Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



気紛れ写真
==Explain==
気に入ると、適当に写真を撮ります。

五所川原市 立佞武多(たちねぷた)その2

 立佞武多(たちねぷた)は3年毎に新しく投入され常に3台のねぷたが展示され祭りに使われています。

 人口が少なく祭りに参加する人数も限られとても大変そうですが、みんな元気いっぱいで頑張っています。

 手前のねぷたは小さい物ですが、右奥に小さく見えるナプタはビルの上を遙かに越して動いています。



 これらは子供用の小型ねぷたですが、それでも結構な大きさです。


 「神武天皇」のねぷたが帰ってきました。展示場に入る所を下から摂りました。


 下から撮影した「暫」の入庫です。


 近づいて見るととんでもない高さを感じます。このような高さのある物の設計、製作は難しく感動しました。


Aug.5.2022(Fri)19:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

五所川原市 立佞武多(たちねぷた)その1

 五所川原は去年の4月22日「みちのく三大桜の旅」で訪問しています。

  http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc637c608428A5/1/

 人口5万人程度の小さな街ですが元気があります。立佞武多(たちねぷた)館は前を通りかかっただけでした。

 ここも立佞武多(たちねぷた)と半濁音になります。その名の通り非常に高さのあるねぷたです。3台有りますが大きな展示場に3台とも展示されていて、祭りになると巨大なシャッターが開いて街へ登場となります。

 これは一番新しいねぷたで歌舞伎十八番の「暫(しばらく)」です。紋も成田屋の三升です。



 これはかぐや姫の「かぐや」です。

 サムネイルの表示が回転していますが、クリックすると正常の画像になります。



 これは稽古照今・神武天皇、金の鵄を得る(けいこしょうこん・じんむてんのう・きんのとびをえる)だそうです。高さは22mもあり7階建てのビルの高さです。


 神武天皇のねぷたの登場です。下に移っている人の大きさから高さが解ります。


 我々は2階の屋上の観客席から見ましたがとにかく高さに圧倒されます。


Aug.5.2022(Fri)18:45 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

奥入瀬渓流・酸ヶ湯温泉

 今日は秋田県五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)」です。ここも「ねぷた」と半濁音です。

 盛岡から八幡平市を抜け、十和田湖を半周し奥入瀬渓流で休憩。



 せっかくの奥入瀬渓流の清流も昨日までの大雨で濁流になっていました。

 倒れたばっかりの木々が目を引きました。



 更に北上し「酸ヶ湯(すかゆ温泉)」に到着。此処で入浴です。


 ヒバ千人風呂、今時珍しい混浴の大きな風呂で有名です。

 男性用、女性用の風呂も別にあります。混浴は一時期問題になったそうですが、伝統を守るため再開されたそうです。



 浴室はもちろん撮影禁止なので、この旅行会社のサイトからの転用です。

 完全な掛け流しでお湯は床の木の隙間から沸いています。かなり熱い風呂でした。千人はともかく確かに広い浴槽でした。

 
 入浴を終え、少し遅い昼食を取りこれから五所川原市へ向かいます。



Aug.5.2022(Fri)14:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

さんさ踊り その2

 一般にミスの場合3人程度で、車に乗って手を振るくらいです。

 2022ミスさんさ踊り 太鼓連は十数人なので、パレードでは広がって踊り間近に見られました。

 演技中は一段と美しく見え驚きました。沿道の観客も我先にとカメラを向けていました。

 



 ミス横笛が目の前を通過しました。華やかで驚き!


