Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



気紛れ写真
~説明~
気に入ると、適当に写真を撮ります。

ブーゲンビリア

 友人からブーゲンビリアの鉢植えが送られてきました。

 部屋には植物は何もないので、俄に部屋が華やぎました。



 花のお手入れは苦手で、頑張りたいと思っています。


2022年7月22日(金)12:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

石人の星公園

 友人の家を訪問するのに、早く到着しすぎたのでたこあげで有名な浜松中田島砂丘近くの「石人の星公園」に寄りました。

・芝生公園(多目的広場、憩いの広場他)
・遊具広場(児童用遊具、幼児用遊具)
・サイクル広場(一般用、幼児用、一輪車用)
・自然生態観察園(観察広場、観察壁、修景池)
・球技場(有料施設:天然芝グラウンド・12,000人収容)
・一般駐車場(無料:普通車352台、大型車9台)

 が有ります。



 一番目に点くのは関根伸夫氏作のメキシコのトゥーラやイースター島のモアイの遺跡を連想させる16体の石人です。
 



 イースター島の石像と違い、前後ろ両面に顔があります。

 近くに寄るとかなりの大きさで、迫力があります。



 遊具広場はそれ程沢山の遊戯はありませんが、広々しています。


 友人達と浜松の街で食事しました。雨なので早めに散会となり、一人小さなスナックで飲んでからホテルに帰りました。

 夕方のホテルからの風景ですが、駅側だったので新幹線が写っています。、



2022年7月14日(木)17:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

帝釈天参道

 暑い中やっと帝釈天参道に戻り、かき氷と塩分補給のためみたらし団子を食べて生き返りました。

 



 「立花屋」と言うおせんべい屋が昔風で良い感じでした。


 手焼き醤油かた焼きせんべいを一枚買いました。流石に江戸前で醤油が効いていて変な甘みがありません。


 柴又駅の前には寅さんと、旅立ちを送るさくらの像があります。

 どちらも驚くほどそっくりに作られています。

 暑さのためか人も殆ど居ません。



 映画では夜だったりしますが、私鉄沿線の雰囲気が出ています。

 映画で何度も観てきたので、初めてでしたが懐かしく感じるほどでした。



2022年6月29日(水)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

矢切の渡し

 寅さん記念館から江戸川の堤に出ると、北に金町上水場の取水塔が見えます。映画にもよく出てくる風景です。

 江戸川の向かいが千葉県下矢切です。下矢切の西連寺の境内には「野菊の墓文学碑」があります。



 看板があるだけで何も無い質素な船着き場で、本当に此処で良いのか迷いました。

 川面を渡る風が幾分暑さを和らげます。



 木陰で待っていると、向かいから船が出るのが見えました。


 船は少し周遊しているようでしたが、到着しました。片道200円で、往復400円です。

 往復だと向こう岸に着けないで、周遊してくれます。切符も何もありません、船頭さんに400円渡すだけです。



 走り出すと流石に涼しくて快適でした。

 船頭さんの説明だと、「矢切の渡し」は、江戸時代初期、地元民専用に耕作や対岸の農地への移動手段として使われていたそうです。江戸への出入りは厳しい規制がありましたが、江戸川の両岸に田畑をもつ農民は自由に行き来できました。

 伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台となり、 ヒット曲「矢切の渡し」等で有名になりました。唄と違って10時00分~16時00分の運行です。夜は運行していません。

 船を下りるとものすごい暑さの中を、来た道を徒歩で柴又まで帰りました。

 



2022年6月29日(水)13:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

柴又帝釈天

 大きな門は二天門で明治29年(1896年)の建立だそうです。増長天および広目天の二天を安置していることから名付けられました。

 柴又帝釈天は日蓮宗の寺院です。



 門をくぐった右手の鐘撞堂も思っていたより立派な物でした。

 映画では御前様の笠智衆、寺男の源公の佐藤我次郎が出てくるところです。



 二天門を入った境内正面の帝釈堂です。内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成だそうです。

 映画では面白おかしい遣り取りの背景なので感じなかったのですが、随分立派なお寺でした。

 この境内を抜けると、綺麗な和風庭園の「山本亭」を経て「寅さん記念館」への近道となります。



 江戸川沿いの小高い「柴又公園」の奥に「葛飾柴又寅さん記念館」には「男はつらいよ」シリーズのセットや小道具などを展示されていました。

 「くるまや」は実際に撮影に使われ、大船撮影所から縊殺されています。寅さんが居眠りしている姿がリアルでした。

 



