Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



気紛れ写真
==Explain==
気に入ると、適当に写真を撮ります。

湖東三山紅葉めぐり その4 びわ湖大津館から比叡山へ

 昼食は「びわこ大津館」の創作フランス料理でした。

 びわ湖大津館は、1934年(昭和9年)、外国人観光客の誘致を目的に県内初の国際観光ホテルとして建築された旧琵琶湖ホテルをリニューアル活用した大津市の文化施設です。

 旧琵琶湖ホテル時代には、湖国の迎賓館として昭和天皇を始め多くの皇族の方々、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエイン、川端康成など多分野の著名人が宿泊しています。

 玄関横にヘレン・ケラー宿泊記念のちょっと元気のない木が有りました。

 建物の設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等を設計したことで有名な岡田信一郎です。

 立派な建物で桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観ですが内装は洋風です。

 フランス料理は団体の所為か、普通の味。やや建物に負けています。



 建物の裏は琵琶湖で展望台にもなっていました。ヨットが泊まり、オシャレな雰囲気です。


 これから比叡山延暦寺に向かいます。琵琶湖を見下ろす車内からの紅葉も綺麗でした。

 



 延暦寺は特別拝観中で「戒壇院」と「法華総持院 東棟」、「国宝殿」が特別拝観となっていました。

 初めに説明がありましたが、寒い中で延々と話が続き修行しているみたいな感じでした。



 一番有名な「根本中堂」は工事中でした。


Nov.24.2021(Wed)11:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

湖東三山紅葉めぐり その3 旧竹林、日吉大社

 宿泊は琵琶湖マリオットホテルでした。景色も良く綺麗なホテルでしたが、団体だった所為かガイダンスが外国人の方で、説明が良く聞き取れないし、説明不足で苦労しました。

 部屋の電話にフロントの案内の番号表示が無く、浴衣はフリーサイズ一種類、Wi-Fiは特殊で不具合で繋がらず。部屋係とフロントの対応は最低でした。人手不足でまるで酷いホテルでした。電話で呼んでも15分ほどかかりやっと部屋に来る始末です。

