Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



2005年10月を表示

メモリー増設

現在のノートパソコンのメモリーが512MBのため最近遅く感じていました。メーカーから、「512MBあるいは1GB追加増設しましょう!」というメモリー増設の特売のメールが来ました。価格は定価が28100円のものが、特価23600円です。安いかもしれない!

所が念のため価格コムで観たら、最安値の店は19500円でした。ただし一店舗だけで、そのほかの店は23100円~23400円位でした。メールの内容は確かに割安でしたが、送料などが1500円もかかるため、結局割高でした。良くあるんですよね!送料がなぜか高かったりする所。

19500円の店は、送料も500円と安く、代引き手数料も600円だったので、早速購入しました。値段が他の店と離れているので一寸心配。

PCはなんと言ってもメモリーが大事で、これでトータルメモリー 1.5GB になるから、サクサク行く予定。高速化が楽しみ~~と!(笑)



2005年10月11日(火)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

第3回女流モンド21杯

女子プロのマージャンをいつも観ていたのですが、山口まや、田中智紗都、茅森早香、初音舞による最終戦でした。何も波乱は起きなくて、山口まやの優勝となりました。第二位は田中智紗都、第三位は茅森早香でした。

女子プロのマージャンはどちらかというと、攻撃的でガードに弱い傾向があるのですが、今回はレベルがとても高く、渋い攻防でした。時々疑問手もある様に見えましたが、場を完全には把握出来てないのと、4人の手が見える状態のため、最善手かどうかは、なかなか決められません。解説者も同様です。

個人的には黒沢咲を応援していましたが、健闘むなしく最終戦には残れませんでした。初音舞はツキが無かったのに、最終戦まで残れたのは立派でした。

やっぱりマージャンは運七分腕三分とか言いますが、あれくらいのレベルになると、それほど腕の差は無いわけで、運が8割を越すような気がしました。



2005年10月10日(月)23:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

「羽衣」

「羽衣」
 昨日オフ会の一人が薪能を観てきました。演目の一つに御当地物なので、「羽衣」がありました。
実は羽衣伝説には、単に舞をみせるものと、羽衣を隠され、漁師の妻になる話があります。

 能楽では単に舞をみせるだけです。羽衣を見つけた漁師は自分の家宝にするといいます。天女は人間が持つものではない、それにそれが無いと天に帰れないから返せと言います。いやだというととても悲しそうにするので、返すことにしますが、その代わり天女の舞を見せろと言います。では返してくださいというと、受け取るとサッサと舞わないで、帰るんじゃないかと疑います。天女は疑うということは人間のすること、天人は疑う、だますようなことは無いといいます。漁師は恥じ入って、羽衣を返し、天女は見事な舞をみせて、天上に帰っていきました。
 
舞い始めるときの地歌に
 「春霞。たなびきにけり久方の。月乃桂乃花や咲く。げに花鬘色めくハ春のしるしかや。面白や天ならで。 ここも妙なり天つ風。雲の通路吹き閉ぢよ。少女乃姿。暫し留まりて。こ乃松原の。春乃色を三保が崎。月清見潟富士乃雪いづれや春乃曙。類ひ波も松風も長閑なる浦乃有様。その上天地ハ。何を隔てん玉垣乃。内外の神乃御裔にて。月も曇らぬ日の本や」と歌います。
  百人一首の一句で僧正遍昭の「天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」が歌いこまれています。余談ですが、タカラジェンヌに天津乙女という方も居ましたね。
  舞い自体は能楽にしては華やかで、静岡の薪能では定番です。能はよほど気合を入れて観ないと、眠くなるので・・・

 以前「道成寺」を観たとき、歌舞伎の華やかな踊りを期待していたのに、白拍子の舞いがあまりにも動きが少なく質問したら、あれは大蛇が動き始める不気味さを表しているといわれました。舞う方は難しく良い所だそうです。最後に鐘の中に入るのですが、危険な業で有名です。流派によって入り方がどうのこうのというくらいにならないと・・・う~~ん観るほうも難しい(笑)
 船弁慶などはリズミカルで景気良く、観ていてもなかなかいいのですが、やっぱり歌舞伎のダイナミックさには敵いません。その歌舞伎自体も昔の踊りに比べると、現代人に合わせるように、ずいぶん早くなっていると聞いたことがあります。



