなのか、一体誰と出て行こうとしていたのかと奥さんを問い詰めるのですが、奥さんは知らぬ存ぜぬの一点張り。

 喧嘩は次第に大喧嘩となり、逃げ損なった泥棒が見かねて仲裁に入ります。
 夫婦別れになる所を仲裁してくれて、夫婦は感謝し、酒を振る舞います。酔いつぶれた泥棒は寝込んでしまい、一晩泊めることにします。

 「ドロボウが家の中にいるんだから、外からつっかえぼうをしておいで!」

感想:
 熱演でしたが、夫婦喧嘩の描写が現代的で、江戸っ子の威勢の良さや、粋の良さが無い感じがしました。おっちょこちょいで、気が短くて、心で泣いても、弱みを見せない気っぷの良さを出さないといけません。
 
 江戸の女性ももっと気っぷが良くて、負けん気でないと可哀相な女性になってしまう演出でした。噺家によっては、お前の顔なんか見たくない、出てけ」、「こっちこそ、出てくわ」と言った喧嘩です。

 やや演出過剰な雰囲気でした。個人的には、今日の噺の夫婦喧嘩は江戸風が感じられませんでした。しかしこれからの時代、このような演出の方が受けるかもしれません。



2012年5月16日(水)00:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

落語会 「竈幽霊(へっついゆうれい)」

 今日は久々の落語会でした。演題は「竈幽霊(へっついゆうれい)」と「締め込み」でした。


竈幽霊(へっついゆうれい)

あらすじ:
 道具屋で竈幽を売っていましたが、買った客が次から次へと返しに来ます。売った値段の半額で買い戻すため、道具屋は大儲けです。ところがあの竈幽から幽霊が出るとの噂が立ち、客が寄りつかなくなってしまいます。

 仕方ないので、道具屋は誰かにお金を付けて引き取って貰おうとします。それを聞きつけた熊さんは友人と持ち帰ります。運ぶ途中で竈幽をぶつけてしまいますが、中からお金が出てきました。

 丑三つ時に、ぼぉっと青白い火の玉が二つ、三つ浮かんだかと思うと、どろどろと丑三つ時に、ぼぉっと青白い火の玉が二つ、三つ浮かんだかと思うと、どろどろと瓶の中から、青白い顔をした男が現れます。度胸のある熊さんは幽霊に一体何の未練があって化けて出てくるのかとたずねます。

 幽霊が言うには、自分は賭け事が好きで、ある夜、博打で大当たりし思わぬ大金を儲け、友人達とどんちゃん騒ぎをして、そのとき食べたフグにあたって死んでしまった。博打で当たっただけでなく、ふぐにも当たった。死んだのは仕方ないが、せっかく儲けた大金に未練があるといいます。

 熊さんはそれでは半分返すといいます。お金をもらった幽霊は、礼を言い、最後にもう一つだけ願いを聞いてほしいと申し出ます。これで成仏するが、中途半端な金額になったので、できれば最後にもう一勝負したい。

 よかろう、と熊さんは、受けて立ちます。幽霊は喜び、もらったお金をすべてかけます。一回で大きな勝負と熊さんも驚きますが、急がないと夜が明けてしまうと。幽霊は丁。古道具屋の主人は半。出た目は五二の半。主人の勝ち。

 幽霊は悔しがり、もう一勝負といいます。それは構わないが、もうかける金がないだろうと、主人が聞くと、

「あっしも幽霊だ。決して足は出しません」

感想:
 とても良い出来でした。
 熊さんの気っぷの良さと、幽霊の未練たらしい性格を演じ分け、更に博打好きの幽霊が、嬉しそうにサイコロを振る様子を上手く演じられました。

 この話は幽霊がサイコロをふる仕草も一つの見せ所です。


 



2012年5月15日(火)22:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「とり」を取ることに

 いつも落語会に来ていただいている噺家さんが、寄席で「とり」を取られることになりました。

 「とり」とは寄席で最後に出演する者。上がりを受け取る人の意です。実力、人気の両方がないと勤めらせん。更に「とり」の噺家はその日の一番の大ネタをします。時には1時間以上の噺になることもあります。



 噺が終わると、深々とお辞儀しありがとうございました・・・・
 噺家最高の栄誉です。

 以前から応援していたので、とてもうれしく思います。
 みんなでお祝いしようという話が出ています。

 



