Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



落語
~説明~
落語が大好き。

末廣亭

 友人と落語の話をしてて、寄席に行ったことがないとのことで、新宿末廣亭を奨めました。

 その友人が、先日末廣亭に行ってきて、お土産に扇子を貰いました。末広だから扇子。単純な発想です。(笑)



 扇子はまあ良いとして、その柄が個人的にはあまり良いセンスとは言い難く・・・あっ・・洒落ではありません。(笑)


2009年2月13日(金)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

禁煙

 テレビで聞いたのですが、立川談志が言ったとか・・

 「禁煙する奴は、意志が弱い奴だ!」

 皮肉と、ある種の突っ張りがあって、なかなか良いと思いました。

 そういえば師匠の柳家小さんから「剣道やれ、剣道!」と言われたとき、談志は

 「金を賭けないスポーツは不純だからやらない!」
 この話も好きです。



2008年11月4日(火)23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

先日の落語会その2

 徳永英明のVocalist で気づきましたが、元歌が良い曲であることは一番大事ですが、歌手としてはあまり実力が無い方の曲が、カバーとして成功しているようで す。
 たとえば、ユーミンとか、中島みゆきなどです。逆に美空ひばりのカバーは本人
以上の曲にするのが難しいようです。

 先日の落語会の「船徳」もきっとそうだったのでしょう。志ん朝を超えることは至難の業です。

 名人と言われた桂文楽は持ちネタがとても少なく、他の噺家が遠慮してその持ちネタを掛けなかったと言われていますが、実際名人の噺を掛けるのは、同等では真似とされから、それ以上でないといけないのでしょう。あるいは二代目桂枝雀のように、新しい解釈とか、あるいは新しい噺にするとかしなと、噺として無理だったのでしょう。

 家元などは単に引き継いでいればいいと思っていましたが、同じだけでも大変なのに、それを高めていくというのは、やっぱり大変のでしょう。



2008年10月9日(木)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

先日の落語会

 「船徳」
 昨日の寿司屋で、落語会の話を聞きました。

 先日の落語会は、「船徳」が演じられました。残念ながら欠席してしまったので、様子を聞きましたが、それほどの出来ではなかったというか、むしろ落語好きには志ん朝の「船徳」が入っているので、それと比べられてしまうのが、きつかったようでした。

 志ん朝の「船徳」は、文楽版です。話の持って行き方から、細かいところまで同じでしたが、時代と共に志ん朝らしさを加え少、しずつ変化しているようです。

 もちろん文楽は名人でしたが、少なくとも「船徳」は志ん朝を最高としたいと思っています。他の噺家の滑稽噺に比べ、文楽は若旦那らしさを出しています。しかし志ん朝は様子からして、若旦那が似合います。滑稽な噺ながら、粋とか、いなせな感じが出ています。CDでは解りませんが、船を漕ぎ出す前の見栄を切る姿などは実に様になっています。

 実際志ん朝自身も、「船徳」を得意演目にしていたようです。

 お兄さんの馬生は武士をやらせたら最高でした。親父の志ん生は何でもすごかったのですが、やはり真面目な噺より酒飲みとか、貧乏噺が板についていました。

 落語は一人でやるのですから、どうしても本人が出てしまいます。とうぜん技量以上に、似合うとか、向いているような所があります。

 「船徳」のあらすじは
 http://catschroedinger.btblog.jp/cl/0/1/2006/1/14/



2008年10月8日(水)23:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

DVD 古今亭志ん朝 上

 ついに古今亭志ん朝のDVDをゲットしました。

内容は以下の通りです。そのうちに下も出るでしょう。
【DISK 1】
 ■ 文七元結 1997年11月17日録画 
 ■ 火焔太鼓 1998年7月24日録画

【DISK 2】
 ■ 五人廻し 1996年9月27日録画 
 ■ 百年目  1994年3月29日録画

【DISK 3】
 ■ 二番煎じ 1991年1月23日録画
 ■ 抜け雀  1992年10月27日録画 
 ■ 四段目  1990年9月28日録画

【DISK 4】
 ■ 大工調べ 1989年4月25日録画      
 ■ 宿屋の富 1986年1月22日録画  
 ■ 浜野炬雄 1985年10月28日録画

【DISK 5】
 ■ 愛宕山   1987年3月30日録画       
 ■ 酢豆腐   1985年6月21日録画  
 ■ 三方一両損 1988年1月20日録画
【DISK 6】
 ■ 寝床   1984年10月22日録画       
 ■ 鰻の幇間 1984年6月25日録画 
 ■ 夢金   1986年12月26日録画