2005年10月9日(日)23:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

オフ会

しばらく開催されなかったのですが、オフ会がありました。お店は「わん」という個室風な居酒屋でした。値段もリーゾナブルで、飲み放題コースもあって、いい感じでした。ただ料理が一度に出てくるため、開始時間に遅れてくると厳しいことになります。

久々の集まりだったので、大いに盛り上がりました。カラオケに行こうとしたのですが、満員のためスナックで、飲めや歌えの大騒ぎ、大変楽しい時間が持てました。



2005年10月8日(土)23:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

科挙

 科挙については、京都大学名誉教授 宮崎市定 著の「科挙」中央公論社 が有名です。

 中国の科挙は、現在の日本の受験地獄など比べものにならない過酷な試験制度でした。
科挙は隋の文帝によってはじめられました。隋より前の時代には、世襲の貴族が、家柄によって官僚になるという、貴族政治が行われていました。貴族の勢力を抑えるために、実力によって官僚を登用するために科挙は始められたのです。

 時代によって試験制度は変わって行きますが、基本的には三回の試験でした。合格率おおよそ3000倍の試験でした。諸外国では、政治は貴族階級の出身者が行っていたのに、身分に関係なく誰でも受験でき、合格すれば一躍高級官僚になれる画期的なものでした。ちょうどいまの日本の国家公務員上級試験いわゆる(キャリアー組)になれたのです。

 どれほど勉強したのかというと、まず数え年の5歳くらいから、字を教え始め、8歳頃から本格的に勉強します。一番大事なのは「四書」でその中の「論語」から始めました。15歳ころにはひと通りの古典教育を終了します。「論語」、「孟子」、「易経」、「書経」、「詩経」、「礼紀」、「左伝」のいわゆる四書、五経あわせて、全部で43万文字を全て暗記するのが建前でした。このほかに注釈、試験問題の回答の方法、歴史の勉強、文学の勉強、文学には、良い文章や、詩を作ったりする才能が必要とされました。人間業ではありません。信じられない量です。

 始めの試験は、国立の学校へ入る試験「童試」から始まります。「県試」、「府試」、「院試」の3つの試験を受けました。合格すると「秀才」と言う資格を得て、晴れて入学できました。学校で「科試」に合格すると、「挙子」と言う「郷試」の受験資格を得ることが出来ました。

 「郷試」が実際には本当の試験で、100倍の合格率でした。個室で三日二晩煮炊きしながら、試験を受けました。合格すると、「挙子」から「挙人」となり、終生「会試」の受験資格を得ると共に、ある種の官職につける資格も得ました。一番で合格した者は「解元」と呼ばれ大変な名誉でした。

 次が「会試」です。これが事実上の本試験でした。この試験も「郷試」と同様三日二晩の試験でした。受験者は1万数千人で、予備試験がありました。合格者は200~300人くらいでした。一番で合格した者は「会元」と呼ばれさらに名誉なことでした。

 最後の試験が殿試です。基本的には不合格は出ない事になっていました。天使自らが行う試験でした。これに合格すると「進士」となるのです。一番から三番までは「進士及第」と言う特別な称号をもらえました。一番は「状元」と呼ばれ、最大最高の栄誉とされました。「解元」、「会元」、「状元」全てを取ると言う意味から、マージャンの「大三元」と言う役が生まれました。役万です。親の役万は48000点、子の役万は32000点です。

 もっとも受験勉強には大変お金もかかり、合格者の多くは裕福な貴族とか、金持ちの子供でした。

 朝鮮半島の李氏朝鮮でも中国の科挙制度が導入されていましたが、中国では誰でも受験できる制度だったのに反して、貴族層である両班しか受験できない仕組みになっていました。



2005年10月7日(金)23:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

チャングムの誓い 第51話「医術の心」

  今日のチャングムの活躍は、実に素晴らしかったですね!医女が主治医になること、官位を受けることは、現代でしたら何の問題も無いのでしょうが、当時の階級社会、男性社会を考えると、とんでもない事だったのでしょうね。チョンホも大活躍でした。彼は科挙試験一番の秀才だったとは、条件が良すぎます。(笑)