 大原学園の生徒達です。とても揃った良い演技でした。


 午前中に出演していた保存会の方達の演技は、一段と目を引きました。


 気合いの入った太鼓。太鼓は重くてかなりの重労働だそうです。

 コロナ禍のため短縮されていて早く終わりました。

 
 



Aug.4.2022(Thu)19:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

さんさ踊り

 疲れてきた旅行4日目は移動無しで、盛岡市のさんさ踊りです。今日はさんさ踊りの最終日です。

 駅の東側にあるホテルから駅の西側にある「盛岡市民文化ホール(マリオス)」で伝統さんさ踊り競演会を鑑賞しました。アナウンサーの段取りが悪く無駄な話が多くて困りましたが、2022ミスさんさ踊り・さんさ太鼓連による「華麗なさんさ踊り」が終わるまで我慢してみました。
 
 ミスさんさ踊り・さんさ太鼓連は綺麗なだけで無く、踊りも、太鼓も、笛も一流でした。
 



 頭に傘を被るのが伝統的な踊りの装束のようです。


 夕食後は駅東側の中央通で鑑賞です。3年ぶりとあって出演者も、観客も気合いが入っていました。

 



 盛岡市民文化ホール(マリオス)に出演していた2022ミスさんさ踊りが登場し祭りは最高潮です。


 この方達は去年のミスさんさ踊りのようです。

 踊っていると更に綺麗に見えます。



Aug.4.2022(Thu)18:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

秋田竿燈祭り

 なまはげ館から男鹿半島を海沿いに走り、秋田市に到着。

 観覧席が用意されていて、席に留まって鑑賞です。

 竿燈は皆殆ど同じで、沢山の竿燈が並びその位置で演技します。



 片手で持ち上げたり、額に乗せたり、肩に乗せたり、腰に乗せたりとさまざまな乗せ方を披露します。

 提灯の中は本当のろうそくが入っているので、火が付くこともあります。



 これは肩に乗せています。かなり難しそうです。更に竿燈をわざと傾けたりします。


 縁起が終わると、竿燈が移動し、笛と太鼓の山車(だし)も移動します。

 女性ばかりの笛、太鼓もあり艶やかです。



 時々やり過ぎて倒れます。客席に向かって完全に倒れないようワイヤーが張ってあります。

 ワイヤーの無い方へ倒れると提灯が燃え、周りの人が大急ぎで消火します。

 コロナ禍のため予定より少し早めに終わりました。

 夜中に盛岡のホテルに戻りました。バス移動が多くだんだん疲れてきました。



Aug.3.2022(Wed)20:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

なまはげ館

 盛岡から西に向かい男鹿半島の「真山(しんごん)神社」に行きました。

 巫女さんから丁寧な説明がありました。とても歴史のある神社です。




 



 古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登ったそうです。

 そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。



 ご神木の榧の木で、横に広がった不思議な形をしています。


 隣になまはげ館があり、なまはげのショーがありました。

 実際に傍で見ると迫力が有りました。

 なまはげが「悪い子はいねーか?」と秋田弁で叫ぶと、
 小さなお子さんが「僕良い子だもん!」と、東京言葉で何度も叫び笑えました。



 なまはげは村によって色んな種類があり、沢山展示されていました。


Aug.3.2022(Wed)15:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

青森ねぶた祭

 「ダイワロイネットホテル」は駅に近く、北上川に掛かる開運橋の袂に有ります。開運橋を進むと不来方城(盛岡城)です。以前訪問しましたが、何も無い城でしたが、啄木の「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸はれし十五の心」の句碑が印象的でした。

 一緒に行った友人は飲んでばかりいるので、一人で今回は城の下まで散歩しました。

 開運橋は、別名「二度泣き橋」とも呼ばれます。

 首都圏などからの転勤族の間で語られたのが由来で、初めて盛岡へ訪れ開運橋を渡る際「遠く離れた所まで来てしまった」と一度泣き、転勤期間を終えて盛岡を去ることになり盛岡駅へ向かう途中に再びこの橋を渡り、二度目は離れるのが辛くて泣くというもの。