【DISK 7】
 ■ 大山詣り  1984年8月14日録画
 ■ 子別れ 下 1982年10月28日録画   
 ■ 品川心中  1980年9月29日録画

【DISK 8】

 ■ 反魂香   1979年8月31日録画       
 ■ 口入屋   1976年8月16日録画  
 ■ 井戸の茶碗 1975年11月25日録画

 今まで音でしか聞けなかった物が、映像で見られるとさすがに違います。

 本当の落語は、声色は使わないのが本道です。ですから女性の台詞も地声で言います。

 志ん生などは、江戸時代の言葉使いですから、女性の台詞か、男性の台詞か解らないときがあります。

 実際江戸時代の特に下町では、女性も男言葉を使っていました。

 登場人物が多い複雑は噺になると、音だけでは一瞬どの人の台詞か解らなくなることがあります。

 寄席で観たり、DVDだと右を向いたり左を向いたりするので、どちらの台詞かすぐに解ります。また仕草というか、様が違いますから、武士であったり、町人だったり更に容易になります。

 しかし演じる方は、話しぶりだけでなく、仕草まで演じ分けるのですから、そりゃ大変です。

 まだ少ししか観ていませんが、「文七元結」と「二番煎じ」を観ました。

 「二番煎じ」は登場人物が多いのですが、映像だと人物の描写が実に鮮やかです。寄席ではDVD程には冷静に観られないので気が付きませんでしたが、改めてDVDで観ると、仕草、顔つきの演技にも感心させられました。

「二番煎じ」では実に見事に演じ分けていて、感心しました。酒を飲んだり、猪鍋を食べる仕草ばっかりが受けますが、武士、職人、商人によって、飲み方から、食べ方、さらには姿勢まで違っています。

 改めて志ん朝の夭折とは言えないけど、早すぎたと惜しまれます。



2008年6月4日(水)23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

三遊亭圓生

 今日寿司屋で、圓生の落語のDVDを借りました。
少し観ましたが、やはり上手です。上手いのですがそつがないというか、おもしろみは少ない人です。

 落語は演じる人の人となりが出るのは、当たり前ですが、本人が真面目すぎるのが欠点といえます。

 有る弟子だった落語家さんから聞いたのですが、説教されると、理詰めでグチグチと1時間ほどやられて、それはそれは辛かったそうです。いっそ馬鹿野郎と、一発殴られた方が、よっぽど楽だと思ったそうです。

 ほんとに真面目な人だったようです。生前はそれほど好きではありませんでしたが、改めて聞くと、やはり素晴らしい芸です。

 げらげら笑わせるばっかりが落語ではないという、代表格の噺家でした。



2008年5月27日(火)23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

大ネタ落語会 その2

 昨日のもう一つの噺は「ねずみ」でした。
 左甚五郎の話です。

 左甚五郎を題材とした落語には
 「竹の水仙」
 「叩き蟹」
 「三井の大黒」
 「ねずみ」
 「四つ目屋」艶笑落語などがあります。

「竹の水仙」が上方から江戸へ来る途中の噺で、次が、「叩き蟹」「三井の大黒」、その後旅に出て仙台での落語が、「ねずみ」です。

 どの話も名人で、気に入った仕事しかしない変わり者とされています。甚五郎は気取っている様な気がして、個人的には好きではありません。同じような話でも、自分の芸の未熟さを恥じる所があって、「抜け雀」に出てくる絵描きの方が、ず~~と好きです。

 落語には講談などから取り入れた物語のような噺も多く、三井の大黒などもそれほど面白い噺とは思えません。その中で「ねずみ」では甚五郎は自ら名前を明かし、助けようとします。勧善懲悪で単純な筋立てですが、落ちが面白い噺です。甚五郎の噺の中では一番好きな噺です。

