Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



落語
~説明~
落語が大好き。

8代目三笑亭 可楽

 8代目三笑亭 可楽(1898年1月3日 - 1964年8月23日)の「二番煎じ」を聞きました。
 地味な芸風ながら、江戸っ子弁で古い江戸落語をさらりと演じています。酒の飲み方や、猪鍋の食べ方はとても自然で、誇張が無くて良いと思いました。

 現代ではもっと説明を入れたり、くすぐりを多くしたりするのが普通ですが、あっさりした「二番煎じ」でした。聞き慣れない人にはやっぱり不親切かもしれません。
 
 その辺がそれほど人気が上がらなかった原因かもしれません。落語はよく聞いている人には回りくどい説明は、面白さが半減します。逆に初めて聞く人や、それほど聞いたことがない人は、説明が少ないと面白さが判りません。
 
 江戸言葉がだんだん使われなくなるこの頃では、落語の中の言葉も判りやすいように言い換えたり、説明したりするようになっています。

 私も、刺し子の長半天(ながばんてん)ソロバン玉の三尺 豆絞りの手ぬぐいを奴にかぶり・・・などという下りは歌舞伎の衣装を思い出すのですが、色の表現や、かぶり方などはぴんと来ないこともよくあります。
 普段には着物が着られなくなり、着物の話が出てくると戸惑います。やっぱり言葉は生きているとつくづく感じます。



2011年9月7日(水)23:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

富について

 落語では富札を扱った噺は「宿屋の富」以外にも、「富久」、「水屋の富」、「御慶(ぎょけい)」があります。

 江戸時代の「富くじは現代の宝くじそのものです。
室町時代から有りましたが、寛永年間(1624~44)ころ幕府が認めたようで関西の寺社が始め、江戸では宝永年間(1704~10)ころより盛んになったようです。

 寺社の修繕費用捻出のために始まりました。文化文政期(1804~29)に最盛期となり、月に20回以上富がありました。落語に出てくる千両富はまれで、普通は100両~500両が一の富でした。千両富は現代の年末ジャンボといったところです。

 富札は時代によって違いますが、1枚1朱~1分でした。1分は1両の四分の一ですからとても高額でした。1朱は1分の四分の一です。庶民にはおいそれと買える金額ではなかったので共同購入する「割り符」や、現代の私設馬券(ノミ屋)みたいな違法の「影富」が盛んになりました。

 有名なのが谷中感応寺(天王寺)、湯島天神、目黒龍泉寺(目黒不動)で江戸の三富と呼ばれました。倍率は2000倍~3000橋でした。勧進元の寺社は30%~50%の収益になりました。現代の宝くじの期待値が50%ですから、現代よりましだったと言えます。

 いつの世もギャンブルに熱中する人は居たもので、いろんな弊害が出てくるようになりました。御三家の水戸藩が「影富」をやって、これを河内山宗春がゆすったスキャンダルが勃発し大変な騒ぎになりました。正式な記録はありません。

 そんなことで、幕府はしばしば禁止令を出すこともありました。また抑制政策も取られたこともありました。逆に文化文政から天保年間は緩やかになりましたが、天保13年(1842)富は全面禁止になりました。

 



2011年2月17日(木)23:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

死に神

「死神」
 借金で首が回らなくなった男、金策に駆け回るが、誰も貸してくれない。
かみさんにも、金ができないうちは家には入れないと追い出され、ほとほと生きるのがイヤになった。

  一思いに首をくくろうとすると、後ろから気味の悪い声で呼び止める者がある。驚いて振り返ると、木陰からスッと現れたのが、年の頃はもう八十以上、痩せこけて汚い竹の杖を突いた爺さん。
「な、なんだ、おめえは」
「死神だよ」
逃げようとすると、死神は手招きして、
「恐がらなくてもいい。おまえに相談がある」と言う。
「おまえはまだ寿命があるんだから、死のうとしても死ねねえ。
それより儲かる商売をやってみねえな。医者をやらないか」
もとより脈の取り方すら知らないが、死神が教えるには
「長わずらいをしている患者には
必ず、足元か枕元におれがついている。
足元にいる時は手を二つ打って『テケレッツノパ』と唱えれば死神ははがれ、病人は助かるが、枕元の時は寿命が尽きていてダメだ」
という。