2011年10月4日(火)23:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

落語会

 久しぶりに落語会がありました。生憎の雨のためお客さんも少なくて、ちょっと寂しい感じの会となりました。

 ベテラン2人で「開帳の雪隠」と「御神酒徳利」が演じられました。

 「御神酒徳利(おみきどっくり)」

 馬喰町に刈豆屋という旅籠があった。師走十三日は年に一度の大掃除。ご先祖さまが徳川家よりいただいた家宝の御神酒徳利を盗られでもしたらたいへんだと、かよい番頭の善六がとりあえず水瓶のなかに沈めておいた。
 所が善六はそのことを忘れてしまったので、大事な御神酒徳利がなくなった、と大騒ぎになります。家へ帰った善六は水瓶のなかへ入れておいたことを思い出しますが、いまさら自分が忘れてたとはいい出しにくいので夜逃げしようと言い出します。女房の父は占い師で、そろばん占いで徳利の行方を占うということにした。適当にそろばん玉をはじいて水瓶のなかの御神酒徳利を見つけ出します。主人をはじめ、みんな大喜びで祝宴がはじます。
 それを偶然泊まっていた大阪の鴻池善右衛門の支配人。その支配人が善六に、是非大阪までいってほしいと頼み込む。鴻池の娘が病になって、どんな名医に診せても癒らない。そこでなんとか善六に占ってもらいたいというのである。

 断り切れなくて、とうとう大阪に行くことになります。途中神奈川宿でも、占うことになって、運良く占いが当たります。大阪に到着しそこでも神奈川宿の稲荷が現れて、その助けで娘の病気の因を占う事が出来て、娘が全快するという噺です。

 長い噺ですが、最後まできちんと演じられとても良い出来でした。

 もう一つの噺「開帳の雪隠」はたわいないお話ですが、軽妙な話しぶりで和やかな感じを受けました。



2011年9月20日(火)23:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

8代目三笑亭 可楽

 8代目三笑亭 可楽(1898年1月3日 - 1964年8月23日)の「二番煎じ」を聞きました。
 地味な芸風ながら、江戸っ子弁で古い江戸落語をさらりと演じています。酒の飲み方や、猪鍋の食べ方はとても自然で、誇張が無くて良いと思いました。

 現代ではもっと説明を入れたり、くすぐりを多くしたりするのが普通ですが、あっさりした「二番煎じ」でした。聞き慣れない人にはやっぱり不親切かもしれません。
 
 その辺がそれほど人気が上がらなかった原因かもしれません。落語はよく聞いている人には回りくどい説明は、面白さが半減します。逆に初めて聞く人や、それほど聞いたことがない人は、説明が少ないと面白さが判りません。
 
 江戸言葉がだんだん使われなくなるこの頃では、落語の中の言葉も判りやすいように言い換えたり、説明したりするようになっています。

 私も、刺し子の長半天(ながばんてん)ソロバン玉の三尺 豆絞りの手ぬぐいを奴にかぶり・・・などという下りは歌舞伎の衣装を思い出すのですが、色の表現や、かぶり方などはぴんと来ないこともよくあります。
 普段には着物が着られなくなり、着物の話が出てくると戸惑います。やっぱり言葉は生きているとつくづく感じます。



2011年9月7日(水)23:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

富について

 落語では富札を扱った噺は「宿屋の富」以外にも、「富久」、「水屋の富」、「御慶(ぎょけい)」があります。

 江戸時代の「富くじは現代の宝くじそのものです。
室町時代から有りましたが、寛永年間(1624~44)ころ幕府が認めたようで関西の寺社が始め、江戸では宝永年間(1704~10)ころより盛んになったようです。

 寺社の修繕費用捻出のために始まりました。文化文政期(1804~29)に最盛期となり、月に20回以上富がありました。落語に出てくる千両富はまれで、普通は100両~500両が一の富でした。千両富は現代の年末ジャンボといったところです。

 富札は時代によって違いますが、1枚1朱~1分でした。1分は1両の四分の一ですからとても高額でした。1朱は1分の四分の一です。庶民にはおいそれと買える金額ではなかったので共同購入する「割り符」や、現代の私設馬券(ノミ屋)みたいな違法の「影富」が盛んになりました。

 有名なのが谷中感応寺(天王寺)、湯島天神、目黒龍泉寺(目黒不動)で江戸の三富と呼ばれました。倍率は2000倍~3000橋でした。勧進元の寺社は30%~50%の収益になりました。現代の宝くじの期待値が50%ですから、現代よりましだったと言えます。

 いつの世もギャンブルに熱中する人は居たもので、いろんな弊害が出てくるようになりました。御三家の水戸藩が「影富」をやって、これを河内山宗春がゆすったスキャンダルが勃発し大変な騒ぎになりました。正式な記録はありません。