 落語好きなら解りきっている落ちを、どう持って行くかが問われるので、演じる方は大変です。

 左甚五郎の日光東照宮の「眠り猫と牡丹」その裏手は「竹に雀」の話。
 
 また、左甚五郎は左利きだったから、そう呼ばれたとか、飛騨の出身で飛騨の甚五郎が訛って左甚五郎になったとかの枕から始まります。

 仙台へやってきた甚五郎は、十二歳の卯之吉《うのきち》に頼まれて、虎屋という大きな宿屋の前にある鼠屋という貧乏旅籠に泊まります。
 主人の卯兵衛は虎屋の主人でしたが、後添《のちぞ》いにした女中頭と番頭の丑造に乗っ取られたうえに階段から落ちて腰が立たなくなり、知人の世話で物置小屋を鼠屋にして細々と生活していたのでした。
 甚五郎は鼠を彫って、たらいに入れてうえから網をかけます。
 この鼠が動くので評判となって鼠屋は繁盛し、虎屋は落ちぶれてしまいます。ねたんだ虎屋は仙台一の彫物師飯田丹下《いいだたんげ》に頼んで虎を彫ってもらい、虎屋の二階にすえたので鼠が動けなくなってしまいました。
 卯兵衛が怒りを発すると腰が立ちましたので、江戸の甚五郎に
 「あたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」と手紙を出します。
 やってきた甚五郎が鼠に「おまえを彫るとき精魂込めたつもりだが、そんなにあの虎が怖いのか」と訊くと、「え、あれ虎ですか。あたしは猫だと思った」。

 宿の名前が「ねずみ」、番頭が「丑造」、元の宿屋が「虎屋」、主人の名が「宇兵衛」、子供が「卯之吉」。
子、丑、寅、卯となっています。

 今日の噺は始まりの甚五郎の紹介は講談調で滑らかでした。この手の噺は講談にもあるので、滑らかであることは必須条件です。更に子供が登場しますが、子供らしさと、客引きである丁寧な言葉使いが難しい所です。わざとらしさが無く大変上手でした。主人の落ちぶれた話しぶりも人情噺調で、素晴らしい出来の噺でした。

 ただ最後の落ちになる前の、「おかしな虎なのに・・・から 猫だと思いました。」迄がやや長く、落語を聞き慣れていない人には、親切な持って行き方ですが、聞き慣れた人には少しくどいようにも思われました。

 まあ解っていても、「あまりおかしな虎」、「出来の悪い虎」といいすぎると、「猫だと・・・」が生きてきません。虎といっておいて、猫にというところは、一気に持って行く方が良いような気がしました。

 余談になりますが、象や、ラクダは早くに輸入され見せ物小屋で人気になりました。虎は江戸末期に輸入されました。江戸時代は見せ物小屋はありましたが、動物園は無く、庶民は虎を見ることが出来ませんでした。
 しかし中世期には「虎の敷物」は貿易上、わが国に入って来ていましたので、多くの絵描きは外見は猫を観て、細部はその敷物を観ながら、あとは想像で虎を描きました。
 資料も限られていたので、虎、獅子、豹の区別も出来ませんでした。

 ですから虎の絵はとても猫に似ています。(笑)



2008年5月21日(水)23:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

大ネタ二つの落語会

 今日は落語会でしたが、大ネタの「品川心中」と「ねずみ」でした。

 噺家さんも二人でした。こういった場合、普通どちらかが軽い話をするのですが、
 「お互い好き勝手に噺をする・・」と笑いを取っていました。

 まずは「品川心中」から

 品川は江戸四宿といいまして、江戸時代は江戸ではなくて、宿でした。
東海道…品川宿 甲州街道…内藤新宿 中山道…板橋宿  日光街道・奥州街道…千住宿

 色町は、第一に吉原これを北国(ほっこく)といい、須崎を辰巳、品川を南と俗に言ったそうです。

 品川の宿で板頭(いたかしら)を張っていた遊女お染めですが、歳には勝てず、客が付かないでお茶を引く日も多くなり始めます。
 
 この様なところには様々なしきたりがあり、紋日という物がありました。移り替え(うつりかえ)といって、季節のころもがえをするのですが、遊里などでは着物を飾り、夜具を積み上げて、ご馳走するなど出費が多いのでした。
 「巻紙の痩せる苦界の紋日前」と手紙を出しても、お客が援助してくれません。

「このままじゃ紋日の移り替えができない。」
「いっそ死んじまおう!、でも移り替えが出来なくて死んだのでは悔しいから心中しよう」と、一番手頃で間抜けな金蔵を選びます。