 これもコロナ禍の影響かもしれません。



 旧竹林院は延暦寺の僧侶の隠居所で里坊(さとぼう)と呼ばれていました。

 1000坪の庭園には2つの茶室と四阿(あずまや)が有ります。



 とても綺麗な建物で、庭が見事です。


 今日も天気が良くて、良い旅行となりました。茶室は渋くて詫びさびの境地です。

 国の重要伝統的建造物で、庭園は国指定名勝庭園になっています。



 隣には日吉神社の総本山「日吉大社」が有ります。この大社も延暦寺の一部なのです。


Nov.24.2021(Wed)10:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

湖東三山紅葉めぐり その2 教林坊

 百済寺から「教林坊」へ行きました。西暦605年に聖徳太子が創建された古いお寺です。太子が林の中で教えを説いたことから教林坊の名前になりました。

 詫びさびの空間説法の境地石の寺だそうです。ご本尊は太子自作の石仏です。

 11月15日から12月5日まで、夜間ライトアップがが行われています。



 薄暮の中に幻想的な風景が広がります。


 秘仏の願掛不動がご開帳されていました。


 江戸時代初期のヨシ葺き書院は古様式で、この書院に面する庭園は枯れ滝、鶴、亀など巨石を用いています。

 床の間を作らず、付け書院から見える庭園は「掛軸庭園」と呼ばれています。



 夕食は「納屋孫」という伝統のあるお店の会席料理でした。フナ寿司、鮎料理、鯉の刺身などでしたが、ちょっと苦手で・・・


Nov.23.2021(Tue)18:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

湖東三山紅葉めぐり その1 百済寺

 湖東三山は琵琶湖の東に位置し、南から「百済寺(ひゃくさいじ)」、「金剛輪寺」、「西明寺(さいみょうじ)」です。

 東京からのツアーなので、名古屋駅から友人に合流し、米原駅からバスで一番南の百済寺に到着です。

 百済寺は仏教が百済(くだら)国から伝わったことから百済寺となったそうです。西暦606年に聖徳太子が建立したとされています。

 信長の焼き討ちで壊滅的打撃を受けましたが、1650年に再建されました。

 池泉回遊の庭です。「天下遠望の名庭」です。



 裏庭の高台から琵琶湖の湖面と比叡山などが見えます。比叡山の右の方に安土城氏址がありました。


 庭はとても広くて、紅葉真っ盛りでした。


 見事な紅葉で曇りがちでしたが、青空とマッチしています。


 池泉回遊の庭飲の向かい側から。


Nov.23.2021(Tue)14:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

阿南町陶芸体験館 その2

 阿南町陶芸体験館の中は広々として、真空土練機まである立派な施設でした。電動轆轤も5~6台ほどありました。


 



 



 長く轆轤から離れているのと、土の加減が解らないので苦労しました。インストラクターの方が先生を呼びに行って、なんとか形になりました。


 温泉横の食堂で十割蕎麦を食べました。腰のあるしっかりした蕎麦でした。


 帰りは迂回路を慎重にというか、突き当たりまで行くと、しっかりした迂回路が示してありました。売木村(うりきむら)へ迂回するだけでした。

 それにしても国道路を11月から3月まで閉鎖とは、ちょっと驚きです。冬になると道路が凍結し地元の人以外はあまり通らなくなるのでしょう。

 山道が多く、紅葉の時期の日曜日のため車も多く、知らない道で随分疲れました。



 帰りは三遠南信道路を南下し、浜松いなさJCを通り過ぎて、三ヶ日JCから東名に入りました。

 昼食が蕎麦だけだったので、三ヶ日ICで降りて以前から行ってみたかった有名鰻店「うなぎ加茂」に寄りました。
 
 



Nov.16.2021(Tue)00:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

阿南町陶芸体験館

 昨日は先日行った「天竜温泉おきよめの湯」から更に北の「かじかの湯」に向かいました。

 浜松いなさJCTから三遠南信道路の鳳来峡で降りて、国道151号線を北に向かいました。所が東栄町を過ぎた辺りで工事中で迂回することになりました。慌てて曲がり茶臼山越えとなってしまい、随分遠回りとなりました。

 かじかの湯は長野県下伊那郡阿南町に有ります。左上の赤い橋が国道151号線で、橋を渡って左折すると「かじかの湯」です。



 面白い門が有りました。この辺りは紅葉が綺麗でした。


 川の河岸段丘に作られた温泉施設、お土産物売り場、食堂、陶芸体験館が有ります。

 立派な建物ばかりで驚きました。



 温泉はとても混雑していて、茶臼山越えをしたので随分疲れ、帰り道が遠く眠くなりそうで今回はパスしました。


 陶芸体験館も大きな建物でした。きょうはお客さんも殆どいなくて陶芸体験をすることにしました。


Nov.15.2021(Mon)14:29 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

晩秋の海

 黄昏時の晩秋の海。風が強くすっかり冬の気配です。

 それでも釣り人が何人か頑張っていました。「ついさっき太刀魚をゲットしそうになるも取り逃がして!」と元気なおじさんが言っていました。


 西の空は少し夕焼けですが、晩秋の海は静かでうら悲しく、波の音だけです。



 東の空は暗く建物や街灯に灯がともり、淋しげな港の風景。

 お腹も空いたので、夕食に行こうと!

 温かい物が良いな~~



Nov.8.2021(Mon)20:46 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その7

 至る所に八咫烏(やたがらす)が出てくるので、お土産に那智黒の烏を買いました。足は3本です。

 



 昼食は新宮市にあるフランス料理店「Ile de France イル・ド・フランス」でした。直訳はフランスの島ですが、パリ中心部を指すようです。

 



 ソースが良い味でなかなか良い料理でした。


 早く食べ終わりタバコでもと外に出ると、裏山に立派な石垣が見えました。お城の跡のようでお店の人に伺うと、ここの息子さんでした。

 店主でコックの父上はこの新宮城の復元を願っていて、城研究家だそうです。話が盛り上がりパンフレットも頂きました。

 城の復元には設計図が必要ですが、部分的な記載や簡単なスケッチはある物の、設計図名無くて懸賞金を掛けて探しているそうです。

 



