チャングムの誓い 第50話「波紋」 |
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| チャングムとチョンホの道行と言いますか、駆け落ちシーンはとても素敵なシーンでした。さらに、チョンホがチャングムに宮廷内の権力争いを、つまらないことと言い、歴史を変える医女から王の主治医になることを、辞退しないように諭す場面は、このドラマの根幹を成すもので、本当に素晴らしく感動的でした。
妊娠中毒症のヨンセンを見事に救い、さらに評価は高まりますが、権力争いと、慣わしを重んじる宮廷内は大波乱です。今までやや頼りなかった王様の発言も、日増しに重みがまして来ました。
ヨンセンの症状は、妊娠中毒症、早産、さらに産後出血による出血性ショックでしょう。現代でしたら、輸液、輸血といったところでしょうが、そのような治療が無かったころは、出産はとても危険なことでした。出産時の母体死亡は珍しいことではありませんでした。
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Sep.30.2005(Fri)01:26 | Trackback(0) | Comment(0) | 映画 ドラマ TV | Admin
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World Journey |
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| 面白い本を見つけました。 「World Journey The guide of a journey with love & free」 高橋 歩著 出版社: A-Works
夫婦で世界一周した、お話です。その他にいろんな人の世界一周のお話が出ています。気負いが無く、本音で書かれていて、好感が持てました。
世界一周切符と言うものが在ることを、初めて知りました。いろんな制約があるものの、面白い切符です。いろんな航空会社から出ていますが、おおよそ40万円前後です。一年以内の使用期限があります。 詳しく知りたい方は、 世界一周航空券 について 「世界一周堂」
読んでみると、実践的でとても面白い本でした。
世界一周一体いくらかかった? 答えはさまざまです。もちろん長い方から短い方まで訪れた国の数もさまざまです。ビジネスクラスでの航空料金から、野宿も平気といった方まで実にさまざまです。 いろんな例が出ていました。
女ひとり旅 226日間 滞在 19カ国で、約100万円 男ひとり旅 140日間 滞在 27カ国で、約160万円 男ひとり旅 204日間 滞在 21カ国で、約 60万円 男ひとり旅 362日間 滞在 45カ国で、約100万円 夫婦旅 1029日間 滞在101カ国で、約635万円 夫婦旅 1096日間 滞在 73カ国で、約420万円
やろうと思えば不可能な数字ではない気がしました。内容はこの本を読んでみるとわかりますが、要はやる気ですね(笑)
注意点は、予防注射、海外保健なども必要なこと、何年にもなる場合、アパートをどうするかとか、住民税のこととか電気代、ガス代、水道代なども、どうするかが必要です。会社を辞めた場合、働きだすまでの生活費、日本に帰ってからホームレスになって、野宿では(笑) などなどいろいろ注意が書かれてます。それや是也までこの本にはいろんな方の体験記が書かれていて、実に面白い話が一杯でした。さすがに世界一周した人は違うと感心させられます。 お奨めの本です。
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Sep.28.2005(Wed)23:46 | Trackback(1) | Comment(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | Admin
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飛び鉋(かんな) |
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| 昨日話に出た、飛び鉋模様の湯飲みです。 これは乾ききらない粘土のときに、鉋を軽く当てますと、鉋が飛び飛びになって、小さい鉋の傷跡が連続してつきます。技術的にはそれほど難しくはありませんが、粘土の乾き具合が大事です。
陶芸をやっていると、家の中は焼き物だらけです。知り合いが来たりして、「頂けるならどれでもいいです。」と言いながら、結構素人でも目は確かで、必ず一番いいものを持っていきます。ですから残っているものはさらに駄作ばっかりになります。作った本人にとっては捨てがたく、ガラクタの山です。