  天然痘は古代から人類を悩ませてきた伝染病です。エジプトのミイラにも、感染の跡が残っているそうです。唾液や濃厚な接触で感染します。死亡率も高く、ドラマでもあったように、治ってもひどい跡「あばた」が残るためとても恐れられていました。一度天然痘にかかると生涯感染しないことは良く知られていました。

  鼻乾苗法といって実際に発病した人のかさぶたをすりつぶして、鼻の中へ吹き付けることによって、感染させ免疫を得る方法が考え出されました。また実際にわざと感染させる方法もありました。天然痘には重い天然痘と、軽く済む天然痘があります。出来るだけ軽い人を選んで感染させるので、結構上手く行ったようです。しかし人間の生のウイルスを感染させるので、とても危険な方法でした。

  その後ジェンナーが牛の乳絞り達が牛痘 (牛の天然痘) にかかるとヒトの天然痘にはかからないという話を耳にし、長年にわたって研究し、1796年近所の少年に牛痘を接種しまた。

日本の小学校教科書では、「息子フィップスに」と改変し、美談として教えていて、私も信じていました。だってそういう絵が大きく書かれていたから、普通誰でも信じます。嘘ばっかしでした。(笑)

  天然痘は1980年5月、WHO(世界保健機関)により根絶宣言がだされるまでに至りました。



2005年10月6日(木)23:49 | トラックバック(1) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

「世の中ついでに生きてたい」

「世の中ついでに生きてたい」 古今亭 志ん朝 (著) 出版社: 河出書房新社

山藤章二 金原亭馬生  池波正太郎 池田弥三郎 結城昌治 中村勘九郎 荻野アンナ
江国滋 中村江里子 林家こぶ平 との対談集です。志ん朝は座談の名手でもありました。落語の話、芸談議、父志ん生の思い出などが語られています。

芸人は普段はなかなか稽古のことや、苦労話や、話の工夫のことを話しませんが、対談の中で、上手く行かなかった話や、稽古の仕方、話の持って行き方、狙いなどが、ありのままに話されています。

名人と言われた父志ん生と比較されることや、芸に対する違いも、良いところ良くないところと、志ん朝の心の中そのままに語られています。

それにしても名人、上手と言うのは、やはり一分の才能と、九の努力のようです。志ん生も志ん朝も、やったとは言わないし、特に志ん生は練習したとは到底思わせない自然で破天荒のように聞こえるけど、実は非常に練習し、いつも研究していたようです。そういった面では志ん朝は落語をきちんとやりたい、いわゆる文楽のようになりたかったと言っています。

志ん生が悩んでいた志ん朝に言った言葉、
  「たかが噺家じゃないか、おまえ、だからきにすることないよ。落ちぶれたって、たかが噺家だよ。大きな会社の社長が乞食になるんじゃない。噺家なんだから、おまえ、出世したって噺家だし、落ちぶれたって噺家だ。」
素晴らしい言葉です。やっぱり親である志ん生には敵いませんね!心意気が違う!

志ん朝がテレビの仕事に行くので朝6時頃起きて、がたがたやってたら、倒れたあとの親父の志ん生が起きてきて、

  「何してんだい」ってえから、
  「これから仕事なんだよ」て言ったら、

  「おまえ、噺家がこんなに早く起きちゃだめだよ、新聞でも配達に行くのかと思ったよ」
  「いやそうじゃないんだよ。撮影があんだよ」ってったら、
  「つまんないことしてやんなあ」っていわれたの

志ん朝の中に親父に憧れるものと、嫌うものが同時に存在しています。この二つの話、志ん朝が志ん生になれないと言うか、なろうとしない人生観が現れていてとても良い話と思いました。
「世の中ついでに生きてたい」志ん朝の願望でもあります。このところがこの本の題になっています。



2005年10月5日(水)23:19 | トラックバック(1) | コメント(0) | 落語 | 管理

陶芸のお便り(2)