 半信半疑で家に帰り、ダメでもともとと医者の看板を出したが、間もなく日本橋の豪商から使いが来た。
「主人が大病で明日をも知れないので、ぜひ先生に御診断を」
と頼む。
行ってみると果たして、病人の足元に死神。
「しめた」
と、教えられた通りにすると
アーラ不思議、病人はケロりと全快。
これが評判を呼び、神のような名医というので往診依頼が殺到し、たちまち左ウチワ。
ある日、麹町の伊勢屋宅からの頼みで出かけてみると、死神は枕元。
「残念ながら助かりません」と因果を含めようとしたが、
先方は諦めず、
「助けていただければ一万両差し上げる」
という。
 最近愛人狂いで金を使い果たしていた先生、そう聞いて目がくらみ、一計を案じる。
死神が居眠りしているすきに蒲団をくるりと反回転。
呪文を唱えると、死すべき病人が生き返った。

 さあ死神、怒るまいことか、たちちニセ医者を引っさらい、薄気味悪い地下室に連れ込む。そこには無数のローソク。これすべて人の寿命。男のはと見ると、もう燃え尽きる寸前。
「てめえは生と死の秩序を乱したから、寿命が伊勢屋の方へ行っちまったんだ。もうこの世とおさらばだぞ」、と死神の冷たい声。
泣いて頼むと、
「それじゃ、一度だけチャンスをやる。てめえのローソクが消える前に、別のにうまくつなげれば寿命は延びる」
つなごうとするが、震えて手が合わない。
「ほら、消える。……ふ、ふ、消える」


この噺はオペラから翻訳された噺だそうです。
 悲劇になるので、途中で道楽者になって愛人狂いになる設定になっています。しかしこれだけで死んじゃうのは可哀想ですから、ハッピーエンドの「誉れの幇間」に変えた噺もあります。

 明治のステテコの「鼻の円遊」こと、初代三遊亭円遊は、「死神」を改作して「誉れの幇間(たいこ)」または「全快」と題しハッピーエンドに変えています。

 圓遊さんは、師匠の圓朝から教わったのですが、・・・『主人公が最後に死んでしまうのはどうも、というわけで、改作してしまいまして、主人公はたいこもちにし、死神のスキを見て蝋燭をついでしまい、ついでに自分の旦那をはじめ何人かの分をついで帰って来るということにしてしまいました。この圓遊流は昭和三九年になくなった三代目の金馬さんがやっていました。

 「死に神」は六代目圓生、五代目古今亭今輔が得意にしていました。
 あたくしのは原作どうりのやり方です。これは特異な噺なんですから、あえて結末をおめでたくする必要はないと思います。』・・・と、圓生の覚え書にあります。
 圓生は、死神の笑いを心から愉快そうにするよう工夫し、サゲも死神が「消える」と言った瞬間、男が前にバタリと倒れる仕種で落としました。
圓生の死に神は何度も聞いたことがあります。とても見事ですが、どうにも圓生の真面目さや、意地悪い死に神が嫌いで、好きになれない噺でした。

柳家小三治は、
 男がくしゃみをした瞬間にろうそくが消えるやり方です。ちゃんと男が風邪気味でという仕掛けが入っています。

 ちょうど男の誕生日なので、死に神がハッピーバースデーを歌うと、調子に乗って男がろうそくを吹き消す、というのもあるそうです。これはおもしろい落ちだと思いました。



2011年2月16日(水)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

久々の落語会

 久しぶりの落語会でした。今日は噺家さんも二人でした。

 演目は「宿屋の富」と「死に神」でした。

 宿屋の富は、金策に来たのだが上手くいかず、馬喰町の安宿に泊まることになります。懐にはなけなしの一分だけです。見栄を張って大金持ちだとホラを吹きます。

 すると宿の亭主が、安宿だけでは食べられないので、富札を売っているのですが、ここに売れ残ったみ札が一枚有るからと、
 客はホラを吹いたおかげで、なけなしの一分で富札を買わされてしまいます。さらに当たったら半分やると約束してしまいます。

