Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



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スペイン旅行記5月4日 トレド その4

 次にサント・トメ教会を訪問しました。
 私の苦手なエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」の絵があります。

 この絵は、死後に伯爵位を綬爵されたトレド出身のオルガス首長ドン・ゴンサロ・ルイスが1312年に死去したときの伝説を題材としています。



 街角に「ダヴィデの星」(六芒星、ヘキサグラム)のタイルが見られます。この辺りはユダヤ人街でした。


 とても狭い路地はイスラム建築の特徴です。

 土地が狭いので通路の上にも部屋を作りましたが、当時は照明器具も無く、道路が暗くなるので普及しなかったそうです。



 お終いに象眼の店に行きました。

 ふと見ると、添乗員さんがいつの間にか着替えて扮装しているかと思いましたが、サンヨ。パンサの等身大の木彫りの像でした。



 サンチョ・パンサとうり二つです。

 今回の添乗員さんは、今まで経験した中で飛び抜けて一番の添乗員さんでした。

 ここに書いた数倍の説明を聞きましたが、殆ど忘れました。手配も抜群です。おみやげ物屋さんでも、正確な情報で、押し売りみたいな事は全くありませんでした。

 日本からポン酢などの調味料を持ってきて居ました。初めのうちは使いませんでしたが、3日ほど経ちお醤油の味が恋しくなり、豆腐のようなチーズにかけたら抜群でした。段々みんながポン酢を使うようになりました。

 旅行者のみんなの人気者になり、一緒に写真を撮ったりしていました。

 旅行は添乗員さんの力量も大事です。



2018年5月4日(金)15:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

スペイン旅行記5月4日 トレド その3

 通路を隔てた聖歌隊席です。全ての椅子の背もたれに緻密な彫刻が施されています。壁にもぎっしりと彫刻があります。


 パイプオルガンも左右に有りますが、共鳴するため同時には演奏されないそうです。


 聖杯や聖衣を保存する部屋に、宗教画が沢山あります。エル・グレコの「聖衣剥奪」の絵が正面に飾られ、そのほかにゴヤ、カラヴァッジョ、ヴァン・ダイク、ベラスケス、ラファエロの絵画があります。


 天井画はルカ・ジョルダーノ作の「聖イルデフォンソの昇天」描かれています。 


 このカセドラルの一番のお宝である聖体顕示台は、金と銀で作られ宝石がちりばめてあります。

 年に一度聖体行列のとき、御神輿のように外へ出され街を練り歩くそうです。街の通りの上に布が張ってあるところが、この聖体行列が通る道だそうです。



2018年5月4日(金)14:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記5月4日 トレド その2

 スペインカソリックの総本山のカテドラルです。セビージャのカテドラル(大聖堂)より規模は小さいけれど、格は一番上だそうです。

 主にフランスゴシック様式ですが、ムデハル様式も混在しています。

 



 構造も十字架になっていなくて、メインである主催壇とは、通路を隔てて聖歌隊席が離れています。

 さらに主催壇の後ろは窓でなく通路のため「トランスパレンテ」と呼ばれるいわゆる透かしとなって、天窓から主催壇へ光が降り注ぐ設計となっています。



 メインである主催壇、どうにもギラギラです。一番上のステンドグラスに、トランスパレンテからの光が入ります。


 これが外に向かって作られた天窓、トランスパレンテです。


 祭壇の裏の壁で、通路を隔ててトランスパレンテからの光を祭壇に通す内窓です。


2018年5月4日(金)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記5月4日 トレド その1

 「トレド」は今回の旅行で一番行きたかった所です。

 「もし1日しかスペインに居られないのなら迷わずトレドへ行け!」といわれるほどスペインの中のスペインです。またトレドは「16世紀で歩みを止めた町」ともいわれます。 1561年に首都がマドリードに移るまで、スペインの政治・経済の中心でした。

