Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



気紛れ写真
==Explain==
気に入ると、適当に写真を撮ります。

一支国(いきこく)博物館

 壱岐最後の訪問地「一支国博物館」です。眼下に一望する昨日訪問した「原の辻遺跡」を最も大きな展示物としています。

 原の辻遺跡訪問直後に来られたら良かったのですが、昨日は休館日だったため今日の訪問となりました。

 この建物は建築家「黒川紀章」最後の建物です。中銀カプセルタワービル、下田プリンスホテル、青山ベルコモンズ、六本木プリンスホテル、豊田スタジアム、ソニータワーなど、もう無くなってしまった建物もありますが、最も好きな建築家です。個人的には天才だったと思っています。

 

 



 正面の階段を上がると、そこはビューシアターです。上映が終わるとスクリーンが上がり、大きな窓になり原の辻遺跡が見えます。鮮やかな演出です。


 以前NHKで見たことはあるのですが、「オープン収蔵庫」です。

 県内の遺跡から出土した遺物を収蔵するガラス張りの巨大収蔵庫と、それらを活用して長崎県埋蔵文化センターが開催する「オープン収蔵展示」となっています。



 原の辻遺跡と「深江田原(ふかえたばる)」平野が一望できる芝生の屋上と、海を越えた福岡県や佐賀県まで眺望できる展望台です。


 



 原の辻遺跡が俯瞰できます。更に「物見櫓」から東側の「内海湾(うちめわん)」に通じる幡鉾川(はたほこがわ)河口方面を見張っていた地形が理解できました。

 素晴らしい建築物でした。



Jun.7.2022(Tue)10:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

岳の辻(たけのつじ)展望台

 壱岐は平らな地形で高い山がありません。岳の辻は標高212.8mで壱岐島で一番高い山です。

 

 



 663年倭国と百済の連合軍は「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗しました。朝廷は664年に防人(さきもり)と烽火台を壱岐、対馬、筑紫に置き防備させました。

 676年に新羅が朝鮮を統一したことから、国防が更に高まりました。古代から岳の辻にあった通信施設である烽火台が復元されています。

 スマホの通信塔も同じように建てられていて、高い山の無い壱岐の特徴が現れています。昔から通信には高い所が大事です。



 眼下に郷ノ浦の町並みが見られます。


 北西を見ると島崎半島から対馬海峡が見えます。


 更に北東は島全体が見え、対馬海峡から玄界灘が見えました。

 梅雨が近いのに好天に恵まれ、素晴らしい展望でした。



Jun.7.2022(Tue)09:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

住吉神社

辰ノ島遊覧を終え、今日最後の訪問地は島の中央にある「住吉神社」です。御祭神は住吉三神(日本書紀と古事記では少し異なる)です。

 神功皇后が三韓出兵を成し遂げその帰途壱岐に上陸して三神を祀ったとされています。

三韓征伐に由来する住吉神社は、三大大社の住吉神社(福岡市博多区)・ 住吉神社(山口県下関市)・ 住吉大社(大阪市住吉区)など沢山ありますが、壱岐市のこの住吉神社が日本最古です。

 三韓征伐(さんかんせいばつ)は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である神功皇后が、仲哀天皇の没後新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本における伝承です。

 はっきりしているのは白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)以後です。白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の体制の建設をもたらしたと考えられています。
 
 境内は鬱蒼と木々が繁り、厳かな雰囲気です。



 それ程広い舞台ではありません。客席にはお米のお土産が置かれていました。

 700年も続く神職のみで継承されてきたとても神聖視された神楽(かぐら)で、12月20日には「壱岐大大神楽がこの住吉神社で奉納され6~7時間に及ぶそうです。



 舞台の裏の本殿は綺麗に整備されているようでした。発見された大陸系の神鏡、平安から室町時代の貴重な文化財も所蔵しているそうです。

 



 総勢5人の神職のの方々が笛、太鼓で演奏し順に神楽(かぐら)を奉奏されました。


 熊野三山で目にした、神武天皇の道案内をした「八咫烏(やたがらす)」の面を付けての神楽は親しみを感じました。


 ありがたい神楽ですが、踊りが長く見ている方も疲れて来ました。眠りそうになる友人に笑えないのを良いことに、ヒソヒソ話をしていました。

 そのうち話がメチャクチャになり、「かけ声」を掛けろと言うと、屋号を知らないと。じゃあ「待ってました!」で良いのではとか、

 二人で踊り出したので、「待ってましたご両人!」と声を掛けろとか引き抜きの早変わりは無いのかとか、お面の早変わりはどうかなとか

「パ・ド・ドゥ(Pas de deux)だ~~」と言ったら、男女2人の踊り手で踊るのがPas de deuxで同性の二人で踊るのはduoだとか、馬鹿な話をしていました。