 不承不承の金蔵を無理矢理海に放り込んで、自分も飛び込もうとすると、贔屓の旦那から移り替えのお金が届いたといわれ、心中を思いとどまります。

 金蔵も、飛び込んだのが浅瀬で、ずぶ濡れで親方の所に帰り、賭博中のみんなを驚かせます。



 ここまでは前半で、後半の話があります。滅多に演じられなくなりましたが、後半は「仕返し」という別題があります。

 女にだまされて悔しい思いをした金蔵が、親方と狂言をうち、幽霊話でお染めを脅したところ、さすがのお染めも因果話に恐ろしくなり、命の次に大事な髪を切ってしまいます。

 そこで金蔵が現れて「あんまり男を釣るから、髪を切って比丘(びく)にしてやった」という落ちになります。

 この地口落ち(同音や似通った語を並べ、違う意味を表す洒落。語呂合わせ。)が、そうは思いませんが、不出来といわれています。

 話全体がやや暗い印象を与え、最近後半は殆ど演じられません。
 
 今日の話も前半だけでしたが、主人公の金蔵はう~と間抜けに演じられます。話が暗いだけに、滑稽さで笑いを取る演出でした。

 「居残り佐平次」「付き馬」など客が店に対して酷いことをするような話は、現代では首をかしげたくなるかもしれませんが、当時の感覚では、店は阿漕な商売とされていました。
 ですからそういった店に悪さをすることは、一種の憂さ晴らしでした。

 この様な所では、お客と遊女とその店とはダマ仕合でした。そういった関係を知っていないと、この手の落語は心から楽しめません。

 以前聞いた、志ん朝では金蔵は、そんなには間抜けでなくて、おっちょこちょいで、無邪気で、変に気っぷが良いところがあるように演じられます。お染めも単なる悪ではなくて、売れなくなった遊女の悲哀を感じさせます。

 お染めも金蔵からお金を巻き上げたわけでは無くて、それほど好きでもないのに、心中に誘っただけです。心中の原因が解決したから、ちゃっかり中止しただけですから、それほど悪人ではありません。

 そして両者とも死をそれほど恐れていないところも、江戸時代なのです。心中などは、一種のパーフォーマンスでもありました。これも現代人からは、理解しにくいところです。

 本当はそういった噺だったのでしょう。時代と共に、間抜けさだけが、誇張された噺になったような気がします。

 陰惨な噺も、最後には軽やかな笑い話に終わるのも、私が落語好きな所以です。



2008年5月20日(火)23:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

 落語と忠臣蔵

 落語と忠臣蔵と言えば、重要なのが上方落語に有ったのを忘れていました。これは全編歌舞伎づくしの噺です。 

 題名はそのまま「七段目」

 芝居好きの商家若旦那が親に注意され、二階で一人で歌舞伎のまねをしています。奉公人が注意に行くのですが、これが同じように芝居好きで、芝居の真似して階段から転げ落ち、
 「てっぺんから落ちたのか?」

 「いいえ、七段目」

 この噺は、歌舞伎のパロディーになっているので、かなりの歌舞伎通でないと、面白さは解りません。

 親から注意されて、返事をする若旦那の台詞が、全て歌舞伎の台詞になっています。

 調べるのが大変ですが、「世紀末亭」 上林正典(かんばやし・まさのり)氏のHPに詳しく解説されていましたので、ここに紹介しました。

 「巡礼にご報謝を~」
   =『傾城阿波の鳴門・巡礼歌の段』おつる、お弓再会の名場面。

 「しばらくしばらくしばらく、あッ、お待ちなされて、くださりませぇ~」
   =『暫(しばらく)』清原武衡(きよはらのたけひら)が、自分の意に従わない人々を家来に斬らせるところに、登場する鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)の台詞。

 「ははァ~ッ、遅なわりしは拙者重々の誤り」
   =『仮名手本忠臣蔵・三段目』塩谷判官の台詞「遅なわりしは拙者が不調法」から。

 「そら、わらわとて同じこと」
   =『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)・花渡しの段』親同士の不和を知りながら密会する倅を探しに行こうとする清澄に対し、同じく娘を探しに行こうとする定高の台詞。

 「枝振り悪しき桜木は、切って接木をいたさねば、太宰の家が立ちがたし」
   =『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)・妹山背山の段』太宰の後室定高の名台詞。
 
 「おぉ、父っつぁん、そのお嘆きはご無用ぉ、ご無用ぉ」
   =『義経千本桜・すしやの段』鮓屋の権太の台詞から。

 「どこのどなたか存じませんが、これは男のシャ面を」
   =『夏祭浪花鑑・長町裏の段』舅義平次が九郎兵衛をいたぶり、雪駄で眉間を割る場面。のはず?