 宮沢賢治の短歌
 「そら青く 開うんばしの せとものの らむぷゆかしき 冬をもたらす」が書かれています。



 お昼頃盛岡を出発し、八幡平で休憩しましたが生憎少し雨で何も見えませんでした。

 夕方に青森市に到着し夕食を取ってからねぶたです。
 
 弘前のねぷたは扇方ですが、青森市は立体です。サイズも遙かに大きく立派です。



 風神雷神のねぶたです。とても立体的で張り子ですが間近で見ると迫力一杯です。


 毘沙門天と吉祥天のねぶた。これも見事でした。

そのほかにも立派なねぶたが沢山出てきました。



 笛太鼓とかけ声で祭りは盛り上がります。コロナ禍のため3年ぶりの開催なので気合いが入っていました。

 夜遅く岩手のホテルに帰りました。



Aug.2.2022(Tue)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

弘前ねぷた祭り

 東京駅から新幹線で盛岡に到着。盛岡のホテルに5泊し北東北を回ります。

 盛岡からバスで弘前市に到着。弘前城近くの「津軽藩ねぷた村」で何種類かのねぷたと津軽三味線を聞きました。



 椅子の大きさから解るように大きな物でした。他に地区では「ねぶた」と濁りますが、弘前では「ねぷた」と半濁音になります。


 ねぷたの会場は弘前城の直ぐ前で行われます。これはそれ程の大きさではありませんが、円筒形を横にした形で前と裏に色んな絵柄が描かれています。


 曳いている人と比べると解りますが、とても大きなねぷたです。大きな声のかけ声で次から次へと出てきます。


 最後に大太鼓の登場です。上と下から叩きます。女性はさらし巻きで勇ましく、幻想的な感じを受けました。



 コロナの影響で比較的早く終了し、バスで夜遅く盛岡の「ダイワロイネットホテル」にチェックインしました。

 新しいホテルで部屋は狭かったのですが、綺麗なホテルでした。



Aug.1.2022(Mon)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

ブーゲンビリア

 友人からブーゲンビリアの鉢植えが送られてきました。

 部屋には植物は何もないので、俄に部屋が華やぎました。



 花のお手入れは苦手で、頑張りたいと思っています。


Jul.22.2022(Fri)12:50 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

石人の星公園

 友人の家を訪問するのに、早く到着しすぎたのでたこあげで有名な浜松中田島砂丘近くの「石人の星公園」に寄りました。

・芝生公園(多目的広場、憩いの広場他)
・遊具広場(児童用遊具、幼児用遊具)
・サイクル広場(一般用、幼児用、一輪車用)
・自然生態観察園(観察広場、観察壁、修景池)
・球技場(有料施設:天然芝グラウンド・12,000人収容)
・一般駐車場(無料:普通車352台、大型車9台)

 が有ります。



 一番目に点くのは関根伸夫氏作のメキシコのトゥーラやイースター島のモアイの遺跡を連想させる16体の石人です。
 



 イースター島の石像と違い、前後ろ両面に顔があります。

 近くに寄るとかなりの大きさで、迫力があります。



 遊具広場はそれ程沢山の遊戯はありませんが、広々しています。


 友人達と浜松の街で食事しました。雨なので早めに散会となり、一人小さなスナックで飲んでからホテルに帰りました。

 夕方のホテルからの風景ですが、駅側だったので新幹線が写っています。、



Jul.14.2022(Thu)17:46 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

帝釈天参道

 暑い中やっと帝釈天参道に戻り、かき氷と塩分補給のためみたらし団子を食べて生き返りました。

 



 「立花屋」と言うおせんべい屋が昔風で良い感じでした。


 手焼き醤油かた焼きせんべいを一枚買いました。流石に江戸前で醤油が効いていて変な甘みがありません。


 柴又駅の前には寅さんと、旅立ちを送るさくらの像があります。

 どちらも驚くほどそっくりに作られています。

 暑さのためか人も殆ど居ません。



 映画では夜だったりしますが、私鉄沿線の雰囲気が出ています。

 映画で何度も観てきたので、初めてでしたが懐かしく感じるほどでした。



Jun.29.2022(Wed)14:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

矢切の渡し

 寅さん記念館から江戸川の堤に出ると、北に金町上水場の取水塔が見えます。映画にもよく出てくる風景です。

 江戸川の向かいが千葉県下矢切です。下矢切の西連寺の境内には「野菊の墓文学碑」があります。



 看板があるだけで何も無い質素な船着き場で、本当に此処で良いのか迷いました。

 川面を渡る風が幾分暑さを和らげます。



 木陰で待っていると、向かいから船が出るのが見えました。


 船は少し周遊しているようでしたが、到着しました。片道200円で、往復400円です。

 往復だと向こう岸に着けないで、周遊してくれます。切符も何もありません、船頭さんに400円渡すだけです。



 走り出すと流石に涼しくて快適でした。

 船頭さんの説明だと、「矢切の渡し」は、江戸時代初期、地元民専用に耕作や対岸の農地への移動手段として使われていたそうです。江戸への出入りは厳しい規制がありましたが、江戸川の両岸に田畑をもつ農民は自由に行き来できました。

 伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台となり、 ヒット曲「矢切の渡し」等で有名になりました。唄と違って10時00分~16時00分の運行です。夜は運行していません。

 船を下りるとものすごい暑さの中を、来た道を徒歩で柴又まで帰りました。

 



Jun.29.2022(Wed)13:11 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

柴又帝釈天

 大きな門は二天門で明治29年(1896年)の建立だそうです。増長天および広目天の二天を安置していることから名付けられました。

 柴又帝釈天は日蓮宗の寺院です。



 門をくぐった右手の鐘撞堂も思っていたより立派な物でした。

 映画では御前様の笠智衆、寺男の源公の佐藤我次郎が出てくるところです。



 二天門を入った境内正面の帝釈堂です。内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成だそうです。

 映画では面白おかしい遣り取りの背景なので感じなかったのですが、随分立派なお寺でした。

 この境内を抜けると、綺麗な和風庭園の「山本亭」を経て「寅さん記念館」への近道となります。



 江戸川沿いの小高い「柴又公園」の奥に「葛飾柴又寅さん記念館」には「男はつらいよ」シリーズのセットや小道具などを展示されていました。

 「くるまや」は実際に撮影に使われ、大船撮影所から縊殺されています。寅さんが居眠りしている姿がリアルでした。

 



 「くるまや」の模型では1/16のスケールで再現されています。

 映画の中でもよく出てきますが、二つの階段がある作りになっています。

 そのほかに印刷所とか、鈍行列車、実際に私用された衣装や、トランク等の小道具の我展示されています。

 



Jun.29.2022(Wed)12:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

柴又

 部屋のクーラーは3台有るのですが、1台が壊れていて、出入りの業者さんに電話したら品物が無いと言うことで、池袋に行きました。

 池袋はビックカメラの本拠地ですが、品物は少しはあるけれど取り付け業者が足りなくて、何時になるか解らないとのこと、ケーズデンキも品物以上に取り付け業者が不足していて日にちは予約できても時間は保証できないとのことでした。

 一応2台動くので、後日にすることにしました。


 5月に加計呂麻島に行った後、「第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」を観ました。http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc65qb629336E7/1/

 今日は掃除の無い日なので、柴又に行くことにしました。暑い中山手線で日暮里、京成本線で京浜高砂、金町線で柴又です。

 駅の中も「男はつらいよ」の表示が沢山ありました。
       



 帝釈天参道は国の重要文化的景観になっていました。暑さのためか人出はまばらでした。


 入り口の「船橋屋」でくず餅を食べながら帝釈天に向かいます。


 映画のモデルになった草だんごの「とらや」


 門前町なので仏具の店もありました、

 正面に帝釈天が見えてきました。今にも寅さんが現れそうな雰囲気です。

 初めて来たのに、映画を観ているせいか懐かしい感じさえしました。一種のデジャヴー(既視感)といえるのかな?



Jun.29.2022(Wed)12:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

池袋に宿泊

 久しく使っていなかった目白の古い古いマンションが異常に汚れたので、思い切って全面掃除を依頼しました。

 目白と行っても雑司ヶ谷の地下鉄の駅に近く、池袋に宿泊しました。昔よく食べた新宿つな八で昼食。懐かしい味でした。



 ベランダにハトが巣を作ったりしたことも有り、掃除仕切れない所も綺麗になりました。


 費用が掛かったけど、綺麗になって御機嫌!