 「くるまや」の模型では1/16のスケールで再現されています。

 映画の中でもよく出てきますが、二つの階段がある作りになっています。

 そのほかに印刷所とか、鈍行列車、実際に私用された衣装や、トランク等の小道具の我展示されています。

 



2022年6月29日(水)12:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

柴又

 部屋のクーラーは3台有るのですが、1台が壊れていて、出入りの業者さんに電話したら品物が無いと言うことで、池袋に行きました。

 池袋はビックカメラの本拠地ですが、品物は少しはあるけれど取り付け業者が足りなくて、何時になるか解らないとのこと、ケーズデンキも品物以上に取り付け業者が不足していて日にちは予約できても時間は保証できないとのことでした。

 一応2台動くので、後日にすることにしました。


 5月に加計呂麻島に行った後、「第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」を観ました。http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc65qb629336E7/1/

 今日は掃除の無い日なので、柴又に行くことにしました。暑い中山手線で日暮里、京成本線で京浜高砂、金町線で柴又です。

 駅の中も「男はつらいよ」の表示が沢山ありました。
       



 帝釈天参道は国の重要文化的景観になっていました。暑さのためか人出はまばらでした。


 入り口の「船橋屋」でくず餅を食べながら帝釈天に向かいます。


 映画のモデルになった草だんごの「とらや」


 門前町なので仏具の店もありました、

 正面に帝釈天が見えてきました。今にも寅さんが現れそうな雰囲気です。

 初めて来たのに、映画を観ているせいか懐かしい感じさえしました。一種のデジャヴー(既視感)といえるのかな?



2022年6月29日(水)12:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

池袋に宿泊

 久しく使っていなかった目白の古い古いマンションが異常に汚れたので、思い切って全面掃除を依頼しました。

 目白と行っても雑司ヶ谷の地下鉄の駅に近く、池袋に宿泊しました。昔よく食べた新宿つな八で昼食。懐かしい味でした。



 ベランダにハトが巣を作ったりしたことも有り、掃除仕切れない所も綺麗になりました。


 費用が掛かったけど、綺麗になって御機嫌!



 掃除が一日空けて30日もあるので池袋に2連泊。夜池袋の街を散策。

 昔時々来ていた池袋演芸場に入りました。今日は「二ツ目勉強会」でしたが面白く観られました。

 池袋の街も随分変わり驚きました。まだ有ると聞いていたのですが「西一番街中央通り」の「ワインコーナー」を探しました。どうにも見つからなくて此処と思ったところで聞いたら、1年ほど前閉店したそうです。

 
 



 中華を食べてアルコールは止めて、北口へ通りかかったら「伯爵 池袋北口店」がありました。ホテルサンシティ 池袋の中にあり、昔のままなので驚きました。

 



 中の様子も昔のままでで、置物から内装まで同じです。

 店員さんに聞いたらホテルが出来たときからで、50年に以上変わってないそうです。

 北口は一番よく使っていて、この喫茶店もよく来ていたので感激。

 それにしても今日の暑さは強烈で、夜になっても暑いままでした。



2022年6月28日(火)23:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

ホテルオークラ

 部屋は36階でした。曇りがちでしたが良い景色でした。


 昨夜は運良く雨にも降られず、つい遅くまでなじみのスナックでした。

 寝不足でしたが部屋がリニューアルされていて快適でした。



 朝食は遠鉄デパ地下のたこ焼き。

 いつもの大学芋は扱いがなくなっていました。



 今回はグレープフルーツジュースを飲んで帰りました。

 



2022年6月24日(金)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)

 その昔、壱岐の島は、鬼ヶ島と呼ばれ、たくさんの鬼たちが人々を苦しめていました。

 そこで命を受けた百合若大臣が鬼退治にやって来ます。百合若は、鬼どもの首を次々にはねてゆきましたが、首領の鬼がなかなか手強い。やっとはねた首領の鬼の首が宙を飛んで百合若大臣の兜にかみつきました。この鬼凧の絵は、そのときの様子を描いたものです。