 西暦560年西ゴートからイ711年イスラムの支配となり、1085年アルフォンソ6世が奪回するまでイスラム世界でした。

 レコンキスタが終わり1492年敬虔なキリスト教徒であるイザベラがイスラム教、ユダヤ教を追放するまで3つの宗教の人々が共存していました。  

 イスラム支配時にも税金は厳しかったけれど、他の宗教に対して概ね寛容でした。この共存していたことが大事だと思っています。

 さらに首都が移転したため、そのまま保存されたことにより、イスラム、ユダヤ、キリスト教の融合した文化、建物が保存されました。まさにスペインそのものです。
 
 写真で見られるように、三方をタホ川に囲まれた岩山に築かれた天然の要塞都市です。 



今 回行けませんでしたが、車窓から撮ったローマ時代から有るアルカンタラ橋です。


 左側に歩く道がありますが、6本のエスカレーターで街に上がれます。


 トレドの入り口です。


2018年5月4日(金)13:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月4日 マドリッド

 初めに王宮をちらりと見て、スペイン広場に行きました。スペインの中でも一番有名な広場です。セルバンテスの没後300年を記念して建てられた広場で、中央に記念碑が有ります。


 その下にドン・キホーテと、サンチョ・パンサの大きな銅像があります。

「ドン・キホーテ」は世界的には評価が分かれ、個人的にもそれほど評価していませんが、スペインでは大文豪と高く評価されています。
 



 「プラド美術館」です。スペインの三大画家のベラスケス(1599-1660)、ゴヤ(1746-1828)、エル・グレコ(1541-1614)の作品を沢山持っています。もっともエル・グレコはそのままギリシャ人という意味で、本名はドメニコス・テオトコプーロスと言います。

 再評価もされていますが、少なくとも宮廷画家には成れなかったし、当時の写真の代わりになる写実画としては、技術的にはベラスケスにはとうてい及ばないと思っています。特にエル・グレコの描く手はバランスが悪かったり、大きすぎたり苦手です。



 プラド美術館の裏手にあるマドリードで唯一のゴシック様式の「サン ヘロニモ エル レアル教会」を見てから、「王立ソフィア王妃芸術センター」に行きました。

 ここではピカソの「ゲルニカ」を見ました。以前に見たことがありますが、やっぱりピカソの代表作だと思いました。



 ちょっとおしゃれなレストランで昼食を取りました。今日はパエリアでした。

 さて午後から、トレドに向かいます。



2018年5月4日(金)10:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月3日 ラ・マンチャ

 アルハンブラ宮殿見学を終え、バスでラ・マンチャを抜けマドリッドへ向かいますが、その距離400Km以上です。

 ラ・マンチャ地方のプエルト・ラピセでの昼食となりました。何もない田舎ですが、セルバンテスが泊まったホテルが残っています。



 残念ながら今回は寄らずに、普通の田舎屋のレストランでした。

 装飾過多の建物を見過ぎたので、こんな景色も癒されます。この辺りはセルバンテスのドンキホーテ一色です。



 プエルト・ラピセから20Kmほどシェラ・ネバダ・コスタ・トロピカル自動車道を北へ向かい、西に入ると風車の街コンスグエラです。

 この辺りの家は昼間も窓を閉め切ったり、シャッターを下ろしていることが多いそうです。



 街の南の丘に風車が残されています。昔は丘の麓から上まで、何台もの風車があったそうです。


イスラムの古い城(Castillo Consuegra)があります。一時期ホテルにしようとしたそうですが、イスラムの城なので窓が殆ど無く、ホテルは諦めてレストランになっているそうです。

 途中で検問があり渋滞、さらにホテルのすぐ前でまたまた検問でした。北アフリカから密輸の車が通るので、時々検問があるのだそうです。

 時間がかかりましたが、やっとマドリッド到着となりました。アランブラ宮殿は広くてとても沢山歩きました。その後長時間のバス移動で、ぐったりです。

 もっともバスの中では寝ていましたが、



2018年5月3日(木)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月3日 グラナダ アルハンブラ宮殿 その2

  イベリア半島ではイスラム派は殆ど領土を失っていましたが、このグラナダはシエラネバダ山脈に守られ、また巧妙な外交政策で1492年無血開城まで存続しました。
 奇しくもコロンブスがアメリカ大陸を発見した年です。