 そんなことで、幕府はしばしば禁止令を出すこともありました。また抑制政策も取られたこともありました。逆に文化文政から天保年間は緩やかになりましたが、天保13年(1842)富は全面禁止になりました。

 



2011年2月17日(木)23:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

死に神

「死神」
 借金で首が回らなくなった男、金策に駆け回るが、誰も貸してくれない。
かみさんにも、金ができないうちは家には入れないと追い出され、ほとほと生きるのがイヤになった。

  一思いに首をくくろうとすると、後ろから気味の悪い声で呼び止める者がある。驚いて振り返ると、木陰からスッと現れたのが、年の頃はもう八十以上、痩せこけて汚い竹の杖を突いた爺さん。
「な、なんだ、おめえは」
「死神だよ」
逃げようとすると、死神は手招きして、
「恐がらなくてもいい。おまえに相談がある」と言う。
「おまえはまだ寿命があるんだから、死のうとしても死ねねえ。
それより儲かる商売をやってみねえな。医者をやらないか」
もとより脈の取り方すら知らないが、死神が教えるには
「長わずらいをしている患者には
必ず、足元か枕元におれがついている。
足元にいる時は手を二つ打って『テケレッツノパ』と唱えれば死神ははがれ、病人は助かるが、枕元の時は寿命が尽きていてダメだ」
という。

 半信半疑で家に帰り、ダメでもともとと医者の看板を出したが、間もなく日本橋の豪商から使いが来た。
「主人が大病で明日をも知れないので、ぜひ先生に御診断を」
と頼む。
行ってみると果たして、病人の足元に死神。
「しめた」
と、教えられた通りにすると
アーラ不思議、病人はケロりと全快。
これが評判を呼び、神のような名医というので往診依頼が殺到し、たちまち左ウチワ。
ある日、麹町の伊勢屋宅からの頼みで出かけてみると、死神は枕元。
「残念ながら助かりません」と因果を含めようとしたが、
先方は諦めず、
「助けていただければ一万両差し上げる」
という。
 最近愛人狂いで金を使い果たしていた先生、そう聞いて目がくらみ、一計を案じる。
死神が居眠りしているすきに蒲団をくるりと反回転。
呪文を唱えると、死すべき病人が生き返った。

 さあ死神、怒るまいことか、たちちニセ医者を引っさらい、薄気味悪い地下室に連れ込む。そこには無数のローソク。これすべて人の寿命。男のはと見ると、もう燃え尽きる寸前。
「てめえは生と死の秩序を乱したから、寿命が伊勢屋の方へ行っちまったんだ。もうこの世とおさらばだぞ」、と死神の冷たい声。
泣いて頼むと、
「それじゃ、一度だけチャンスをやる。てめえのローソクが消える前に、別のにうまくつなげれば寿命は延びる」
つなごうとするが、震えて手が合わない。
「ほら、消える。……ふ、ふ、消える」


この噺はオペラから翻訳された噺だそうです。
 悲劇になるので、途中で道楽者になって愛人狂いになる設定になっています。しかしこれだけで死んじゃうのは可哀想ですから、ハッピーエンドの「誉れの幇間」に変えた噺もあります。

 明治のステテコの「鼻の円遊」こと、初代三遊亭円遊は、「死神」を改作して「誉れの幇間(たいこ)」または「全快」と題しハッピーエンドに変えています。

 圓遊さんは、師匠の圓朝から教わったのですが、・・・『主人公が最後に死んでしまうのはどうも、というわけで、改作してしまいまして、主人公はたいこもちにし、死神のスキを見て蝋燭をついでしまい、ついでに自分の旦那をはじめ何人かの分をついで帰って来るということにしてしまいました。この圓遊流は昭和三九年になくなった三代目の金馬さんがやっていました。

 「死に神」は六代目圓生、五代目古今亭今輔が得意にしていました。
 あたくしのは原作どうりのやり方です。これは特異な噺なんですから、あえて結末をおめでたくする必要はないと思います。』・・・と、圓生の覚え書にあります。
 圓生は、死神の笑いを心から愉快そうにするよう工夫し、サゲも死神が「消える」と言った瞬間、男が前にバタリと倒れる仕種で落としました。
圓生の死に神は何度も聞いたことがあります。とても見事ですが、どうにも圓生の真面目さや、意地悪い死に神が嫌いで、好きになれない噺でした。