 車の中に作ったジオラマをわざわざ持ってきてくれました。

 多くの情報からほぼこの形であったことは間違いないそうです。

 今回神社ばっかりでしたが、旅の終わりに城跡を見れて自分なりの発見をした感じになりました。



Oct.30.2021(Sat)12:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その6

 御縣彦社(みあがたひこしゃ)で「八咫烏(やたがらす)」を祭っています。

 八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話に登場するカラス(烏)であり導きの神。神武東征の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされています。一般的に三本足の姿で知られ、古くよりその姿絵が伝わっています。

 かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表すともいわれています。あるいは天地人を表すとも言われているそうです。

 日本サッカー協会のシンボルマークおよび日本代表のエンブレムの意匠として用いられています。



 中の神殿は直接は見えませんが、横の柵から越しに写真は撮れます。とても立派で那智の滝も祭っているので一つ多めになっています。


 隣に「青岸渡寺(せいがんとじ)」があり、中世から近世にかけて隣接する熊野那智大社と一体化し、那智山熊野権現や那智権現と呼ばれ、全体で7寺36坊もの坊舎を有する神仏習合の修験道場でした。

 明治になり神仏習合が廃されると、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されましたが、熊野那智大社では如意輪堂は有名な西国三十三所の第一番札所であったため、破却はされませんでした。



 那智の滝が奥に観られ素晴らしい景色です。


 那智と言えば碁石の黒石の原料です。門前には那智黒を扱うお土産屋さんが並びます。


Oct.30.2021(Sat)11:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その5

 昨日は「熊野本宮大社」から熊野古道中辺路であったコースで、田辺方面に向かい記念館に寄り白浜の「浜千鳥の湯 海舟」に宿泊しました。

 ホテルからの白浜の海はとても綺麗でした。ホテルの庭の一番下に海を見渡せる大浴場があります。階段を沢山降りる必要があり、階段は疲れ切っているので今回はパスしました。



 



 白浜から熊野古道大辺路であった海沿いの道を走り那智へ向かいました。

 串本町の道の駅「橋杭岩」で休憩。まるで橋の杭のような奇岩が並びます。



 那智大社に到着。ここから473段の石段を登り社殿に向かいます。

 



 この鳥居を過ぎると間もなく那智大社です。


 今日は土曜日とあって、賑わっていました。


Oct.30.2021(Sat)10:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その4

 熊野川に向かい「瀞峡(どろきょう)めぐりの里」で昼食。

 船に乗りたかったのですが、今回は古道歩きです。

 ここから川を上ると、日本一大きな村「十津川村」があります。「谷瀬の吊り橋」、「果無(はてなし)集落
」、「人力ロープウェイ」など見所が多くあります。

 



 昼食後中辺路ハイキングになりました。「三軒茶屋跡」から「熊野本宮大社」までの道ですが、古代の道そのものでとても疲れました。


 やっと熊野本宮大社に到着です。古風な作りです。沢山歩いた後なので、御利益が沢山あるような気になりました。


 現在でも古道を全て徒歩で訪問する人は大変な御利益を感じられることでしょう。


 熊野本宮大社は元々は川の中州にあり水害で損壊し、現在の場所に移設されました。

 元の場所には大鳥居が作られています。

 今日の宿は白浜温泉の「海舟」です。沢山歩いたので疲れを癒やさなければ。



Oct.29.2021(Fri)14:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その3

 熊野市の「熊野クラブ」を出発し、熊野三山の一つである「熊野速玉大社」に向かいました。ここは平地で門前までバスで到達出来ます。

 鳥居に屋根があり、足下にそれぞれ2本の柱がある珍しい鳥居で安芸の宮島の鳥居と同じ作りだそうです。



 とても立派な神社です。空の青さが引き立てます。


 朝早いので参拝人はまばらです。


「熊野速玉大社」から那智に向かい中辺路の一部である「大門坂」から熊野古道の雰囲気を感じる20分ほど歩きました。

 高貴な方が宿泊した宿の跡を通りました。ここには「南方熊楠」が3年間滞在したそうです。南方熊楠については書き切れないので何時の日か・・・

 



 比較的歩きやすい古道ですが、木々が鬱蒼と茂り古代からある古道の雰囲気が感じられます。


Oct.29.2021(Fri)10:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その2

 神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られたとの説明の案内板がありました。

 案内板も古めかしい!