 夏の離宮ヘネラリフェの定番の中庭


 アンダルシアの街が見下ろせます。


 レコンキスタは718年から1492年まで長きにわたった活動です。しかしキリスト教国家と、イスラム国家の単純な戦いではなく、キリスト教国家間でも、イスラム国家間でも内紛が続き、群雄割拠し相手が弱ると攻撃し、イスラム国家なのに内紛に勝つため、キリスト教国家と取引したりと、単なる宗教対立では無かったようです。

 カスティーリャのイザベルとアラゴンのフェルナンドが結婚し、イスパニア王国が出来て国がまとまり、さらにイザベルが敬虔なキリスト教信者だったこともありグラナダ攻撃に成功しました。

 幸い無血開城となりグラナダは破壊されることもなく保存されましたが、18世紀カルロス5世が噴水や、カルロス5世のカルロス5世宮殿の建設が始まり、、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されました。

 このカルロス5世の宮殿は外は矩形、中は円形の変わった建物ですが、完成することなく今に続いています。

 アルハンブラ宮殿見学を終えて、グラナダからマドリッドまでバスで長距離の移動です。



2018年5月3日(木)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月3日 グラナダ アルハンブラ宮殿 その1

 宿泊したホテルは宮殿の隣ですが、近すぎて宮殿が全く見られないという場所でした。

 アルハンブラ宮殿は作りが脆く最近は入場制限をしており、今回の旅行も直前まで入場切符が手に入るか決まりませんでした。申し込んだ方の中には、入れないのなら旅行をキャンセルしようと思っていた方もありました。

 アルハンブラ宮殿は長い歴史の中で、作られていきました。

 8世紀まで西ゴート王国の支配であったイベリア半島に、711年、ウマイヤ朝が攻め込んで、あっという間にイスラム支配となりました。

 最初に栄えた後ウマイヤ朝はグラナダに要塞を作りました。これがアルハンブラ宮殿の中で一番古いアルカサバです。



 12世紀まではキリスト教派とイスラム派は互角でしたが、十字軍も加わりイスラム派は衰退していきます。しかし1230年頃からイスラムのナスル朝を建国し、グラナダに遷都しその後宮殿を拡張していきました。


 王宮の中庭のライオンの噴水です。イスラムでは人や、動物の彫像は禁止されていますが、キリスト教の影響を受けライオンが作られました。

 モザイクはすごくても動物の彫像は苦手で、とてもライオンには見えません。(笑)

 ふと落語の「ねずみ」の話を思い出しました。左甚五郎が落ちぶれた宿で、木彫りのねずみを作ったら、木彫りなのにちょろちょろ動くので、宿屋は大繁盛。対抗して向かいの宿屋が虎の木彫りを置きました。

 するとねずみはぴたっと動かなくなり、甚五郎が再び訪れてねずみに聞いたら、
 「えっつ、虎だったのですか、ねこかと思った。」






 装飾がすごくて驚きます。壁などは粘土が柔らかいうちに、判子のような物を押して模様を付けたようです。


2018年5月3日(木)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月2日 グラナダでフラメンコ

 コルドバから3時間ほどでグラナダに着きました。夕食を終えると今夜はフラメンコショーです。

 昔ギター演奏のアルバイトをしていた先輩の関係で、新宿の「エルフラメンコ」にも行ったことがあります。2016年夏に49年間の長い歴史に幕を閉じたフラメンコの聖地「エルフラメンコ」は再開されたようです。歌、ギター、踊りは練習すれば出来るようになるけれど、パルマだけは子供の頃からやっていないと習得するのは難しいと聞きました。

 フラメンコの本場、アンダルシアでのフラメンコは随分楽しみにしていました。ビデオなどに残っていますが、古くは歌カンテ (Cante)だけの物で、拳で机を叩いたり、手拍子パルマ (Palma)だけの物もありました。

 それに踊りバイレ (Baile)が加わり、床を踏み鳴らすサパテアードが初期のフラメンコでした。19世紀にはギターが加わり段々とショーになって行きました。

 今でも古典的なフラメンコショーはカスタネットは使わないで、パルマ (Palma)です

 今日行ったフラメンコ劇場は、古典的な形を守っていて、表から見ると普通の家ですが、劇場は穴蔵で幅4mほどの細長い作りです。客は左右に一列に椅子を並べ、演者は同じ床の真ん中で踊ります。天井には鍋、フライパンなどがつり下げられています。