 「晦日(みそか)に月の出る郭(さと)も、闇があるから覚えていろぉ~」
   =『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)・甲屋奥座敷』御所五郎蔵の台詞から。

 「あの太鼓の鳴る時には町々の木戸も開き、吉祥寺へも行かれるとのこと」
   =『伊達娘恋緋鹿子・火の見櫓の段』

 「もしも翼があったなら、羽が欲しぃ、翼が、あッ、欲しぃ~」
   =『本朝廿四孝・奥庭狐火の段』父の企てる夫勝頼暗殺計画を知り、追っ手が迫る前に早く知らせたいと、はやる八重垣姫の台詞。

 「芝居の真似をやめればよし、やめぬなんぞとぬかすが最後」
   =天保年間の『裏表忠臣蔵』上演の際に三段目・裏門の段をもとに書かれ、現在では『仮名手本忠臣蔵』四段目のあとに上演されることが多い「道行旅路の花婿」の中にある勘平と鷺坂伴内の立ち回りでの台詞だと思われます。
   =『仮名手本忠臣蔵・裏門の段』の勘平と鷺坂伴内の掛け合いと、それに続く捕り物から? 歌舞伎独特の台詞回しを連ねただけ?

         世紀末亭 上林正典(かんばやし・まさのり)氏のHPから引用しました。     
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm

              



2008年5月3日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

落語の中の忠臣蔵

 当時、一番人気だったのは『仮名手本忠臣蔵』で、中でも、塩治判官の切腹場面である四段目は、芝居通の見るものとされていました。

 落語にはそのままの題名「四段目」というのがあります。
 芝居好きの丁稚の定吉が、店の仕事をさぼって、芝居小屋に足を運びます。叱られて、蔵に閉じこめられるという話です。

 同じく四段目の役作りに苦労する話に「淀五郎」があります。これは正蔵の得意噺の一つでした。

 忠臣蔵の話には「赤垣源蔵」などもあります。



2008年5月2日(金)00:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「中村仲蔵」

 「八代目林家正蔵」の「中村仲蔵」を聞きました。正蔵の話には歌舞伎の話が多くあります。落語が盛んだった頃は、一番の娯楽と言えば歌舞伎でした。ですから歌舞伎の話は落語には沢山出てきます。

 志ん生も、「私も若い頃は羽左右衛門に似ていると言われ・・・」などと言ったりしました。もてるのなんの、「煙管の雨が降るようだ・・・」これは「助六」からのたとえです。

 歌舞伎を観ない人も多くなり、次第にこの様な話はされなくなりました。また落語の中でも、歌舞伎に関連したジョークも使われなくなりました。西洋人はシェークスピアや、有名なオペラはおおよそ知っているのに、日本人が歌舞伎や、能を全く知らないのは残念です。これではせっかくの落語も本当には理解できません。

 中村仲蔵の名義は四世までで、なかでも初代と三代目は有名です。噺は初代の話です。
 初代仲蔵は、四代目市川団十郎に認められ、名題に抜擢されます。

 この噺では、仲蔵が名題になり、『忠臣蔵』を上演するということになったものの、彼に与えられた役は、斧定九郎という端役。これは忠臣蔵の五段目、ちょうどお昼時に出てきて、観客が食事しているときに、すぐに殺される役です。

 気落ちして上方にでも行こうかと思うのですが、奥さんの助言で気を取りなおし、名役にまで仕上げるという苦心談です。

 歌舞伎と、実際の赤穂浪士の討ち入りとは、かなり話が違います。事件が起こったのは元禄14年(1701年)ですが、芝居が掛けられたのは寛延元年(1748年)です。

 話は幕府の目を恐れて、室町時代の設定になっています。十一段の長い話です。ちなみに一段目大序は「兜改め」、二段目は「松伐り」、三段目「進物場」「刃傷」、四段目「判官切腹」、五段目にこの話になります。

 登場人物は、塩冶判官(内匠頭)の悪家老斧九太夫から勘当されて、盗賊になった「斧定九郎」、塩冶判官(内匠頭)の家来の「早野勘平」、腰元で恋人の「お軽」お軽の父である「与市兵衛」などです。

 話はややこしいのですが、斧定九郎は100両で、身売りしたお軽の手付け金50両を強奪するやいなや、すぐに勘平に鉄砲で撃たれてしまいます。

 落語の中でも語られますが、現代でもリアルな立ち回りです。斧定九郎は非情な悪人として見事な演出です。
以前は赤塗りの単純な悪人であったのを、中村仲蔵が非情さを表現した定九郎にしたのです。大変な評判になって芝居は大当たりとなります。