 壱岐では玄関、床の間など室内の装飾として、初節句やお祝いの際に鬼凧を贈る風習があります。

 土産店やホテルの売店の凧は大きいので、極々小さい飾り物を買いました。

 旅行をすると想い出のために極小さい物を買っています。



 住吉神社で壱岐神楽を鑑賞したとき頂いた神の米です。
 水加減が解らなかったのですが炊いてみました。とても美味しい御飯でした。



 浅茅湾(あそうわん)遊覧船の時風が強く大変でした、役に立ったのがこれ。

 帽子止め顎に掛けるのと、片側から襟に付けるタイプ。



2022年6月9日(木)20:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

浅茅湾(あそうわん)遊覧船

 昨夜の宿泊は厳原港の北「対馬グランドホテル」でした。海際でとても良い景色で、夜は沢山のイカ釣り漁船の光が見えなかなか幻想的でした。

 部屋はメンテが悪く、クーラーのカバーが取れていて殆ど冷えません。部屋を交換して貰ったらトイレの水洗カバーが割れていて、案の定水が流れません。

 コロナの影響で使っていない部屋が多く、トラアブル続出でした。対馬は韓国に近く観光客の大部分は韓国からだそうです。

 以前盗難に遭った神社の仏像が返還されなくて、それ以来寺社仏閣は拝観禁止になっているそうです。宗家じゃないけ外交で解決して欲しいと思いました。

 



 縦に長い対馬は自然が豊かな北と歴史の南に分かれます。今回の旅行は南だけでした。

 島の中央はくびれていて大きな浅茅湾(あそうわん)があります。対馬市営渡海船を病院に通院する人が使っています。今回時間外に遊覧船として乗りました。

 病院のある長坂浦港から仁位(にい)港まで50分の遊覧でした。

 

 



 仁位港の近くに「和多都美(わたづみ)神社」があります。豊玉町の由来にも成った豊玉姫命(とよたまひめ)と夫の釣り針を無くした話「海彦山彦」の神話で知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祀っています。

 出産を覗き見したことから、夫婦は離婚となりました。

 海に向いている神社で鳥居も海に向かっています。手前の一本が新しいのは、少し前に倒れて再建したからだそうです。 



 二階の席は風が強く寒いので大変でした。景色を見るため頑張りました。

 ツアーの人達も帽子が飛ばされないよう必死で押さえていました。



 再び厳原に戻りいけす料理の「志まもと」でサザエやサツマイモから作った「ろくべい」という麺を頂きました。

 それ程遠くない対馬空港に向かいました。

 対馬は縦に長く中央は高い山で東と西の交流が困難でした。1671年(寛文12年)に対馬の西岸と東岸を結ぶ運河大船越瀬戸(おおふなこしせと)が作られました。

 重機も何もない時代に岩だらけの山を掘るのは大変な作業だったようです。

 1900年(明治33年)に約2km北方に大船越瀬戸と同様に西岸と東岸を結ぶ万関瀬戸が開通し、大船越瀬戸は主に漁港として用いられています。

 見晴らしが良い橋で車窓から見学でした。

 前回の飛行機に懲りて、今回は機内持ち込みが可能なバックにしたので福岡空港でトランジットしましたが、羽田では荷物を待つこともなくスムースに出られました。

 天気にも恵まれ、韓国からの観光客がいなくて静かな旅行が出来ました。「美食・絶景・歴史を探訪」とあるように食事は全て豪華でした。



2022年6月8日(水)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

対馬 万松院(ばんしょういん)

 壱岐の中央東海岸の芦辺港(あしべこう)からジェットフォイルに乗り込み、65分で対馬南東岸(対馬市)に位置する厳原港(いづはらこう)に到着。厳原は大きな街で対馬の政治経済の中心地です。


 観光情報館 「ふれあい処つしま」の「つしにゃんキッチン」で煮穴子丼を頂きました。目の前に対馬博物館の大きな建物、向かいに対馬市役所があります。

 

 

 

 