 掃除が一日空けて30日もあるので池袋に2連泊。夜池袋の街を散策。

 昔時々来ていた池袋演芸場に入りました。今日は「二ツ目勉強会」でしたが面白く観られました。

 池袋の街も随分変わり驚きました。まだ有ると聞いていたのですが「西一番街中央通り」の「ワインコーナー」を探しました。どうにも見つからなくて此処と思ったところで聞いたら、1年ほど前閉店したそうです。

 
 



 中華を食べてアルコールは止めて、北口へ通りかかったら「伯爵 池袋北口店」がありました。ホテルサンシティ 池袋の中にあり、昔のままなので驚きました。

 



 中の様子も昔のままでで、置物から内装まで同じです。

 店員さんに聞いたらホテルが出来たときからで、50年に以上変わってないそうです。

 北口は一番よく使っていて、この喫茶店もよく来ていたので感激。

 それにしても今日の暑さは強烈で、夜になっても暑いままでした。



Jun.28.2022(Tue)23:50 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

ホテルオークラ

 部屋は36階でした。曇りがちでしたが良い景色でした。


 昨夜は運良く雨にも降られず、つい遅くまでなじみのスナックでした。

 寝不足でしたが部屋がリニューアルされていて快適でした。



 朝食は遠鉄デパ地下のたこ焼き。

 いつもの大学芋は扱いがなくなっていました。



 今回はグレープフルーツジュースを飲んで帰りました。

 



Jun.24.2022(Fri)20:44 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)

 その昔、壱岐の島は、鬼ヶ島と呼ばれ、たくさんの鬼たちが人々を苦しめていました。

 そこで命を受けた百合若大臣が鬼退治にやって来ます。百合若は、鬼どもの首を次々にはねてゆきましたが、首領の鬼がなかなか手強い。やっとはねた首領の鬼の首が宙を飛んで百合若大臣の兜にかみつきました。この鬼凧の絵は、そのときの様子を描いたものです。

 壱岐では玄関、床の間など室内の装飾として、初節句やお祝いの際に鬼凧を贈る風習があります。

 土産店やホテルの売店の凧は大きいので、極々小さい飾り物を買いました。

 旅行をすると想い出のために極小さい物を買っています。



 住吉神社で壱岐神楽を鑑賞したとき頂いた神の米です。
 水加減が解らなかったのですが炊いてみました。とても美味しい御飯でした。



 浅茅湾(あそうわん)遊覧船の時風が強く大変でした、役に立ったのがこれ。

 帽子止め顎に掛けるのと、片側から襟に付けるタイプ。



Jun.9.2022(Thu)20:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

浅茅湾(あそうわん)遊覧船

 昨夜の宿泊は厳原港の北「対馬グランドホテル」でした。海際でとても良い景色で、夜は沢山のイカ釣り漁船の光が見えなかなか幻想的でした。

 部屋はメンテが悪く、クーラーのカバーが取れていて殆ど冷えません。部屋を交換して貰ったらトイレの水洗カバーが割れていて、案の定水が流れません。

 コロナの影響で使っていない部屋が多く、トラアブル続出でした。対馬は韓国に近く観光客の大部分は韓国からだそうです。

 以前盗難に遭った神社の仏像が返還されなくて、それ以来寺社仏閣は拝観禁止になっているそうです。宗家じゃないけ外交で解決して欲しいと思いました。

 



 縦に長い対馬は自然が豊かな北と歴史の南に分かれます。今回の旅行は南だけでした。

 島の中央はくびれていて大きな浅茅湾(あそうわん)があります。対馬市営渡海船を病院に通院する人が使っています。今回時間外に遊覧船として乗りました。

 病院のある長坂浦港から仁位(にい)港まで50分の遊覧でした。

 

 



 仁位港の近くに「和多都美(わたづみ)神社」があります。豊玉町の由来にも成った豊玉姫命(とよたまひめ)と夫の釣り針を無くした話「海彦山彦」の神話で知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祀っています。