  有田焼についてのお便りが来たので、焼き物辞典(平凡社)などで確認しお返事しました。

----- Original Message -----
有田焼
  有田の陶器市に行ったとき、有田焼は、古唐津と伊万里の両方の影響を受けていると聞きました。
実際、唐津も伊万里も有田も全盛期は短かったと、話してくれた方は言っておりました。

  私とお話してくれた有田の陶器店の方は、有田ではいい土が取れたから、始めは伊万里に運び、伊万里焼として生産していたが、そのうち有田でも生産を始め、唐津焼と伊万里焼の両方を作っていたけれど、独自性に欠け知名度争いで負けたようなものだと言っておりました。
  
  しかし、実の所、有名な古唐津の作品の多くは、伊万里から生まれているとも語っていました。そういえば、展示会でも斑唐津とか朝鮮唐津とか名札がついている物がありました。

  古唐津と言うと骨董品的なイメージがわき、手の届かない感じもしますが、シンプルで親しみやすくも感じます。叩き唐津は叩いて作ると言いますが、口が小さい物は作って叩いて口の方を作るのでしょうね。どうして叩くのでしょう?締まるから?

中里太郎右衛門の作品は見たことがあります。
キビ色の地に黒で力強い柄が入った作品のイメージが強いです。

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Re. 有田焼
 地元の方のご意見ですから、そういうこともあるのでしょう。

少し整理してみましょう! 一般の説です。調べなおしましたからかなり正確です。

 唐津焼は、佐賀県西部から長崎県一帯にかけて焼かれた陶器をさします。窯跡は唐津市、北波多村、伊万里市、有田町、平戸市、佐世保市、波佐見町など沢山のところで作られていました。唐津港から船積みされていたため、唐津物と言われていました。総称でした。桃山前期には窯があったようです。この頃茶陶に優れたものが多かったのです。江戸時代には日用雑器も多く作るようになりました。

 伊万里焼は有田で焼かれた磁器をさします。伊万里から出荷されたため、伊万里焼と言われていました。朝鮮から連れて来られた、李参平という陶工が、有田に磁器土を発見し、日本で始めて白磁を焼けるようになりました。登り窯も彼が持ち込んだのです。それまでは日本全国穴窯でした。

 明治になって、有田で焼かれたのだから、伊万里というのはおかしいといって、有田焼という名称が起こりました。いってみれば、有田の独立ブランドが出来たのです。

 これとは別に鍋島というのがあります。これは有田を領地にもつ、鍋島藩が、大名に贈り物として特別に作らせていたものです。藩窯といいます。中国、朝鮮では官窯といいまして、厳密に宮廷用に焼いていました。少しでも傷があると、すべて割ってしまいます。また普通の庶民が持つことは禁止されていました。欠片一つ持つことが出来なかったそうです。日本では鍋島藩窯がこれにあたります。日本ではここだけでした。個人的にはごてごてしてて好きではありませんが、超高額です。

 現代では陶器も珍重されますが、当時はなんと言っても磁器は羨望の的だったのです。どの国も陶器から磁器へと移行していきました。

 幸か不幸か、日本では茶道の影響で、美しい白磁だけでなく、陶器も滅びることなく大事にされてきました。作る方は、人気のある磁器に移行し、窯も登り窯となって、良い陶器は作られなくなりました。
 
 それでも茶人は桃山時代の陶器を大事にし、現代に受け継がれてきたのです。近代になって、たとえば、中里 無庵などが桃山の唐津を再現したように、各地で復興が起こりました。

 外国の人には陶器は解りにくく、磁器が好きなようです。もちろんマイセン、ウエッジウッド、セーブルなどなど綺麗系に人気があります。あるものは日本で下地を作っていたりしました。不思議と日本のヤングギャルでも、陶器の良さはある程度解る様です。日本の磁器の技術は中国と並び実は世界一です。残念ながら、なぜか外国の人気に敵いません。車や時計と一緒ですね!性能は世界一でも人気はなぜか二番なのです。