ですから人の作品は決して買いません!いつか作ってやろうと思います。この湯飲みもお土産に頂いたものです。
写真をクリックすると大きくなります。口元と、腰の部分の茶色の飛び飛び模様が、飛び鉋です。触ると少し凹んでいます。詳しく言いますと、茶色の土に白い化粧土を掛けて、鉋で削るので、表面の白い化粧土が取れて、地肌の茶色が見えるわけです。
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Sep.27.2005(Tue)00:28 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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小石原と、小鹿田 |
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| 陶芸のお便りを9月7日に掲載しました。その後実際に小石原と、小鹿田に行かれたというお便りをいただきました。行ったこともないのに、勧めたみたいで、恐縮しましたが、やっぱりとても良い所のようです。陶芸を志すものとしては、一度は行って見たいと思っています。カメラを忘れたそうで、文中に出てくる、沢の流れを利用した唐臼の写真を一枚きり頂きました。もう少し沢山写真があると良いのですが、そこは素敵な文章力で想像できそうです。
いきました! 小石原と、小鹿田。 よかったですよー。タイムスリップしたようで。 小石原と小鹿田は福岡と大分の県境を挟む山に阻まれていますが、お隣村も様な位置関係で(もの凄く遠いお隣です)、陶器街道と呼ばれる道が続いていました。 (陶器街道を辿る旅もいいかも知れません。)
小鹿田焼きは、小石原、高取、唐津の影響をうけているということで、小鹿田の方が、小石原よりも、形や色が多様になっていると感じました。
小石原は、近くの大きな町からひと山ふた山抜け、少しひらけた小さな町で、陶器店や土産物、地元の食材や素朴なそばを出してくれる店が割とたくさんありました。訪れる人も地図上で感じた印象よりも多そうでした。 私がのぞいた窯元は、展示室には埃をかぶった剥製と陶器が一緒になっており、奥さんは「新婚さんいらっしゃい」を見ながら私たちに「いらっしゃーい、はっはっはー」なんて感じの、まるで商売気の無い所でしたが、飛び鉋模様の陶器達が生産されて行く様子をちょっとだけ見せていただくことができました。 厚みもあり、風合いも素朴で、シンプルだけど、存在感のある器達でした。 基本は白かと思っていましたが、黒に近い焦げ茶から飴色の物もありました。柄は基本的に付けないみたいでした。 私が見た物のほとんどに飛び鉋模様がほどこされていましたが、縄目模様?みたいな物と、刷毛模様?刷毛で色を付けた様な物が少しだけみられました。 私の中では、小石原=白地に飛び鉋の炊き合わせを盛るのにぴったりの器 というイメージを勝手に作っています。(刺身もいいかも…)
小鹿田は小石原から更に山を越え、道がなくなるのでは??と不安を抱きながら進みました。 こちらは沢に沿ったわずかな平地に居を構え暮らしている、本当に本当に山の中の村でした。
各家庭ごと、土をひくための唐臼、土を水にさらす池(すいひって言うのでしたっけ?)、土を乾かす為かわからないけれど小さな窯(六人がけのコタツ位の大きさと高さの窯の上に土が張り付けてあった)、登り窯、作業所、ちょっとした店頭を持っていました。 沢の流れを利用し、唐臼を動かし、食用と思われる鯉を飼い、ちょっとした畑も潤している様子で、自給自足に近い様な昔の暮らしの様な印象も受けました。本当は見かけよりも近代的なのでしょうけれど。 展示館があると地図に載っていたので、訪ねたのですが、どう見ても公民館?!で、蛍光灯も無く、管理人も居なくて驚きました。 しかし、小鹿田焼きの歴史がわかる展示を見ることができました。(泥棒もいない平和な村なのでしょうね。) 二階からは「マツケンサンバ」と笑い声と足音が響いていました。 村を歩き窯元を訪ねても人っ子ひとりおらず、作品が道ばたに並べられているのに、店番も居なくてどうしたもんかと思ったら、その日は村人達のお楽しみの日だった様で皆さんマツケンサンバを踊っていらしたようです。(^^) 小鹿田の方が、素朴な色合いや形にプラスされて、かわいらしさと言うか、やわらかさがある印象を受けました。 でも、教えてくださった通り、伝統を守り作品を作っている厳しさがあるようでした。
どちらの村にも、詳しいパンフレット等がなく、もっと詳しく知りたかったのに~と思うところもありましたが、そういうのが無いあたりが、ここの良さかな。とも思えるような場所でした。 自由なお時間がとられるようになったら、小鹿田も訪ねてみてください。 (きっと、10年20年たってもあの場所はそのままだと思います。)