柳家小三治は、
 男がくしゃみをした瞬間にろうそくが消えるやり方です。ちゃんと男が風邪気味でという仕掛けが入っています。

 ちょうど男の誕生日なので、死に神がハッピーバースデーを歌うと、調子に乗って男がろうそくを吹き消す、というのもあるそうです。これはおもしろい落ちだと思いました。



2011年2月16日(水)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

久々の落語会

 久しぶりの落語会でした。今日は噺家さんも二人でした。

 演目は「宿屋の富」と「死に神」でした。

 宿屋の富は、金策に来たのだが上手くいかず、馬喰町の安宿に泊まることになります。懐にはなけなしの一分だけです。見栄を張って大金持ちだとホラを吹きます。

 すると宿の亭主が、安宿だけでは食べられないので、富札を売っているのですが、ここに売れ残ったみ札が一枚有るからと、
 客はホラを吹いたおかげで、なけなしの一分で富札を買わされてしまいます。さらに当たったら半分やると約束してしまいます。

 客は一人になると、なけなしの一分取られちゃったと、ぼやくことしきり。

「あれだけ大きなことを吹いたから、当分宿賃の催促はねえだろう。のむだけのんで食うだけ食って逃げちゃおう」
と開き直ります。

 翌朝二万両返しにくる予定があるので、断ってくると宿を出た客、湯島天神の方に足が向き、当たり番号を見て当たっていることに気づくと、ぶるぶる震えそのまま宿に帰って二階で布団をかぶって寝込んじゃいます。

 宿の主人も富札の当たりを調べに行き、当たっていることに驚きこちらもぶるぶる震え家に帰ると二階へ飛んでいき、客に当たったことを告げます。

 「あたあた、ああたの富、千両、当たりました!」
 「うるせえなあ、貧乏人は。千両ばかりで、こんなにガタガタ……おまえ、座敷ィ下駄履いて上がってきやがったな。情けないやつだね」
 「えー、お客さま、下で祝いの支度ができております。一杯おあがんなさい」
 「いいよォ、千両っぱかりで」
 「そんなこと言わずに」
と、ぱっと蒲団をめくると、客は草履をはいたまま。

 
 富くじを扱った噺には「水屋の富」「富久(とみきゅう)」というのもあります。どの噺も、人間の欲を噺にしているので演じ方によっては、上手く笑いを取りにくい、難しい噺です。

 10代目金原亭馬生も「水屋の富」はとても難しい噺だと言っていたそうです。

 今日の「宿屋の富」は明るく演じられてその点では上手くいっていました。当たった瞬間の演技はいろんな噺家さんが工夫していますが、今日の噺はあと一歩という感じでした。



2011年2月15日(火)23:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

藪入り

 江戸の商家では奉公人は、年に2~3日ずつの休みしかありませんでした。

 1月16日は藪入りと呼ばれていました。もう一つの休みはお盆で後の藪入りとも呼ばれていました。

 三代目 三遊亭金馬の「藪入り」はとても有名で、子供を思う親の愛情が見事に語られます。金馬は「居酒屋」などでも有名ですが、とても声の良い方でした。

 奉公人は丁稚として働き始め、手代、番頭と出世しました。さらに主人に認められると、のれん分けとなり独立することが出来ました。

 奉公人の生活はとても厳しく、のれん分けはなかなか叶わなかったようです。


 



2011年1月19日(水)23:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「落語家 立川志の輔」

 わたしが子どもだったころセレクション「落語家 立川志の輔」

 ふとTVをつけたら、志の輔の番組なので興味深く観ました。

番組内容
 富山県の港町で生まれ育った志の輔さんが最も影響を受けたのは、おじいさん。骨董屋の主人で人を笑わせることが大好きな人だった。祖父の大きな愛と少年の成長の日々。

 昭和29年富山・新湊生まれの志の輔少年が祖父と暮らすようになったのは5歳の時。母を亡くし父と離れ、祖父母とおじ一家が暮らす家にやってきた。家族を笑わせたり、近所の商店で売り子のマネをしたり、祖父譲りのひょうきん者として成長した。

 孫のさみしさを大きな愛情と笑いで包みこみ、どんなときも味方だった祖父との関係を通して、落語家・立川志の輔の原点を見つめる。

感想
 今最も輝いている噺家の一人です。「ためしてガッテン」でもおなじみで、大変な人気者でもあります。

 古典落語も新しい感覚で演じます。新作落語にはとても感心させられました。これからを背負っていく落語家だと言い切れます。現在一番好きな噺家です。

 子供時代を語る番組でしたが、とても興味深く観られました。志の輔の噺の中にある、ある種の優しさが理解できたような気がしました。

 それにしても電車にはねられて、捻挫だけというのにはビックリしました。



2010年5月26日(水)23:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理


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