 中村仲蔵は、師匠から誉められ、煙草入れを貰います。
オチは、師匠の家から帰ってくるなり、奥さんを拝み出したので、照れながら、

「なんだい、さっきは落ち込んでいたかと思うと、今度はあたしを拝んだりして。煙に巻かれるよぅ」
「煙に巻かれる? あぁ、貰ったのは煙草入れ。」



2008年5月1日(木)23:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

桂枝雀の「寝床」

 桂枝雀の「寝床」のDVDを観ました。

内容:
 文楽版のリアリズム的な『寝床』に対して、枝雀版の『寝床』は徹底的な爆笑落語に仕上りました。
登場人物の声の出し方から表情、心理状態までをマンガチックにデフォルメし、枝雀落語の代表作のひとつに数えられます。

感想:
 面白いことは面白いのですが、関東落語とは随分違います。昔から聞き慣れた、文楽の「寝床」の印象が強い所為か、異質な物を感じてしまいます。もっともあれだけ完成された話をそのままいくら上手に演じても、それ以上には成れないのですから、彼独自の工夫もあったのでしょう。

 桂枝雀の師匠桂米朝が、枝雀の芸は真似てはいけないし、また真似られないというようなことを言っていました。上方落語の世界でも、独自な芸風でした。

 個人的には上方落語は、それほど好きではありませんが、米朝は別です。彼は元々関東の落語の芸風を引いている事もあるかと思います。関東の落語会を含めても、第一人者で、名人と思っています。枝雀はやっぱり特異な芸風で、ちょうど林家三平のような存在でした。

 今となっては懐かしい桂枝雀の落語です。



2008年4月27日(日)00:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理


 髪の薄い人で、額(ひたい)が禿げ上がった人のどこまでが顔で、どこから頭か?

 笑って皺がよる所までが、顔・・・・W









 実は大変な間違いがあります。

 額(ひたい)は頭なのです。顔ではありません。額の骨は、前頭骨という頭の骨なのです。

 ですから顔と頭の境は、耳の穴辺りから、眉毛の下を通り(アイソケットの上縁)、鼻の骨の付け根のラインが境です。

 



2008年4月7日(月)23:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

とても残念です

 NHKのラジオ名人寄席が中止になるようです。

 NHKが「ラジオ名人寄席」で、TBSが過去に収録、放送した落語の音源を無断使用したそうです。

 番組のパーソナリティーを務める玉置宏・日本芸能実演家団体協議会理事の思い違いが原因といい、玉置氏は責任をとって降板。番組は打ち切りとなりました。

 玉置宏氏は、録音された話だけでなくて、当時の噺家さんについてとても詳しい方です。打ち切りになるのは実に残念です。何とか続けて貰いたいと思うのですが・・・

 「残しておきたい江戸情緒、下座のお囃子、寄席幟」と軽妙な話しぶりと、当時の噺家さんの逸話、師弟関係など、本当に良い番組でした。

「残しておきたい寄席番組、当時の世相、噺家の思い出話」と言いたいところです。



2008年3月29日(土)22:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

先日の落語会

 昨日夜寿司屋によりました。先日の落語会の話になりました。

 やっぱり「稽古屋」はとても評判が良かったそうです。

 最近の落語ブームについて、昔「志ん朝」などの若手時代を知っているから、最近の若手には感動しないそうです。

 そういえば知り合いのもう70才を超えた方に言わせると、「志ん朝」が前座やっていたとか・・・その頃の文楽とか、志ん生などは素晴らしかったそうです。

 昔は娯楽も少なく、落語は大変な人気だったそうで、寄席も沢山あったそうです。そんな時代の名人、上手と今の若手と比べるのはどだい無理なことです。

 笑いの質も変わってきているし、難しい問題です。でも、オリンピックの記録のように、技術自体は、それなりに上がってきてはいるのでしょう。

 古典を古典のままやっていたのでは、何の進歩もありません。変わっていくのが当然です。

 特に日本では戦後伝統的な芸事が、壊滅的になりました。伝統芸能は難しい、問題を抱えています。



2008年3月3日(月)22:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

人間性が出る

 改めて志ん生の落語を聞くと、落語の主人公はとても乱暴だったり、無神経だったりしますが、周りの人はとても優しいのです。

 昨日の落語はその面でも、とても良い感じでした。師匠の人間性が出ていました。


 最近の落語や、TVのお笑いでも、主人公をとても馬鹿にしたり、ひどくからかったりする芸風が主流です。

 更にひどいのは、老人を馬鹿にする芸風です。好きではありません。世界中どこを見ても、こんな芸は軽蔑されています。

 真面目に働いているのに貧乏な人を馬鹿にし、楽して儲けた人を尊敬するのもおかしな風潮です。

 セレブとか、御曹司とか・・・自分で努力しても居ないのに、みんなで持ち上げるのは変です。お金があることは素晴らしいでしょうが、本人が馬鹿丸出しのような発言をありがたがっている司会者はもっと馬鹿かと思ってしまいます。