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| その後以下の文章と共に、小鹿田の写真が送られてきました。中心奥の蓋付きの壷が飛び鉋です。左の白地に緑色の壷は、透明釉に、織部釉(銅)を流し掛けしたものと思われます。
小鹿田の公民館もどきの展示室で撮った一枚がありましたので、添付します。
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Sep.26.2005(Mon)00:27 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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窯出し |
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| 先日焚いた窯を開く日でした。やはり期待はします。 窯の中の温度はまだ150~200度くらいです。
今回は総じて焼けが良くまあまあの出来でした。沢山の生徒たちが取りに来て、良い出来だとほっとしますが、中にはあまり焼け方が良くないものもあって、気になります。
コンクリートの床に置くとあまり栄えないのですが、きちんとしたところに置くと、焼き締めは迫力があります。
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| 皿は結構綺麗に焼けて、満足でした。徳利もひとつは良い出来でした。
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| これは桶型の花入れです。 こういった場所に置くと結構栄えます。右下に見える蔓物の植物を入れると、良いかもと思います。向かって左側の白い模様は、焼くときに貝を支えにした跡です。これはこれで、景色として、問題ありません。
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Sep.25.2005(Sun)21:49 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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友人の出演 |
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| 今日友人が小さなクラブで、ドラムで出演。 歌も歌ったり格好良かった。
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Sep.24.2005(Sat)03:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 音楽 | Admin
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今日の陶芸教室 |
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| 夕べは先日の窯焼きで疲れたためか、たったの3人でした。 ガスで焼いた桶型の花入れが、出来上がりました。 ←土の時の写真です。実は間に素焼きと言う工程があります。 黒い釉薬である、黒天目を掛けて焼成しました。
まあ普通の焼き上がり。
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| ←天目釉を掛けて焼成したものです。
蔓(つる)物の花を入れると、栄えそうです。
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Sep.23.2005(Fri)00:13 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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チャングムの誓い 第49話「つかの間のなごみ」 |
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| チョンホ様とのやり取りはほほえましく、楽しいひと時でした。その名の通り、つかの間の和みでした。宮廷に良くある、暗殺の依頼。当時ならきっと当たり前のことだったのでしょう。しかしさすがチャングム、命を懸けて断りました。 最後にチョンホに駆け落ちを願う、チャングムの場面は素敵でしたね!
