Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



江戸時代の時刻

昨日暦の話が出たので、今日は時間のお話。
落語にも「ときそば」などの話があります。

  江戸時代は、日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つにしていたので、夏と冬とでは一刻(いっとき)の長さが随分違いました。夏は昼間が16時間くらいでしたが、冬は昼間が11時間くらいしかありませんでした。それを六等分していたのだから、夏と冬とでは一刻(いっとき)の時間は現代の時間と比べると、夏は1時間が80分で冬は1時間が55分くらいでした。
  なんだか出鱈目のようですが、これはこれで意味があったのです。当時は明かりが無かったので、夜は仕事しませんでした。ですから、お仕事は明け六つから暮れ六つまでと決まっていて、仕事に密着した時刻の表し方でした。
 
  暦も太陰暦でしたが、夜は月明かりに頼っていたため、夜のお出かけには便利でした。十五日は必ず満月でした。
 
  江戸時代の人は、江戸初期からグレゴリオ暦は知ってはいましたが、採用しなかったのです。現代の時計も、もちろん知っていました。
  日本で最古の西洋式の時計は、スペイン国王が慶長17年に徳川家康に送った、マドリッド製の置時計で、静岡県の久能山東照宮博物館にあります。日本平の所からケーブルに乗って行く所です。静岡生まれのよい子の皆さんは、遠足かなんかで行った事あるでしょうね。悪い子は、暴走運転に行っていたでしょう。一寸古ぼけて見えますが、歴史上は大事な物です。当時かなりの数の時計が持ち込まれましたが、そのままでは役に立ちません。だって毎日1時間の長さが変化してくんだから、それに昼と夜とでも1時間の長さが違います。
 
  そこでついに、天秤時計という物が発明されました。季節によって天秤に架ける錘の位置を変えるというものです。でも昼と夜とでは錘の位置を変えなければなりません。そこで更に二丁天秤という究極の時計が発明されました。これは中に昼用の時計と、夜用の時計が二個入っていて、自動に切り替えるようになっていました。もちろん錘は季節によって架け替える必要がありました。素人の手に負えるものではなくて、大名時計と言って、大名が使っていました。時計係が何人も必要でした。



究極の二丁天秤時計
写真提供:セイコー時計資料館



2005年9月14日(水)23:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

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