 更に話はエスカレートして、おひねりを投げろとか、千円札で作ったレーを首に掛けに行けとか、不謹慎な冗談を言っていました。

 友人は「なんだか熱っぽい」と、落語「寝床」の義太夫による「義太熱」でなく「神楽熱」のようだと言い出しました。


 
 やっと舞が終わり、
「如何でしたか?」と問われて、
「お能の様な振りが少ない物を想像していましたが、」と答えたら
「今日は特別激しい振りの有る演目を選びました。」と答えられました。


 個人的には振りは多いのですが、やや繰り返しが多いので退屈になるのではと思いました。元々神事なので娯楽性は少なく長い鑑賞は大変です。巫女の舞もあれば雰囲気が変わるかもしれません。

 12月20日には「壱岐大大神楽がこの住吉神社で奉納され6~7時間に及ぶそうです。

 もし観劇すれば、不謹慎な二人は途中で「神楽熱」で倒れるかもしれません。

 



Jun.6.2022(Mon)16:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

辰ノ島遊覧

 壱岐島の北の端西側には名鳥と辰ノ島があります。小さな4つの島をあわせて名島と言われ人が住んでいます。辰ノ島は無人島ですが、海水浴場があります。

 
 玄界灘の宝石と称される辰ノ島の遊覧です。壱岐では屈指の観光地です。

 天気も良くなり絶好の遊覧です。

 それ程大きな船でなく知床の船に似た大きさでした。
 乗り込むとき「これが沈んだら大ニュースになる」と言ったら、皆が「ギャ~~!」とか「縁起でも無い!」とか・・・



 漁港でもある勝本浦を出発です。海は綺麗で波もありません。


 辰ノ島は逆Uの字形で凹んだ真ん中に砂浜があり、辰ノ島ビーチで海水浴場になっています。写真の白く見えるところが砂浜です。

 海の色が青から緑色に変わっています。



 東側の「海の宮殿」と言われる切り立った岸壁です。アブラメ瀬戸と呼ばれ潮流が速く地元の潜り(海士)もここでは漁が出来ないそうです。

 海底まで透けて見える緑色の海は、まさに宝石のようです。岩が突き出ているところを巧みに避けて船が近づき、ちょっと怖い感じもしました。

 



 今日は外洋の波が荒く、東側だけの予定でした。

 船長は「今日は波が荒いが短時間ならなんとか行ける!」とちょっと不安な言葉を発しながら西に回りました。 

 島の西側は外洋で対馬海峡です。急に波が荒くなり海の色も青くなりました。西の端の高さ50mの切り立った断崖の割れ目「蛇ヶ谷(じゃがたに)」です。

 荒い波の中を手前にある海に突き出た岩を避けて、岸壁に近づきます。誰も声を発せられない程の緊張感でした。

 通り過ぎてから船長に「危ないですね~~」と声を掛けたら
「いや~毎日やってるからね~、慣れだよ慣れ」と事もなげに言いました。

 緊張感もありましたが、最高の遊覧となりました。



Jun.6.2022(Mon)15:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

黒崎砲台跡・猿岩

 壱岐には多くの砲台跡があります。壱岐要塞(いきようさい)は、対馬要塞と共に対馬海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞です。

 対馬海峡、壱岐海峡の防備のため1924年10月から工事が開始され、1938年12月までに全ての砲台が竣工しました。

 1922年ワシントン軍縮会議で当時建造中の「戦艦土佐」が廃艦となりましたが、その主砲がこの黒崎に設置されました。

 かなり深くて大きな物です。



 黒崎砲台跡の直ぐ近くに、猿の顔にそっくりの岩があります。

 高さ45mの玄武岩の断崖に孤立して立っています。

 各地に沢山の名前が付いた岩がありますが、言われてみればという物もありますが、この猿岩はかなり猿です。

 右側の湯の本湾に面して「湯ノ本温泉」があり、湾内には小さな手長島があります。

 少し北に進むと蒙古襲来上陸地があり、文永の役の「新城(しんじょう)神社」は島の中央の新城古戦場にあります。弘安の役の「壱岐神社」は島の南芦辺フェリー港にあります。