 通り抜けると「金石城櫓門(かねいしじょうやぐらもん)」が有ります。

 金石城には天守閣は造られておらず、二層櫓を持つ大手櫓門がその代わりとされたといわれています。横は金石城跡で記念公園となっています。

 対馬は平地が狭く、全ての物が凝縮されています。



 その道の突き当たりに宗家の菩提寺「万松院(ばんしょういん)」を訪問しました。大きな墓が並び金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。

 宗氏(そううじ)は中世から近世にかけて対馬国を支配した守護・戦国大名・近世大名であり続け、明治維新後伯爵に成っています。

 初代宗重尚(そう しげひさ)は、鎌倉時代の武将で、宗氏初代当主。朝鮮との交易のため惟宗(これむね)を一文字の宋と変えたと言われています。

 対馬は山地が多く耕地が少ないため、宗氏は朝鮮との貿易による利益に依存していました。

 文禄・慶長の役では、宗義智が小西行長の軍に従って釜山城・漢城・平壌城を攻略するなど、日本軍の先頭に立って朝鮮及び明を相手に戦い活躍しました。また戦闘だけでなく行長と共に日本側の外交を担当する役割も担い折衝に当たっています。


 長い間友好的な貿易相手だった朝鮮に戦争を仕掛ける事は心よしとはしなかったのですが、秀吉の命には逆らえません。

 徳川時代になると逆に朝鮮との国交回復をするようにとの方針になり、大変な努力をしました。

 秀吉はウクライナに侵略したプーチンに似ているような感じです。対馬にとっても大迷惑だったでしょう。



 長い階段を上ると大きな墓が並び、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。

 



 墓所の手前に樹齢1200年と言われる万松院の大スギが3本あり、杉では対馬一の樹齢を誇っています。

 宗氏(そううじ)は中世から近世にかけて対馬国を支配し続けました。おそらく対馬は銀を産出し、貿易で豊かだったのでしょう。元寇の時は討ち死にしていますし、島の民にも善政を続け、反乱も起こらなかったのでしょう。

 外国との交流が多く、外交戦術にも長け徳川政権からも信頼を受けるようになっていました。後年、朝鮮との国交回復に尽力した功績が認められ、国主格・10万石格の家格を得、朝鮮と独占的に交易することも認められました。

 日本本土に比べると歴史的価値はありますが。比較的質素な物でした。これも善政の現れかもしれません。


 



2022年6月7日(火)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

一支国(いきこく)博物館

 壱岐最後の訪問地「一支国博物館」です。眼下に一望する昨日訪問した「原の辻遺跡」を最も大きな展示物としています。

 原の辻遺跡訪問直後に来られたら良かったのですが、昨日は休館日だったため今日の訪問となりました。

 この建物は建築家「黒川紀章」最後の建物です。中銀カプセルタワービル、下田プリンスホテル、青山ベルコモンズ、六本木プリンスホテル、豊田スタジアム、ソニータワーなど、もう無くなってしまった建物もありますが、最も好きな建築家です。個人的には天才だったと思っています。

 

 



 正面の階段を上がると、そこはビューシアターです。上映が終わるとスクリーンが上がり、大きな窓になり原の辻遺跡が見えます。鮮やかな演出です。


 以前NHKで見たことはあるのですが、「オープン収蔵庫」です。

 県内の遺跡から出土した遺物を収蔵するガラス張りの巨大収蔵庫と、それらを活用して長崎県埋蔵文化センターが開催する「オープン収蔵展示」となっています。



 原の辻遺跡と「深江田原(ふかえたばる)」平野が一望できる芝生の屋上と、海を越えた福岡県や佐賀県まで眺望できる展望台です。


 



 原の辻遺跡が俯瞰できます。更に「物見櫓」から東側の「内海湾(うちめわん)」に通じる幡鉾川(はたほこがわ)河口方面を見張っていた地形が理解できました。

 素晴らしい建築物でした。



2022年6月7日(火)10:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

岳の辻(たけのつじ)展望台

 壱岐は平らな地形で高い山がありません。岳の辻は標高212.8mで壱岐島で一番高い山です。

 

 



 663年倭国と百済の連合軍は「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗しました。朝廷は664年に防人(さきもり)と烽火台を壱岐、対馬、筑紫に置き防備させました。