 建物は何も無くて大きな崖の岩だけです。素朴な古代信仰を感じさせます。


 宿泊は熊野市の「熊野倶楽部でした。

 別棟の食堂は綺麗に飾られて眺望籾毎でした。



 食事もとても良くて満足しました。


 部屋は2部屋ずつの戸建てで、確執に露天風呂も付いていて豪華でした。

 移動は施設内のマイクロバスです。



Oct.28.2021(Thu)19:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

熊野古道と熊野三山 その1

 名古屋駅からバスで熊野に向かいました。松坂ですき焼きの昼食。

 肉はそれほど得意では無いけれど、これは美味しくいただけました。

 



 熊野古道は1本の道ではなく、東西南北から熊野エリアをつなぐ5本の道(伊勢路、紀伊路、中辺路、大辺路、小辺路)があります。

 熊野古道の歴史は平安時代まで遡るほど古く、時の実力者だった後白河法皇や百人一首の撰者を務めた藤原定家も通った道。

 熊野三山と呼ばれる「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」、「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」、「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」と「那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)」の三社一寺をつないでいます。

 今回三重県側の伊勢路から入りました。



 伊勢路沿いの熊野市の七里御浜を望む「花の窟(はなのいわや)神社」を訪問。日本最古の神社です。

 神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。

 花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれて



 建物は無くて大きな崖の岩が御神体になっています。


 伊勢路沿いの熊野市の七里御浜

 天気が良くて風も無く、静かな海でした。



Oct.28.2021(Thu)14:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

おきよめの湯

 またまたサイトが繋がらなくて、お休みでした。やっと再開したので、遡ってアップロードします。

 9月27日月曜日、新東名浜松引佐ICからE69三遠南信道路を北に向かい、国道151号線を更に北へ向かいました。

 道の駅 信州新野千石平に到着です。

 この地図のようにこの辺りは温泉が沢山あります。

 5番のかぐらの湯は現在ポンプが故障して、ごく普通の銭湯になっています。



 随分立派な道の駅で、建物の大きさにびっくりしました。売っている物は山の中なので、東海道沿線とは大分違います。

 お団子を食べました。



 道の駅から国道418号線へ右折して、少し走ると「おきよめの湯」に到着。

 最近リニューアルしたばかりでとても綺麗で気に入りました。

 湯上がりに食堂へ行ったら、名物は「馬刺し」

 あんまり得意でないので、普通の蕎麦を食べました。

 



 帰り道東栄町のガソリンスタンド野浦にとても古い廃墟家を見つけました。

 散歩の方に尋ねたらやはり古い病院の跡だそうです。

 診療科目は昔のことなので、何でも診てくれたそうです。

 夕方の光の中に古い町並みに佇む旧病院。
 哀愁に満ちて良い感じでした。



Sep.27.2021(Mon)16:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

桜が池

 昨日蓮華寺池公園だったので、池つながりで、

 先週9月11日、日帰り温泉の帰りに行った御前崎の「桜が池」

 土曜日でしたが人気は少なくてヒッソリしていました。



 とても立派な神社です。

 ここの神主さんとは知り合いです。とても立派な方です。



 毎年秋の彼岸の中日に「あひつ納め」の奇祭が行われます。

 普通の池では無くて神聖な池とされています。



 池には大きな鯉が一杯居て、餌を求めて集まってきます。


 遠州七不思議の一つである奇祭「おひつ納め」の説明です。

 



Sep.21.2021(Tue)21:39 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

蓮華寺池公園

 近くを通ったので「蓮華寺池公園」に寄りました。祭日のため沢山の人出でした。

 お店が出ていて、楽しい感じになりました。

 天気が良くて空は真っ青!
 