 700年以上前の元寇がこの島ではそのまま受け継がれていることに驚き、戦争の悲惨さが身に染みました。
 



Jun.6.2022(Mon)13:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

郷ノ浦の街

 昼食は宮の通りの「三益寿司」でした。「少し贅沢に玄界灘の恵みをお届けします。」とあるようにやや甘めですがなかなか美味しい店でした。
 
 もちろん醤油は持参しています。



 天気も回復し食後街を散歩しました。コーヒーショップを探したのですがシャッター通りとなっていたり、夜の店ばかりでした。

 橋の欄干に「壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)」が有りました。

 家内の安全、無病息災の魔除けとなる壱岐島伝統の民芸品です。長崎県指定の伝統的工芸品。

 玄関、床の間など室内の装飾として。壱岐には初節句やお祝いの際に鬼凧を贈る風習があります。



 メイン通りは入り江になっていて美しい街ですが、人っ子一人歩いていません。

 まだまだ観光客が戻っていないようです。



 土産屋も開いているところが少なく、「長田(おさだ)商店」で買い物となりました。ウニなどの海産物が専門の店です。


 大きな「壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)」が沢山ありましたが、とても小さい壱州鬼凧を買いました。


Jun.6.2022(Mon)12:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

小島神社・はらほげ地蔵・塞(さい)神社

 古代日本の原風景を色濃く残す壱岐の島は至る所に神社を作っています。

 添乗員さんが神社の名前を覚えるだけでも大変で、祭ってある神々の名前はややこしくて覚えられないと嘆いていました。もっとも聞く方も間違いを言っても解らないので大丈夫だと。


 壱岐の小島に浮かぶ「小島神社」は潮の満ち引きで参道が現れるモンサンミッシェルのような神社です。

 今回それ程潮が引いていませんでしたが、微かに参道が現れ始めていました。



 海に面した六地蔵ですが、掲示板にあるようにお腹に穴が空いていて、お備えをすると満潮時には胸まで浸かりお供えが海に運ばれる地蔵です。


 訪問したときはまだ足下に潮が満ちていました。

 何時何のために作ったかは定かでないようです。



 昼食のため郷ノ浦に戻りました。

 食べ物屋が多い「ふれ愛通り」と「宮の通り」の真ん中の辻にある「塞(さい)神社」は天岩戸の神話で天照大神(アマテラスオオミカミ)を大胆な舞で誘い出した女神・天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、のちに男神・猿田彦命(サルタヒコノミコト)と結ばれて、一体神になった猿女命(サルメノミコト)が祀られています。

 拝殿脇にある巨大な男性シンボルと石像の御神体が目を引きます。



 社殿にも男女の営みに関するものがたくさん奉納されています。

 良縁、安産、夫婦和合、性の病、子どもの守護の祈願がされます。

 



Jun.6.2022(Mon)11:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

原の辻(はるのつじ)遺跡

 一夜明け曇りがちながら、一部に青空も見えるまあまあの天気です。

 ホテルから見た港も賑わいが感じられます。鉄道が無い島々ではフェリーの港がちょうど鉄道の駅前の雰囲気です。



 ホテルの左側に大浴場から少し見える塔が建っていました。

 ホテルのフロントの方と話していて聞いたのですが、宿泊した「ビューホテル壱岐」の裏に「春一番の塔」がありました。春一番は春先に吹く南風といい春が来たノン降りした気分の気象用語になっていますが、実はこの言葉の発祥の地は壱岐だそうです。

 1859年この地で春一番を受け、50余名の漁師の方々が亡くなり、1987年郷ノ浦港入り口の元居公園に春一番の塔が建てられました。



 今日の一番目の訪問地は「原の辻(はるのつじ)遺跡」です。壱岐一番の史跡で、静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と同じく国特別史跡に指定されています。

 邪馬台国で論議を呼んでいる「魏志倭人伝」に記載されている国の中で、唯一国と王都が「一支国(いきこく)」と特定されています。

 まだ発掘調査は2割程度ですが、沢山の土器などが発見されています。

 沢山の住居が復元されています。この家は「王の館」で最大規模の竪穴住居です。



 建物が似ていて区別が難しい感じですが、これは高床式で「食材の倉」です。

 儀式に使う特別な米、海産物、木の芽、果実酒などが入れられていたと考えられています。



 「物見櫓(ものみやぐら)」は高くて一番目立ちます。

 「内海湾(うちめわん)」に通じる幡鉾川(はたほこがわ)河口方面を見張っていたようです。

 原の辻(はるのつじ)遺跡は丘陵の周囲を環濠(かんごう)で囲まれている環濠集落です。

 