 昔はお金にも、綺麗なお金と、汚いお金がありました。

 貧乏していても、立派に暮らしていれば、尊敬された物です。

 江戸時代は商人はいくらお金を持っていても、卑しい身分でした。逆に最もお金に困っている武士は、基本的には尊敬されていました。

 アメリカではお金が全てです。成功者はお金持ち。負け組は貧乏。

 日本も、段々アメリカのようになって来ました。

 



2008年2月20日(水)23:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「出来心」 「稽古屋」 落語会にて

 今日は久しぶりの落語を聞く会が有りました。
 噺家さんも二人でした。

 若手の噺家さんは「出来心」ベテラン師匠は「稽古屋」でした。

 「出来心」はとても貧乏な長屋に泥棒が入り、盗る物が無いから褌だけを盗んで隠れていました。盗られた方は泥棒に入られたから、大家さんに家賃を待ってくれと言います。泥棒に入られたなら、家賃は待つけど、届けを出すから盗られた物を言えと言い出します。

 褌だけ盗られたとは言えないので、やれ布団を盗られた、お金を取られた、刀を盗られた、次から次へといい加減な事を言います。それを聞いていた泥棒は、怒って飛び出します。捕まった泥棒は「つい出来心で・・・」盗られた被害者も「つい出来心で・・・」でオチになります。


 「稽古屋」は元々上方落語ですが、志ん生がやっていました。今日の話も志ん生と同じ筋でした。

 結婚したいという相談を受けた大家さんは、男前とか、お金があるとか、度胸があるとか、芸事が出来るとか何か無いと女性には持てないものだ。お前は器量も、お金もないから、芸事でも習いなさい。近所にお稽古毎を教える師匠が居るからと紹介します。

 師匠に向かって女性に持てる様な芸を習いたいと、頼みます。他の生徒が習っているのも見ていて、その子の焼き芋を食べちゃったり、火鉢で足袋を乾かしたり、メチャクチャします。

「世辞で丸めて浮気でこねて、小町桜の眺めにあかぬ~~~」を習おうとしますが、メチャクチャ謡うので、

 「海山を超えて、この世に住み慣れて、煙が立つるしずのめの」を家で練習するすることになります。 高いところで風に向かって大声を出すように言われたので、大屋根に登って、「煙がたつる~~~♪」などと叫んだので、火事と間違えられます。
 
 「火事はどこだ~~い?」
 
 「海山を超えて~~~♪」
 
 「そんなに遠いんじゃ、おいらは行かない」
 でオチになります。

 志ん生では、大工か火消しの頭領が練習するところで、清元の節なのに、毛鑓で謡う見事な場面があります。現代なら、バラードを、ラップ風に歌うような感じです。

 普通は下座の三味線で、演ずるのですが、今回は師匠が自分で三味線を持ち込んで、清元を謡いながらの熱演でした。子供に踊りを教えるところも、三味線を弾きながらで、素晴らしい出来でした。

 この話や、「二番煎じ」などは、清元など邦楽の素地がないと出来ません。三遊亭圓生は義太夫の素地があるので、「寝床」では見事に演じます。
 一時期講談師をやっていた志ん生の噺は、いつもは会話中心ですが、情景描写などは実に見事です。



2008年2月19日(火)23:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

寒くなりました。

とても寒くなりました。
 夕べ風呂上がりで暑かったので、そのまま寝こんだら夜中にドンドン寒くなって、眠いのでとても大変でしたが、毛布を取り出しました。それでも寒いので、暖房をかけました。

 寒いと言えば、古今亭志ん生の落語のまくらに

 長屋のかみさんが亭主の悪口を言い合っている。「そんな亭主と、なぜ別れない」と聞かれた女房が言う。
 「だってェ、寒いんだもの……」

 貧乏だった、志ん生ならではのギャグです。

 江戸時代の江戸は、今よりずいぶん寒かったようです。まして安長屋は簡単な作りで、表の戸も戸板一枚でした。大名といえども暖房と言えば、火鉢、こたつ、湯たんぽくらいでした。

 人間の出す熱量は、かなりものです。デパートなど人が集まる所では、冬でも冷房しています。人気のない家に戻ると、とても寒く感じるのは、精神的なことではありません。実際温度が違うのです。