 入場を待つ間に踊り子さんを見かけ、カメラを向けたらポーズを取ってくれました。


 ショートはいえどんどん乗ってくるので、激しく踊ると踊り子さんの汗が飛んできます。

 本場で見たこともあり、現代的になっていないフラメンコに感動しました。

 



 ショーの賑わいの後の暗い街角で、スマホを見ている現地の若者を見かけ、写真を撮りました。

 何となく格好良かった。



 山の向かいにアランブラ宮殿がライトアップされていて、写真スポットになっています。

 アランブラ宮殿は赤い城という意味で、このスポットから夕日に映える景色が最高とされています。



 セビージャ、コルドバ、グラナダと長い一日でした。



2018年5月2日(水)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月2日 コルドバ その2

 さて昼食を終えたら今日のメインのメスキータです。

 メスキータとはイスラム語でイスラム寺院のことです。このことからもレコンキスタ後も、イスラム教徒とキリスト教徒が必ずしも敵対していなかったことが解ります。

 イスラム寺院を破壊することなく、キリスト教の教会に作り替えた物です。しかも元の美しさを保とうとかなり努力したようです。城壁もイスラムの様式を保っているようです。



 縞模様のアーチは独特の物です。随分増築されて大きくしたため、床が少しずつ段違いになっていました。


 イスラム教のサラート(礼拝)の礼拝室をそのまま生かし、キリスト教の部屋にしていますが、装飾の凄さに驚かされます。

 流石にこれだけの物だと、壊す気にはなれなかったのでしょう。



 スペイン独自の、横向きのパイプオルガンです。


 祭壇もギンギンギラギラです。普通の教会のように十字架の作りにはなっていないので、いろいろ工夫されています。


2018年5月2日(水)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月2日 コルドバ その1

 セビージャから2時間ほどバスに乗りコルドバに着きました。

 入り口にはコルドバの街の中を流れるグアダルキビル川に架かる紀元1世紀に作られたローマ橋が有ります。ただ何度も修理改修されているようです。20世紀半ばまでこの橋しかなかったそうです。



 橋を渡った所にブエニラ門が有ります。16世紀にルネッサンス様式に改宗され、凱旋門のようになっています。
 対岸に建つカラオーラの塔は、イスラム時代に建造された要塞です。こちらは装飾が殆ど無いイスラム様式の建物です。



 旧ユダヤ人街の「花の小径」はとくに何も歴史的な意味は無いのに人気スポットになっている所です。ただ奥の広場の一点から小径を見ると、メスキータの塔が真ん中に見え写真写りが良いのです。

 残念なことに狭くて人が多く、上手く撮れませんでした。



 昼食はパテイオみたいな感じの、おしゃれなお店でした。真ん中に本物の井戸がありました。


 食事をしていると、ギター一本で弾き語りをしている流しが登場。添乗員の方はチップ要らないなら歌っても良いとの事で歌い始めました。

 とても良い声で感動したので、古い曲で1952年に世界中でヒットした「バヤ・コン・ディオンス」(Vaya Con Dios は分かれの言葉で、神の御加護が有りますように!)をリクエストしました。
 
 美しい曲だと答えながら、見事な歌を披露しました。

 嬉しくてチップをと思ったら10ユーロ紙幣しか無く、添乗員さんの言葉もあったので一瞬逡巡したら、同席の方が5ユーロ札を出され、半分ずつにとアシストされ、二人で合計10ユーロ渡しました。言葉は通じなくても、音楽では共感でき感激。

 旅の楽しい思い出と成りました。



2018年5月2日(水)13:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月2日 セビージャ

 旅行4日目ともなると疲れが出てきました。今日はセビージャとコルドバです。

 セビージャのスペイン広場に行きました。世界中にスペイン広場は沢山ありますが、ここが本家です。1929年イベロ・アメリカ博覧会の会場として作られた物で新しい物です。