Jun.6.2022(Mon)09:48 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

博多湾からジェットフォイルで壱岐へ

 羽田から福岡空港に到着。空港からはタクシーで博多湾に向かいました。運転手さんから「博多どんたく」の話などを聞きました。

 心配していた雨が降っていましたが、博多港はなかなか綺麗な感じでした。

 



 小さなコーヒーショップでコーヒーを飲んで乗船です。


 ジェットフォイルはその名の通り超高速艇で時速40ノット(約70km/h)で走ります。

 博多港から郷ノ浦港まで70分で到着できます。船内ではシートベルトが必要で、甲板にも出られません。やや味気ないけれど2時間以上掛かるフェリーよりはるかに便利です。

 雨の中を猛然と走ります。



 「ビューホテル壱岐」は郷ノ浦港の前です。雨に霞む港が綺麗です。

 食事は壱岐産養殖フグを使った「フグ懐石」の部屋食でした。とても美味しく頂けました。もちろん今回も醤油が甘いので普通の醤油を持参しました。



 ジェットフォイル以外にも大型のフェリーが発着しています。

 近くに漁港もあり雨の夜景も綺麗でした。

 明日の天気が心配です。



Jun.5.2022(Sun)20:35 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

ならここの湯

 良い天気だったので「ならここの湯」に行きました。

 帰りに通り道の「しばちゃん牛乳」のカフェに寄りました。風呂上がりなのでアイスコーヒーで水分補給。

 レシートがちょっと可愛い!



 テラスは風が通り、風呂上がりには心地よい温度


 川岸は緑が鮮やかで、小鳥の鳴き声が聞こえます。


 駐車する場所の横に、子馬がのんびりと草を食べていました。

 静かな初夏の午後でした。



Jun.3.2022(Fri)19:36 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

那覇空港

 沖永良部島から沖縄の那覇空港でトランジット。那覇から羽田に向かいます。

 首里城再建の垂れ幕が目に付きました。



 友人のすすめで初めて沖縄そばを食べました。

 メニューに札幌ラーメンがあったのには笑わせられました。



 奄美の黒ウサギ。定番のお土産ですが、小さくて気に入りました。


 フーチャで拾ったサンゴ礁のかけら。

 空こし漂白すると更に綺麗になるそうです。

 



May.22.2022(Sun)14:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 7

 沖永良部島の最後の、そしてこの旅行の最後の訪問地「フーチャ」(潮吹き洞窟)です。

 島の最北東部に位置し、直ぐ近くに「えらぶゆりの島空港」が有ります。サンゴ礁の絶壁で浸食された潮吹き洞穴は季節風や台風時には20m~70mもの潮を噴き上げるそうです。



 潮吹きの洞穴ですが、周りに柵も無く地盤はもろいサンゴ礁なので近づくと危険な感じでしたが、恐る恐る覗きました。



 実は昔は潮吹き洞穴はもっと沢山有りました。60mも海水を吹き上げるので、塩害がものすごく2個ほど残して壊されました。

 観光客にとっては素晴らしい風景も、住人にとっては迷惑な存在だったようです。



 東シナ海側


 太平洋側、手前に見える浜にある珊瑚のかけらが綺麗なので、一個拾ってきました。


 天気に恵まれ海も凪いで素晴らしい色。

 長い旅の最後を飾るにふさわしい光景でした!

 



 沖永良部からは奄美大島ではなくて、沖縄の那覇空港に向かいます。

 与論島を越せば直ぐ沖縄です。



May.22.2022(Sun)12:15 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 6

 島の東側太平洋に面した和泊の「西郷南州記念館」です。

 西郷南州(西郷隆盛)は文久2年(1862年)島津久光の怒りに触れ沖永良部へ流罪となりました。その後の活躍と、西南の役、その後の再評価を経て、明治34年年謫居(たっきょ)記念碑、明治35年南州神社を建立されました。
 