お隣中国では、王子が帝位を継ぐと、兄弟はみな死ぬことが当たり前の時代もありました。
ヨーロッパでも、毒殺は一時期大変流行りました。乾杯のときグラスを当てるのも、実はお互いの酒を混ぜあったところからきていると、言われています。
銀の食器も砒素などを使うと、黒く変色すると言う言い伝えから、使われていました。ですからこのドラマの中でも食器はすべて銀食器が使われています。
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Sep.22.2005(Thu)23:49 | Trackback(1) | Comment(0) | 映画 ドラマ TV | Admin
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寿退職 |
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| 今日は老人ホームのリーダーの集まりで、宴会があった。
大変優秀な介護職員が寿退職するそうで、出来ればそのまま働くように皆で説得中。結婚だけならいいのだが、子供が出来ると、なかなか仕事が続けられないのが、こういった仕事の問題点。
良い解決法が無いものかな~~~
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Sep.21.2005(Wed)23:56 | Trackback(0) | Comment(0) | 仕事の話 | Admin
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「真田小僧」と「野ざらし」 |
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| 今日は寿司屋で定例の落語会でした。 出し物は「真田小僧」と「野ざらし」でした。 どちらも軽い話でしたが、軽快な語り口で、楽しく聞けました。
「野ざらし」の方は普通自分を釣るあたりで終わるのですが、今回は太鼓もちが訪ねて来るところまで演じられました。落語が終わってから、師匠を囲み、芸談議。楽屋の裏話なども沢山聞けて、面白かった。今日の落語と同じ位面白かった。 襲名披露の話など、跡目問題は、どこの世界にでもある話。 また古今亭志ん生は舞台からは想像できない、人見知りが強く、楽屋でも黙って端っこに座っていたそうです。飲み屋でも端っこに座って、「あれ志ん生だ!」などといわれると、こそこそ逃げ出す人だったそうです。
今日の落語のあらすじは 「真田小僧」 小憎らしいが利口な子供。 親父に小遣いせびるが、貰えないので、 「この前の晩、おっかさんを訪ねて男の人が来た...」 と、思わせぶりな話をし、小遣いをせびります。最後まで聞いてみると、何の事はない 男はただの按摩。 親父は怒ったが、子供はまんまと逃げてしまう。 「憎らしい餓鬼だ。それに引きかえ真田幸村は父の昌幸と出陣し、城を松田尾張守・大道寺駿河守に取り巻かれた時、松田方の定紋・永楽通宝の付いた旗を揚げ、大道寺方に夜討ちを掛けた。大道寺方は松田方の裏切りと勘違いし、同士討ちとなった。その隙に真田方は危機を脱する事が出来た。以来、真田家は永楽通宝を六つ並べた「六文銭」を定紋とした。うちの餓鬼とはエライ違いだ。」と、親父がぼやいていると、子どもが帰ってくる。
どこに行ってたのかと聞くと、講談を聞きに行ってお金を使ったと言う。そして立ち聞きした今の話をすらすらと話し、親父を驚かせる。 さらに「六文銭って、どんなんだい?」親父は小銭を取り出し、 「こうやって銭が二列に並んでいるんだ。」 「おいらにも、やらせておくれよ。」実際にやってみないと判らないとか言い出て、銭を勘定する振りをして、また持ち逃げしてしまう。 「ちくしょう、また、引っかけやがった。今度はそれを持って、どこへ行くんだ?」 「ヤキイモを買ってくる。」 「う~~ん、ウチの真田も薩摩へ落ちたか。」
「野ざらし」 独り者の隠居のうちから、夜中女の声がする。翌朝、隠居を問いただすと、実は幽霊で、釣りの帰りに供養した骨の御礼だったと言う。八五郎は、幽霊でもいいから来て欲しいと嫌いな釣りに出かける。
釣り場ですでに釣っている人たちに、めちゃくちゃなことをします。自分たちだけで、いい女を手に入れようとしてとか言いがかりを言ったり、さをを振り回して、迷惑かけたり、えさつけないで、釣ろうとしたり、そのうち一寸年増のいい女が訪ねてきて、いい仲になってと、妄想がどんどんエスカレートしていって、そのうち自分の顎を、釣り針で引っ掛けたりして、大騒ぎします。他の釣り人はあきれて帰ってしまい、忘れていった弁当食べたりしているうちに、とうとう骨を見つけます。わざわざ買ってきてある酒をかけて、自分の家へ来るように言い残します。それを傍で聞いてた太鼓持ちが、仕事にしようと八五郎の家を訪ねてきます。太鼓と聞いた八五郎は、「しまった人の骨でなくて、馬の骨だった」
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Sep.20.2005(Tue)23:37 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin
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[イニシャル] 頭文字D |
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| [イニシャル] 頭文字D 2005年/香港映画 コミックでは全部読んでいたのですが、今回香港で映画化されたので、早速観に行きました。ストーリは以下です。殆どコミックと同じでした。 “藤原とうふ店”を営む父・文太(アンソニー・ウォン)と2人暮らしをする、藤原拓海(ジェイ・チョウ)。友人の樹(チャップマン・トウ)と一緒にガソリンスタンドでアルバイトをし、自分の車を買うことを夢みる普通の高校生である彼だが、毎日水に浸された豆腐を、父のハチロク(AE86)に乗せ、それを迅速に、そして正確に配達することで、完璧なドライビング・テクニックをモノにしていた。それもそのはず。父・文太は過去に、秋名最速の走り屋と言われた伝説の男。つまり、拓海は知らぬ間に父の英才教育を受けていたのだ。ある日、チーム「妙義山ナイトキッズ」のリーダー、中里毅(ショーン・ユー)が拓海と樹が働く、スタンドにやってきた。中里の挑戦を威勢良く受けた樹は、拓海を助手席に乗せてバトルに挑むが、あえなく惨敗。だが、その晩、中里は峠で信じられないドライビング・テクニックを見せるハチロクに遭遇する。
題名のDとはドリフトのDです。 映画の始めから、素晴らしいコース取りでドリフトする映像に興奮しました。映像はコンピュターグラフィックスも使用しているので、ものすごい迫力でした。フェイントモーションから慣性ドリフト、ブレーキングドリフト、実際にあのように走れたらと、興奮。
映画観ていても、自分で走っている気になって「やばいオーバースピード!」と感じさせますが、鮮やかにドリフトしていきます。ヒール&トゥ や カウンターの映像も写実的です。拓海の親父文太が運転する途中からの映像に、これはいくらなんでもと言う速さが出てきました。早すぎて、本物らしさがありませんでした。あれは時速300キロくらいです。 拓海と恋愛関係の「なつき」の部分は陳腐で、もう少し描き足りない気がしました。どうでもいい話の感が否めませでした。
映画館の大部分は男性の一人客で、結構中年の人が多かったのにはびっくりしました。帰りの運転がやや乱暴になって、スピードが出ました。
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Sep.19.2005(Mon)23:41 | Trackback(0) | Comment(0) | 映画 ドラマ TV | Admin
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焼成完了 |
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| 昨夜1270度まで温度を上げて、今日は午前中から1200~1240度の範囲でゆっくり燃やした。 だんだん疲れて、夜10時頃に窯を閉めて終了としました。
今回は湿度が低く、温度を上げるのが楽で比較的簡単な焼成でした。気温も暑くも無く寒くも無く、絶好の焼成日和でした。夕方東の空から中秋の名月が昇り、今回は良い作品が出来そうな予感!!
帰り道、車に轢かれた狸を三箇所で見た。月夜の夜はやっぱり狸も・・・運転する人も気をつけてあげたいものです。
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Sep.18.2005(Sun)23:57 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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焼成 |
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| 温度も順調に上がり、950度くらいから、本格的な還元焼成に入り、1150度くらいから中性~酸化焼成に入りました。
夜は少し冷え込んで、湿度も低く、月も綺麗で、絶好の焼成日和でした。明け方まで焚いて、酔っ払いたちを起こして、交代しました。これから1250度~1270度くらいまで温度を上げ、明日は1200度前後で長時間焼成します。
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| 温度は1200度前後、攻め焚きの忙しい頃。 炎の色は赤色からだんだん白くなってきます。中を覗くと、焼き物は金色に光っています。 右奥の薪の山は、赤松です。焼成に使う薪のほんの一部です。
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Sep.18.2005(Sun)23:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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窯焚き始めました。 |
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| 今日から陶芸の窯焚きが始まりました。今日はまだ暖める位で、時々薪を入れるくらいで温度も700度あたりです。明日からだんだんあげていきます。昨日の雨で窯が湿っているので、慎重に温度を上げています。