 中央の建物から半円形に回廊が続き、両端には高い塔が立っています。イスラムとキリスト教の混合したムデハル様式の建物です。回廊の下にはスペインの各県のタイル画が有ります。


 朝日に輝いて、とても美しく見えました。


 車窓からカルメンの舞台となったタバコ工場を見ましたが、オペラでは薄汚い工場の描写なのに、あまりにも立派なので驚きました。実は現在はセビリア大学となっているのだそうです。



 セビージャの一番はカセドラル大聖堂です。スペイン一の大きさです。

 大本山であるローマのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール寺院に次ぐ3番目の大きさだそうです。

 イスラム寺院であった物を13世紀レコンキスタ後作り替えられました。ヒラルダの塔は94m あり街のランドマークになっています。



 もちろん中は凄い作りとなっていました。教会ばかり見て回るので、段々感動が少なくなってきました。

 レコンキスタは統治が変わり、宗教が変わりましたが、住民はイスラムの人達もそのまま住んでいました。

 建築もイスラムの影響を受け、キリスト教的な建物にイスラムの影響が多くあります。これがムデハル様式です。

 他の国に比べイスラムの装飾、それに対抗するかのようなイスラムでは禁止されている人物の彫刻像が有ります。どうしても装飾過多に成っている感じです。



2018年5月2日(水)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月1日 ミハス その3

 噴水のある街の中心のお店でコーヒーを飲みました。右のテーブルに地元の警察官の人達も飲んでいました。


 沢山のお店には皮製品、陶器など店が一杯です。見晴らしの良い料理店は魅力的です。

 革製品も素敵なデザインで、ついつい買いたくなりますが、現地では似合っても日本ではどうかなと・・・

 陶器もけばけばしくて、ある意味綺麗ですが、壁に飾る以外に使えそうにない気がします。



 昼食のお店も絶景でした。なにやら怪しげなフラメンコのショーがありました。


 店から降りる階段から駐車場を眺めても、ビックリするほど綺麗です。名残惜しいほど綺麗な街でした。


 街の中はロバや、馬車が観光客を乗せて走り回ります。

 道路が整備される前は、細い山道を馬やロバで荷物を運んでいたそうです。



2018年5月1日(火)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月1日 ミハス その2

 少し登った噴水のある広場が、中心のようです。


 さらに上がった所に闘牛場があります。チケット売り場に、SOMBRA とSOLと書かれています。太陽場当たるSOLの方が日陰のSOMBRAより入場料金が安いのだそうです。

 日本の野球場の、内野席と外野席みたいな物かな。



 展望台に向かう途中に、16世紀に作られたインマクラダ・コンセプシオン教会が有ります。

 茶色の塔はイスラムの城の塔をそのまま使い周りに壁を作った塔です。よく観ると間からイスラム時代の茶色のレンガが見られます。



 地元の人達の為の教会で、こじんまりしていますが、中は荘厳な雰囲気でした。


 地中海を望む展望台は、天気が良ければアフリカも見えるそうです。


2018年5月1日(火)11:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月1日 ミハス その1

 バルセロナのホテルを早朝4時30分に出発し、バルセロナ空港からマラガ空港に到着。バスでミハスに行きました。一人参加なので、起床はなかなか大変です。

 アンダルシア地方のミハスは地中海を望む、コスタ・デル・ソルにある白い街として有名です。

 アンダルシアには白い街は沢山ありますが、景色の良さと、闘牛場も有り有数の観光地になっています。太陽の日差しが強いので、壁を白くしているのです。

  まず初めに、アーモンドをチョコで包んだガラピナダス売り屋に寄りました。



 日本人が良く寄るので、添乗員さんとも知り合いです。今回の旅行は最高の添乗員さんで、遠慮無くお鍋から勝手に取り出して、試食をみんなに配ったりしていました。


 駐車場の辺りの広場も真っ白で、とても綺麗な街です。


 山を背にしている階段状の建物がこの街を美しくさせています。


 この通りは良く紹介される小道です。花が飾られ美しい通りとなっています。おみやげ屋さんと、食べ物の店で一杯です。


2018年5月1日(火)10:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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