Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



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スペイン旅行記 5月3日 ラ・マンチャ

 アルハンブラ宮殿見学を終え、バスでラ・マンチャを抜けマドリッドへ向かいますが、その距離400Km以上です。

 ラ・マンチャ地方のプエルト・ラピセでの昼食となりました。何もない田舎ですが、セルバンテスが泊まったホテルが残っています。



 残念ながら今回は寄らずに、普通の田舎屋のレストランでした。

 装飾過多の建物を見過ぎたので、こんな景色も癒されます。この辺りはセルバンテスのドンキホーテ一色です。



 プエルト・ラピセから20Kmほどシェラ・ネバダ・コスタ・トロピカル自動車道を北へ向かい、西に入ると風車の街コンスグエラです。

 この辺りの家は昼間も窓を閉め切ったり、シャッターを下ろしていることが多いそうです。



 街の南の丘に風車が残されています。昔は丘の麓から上まで、何台もの風車があったそうです。


イスラムの古い城(Castillo Consuegra)があります。一時期ホテルにしようとしたそうですが、イスラムの城なので窓が殆ど無く、ホテルは諦めてレストランになっているそうです。

 途中で検問があり渋滞、さらにホテルのすぐ前でまたまた検問でした。北アフリカから密輸の車が通るので、時々検問があるのだそうです。

 時間がかかりましたが、やっとマドリッド到着となりました。アランブラ宮殿は広くてとても沢山歩きました。その後長時間のバス移動で、ぐったりです。

 もっともバスの中では寝ていましたが、



2018年5月3日(木)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月3日 グラナダ アルハンブラ宮殿 その2

  イベリア半島ではイスラム派は殆ど領土を失っていましたが、このグラナダはシエラネバダ山脈に守られ、また巧妙な外交政策で1492年無血開城まで存続しました。
 奇しくもコロンブスがアメリカ大陸を発見した年です。



 夏の離宮ヘネラリフェの定番の中庭


 アンダルシアの街が見下ろせます。


 レコンキスタは718年から1492年まで長きにわたった活動です。しかしキリスト教国家と、イスラム国家の単純な戦いではなく、キリスト教国家間でも、イスラム国家間でも内紛が続き、群雄割拠し相手が弱ると攻撃し、イスラム国家なのに内紛に勝つため、キリスト教国家と取引したりと、単なる宗教対立では無かったようです。

 カスティーリャのイザベルとアラゴンのフェルナンドが結婚し、イスパニア王国が出来て国がまとまり、さらにイザベルが敬虔なキリスト教信者だったこともありグラナダ攻撃に成功しました。

 幸い無血開城となりグラナダは破壊されることもなく保存されましたが、18世紀カルロス5世が噴水や、カルロス5世のカルロス5世宮殿の建設が始まり、、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されました。

 このカルロス5世の宮殿は外は矩形、中は円形の変わった建物ですが、完成することなく今に続いています。

 アルハンブラ宮殿見学を終えて、グラナダからマドリッドまでバスで長距離の移動です。



2018年5月3日(木)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

スペイン旅行記 5月3日 グラナダ アルハンブラ宮殿 その1

 宿泊したホテルは宮殿の隣ですが、近すぎて宮殿が全く見られないという場所でした。

 アルハンブラ宮殿は作りが脆く最近は入場制限をしており、今回の旅行も直前まで入場切符が手に入るか決まりませんでした。申し込んだ方の中には、入れないのなら旅行をキャンセルしようと思っていた方もありました。

 アルハンブラ宮殿は長い歴史の中で、作られていきました。

 8世紀まで西ゴート王国の支配であったイベリア半島に、711年、ウマイヤ朝が攻め込んで、あっという間にイスラム支配となりました。

 最初に栄えた後ウマイヤ朝はグラナダに要塞を作りました。これがアルハンブラ宮殿の中で一番古いアルカサバです。



 12世紀まではキリスト教派とイスラム派は互角でしたが、十字軍も加わりイスラム派は衰退していきます。しかし1230年頃からイスラムのナスル朝を建国し、グラナダに遷都しその後宮殿を拡張していきました。


 王宮の中庭のライオンの噴水です。イスラムでは人や、動物の彫像は禁止されていますが、キリスト教の影響を受けライオンが作られました。

 モザイクはすごくても動物の彫像は苦手で、とてもライオンには見えません。(笑)

 ふと落語の「ねずみ」の話を思い出しました。左甚五郎が落ちぶれた宿で、木彫りのねずみを作ったら、木彫りなのにちょろちょろ動くので、宿屋は大繁盛。対抗して向かいの宿屋が虎の木彫りを置きました。

 するとねずみはぴたっと動かなくなり、甚五郎が再び訪れてねずみに聞いたら、
 「えっつ、虎だったのですか、ねこかと思った。」






 装飾がすごくて驚きます。壁などは粘土が柔らかいうちに、判子のような物を押して模様を付けたようです。


2018年5月3日(木)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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