今宵も月が綺麗でした。今日は十三夜です。本格的に攻め焚きに入る18日は中秋の名月です。良い天気が続くのを祈っています。
ちゃんとお神酒も供え、お祈りもして始めます。もちろん毎回良い焼き物が出来ると、信じて始めるのですが・・・
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Sep.17.2005(Sat)00:39 | Trackback(0) | Comment(0) | 陶芸 | Admin
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チャングムの誓い 第48話「チェ一族の崩壊」 |
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| チョンホの見事な裁きで、鮮やかな解決となりましたね。
それにしても、悪役でしたがチェ女官長は素晴らしい演技でした。一族のためと言う立場から、だんだん悪事に手を染めていき、大好きな同僚のミョンイを殺す結果になって、どんどん深みに落ちていった哀れさがにじみ出ていました。特に最後の、ミョンイの墓の前での懺悔は、哀れを誘いました。韓国ではなかなかの人気で、とくに男性のファンが多いようです。 クミョンの宮中を去るときの、チャングムとの会話、チョンホとの会話、名場面でした。チャングムと好対照で、いつも言葉が少なく、暗い彼女でしたが、悪人にもなりきれない、苦しみがチャングムとの最後会話に語られていました。見習いの時から圧倒的な優等生で、チェ女官長に逆らったり、チェ女官長に批判的な目つきをしたり、女官でありながら、チョンホを慕い、チョンホの命乞いをしたりするクミョンはとても魅力ある女性だと思いました。
ミョンイとチェ女官長とハンサングン、同じようにチャングムとクミョンとヨンセン、幼いときから、料理の修業に励み、友に研鑽した仲間のライバル心と、友情がたくみに表現されていました。
悪人も一掃され、これからのチャングムの活躍が楽しみです。
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Sep.15.2005(Thu)23:57 | Trackback(1) | Comment(0) | 映画 ドラマ TV | Admin
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江戸時代の時刻 「時そば」 |
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| 「時そば」
往来で屋台の蕎麦屋を呼び止めた男。看板、割り箸、丼、出汁、そばなど、すべて褒めちぎり、「いくらだい? 16文、銭は細かいよ~、手出しね~、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、今何どきだい?」「九つで・・・」 「とお、十一、十二・・・」と上手く一文ごまかした。 これを見ていた別の男、俺もやってみようと、あくる日細かい銭を用意して、少し早めに別の蕎麦屋を見つけて、まねをして誉めようとするのだが、看板はひどい、丼は欠けている、出汁はまずい、そばはひどいといった具合、勘定を払う段になって、「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、今何どきだい?」「へえ四つです。」「五つ、六つ、七つ・・・」
「今何どきだい?」は当時時間を聞く言葉です。江戸時代は時間を表すのに二通りあって、子(午前0時)、丑(午前2時)、寅(午前4時)・・・という言い方。
もう一つは夜明けを明け六つと言い、二時間ごとに五つ、四つと言います。三つにはならなくて、お昼は昼九つになって、現代の2時頃には八つになります。おやつの時間はここから来ています。現代の4時頃は七つ、日の入りの6時頃には暮れ六つとなります。その次はまた宵五つ、四つ、で深夜0時には九つになります。その後明けまで八つ、七つとなります。
先の上手く一文ごまかした人は、九つですから深夜0時頃です。 後の損した人は、22時頃です。
酔っ払ってタクシーなどに乗って、お金払うとき「運ちゃん、細かいよ~間違うといけないから、百円、二百円・・・今何どきだい?」「はい、午前3時ですね~」四百、五百、六百・・・」とふざけた方もあるかと思いますが、時間がかかって迷惑ですね。
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Sep.15.2005(Thu)00:45 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin
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江戸時代の時刻 |
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| 昨日暦の話が出たので、今日は時間のお話。 落語にも「ときそば」などの話があります。