2007年11月12日(月)22:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

神無月

 十月になりました。神無月です。
 神無月といえば想い出すのが、古今亭志ん生の「風呂敷」という落語のまくらです。

 人間は縁という物で結ばれているので、縁がなければその人に会えない。この縁は神様が結んでいるのだそうです。

 「毎月十月になると神様が出雲に集まって縁を結びます。ですから神様が居ないから神無月と言います。」とこの辺りまでは普通に話すのですが、

「どうもご苦労さま。弁天様はいつもお綺麗ですね~」

「大黒様もいつもにこにこしてて良いね~!」

「不動さん、景気は如何ですか?」「儲からないよ、不動損というくらいだから。」などと、神様同士の会話になります。

 そのうち神様達が縁結びを始めます。男女の縁を結んでいくのですが、荒神様が御神酒に酔っぱらっちゃって、大黒様と喧嘩になります。

「大黒は帽子を取らないから失礼だ・・・」などと大黒様に喧嘩をふっかけます。

 大黒様も小槌を振りまわして応戦し、大喧嘩になります。

 せっかく結んだ縁がメチャメチャになってしまいます。仕方なく結び直します。

 すると半端が出きちゃって、男二人に女が一人、

「しょうがない、三つ一緒に結んじゃえ!」

 こう言うのが三角関係になります。

 文章で書くとつまらないのですが、神様同士の会話が実にリアルで、軽妙です。

 このまくらは大好きです。志ん生のまくらは名作が多いのですが、中でもこれは傑作だと思っています。



2007年10月1日(月)23:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

親子酒

 志ん生 の「親子酒(おやこざけ)」を聞きました。

酒の話はやっぱり志ん生を置いてありません。

 関東大震災の時、酒が飲めなくなると思い、酒屋に飛び込んだら、好きなだけ飲んでくださいと言われて、へべれけになって、家に帰ったそうです。
 
 戦争になって、何が怖かったといって、酒が飲めなくなるのが一番怖かったそうです。国内にだんだん酒が無くなってきて、満州に行けば酒が飲めると聞いて、慰問団に志願して中国に行ったくらいです。

 どうしようもなくなって、ウオッカかなんか飲んで自殺しようとしたそうです。そのとき介抱したのは六代目三遊亭圓生でした。

 志ん生の「代わり目」別名「銚子の代わり目」のまくらだったと思いますが、酒の強い人は、三升飲んでも・・・
 弱い人は酒屋の前を通っただけで、「匂いをかいだら酔ってしまって・・」その話を聞いてた人が、赤い顔になって。とい言うのがありました。

 奈良づけを食べたらすっかり酔ってしまって、荒い息をしている。電車の前に乗ってる客が、その息で酔って・・

「親子酒」のまくらも
 お酒の好きな人が、夢で酒を一升拾い、火をおこして、燗をして飲もうとしたら目が醒めた。ああ冷やで飲のんどけば良かった。(笑)
 
 嬉しいことがあると、こんな目出度いことはない酒を飲もう。
 悲しいことがあると、もうやけだ酒でも飲もう。
 暑いね~水でも打って、酒のもう。
 寒いね~湯豆腐持ってきて、酒のもう。
 良い陽気だね~、酒のもう。
  
  とにかく年中飲んじゃうものです。
 
 この噺は、お酒で失敗した親子が、お互いに禁酒を約束したものの、結局、誘惑に負けて飲んでしまうというもの。

 オチは、父親が、酔って帰ってきた息子を叱りつけて、
父親が、酔って帰ってきた息子を叱りつけると、、

 注文取りに行ったら、山田さんの若旦那が

 「春だから一杯飲め。」と言う。
 「親父と約束したから酒は飲みません。」と言いました。
 「それだったらお前の家からはもう買わない。」と若旦那が言うから、
 「飲まないと言ったら飲みません。お得意一件棒に振れば良いことだから、他にいくらもお得意はあるんだから。」

 「偉い!お前は男らしい!男らしいから一杯飲め!」と言うから
 「それじゃ飲みましょう」と飲みました。

オチは、

 「馬鹿野郎。どうしてあれほど言ったのに、飲んでくるんだ。酒を飲むから、お前の顔が7つにも、8つにも見える。そんな顔のどっさりある化け物に身上(財産)は譲れませんよ!」
 「いらないよ。こんなぐるぐる回ってる家をもらったってしょうがないや」

 親子で酔ってる口調がとても素晴らしくて、何度聞いても楽しい話です。



2007年6月22日(金)00:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理


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