2005年10月4日(火)23:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

バリ島テロに思う

ニュースは事件の大きさと、悲惨さを伝え、今後の取り締まり、警戒を訴えるのみ。今回のテロの本当の原因についての、分析、解説がはっきりしません。自爆テロといえば、死を覚悟してのこと、何か犯行声明とか、メッセージがあると思えますが、我々にはまったく伝わってきません。

イスラム教徒が90%を占めるインドネシアの中で、確かにバリ島はバリヒンズー教徒が多く、酒、タバコも自由です。それは今までもそうであったし、それだけであのようなテロになったのか、はなはだ疑問です。ジャカルタの多くの人は、イスラム教です。それなのに首都ジャカルタでも、テロは起こっています。

2002年10月にもディスコを狙った爆弾テロがあって、あの時は一応外国人を狙った犯行と思わせるものでした。今回は本当に無差別テロなのか、外国人を狙ったものなのか?その目的は?疑問なことばっかりです。

いくら警戒しても、レストラン等、実際にバリ島にいったことある方なら、一寸食事するにもボディーチェックしてから店に入ってなど、警戒できるとは到底思えません。

以前イギリスでアイルランド自治権獲得運動のような明確な問題であれば、何とか話し合いに成る可能性もあると思います。またアメリカに対する、イラクのテロも原因は比較的はっきりしています。

今回のバリ島のテロの原因は解らないのか、そういった報道がなされていないのか、まったく解りません。これではいくら警戒するといっても、バリ島にいく事が出来ませんし予測して用心しようもありません。本当の意味での解決はするのでしょうか?

確かにバリと同じような島国の観光地は沢山あります。しかし信心深く、欲が無いバリの人々が大好きでした。あの島の魅力は、島の住民の人となりによるところも大きかったと思っています。あの屈託の無い笑顔のバリニーズは、一体どうなっていくのでしょう。



2005年10月3日(月)23:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

「マラリアとの闘い」

今日テレビで「マラリアとの闘い」を観た。

以下はNHKの公式サイト
前編:世界に広がる脅威
後編:撲滅への課題
WHO=世界保健機構の推定では、毎年全世界で100万人がマラリアで死亡し、犠牲者の90%が集中するアフリカでは30秒に一人の割合で子どもが死亡しているという。
この2本シリーズは、前編で、マラリアのまん延がかつてないほど深刻になっているアフリカの現状をルポ。後編で、最先端の治療法および予防法と国際協力の実態を描く。
マラリア対策に奔走する各国の学者はマラリアを放置すれば世界経済に重要な影響を与えると警告する。人々が無料で蚊帳を入手し、適切な予防薬を使用できれば多くの問題は解決する。しかし、その財源が極度に不足している。
Malaria : Fever Wars(原題)
制作:イギリス/2005年


  恐ろしい内容で、アフリカのガンビア、ケニアでしたが人口50万人に対して、病院が一つ、病院に来るのに4時間以上かかる、さらに治療費が出せない患者が一杯居る。

無資格の医者のような人が何の講習も受けないで、いい加減な治療している。この番組では、蚊帳を無料で配布する運動を支持していたが、それだけでは解決しないような気がしました。あの貧しさを何とかしないと、どうにもならない。
 
番組の中でも、マラリアが流行すると生産人口が減り、企業の現地への投資意欲も無くなる、また観光客も減る、その結果さらに貧しくなる。さらに部族間の衝突、他の地域への人口の移動、更なる争いとなるそうです。テロとの関連も大きいそうです。

マラリアを感染させるハマダラカが人を刺しにくるのは暗くなってからなので,蚊帳はとても有効です。予防薬を飲み続けることは出来ないから、治療薬が十分行き渡る事は有効です。しかし薬剤耐性の問題もあり、最終兵器はやっぱりワクチンでしょうね!

ワクチンが完成したら、私もバリ島のウブドゥあたりに住みたいと思っていました。今日のニュースで、テロの報道があり、かなりショック!!!



2005年10月2日(日)23:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

阪神優勝2

マスコミが阪神優勝で、大騒ぎ!
かなりの人数が、道頓堀に飛び込んだらしい。(笑)

周りが全て阪神ファンなので、一般の人たちの反応が解らない・・
世間ではどんな様子かな?



2005年10月1日(土)23:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理


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