江戸時代は、日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つにしていたので、夏と冬とでは一刻(いっとき)の長さが随分違いました。夏は昼間が16時間くらいでしたが、冬は昼間が11時間くらいしかありませんでした。それを六等分していたのだから、夏と冬とでは一刻(いっとき)の時間は現代の時間と比べると、夏は1時間が80分で冬は1時間が55分くらいでした。 なんだか出鱈目のようですが、これはこれで意味があったのです。当時は明かりが無かったので、夜は仕事しませんでした。ですから、お仕事は明け六つから暮れ六つまでと決まっていて、仕事に密着した時刻の表し方でした。 暦も太陰暦でしたが、夜は月明かりに頼っていたため、夜のお出かけには便利でした。十五日は必ず満月でした。 江戸時代の人は、江戸初期からグレゴリオ暦は知ってはいましたが、採用しなかったのです。現代の時計も、もちろん知っていました。 日本で最古の西洋式の時計は、スペイン国王が慶長17年に徳川家康に送った、マドリッド製の置時計で、静岡県の久能山東照宮博物館にあります。日本平の所からケーブルに乗って行く所です。静岡生まれのよい子の皆さんは、遠足かなんかで行った事あるでしょうね。悪い子は、暴走運転に行っていたでしょう。一寸古ぼけて見えますが、歴史上は大事な物です。当時かなりの数の時計が持ち込まれましたが、そのままでは役に立ちません。だって毎日1時間の長さが変化してくんだから、それに昼と夜とでも1時間の長さが違います。 そこでついに、天秤時計という物が発明されました。季節によって天秤に架ける錘の位置を変えるというものです。でも昼と夜とでは錘の位置を変えなければなりません。そこで更に二丁天秤という究極の時計が発明されました。これは中に昼用の時計と、夜用の時計が二個入っていて、自動に切り替えるようになっていました。もちろん錘は季節によって架け替える必要がありました。素人の手に負えるものではなくて、大名時計と言って、大名が使っていました。時計係が何人も必要でした。
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| 究極の二丁天秤時計 写真提供:セイコー時計資料館
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Sep.14.2005(Wed)23:29 | Trackback(0) | Comment(0) | 落語 | Admin
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十五夜 |
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| 今日の月が綺麗でした。まもなく中秋の名月今年は9月18日です。中秋とは秋の真ん中と言う意味で、旧暦ですと8月の15日でした。月を愛でるのは、中国からの風習ですが、平安時代には貴族の間では、月を観賞することがとても盛んでした。 月の呼び方にも、とても優雅なものがあって、こんな言葉が大好きです。
新月、三日月、十三夜、十五夜 望月(もちつき)、十六夜(いざよい)となります。 十七夜は 立待ち月(立っている時間に出る月) 十八夜は 居待ち月(座る時間に出る月) 十九夜は 寝待ち月(寝る時間に出る月) 二十夜は 宵闇月と呼びました。
平安時代は、観月を目的としていろいろな建物が建てられました。 寝殿造りは池を前にし、月の出の東側を正面にして西釣殿(にしつりどの)が発達していました。天皇の住む清涼殿は、建物そのものが東向きで、月を観るように作られていました。 桂離宮は約400年位前に建てられた貴族の別荘です。この頃でも貴族の趣味はなんと言っても月を観賞することでした。桂離宮はその造りを詳細に検討すると、月を観賞するために建てられています。書院造りは中秋の名月を観賞するように、東南29度と言う方向に向いて建てられています。桂離宮の中の「月波楼」はその名の通り、池に映る月を観賞するための建物です。(宮元健次著 「桂離宮隠された三つの謎」より)
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Sep.13.2005(Tue)23:26 | Trackback(0) | Comment(2) | 今日の出来事 | Admin
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選挙 |
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| 自民党の圧倒的勝利で、マスコミも大騒ぎ。 絶対安定多数で、衆議院の採決はまったく関係なくなった。 ちょっと怖い雰囲気。
こうなったら小泉総理が任期をいくらでも延長できるのに、延長しないと言っているのは、素晴らしい。それにしてもやっぱり総理は変人だな~~~
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Sep.12.2005(Mon)23:08 | Trackback(0) | Comment(0) | 今日の出来事 | Admin
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