 出産を覗き見したことから、夫婦は離婚となりました。

 海に向いている神社で鳥居も海に向かっています。手前の一本が新しいのは、少し前に倒れて再建したからだそうです。 



 二階の席は風が強く寒いので大変でした。景色を見るため頑張りました。

 ツアーの人達も帽子が飛ばされないよう必死で押さえていました。



 再び厳原に戻りいけす料理の「志まもと」でサザエやサツマイモから作った「ろくべい」という麺を頂きました。

 それ程遠くない対馬空港に向かいました。

 対馬は縦に長く中央は高い山で東と西の交流が困難でした。1671年(寛文12年)に対馬の西岸と東岸を結ぶ運河大船越瀬戸(おおふなこしせと)が作られました。

 重機も何もない時代に岩だらけの山を掘るのは大変な作業だったようです。

 1900年(明治33年)に約2km北方に大船越瀬戸と同様に西岸と東岸を結ぶ万関瀬戸が開通し、大船越瀬戸は主に漁港として用いられています。

 見晴らしが良い橋で車窓から見学でした。

 前回の飛行機に懲りて、今回は機内持ち込みが可能なバックにしたので福岡空港でトランジットしましたが、羽田では荷物を待つこともなくスムースに出られました。

 天気にも恵まれ、韓国からの観光客がいなくて静かな旅行が出来ました。「美食・絶景・歴史を探訪」とあるように食事は全て豪華でした。



Jun.8.2022(Wed)12:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

対馬 万松院(ばんしょういん)

 壱岐の中央東海岸の芦辺港(あしべこう)からジェットフォイルに乗り込み、65分で対馬南東岸(対馬市)に位置する厳原港(いづはらこう)に到着。厳原は大きな街で対馬の政治経済の中心地です。


 観光情報館 「ふれあい処つしま」の「つしにゃんキッチン」で煮穴子丼を頂きました。目の前に対馬博物館の大きな建物、向かいに対馬市役所があります。

 

 

 

 



 通り抜けると「金石城櫓門(かねいしじょうやぐらもん)」が有ります。

 金石城には天守閣は造られておらず、二層櫓を持つ大手櫓門がその代わりとされたといわれています。横は金石城跡で記念公園となっています。

 対馬は平地が狭く、全ての物が凝縮されています。



 その道の突き当たりに宗家の菩提寺「万松院(ばんしょういん)」を訪問しました。大きな墓が並び金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。

 宗氏(そううじ)は中世から近世にかけて対馬国を支配した守護・戦国大名・近世大名であり続け、明治維新後伯爵に成っています。

 初代宗重尚(そう しげひさ)は、鎌倉時代の武将で、宗氏初代当主。朝鮮との交易のため惟宗(これむね)を一文字の宋と変えたと言われています。

 対馬は山地が多く耕地が少ないため、宗氏は朝鮮との貿易による利益に依存していました。

 文禄・慶長の役では、宗義智が小西行長の軍に従って釜山城・漢城・平壌城を攻略するなど、日本軍の先頭に立って朝鮮及び明を相手に戦い活躍しました。また戦闘だけでなく行長と共に日本側の外交を担当する役割も担い折衝に当たっています。


 長い間友好的な貿易相手だった朝鮮に戦争を仕掛ける事は心よしとはしなかったのですが、秀吉の命には逆らえません。

 徳川時代になると逆に朝鮮との国交回復をするようにとの方針になり、大変な努力をしました。

 秀吉はウクライナに侵略したプーチンに似ているような感じです。対馬にとっても大迷惑だったでしょう。



 長い階段を上ると大きな墓が並び、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。

 



 墓所の手前に樹齢1200年と言われる万松院の大スギが3本あり、杉では対馬一の樹齢を誇っています。

 宗氏(そううじ)は中世から近世にかけて対馬国を支配し続けました。おそらく対馬は銀を産出し、貿易で豊かだったのでしょう。元寇の時は討ち死にしていますし、島の民にも善政を続け、反乱も起こらなかったのでしょう。

 外国との交流が多く、外交戦術にも長け徳川政権からも信頼を受けるようになっていました。後年、朝鮮との国交回復に尽力した功績が認められ、国主格・10万石格の家格を得、朝鮮と独占的に交易することも認められました。

 日本本土に比べると歴史的価値はありますが。比較的質素な物でした。これも善政の現れかもしれません。


 



Jun.7.2022(Tue)14:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin


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