 676年に新羅が朝鮮を統一したことから、国防が更に高まりました。古代から岳の辻にあった通信施設である烽火台が復元されています。

 スマホの通信塔も同じように建てられていて、高い山の無い壱岐の特徴が現れています。昔から通信には高い所が大事です。



 眼下に郷ノ浦の町並みが見られます。


 北西を見ると島崎半島から対馬海峡が見えます。


 更に北東は島全体が見え、対馬海峡から玄界灘が見えました。

 梅雨が近いのに好天に恵まれ、素晴らしい展望でした。



2022年6月7日(火)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

住吉神社

辰ノ島遊覧を終え、今日最後の訪問地は島の中央にある「住吉神社」です。御祭神は住吉三神(日本書紀と古事記では少し異なる)です。

 神功皇后が三韓出兵を成し遂げその帰途壱岐に上陸して三神を祀ったとされています。

三韓征伐に由来する住吉神社は、三大大社の住吉神社(福岡市博多区)・ 住吉神社(山口県下関市)・ 住吉大社(大阪市住吉区)など沢山ありますが、壱岐市のこの住吉神社が日本最古です。

 三韓征伐(さんかんせいばつ)は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である神功皇后が、仲哀天皇の没後新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本における伝承です。

 はっきりしているのは白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)以後です。白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の体制の建設をもたらしたと考えられています。
 
 境内は鬱蒼と木々が繁り、厳かな雰囲気です。



 それ程広い舞台ではありません。客席にはお米のお土産が置かれていました。

 700年も続く神職のみで継承されてきたとても神聖視された神楽(かぐら)で、12月20日には「壱岐大大神楽がこの住吉神社で奉納され6~7時間に及ぶそうです。



 舞台の裏の本殿は綺麗に整備されているようでした。発見された大陸系の神鏡、平安から室町時代の貴重な文化財も所蔵しているそうです。

 



 総勢5人の神職のの方々が笛、太鼓で演奏し順に神楽(かぐら)を奉奏されました。


 熊野三山で目にした、神武天皇の道案内をした「八咫烏(やたがらす)」の面を付けての神楽は親しみを感じました。


 ありがたい神楽ですが、踊りが長く見ている方も疲れて来ました。眠りそうになる友人に笑えないのを良いことに、ヒソヒソ話をしていました。

 そのうち話がメチャクチャになり、「かけ声」を掛けろと言うと、屋号を知らないと。じゃあ「待ってました!」で良いのではとか、

 二人で踊り出したので、「待ってましたご両人!」と声を掛けろとか引き抜きの早変わりは無いのかとか、お面の早変わりはどうかなとか

「パ・ド・ドゥ(Pas de deux)だ~~」と言ったら、男女2人の踊り手で踊るのがPas de deuxで同性の二人で踊るのはduoだとか、馬鹿な話をしていました。

 更に話はエスカレートして、おひねりを投げろとか、千円札で作ったレーを首に掛けに行けとか、不謹慎な冗談を言っていました。

 友人は「なんだか熱っぽい」と、落語「寝床」の義太夫による「義太熱」でなく「神楽熱」のようだと言い出しました。


 
 やっと舞が終わり、
「如何でしたか?」と問われて、
「お能の様な振りが少ない物を想像していましたが、」と答えたら
「今日は特別激しい振りの有る演目を選びました。」と答えられました。


 個人的には振りは多いのですが、やや繰り返しが多いので退屈になるのではと思いました。元々神事なので娯楽性は少なく長い鑑賞は大変です。巫女の舞もあれば雰囲気が変わるかもしれません。

 12月20日には「壱岐大大神楽がこの住吉神社で奉納され6~7時間に及ぶそうです。

 もし観劇すれば、不謹慎な二人は途中で「神楽熱」で倒れるかもしれません。

 