 4畳半の狭い牢屋に1年間閉じ込められました。

 中に入って座禅を組んだ西郷隆盛の像と並んで写真を撮ってくれました。

 すぐ前に記念館があります。係の方の熱の入った説明が長々と続き、ガイドさんが止めに入りました。

 歴史的な評価と小説ドラマなどの評価はかなり違いますが、鹿児島県では西郷隆盛の人気は絶対です。高知県の坂本龍馬と同じです。



 南州神社です。


 上野の銅像と同じ立派な銅像が建っていました。


May.22.2022(Sun)11:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 5

 昇竜洞から「田皆(たみな)岬」です。島の北西の端に位置し東シナ海に面しています。

 今日も絶好の天気で海も空の真っ青です。



 平地に建ってイルカのような灯台ですが、その咲きは高さ51mの断崖絶壁です。


 横から見るとその高さが解ります。柵もないので断崖から覗くのは危険な気がします。


 断崖の上からの景色です。空と海の青さが目にしみるようです。

 島内屈指の景勝地とされています。



May.22.2022(Sun)10:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 5

 今回の旅行最終日です。

 初めは「昇竜洞」です。島の南西部高台にある鍾乳洞で、鹿児島県天然記念物に指定されていで、全長2700mのうち600mが一般に公開されています、



 様々な鍾乳石で多彩な景色となっています。先日の雨で水量が多く歩くのが大変でした。


 壁が見事な鍾乳石で覆われています。


 このようなのをフローストーン(鍾乳洞の壁や床面を覆うシート状の石)と呼ぶのでしょうか?

 フローストーンでは全国最大級だそうです。



 普段は乾いていてキラキラ光る成分も綺麗なのだそうですが、今日は水量が多く水分で濡れていました。

 見学道は非常に狭いところもあり、かがんで歩くような所もありました。高台、海岸の風景が多かったのでちょっと新鮮。



May.22.2022(Sun)09:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 4

 世之主の墓から少し登ると和泊(わどまり)町内で最も高い「越山(こしやま)公園」です。

 和泊町ゆりふるさと基金で作られた島があります。案内板には緋寒桜の紹介もあります。

 



 展望台に蝉の幼虫が付いた大きな巻貝の下に、子供達やヤギが遊んでいるデザインのモニュメントがありました。


 東西に長い島の真ん中にあり、海が近いので島の形がよく解ります。

 標高は180mですが周りに何も無いので街が一望できます。北を向くと右に太平洋、左に東シナ海が見える絶景です。

 地球が丸いのが解ります。



 今日は徳之島で「ムシロ瀬」、「金見集落とソテツトンネル」を見てから、飛行機で沖永良部島。

 国頭小学校の「日本一のガジュマル」、「ウシジ浜公園」、「沖永良部酒造」、「世之主の墓」、「越山公園」と沢山回りすぎて疲れました。

 飛行機も飛んでいる時間が20分程、バスのガイドさんは目一杯案内します。島が広くないので、直ぐに次の訪問地に着きます。バスの中で仮眠も一切無しですが一瞬気を失うように眠ることがありました。

 てっきり日にちが変わり、今日は日曜日と思っていましたがまだ土曜日でした。

 「越山公園」で長い長い一日が終わりました。



May.21.2022(Sat)15:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 3

 沖永良部酒造から少し山に入ると、「世之主(よのぬし)の墓」です。

 15世紀の島主「世之主加那志(よのぬしかなし)」の琉球式墓(りゅうきゅうしきぼ)です。



 石垣の塀に囲まれ正面の入り口は狭く、低く作られています。


 中庭が広く儀式などが行われたようです。正面の岸壁を彫り込んだ「トゥール墓」です。一部が崩れ修復中でした。


 広い中庭の次に、小さな庭があります。その奥が岸壁を彫り込んだ墓の部屋になっています。

 この辺りの一般の人たちの最近の墓は日本風ですが、墓の中は空っぽで直ぐ後ろに大きな亀があり、その中に遺骨を入れています。



May.21.2022(Sat)15:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 2

 昼食を終えて島の太平洋側の「ウシジ浜公園」です。

 案内板は色褪せていて場末の感じです。



 波に浸食されたキノコ型の特徴有る岩が沢山見られ独特な景色を作っています。

 東向きなので朝日が綺麗だそうです。



 1890年この浜でカナダ商船「トゥーループ号」が座礁し、島民が乗組員を救助したモニュメントがあります。

 この船は普通の漁船に色を塗っただけの物で、実際の船はこの船の何倍もある帆船でした。

 せっかくの景色だから、案内板と、船はどうにかして欲しいと思いました。けれど潮風が酷く金物は直ぐに錆びてしまうそうです。案内板なども鉄でもアルミまでも傷みが早いそうです。