 皆が散歩しているので、池を一周することにしました。


 彼岸花を見かけました。


 貸しボートも大繁盛でした。


 夕方なのに暑くて、かき氷を食べて、涼しくなって一路帰路につきました。

 家族連れが多い中、一人っきりで散歩して、氷を食べて帰宅、ちょっと味気ない感じとなりました。



Sep.20.2021(Mon)20:31 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

三国町

 三国町(みくにちょう)は、かつて福井県坂井郡にあった町です。現在は坂井市の一部となっています。えちぜん鉄道三国芦原線の終着駅が「三国港駅」となっています。

 今夜宿泊する芦原温泉も「あわら湯の町駅」にあります。並行して走る北陸本線の「芦原温泉駅」は東にあります。この辺りも新幹線が出来るとあって皆期待していました。

 九頭竜川の河口周辺に位置していて。かつては北前船の拠点であり、現代では越前がにやアマエビなどの水揚げや、名勝東尋坊で有名な港町でした。港付近の狭い路地には昔ながらの町並みが残っています。

 福井藩三国湊で材木商を営んだ、新保屋岸名惣助が代々住んでいた町家を見学しました。



 旧岸名家がある下新町は、かつては廻船問屋が軒を並べ、隣接する元新町とともに三国湊の商業の中心だった場所です。現存する建物は、北前船で賑わった文政6年(1823年)築のものです。


 次は銀行です。

 1894年(明治27年)に、北前船の廻船業者であった森田家当主の森田三郎右衛門によって、個人経営の形で森田銀行が設立されました。

 1903年(明治36年)に株式会社組織に改組。 順調に業績を拡大させ、福井県内において福井銀行、同じ廻船業者設立の大和田銀行に次ぐ有力銀行の地位を占める様になりました。

 その後森田銀行は1930年(昭和5年)に福井銀行に合併されました。

 とても豪華な作りで驚きました。



 外はレンガ作りで堂々とした作りです。左に見えるのはお祭りの山車の倉庫です。


 運転手さんお勧めのそば屋さんで昼食です。「生そば 盛安」は有名な店だそうです。

 おろし蕎麦が名物です、わさびでなく絡みのある大根おろしの汁で食べます。独特の辛さでした。江戸時代は江戸の町でも辛みは大根おろしで取っていました。

 古い町並みが良く保存され、蕎麦店の近くには色町もあったようです。

 芦原温泉は「まつや 千千(ちち)」と言うホテルでした。

 今回はお天気には恵まれませんでしたが、食事も良くて満足しました。

 帰りは北陸本線で米原駅まで行きました。個人的な興味ですが、敦賀を出て「鳩原ループ線」を楽しめました。



Aug.24.2021(Tue)13:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

龍谷寺

 次に福井県坂井市の「龍谷寺」に案内されました。真言宗智山派の寺で、 北陸三十三ヵ所観音霊場 第11番で北陸白寿観音霊場 第6番となっています。

 平安時代後期の金銅宝相華文磬が国宝となっています。

 

 



 1377年(永和3年)睿憲が崎浦に建てた庵に始まり、1381年(永徳2年)今の場所に移ったとても歴史のある寺です。


 沢山の重要文化財があり、この鐘撞き堂が上にある山門も重要文化財だそうです。

 我々以外に参拝客がいなくて、深淵名気持ちになりました。



Aug.24.2021(Tue)11:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

東尋坊

 東尋坊に着きました。以前来たことがあるのですが、友人は初めてで、TVのサスペンスを見るとこのような景色が出てくるので、是非行きたいとの希望でした。

 人出はまあまあでしたが、それほどでは無くてすぐに遊覧船に乗れました。



 少し雨が降りましたが、やはり絶景です。友人はもう少し高さがあるかと思っていたけれど、TVで見た高さは無い感じだといっていました。

 



 風は無く綺麗な景色を満喫しました。


Aug.24.2021(Tue)11:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin


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