2022年6月6日(月)16:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

辰ノ島遊覧

 壱岐島の北の端西側には名鳥と辰ノ島があります。小さな4つの島をあわせて名島と言われ人が住んでいます。辰ノ島は無人島ですが、海水浴場があります。

 
 玄界灘の宝石と称される辰ノ島の遊覧です。壱岐では屈指の観光地です。

 天気も良くなり絶好の遊覧です。

 それ程大きな船でなく知床の船に似た大きさでした。
 乗り込むとき「これが沈んだら大ニュースになる」と言ったら、皆が「ギャ~~!」とか「縁起でも無い!」とか・・・



 漁港でもある勝本浦を出発です。海は綺麗で波もありません。


 辰ノ島は逆Uの字形で凹んだ真ん中に砂浜があり、辰ノ島ビーチで海水浴場になっています。写真の白く見えるところが砂浜です。

 海の色が青から緑色に変わっています。



 東側の「海の宮殿」と言われる切り立った岸壁です。アブラメ瀬戸と呼ばれ潮流が速く地元の潜り(海士)もここでは漁が出来ないそうです。

 海底まで透けて見える緑色の海は、まさに宝石のようです。岩が突き出ているところを巧みに避けて船が近づき、ちょっと怖い感じもしました。

 



 今日は外洋の波が荒く、東側だけの予定でした。

 船長は「今日は波が荒いが短時間ならなんとか行ける!」とちょっと不安な言葉を発しながら西に回りました。 

 島の西側は外洋で対馬海峡です。急に波が荒くなり海の色も青くなりました。西の端の高さ50mの切り立った断崖の割れ目「蛇ヶ谷(じゃがたに)」です。

 荒い波の中を手前にある海に突き出た岩を避けて、岸壁に近づきます。誰も声を発せられない程の緊張感でした。

 通り過ぎてから船長に「危ないですね~~」と声を掛けたら
「いや~毎日やってるからね~、慣れだよ慣れ」と事もなげに言いました。

 緊張感もありましたが、最高の遊覧となりました。



2022年6月6日(月)15:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

黒崎砲台跡・猿岩

 壱岐には多くの砲台跡があります。壱岐要塞(いきようさい)は、対馬要塞と共に対馬海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞です。

 対馬海峡、壱岐海峡の防備のため1924年10月から工事が開始され、1938年12月までに全ての砲台が竣工しました。

 1922年ワシントン軍縮会議で当時建造中の「戦艦土佐」が廃艦となりましたが、その主砲がこの黒崎に設置されました。

 かなり深くて大きな物です。



 黒崎砲台跡の直ぐ近くに、猿の顔にそっくりの岩があります。

 高さ45mの玄武岩の断崖に孤立して立っています。

 各地に沢山の名前が付いた岩がありますが、言われてみればという物もありますが、この猿岩はかなり猿です。

 右側の湯の本湾に面して「湯ノ本温泉」があり、湾内には小さな手長島があります。

 少し北に進むと蒙古襲来上陸地があり、文永の役の「新城(しんじょう)神社」は島の中央の新城古戦場にあります。弘安の役の「壱岐神社」は島の南芦辺フェリー港にあります。

 700年以上前の元寇がこの島ではそのまま受け継がれていることに驚き、戦争の悲惨さが身に染みました。
 



2022年6月6日(月)13:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

郷ノ浦の街

 昼食は宮の通りの「三益寿司」でした。「少し贅沢に玄界灘の恵みをお届けします。」とあるようにやや甘めですがなかなか美味しい店でした。
 
 もちろん醤油は持参しています。



 天気も回復し食後街を散歩しました。コーヒーショップを探したのですがシャッター通りとなっていたり、夜の店ばかりでした。

 橋の欄干に「壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)」が有りました。

 家内の安全、無病息災の魔除けとなる壱岐島伝統の民芸品です。長崎県指定の伝統的工芸品。

 玄関、床の間など室内の装飾として。壱岐には初節句やお祝いの際に鬼凧を贈る風習があります。



 メイン通りは入り江になっていて美しい街ですが、人っ子一人歩いていません。

 まだまだ観光客が戻っていないようです。



 土産屋も開いているところが少なく、「長田(おさだ)商店」で買い物となりました。ウニなどの海産物が専門の店です。


 大きな「壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)」が沢山ありましたが、とても小さい壱州鬼凧を買いました。


2022年6月6日(月)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

小島神社・はらほげ地蔵・塞(さい)神社

 古代日本の原風景を色濃く残す壱岐の島は至る所に神社を作っています。

 添乗員さんが神社の名前を覚えるだけでも大変で、祭ってある神々の名前はややこしくて覚えられないと嘆いていました。もっとも聞く方も間違いを言っても解らないので大丈夫だと。


