Cat Schroedinger の 部屋
 
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2005年9月26日を表示

小石原と、小鹿田

  陶芸のお便りを9月7日に掲載しました。その後実際に小石原と、小鹿田に行かれたというお便りをいただきました。行ったこともないのに、勧めたみたいで、恐縮しましたが、やっぱりとても良い所のようです。陶芸を志すものとしては、一度は行って見たいと思っています。カメラを忘れたそうで、文中に出てくる、沢の流れを利用した唐臼の写真を一枚きり頂きました。もう少し沢山写真があると良いのですが、そこは素敵な文章力で想像できそうです。

いきました!
小石原と、小鹿田。
よかったですよー。タイムスリップしたようで。
小石原と小鹿田は福岡と大分の県境を挟む山に阻まれていますが、お隣村も様な位置関係で(もの凄く遠いお隣です)、陶器街道と呼ばれる道が続いていました。
(陶器街道を辿る旅もいいかも知れません。)

  小鹿田焼きは、小石原、高取、唐津の影響をうけているということで、小鹿田の方が、小石原よりも、形や色が多様になっていると感じました。

  小石原は、近くの大きな町からひと山ふた山抜け、少しひらけた小さな町で、陶器店や土産物、地元の食材や素朴なそばを出してくれる店が割とたくさんありました。訪れる人も地図上で感じた印象よりも多そうでした。
私がのぞいた窯元は、展示室には埃をかぶった剥製と陶器が一緒になっており、奥さんは「新婚さんいらっしゃい」を見ながら私たちに「いらっしゃーい、はっはっはー」なんて感じの、まるで商売気の無い所でしたが、飛び鉋模様の陶器達が生産されて行く様子をちょっとだけ見せていただくことができました。
厚みもあり、風合いも素朴で、シンプルだけど、存在感のある器達でした。
基本は白かと思っていましたが、黒に近い焦げ茶から飴色の物もありました。柄は基本的に付けないみたいでした。
私が見た物のほとんどに飛び鉋模様がほどこされていましたが、縄目模様?みたいな物と、刷毛模様?刷毛で色を付けた様な物が少しだけみられました。
私の中では、小石原=白地に飛び鉋の炊き合わせを盛るのにぴったりの器  というイメージを勝手に作っています。(刺身もいいかも…)


  小鹿田は小石原から更に山を越え、道がなくなるのでは??と不安を抱きながら進みました。
こちらは沢に沿ったわずかな平地に居を構え暮らしている、本当に本当に山の中の村でした。

  各家庭ごと、土をひくための唐臼、土を水にさらす池(すいひって言うのでしたっけ?)、土を乾かす為かわからないけれど小さな窯(六人がけのコタツ位の大きさと高さの窯の上に土が張り付けてあった)、登り窯、作業所、ちょっとした店頭を持っていました。
  沢の流れを利用し、唐臼を動かし、食用と思われる鯉を飼い、ちょっとした畑も潤している様子で、自給自足に近い様な昔の暮らしの様な印象も受けました。本当は見かけよりも近代的なのでしょうけれど。
展示館があると地図に載っていたので、訪ねたのですが、どう見ても公民館?!で、蛍光灯も無く、管理人も居なくて驚きました。
しかし、小鹿田焼きの歴史がわかる展示を見ることができました。(泥棒もいない平和な村なのでしょうね。)
二階からは「マツケンサンバ」と笑い声と足音が響いていました。
  村を歩き窯元を訪ねても人っ子ひとりおらず、作品が道ばたに並べられているのに、店番も居なくてどうしたもんかと思ったら、その日は村人達のお楽しみの日だった様で皆さんマツケンサンバを踊っていらしたようです。(^^)
小鹿田の方が、素朴な色合いや形にプラスされて、かわいらしさと言うか、やわらかさがある印象を受けました。
でも、教えてくださった通り、伝統を守り作品を作っている厳しさがあるようでした。

  どちらの村にも、詳しいパンフレット等がなく、もっと詳しく知りたかったのに~と思うところもありましたが、そういうのが無いあたりが、ここの良さかな。とも思えるような場所でした。

自由なお時間がとられるようになったら、小鹿田も訪ねてみてください。
(きっと、10年20年たってもあの場所はそのままだと思います。)



その後以下の文章と共に、小鹿田の写真が送られてきました。中心奥の蓋付きの壷が飛び鉋です。左の白地に緑色の壷は、透明釉に、織部釉(銅)を流し掛けしたものと思われます。

小鹿田の公民館もどきの展示室で撮った一枚がありましたので、添付します。



2005年9月26日(月)00:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理


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