 そういえば奄美諸島では新車を買っても直ぐ錆びてしまい、新車らしく見える時間が短く、新車はさほど売れないそうです。

 



 次は「沖永良部酒造」です。ここは島内4蔵元で構成される酒類共同瓶詰販売会社です。奄美黒糖焼酎の特徴を活かし、島内4蔵元が生み出す原酒から試行錯誤を重ね、多種多様にブレンドした奄美黒糖焼酎を製造しています。
 
 社長から、黒糖から作るとリキュールになってしまい酒税が高くなるので、米焼酎、いも焼酎と同じように焼酎認定を受けた苦労話を聞きました。



 工場の横に小さな店舗があり、試飲が出来ました。

 飲み助の友人は一生懸命飲んでいました。お金に余裕があるのに酒の値段には異常に厳しく、ホテルの自販機が高いと、わざわざ近くのコンビニまで買いに行く程です。

 彼の一番好きな言葉は「ただ酒」



May.21.2022(Sat)14:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

沖永良部島 1

 「徳之島子宝空港」を飛び立ったと思うと、直ぐに「沖永良部ゆりの島空港」に到着。


 沖永良部島は東西に長く、幅の狭い和泊(わどまり)町と幅が広く島内で一番高い標高240m大山がある知名町の二つの町から成ります。

 沖永良部島は高い山が無いためか喜界島、与論島と同じようにハブはいません。

 どの島も本土の電車の駅のように、港の有るところに街があります。島によっては東シナ海側と太平洋側に港があり、海が荒れたら反対側の港を使う工夫をしています。


 東の端の「沖永良部ゆりの島空港」から近い和泊町の国頭(くにがみ)小学校の「日本一のガジュマル」を訪問しました。 1898年に同校の第一回卒業生たちにより植樹され、樹齢は120年を超えています。

 校庭の中にあり普通に小学生が使っていますが、今日は日曜日なので静かな運動場でした。

 



 普通に木の根元まで入れます。木のためにはどうかと思うのですが、ガジュマルはコンクリートを破壊し、家も壊していくほどの強い木で、今のところ大丈夫のようです。


 同じ校庭内にある、この学校の卒業生名島中冶氏の寄付で作られた「島の幸せ」の像です。 

 嘗てはこの辺りは非常に貧しい地区で、この像のように塩田でなく極普通に海水を汲んで塩を作り生活費を得ていたそうです。

 その後農作物の技術革新など努力が実り、島でも一番の高収入の村になりました。



 今日宿泊する知名町側にある「おきえらぶフローラルホテル」で昼食。

 この島では病院を除き唯一のエレベーターがあるホテルです。天皇陛下もお泊まりに成られたそうです。

 宿泊した部屋はともかく古くて、狭くて建て付けも悪く、個人的には低評価でした。



 昼食ですが名物蕎麦と、何も入っていない塩おにぎりだけ。

 旅行会社の旅行計画も、このホテルもますます低評価です。総勢8人だったツアーの人たちとの会話で、
 「旅行代金の多くが飛行機代に使われている感じ!」とか

 そういえば島の人たちから
 「こんな近距離の島々を飛行機ばっかりとは、なんて贅沢な旅行!」
と言われました。

 今回の旅行はとにかく有名な所は全て行く、移動は殆ど飛行機で時間短縮でした。

 同じような綺麗な浜を見過ぎて、途中から何処がどこだか解らなくなりました。

 ガイドさんも
 「訪問地ではまず案内板の写真を撮るように、そうしないと景色が似ているのでどこだか解らなくなります。」
 と注意がありました。

 Blog書くにも大変です。



May.21.2022(Sat)13:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin

徳之島 5

 最後は島の北東端の「金見集落とソテツトンネル」です。

 ソテツの群生で出来た200mのトンネル状のアーチです。案内板にハブに注意し道の真ん中を歩くようにと、不気味な注意があります。



 少し薄暗いトンネルです。元々は防風林として植樹された物です。


 トンエルを抜けると金見崎展望台です。眼下にはソテツの林が広がります。


 島の北端に当たるので右に太平洋、左に東シナ海が見られます。天気が良いと与論島、請島(うけじま)、加計呂麻島が見えるそうです。


 徳之島子宝空港に戻り、最後の島「沖永良部(おきのえらぶ)島」に向かいます。


May.21.2022(Sat)11:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin


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