 壱岐の小島に浮かぶ「小島神社」は潮の満ち引きで参道が現れるモンサンミッシェルのような神社です。

 今回それ程潮が引いていませんでしたが、微かに参道が現れ始めていました。



 海に面した六地蔵ですが、掲示板にあるようにお腹に穴が空いていて、お備えをすると満潮時には胸まで浸かりお供えが海に運ばれる地蔵です。


 訪問したときはまだ足下に潮が満ちていました。

 何時何のために作ったかは定かでないようです。



 昼食のため郷ノ浦に戻りました。

 食べ物屋が多い「ふれ愛通り」と「宮の通り」の真ん中の辻にある「塞(さい)神社」は天岩戸の神話で天照大神(アマテラスオオミカミ)を大胆な舞で誘い出した女神・天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、のちに男神・猿田彦命(サルタヒコノミコト)と結ばれて、一体神になった猿女命(サルメノミコト)が祀られています。

 拝殿脇にある巨大な男性シンボルと石像の御神体が目を引きます。



 社殿にも男女の営みに関するものがたくさん奉納されています。

 良縁、安産、夫婦和合、性の病、子どもの守護の祈願がされます。

 



2022年6月6日(月)11:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

原の辻(はるのつじ)遺跡

 一夜明け曇りがちながら、一部に青空も見えるまあまあの天気です。

 ホテルから見た港も賑わいが感じられます。鉄道が無い島々ではフェリーの港がちょうど鉄道の駅前の雰囲気です。



 ホテルの左側に大浴場から少し見える塔が建っていました。

 ホテルのフロントの方と話していて聞いたのですが、宿泊した「ビューホテル壱岐」の裏に「春一番の塔」がありました。春一番は春先に吹く南風といい春が来たノン降りした気分の気象用語になっていますが、実はこの言葉の発祥の地は壱岐だそうです。

 1859年この地で春一番を受け、50余名の漁師の方々が亡くなり、1987年郷ノ浦港入り口の元居公園に春一番の塔が建てられました。



 今日の一番目の訪問地は「原の辻(はるのつじ)遺跡」です。壱岐一番の史跡で、静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と同じく国特別史跡に指定されています。

 邪馬台国で論議を呼んでいる「魏志倭人伝」に記載されている国の中で、唯一国と王都が「一支国(いきこく)」と特定されています。

 まだ発掘調査は2割程度ですが、沢山の土器などが発見されています。

 沢山の住居が復元されています。この家は「王の館」で最大規模の竪穴住居です。



 建物が似ていて区別が難しい感じですが、これは高床式で「食材の倉」です。

 儀式に使う特別な米、海産物、木の芽、果実酒などが入れられていたと考えられています。



 「物見櫓(ものみやぐら)」は高くて一番目立ちます。

 「内海湾(うちめわん)」に通じる幡鉾川(はたほこがわ)河口方面を見張っていたようです。

 原の辻(はるのつじ)遺跡は丘陵の周囲を環濠(かんごう)で囲まれている環濠集落です。

 



2022年6月6日(月)09:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

博多湾からジェットフォイルで壱岐へ

 羽田から福岡空港に到着。空港からはタクシーで博多湾に向かいました。運転手さんから「博多どんたく」の話などを聞きました。

 心配していた雨が降っていましたが、博多港はなかなか綺麗な感じでした。

 



 小さなコーヒーショップでコーヒーを飲んで乗船です。


 ジェットフォイルはその名の通り超高速艇で時速40ノット(約70km/h)で走ります。

 博多港から郷ノ浦港まで70分で到着できます。船内ではシートベルトが必要で、甲板にも出られません。やや味気ないけれど2時間以上掛かるフェリーよりはるかに便利です。

 雨の中を猛然と走ります。



 「ビューホテル壱岐」は郷ノ浦港の前です。雨に霞む港が綺麗です。

 食事は壱岐産養殖フグを使った「フグ懐石」の部屋食でした。とても美味しく頂けました。もちろん今回も醤油が甘いので普通の醤油を持参しました。



 ジェットフォイル以外にも大型のフェリーが発着しています。

 近くに漁港もあり雨の夜景も綺麗でした。

 明日の天気が心配です。



2022年6月5日(日)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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