 客は一人になると、なけなしの一分取られちゃったと、ぼやくことしきり。

「あれだけ大きなことを吹いたから、当分宿賃の催促はねえだろう。のむだけのんで食うだけ食って逃げちゃおう」
と開き直ります。

 翌朝二万両返しにくる予定があるので、断ってくると宿を出た客、湯島天神の方に足が向き、当たり番号を見て当たっていることに気づくと、ぶるぶる震えそのまま宿に帰って二階で布団をかぶって寝込んじゃいます。

 宿の主人も富札の当たりを調べに行き、当たっていることに驚きこちらもぶるぶる震え家に帰ると二階へ飛んでいき、客に当たったことを告げます。

 「あたあた、ああたの富、千両、当たりました!」
 「うるせえなあ、貧乏人は。千両ばかりで、こんなにガタガタ……おまえ、座敷ィ下駄履いて上がってきやがったな。情けないやつだね」
 「えー、お客さま、下で祝いの支度ができております。一杯おあがんなさい」
 「いいよォ、千両っぱかりで」
 「そんなこと言わずに」
と、ぱっと蒲団をめくると、客は草履をはいたまま。

 
 富くじを扱った噺には「水屋の富」「富久(とみきゅう)」というのもあります。どの噺も、人間の欲を噺にしているので演じ方によっては、上手く笑いを取りにくい、難しい噺です。

 10代目金原亭馬生も「水屋の富」はとても難しい噺だと言っていたそうです。

 今日の「宿屋の富」は明るく演じられてその点では上手くいっていました。当たった瞬間の演技はいろんな噺家さんが工夫していますが、今日の噺はあと一歩という感じでした。



2011年2月15日(火)23:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

藪入り

 江戸の商家では奉公人は、年に2~3日ずつの休みしかありませんでした。

 1月16日は藪入りと呼ばれていました。もう一つの休みはお盆で後の藪入りとも呼ばれていました。

 三代目 三遊亭金馬の「藪入り」はとても有名で、子供を思う親の愛情が見事に語られます。金馬は「居酒屋」などでも有名ですが、とても声の良い方でした。

 奉公人は丁稚として働き始め、手代、番頭と出世しました。さらに主人に認められると、のれん分けとなり独立することが出来ました。

 奉公人の生活はとても厳しく、のれん分けはなかなか叶わなかったようです。


 



2011年1月19日(水)23:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「落語家 立川志の輔」

 わたしが子どもだったころセレクション「落語家 立川志の輔」

 ふとTVをつけたら、志の輔の番組なので興味深く観ました。

番組内容
 富山県の港町で生まれ育った志の輔さんが最も影響を受けたのは、おじいさん。骨董屋の主人で人を笑わせることが大好きな人だった。祖父の大きな愛と少年の成長の日々。

 昭和29年富山・新湊生まれの志の輔少年が祖父と暮らすようになったのは5歳の時。母を亡くし父と離れ、祖父母とおじ一家が暮らす家にやってきた。家族を笑わせたり、近所の商店で売り子のマネをしたり、祖父譲りのひょうきん者として成長した。

 孫のさみしさを大きな愛情と笑いで包みこみ、どんなときも味方だった祖父との関係を通して、落語家・立川志の輔の原点を見つめる。

感想
 今最も輝いている噺家の一人です。「ためしてガッテン」でもおなじみで、大変な人気者でもあります。

 古典落語も新しい感覚で演じます。新作落語にはとても感心させられました。これからを背負っていく落語家だと言い切れます。現在一番好きな噺家です。

 子供時代を語る番組でしたが、とても興味深く観られました。志の輔の噺の中にある、ある種の優しさが理解できたような気がしました。

 それにしても電車にはねられて、捻挫だけというのにはビックリしました。



2010年5月26日(水)23:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

久しぶりの落語会でした

 昨夜は席亭の病気で延期になっていた落語会でした。

 演目は「道灌(どうかん)」と、「鮑のし」でした。

 ある日、狩猟の帰りに雨が降り、農家で雨具を借りようとしたところ、そこの娘が山吹の枝を差し出しました。
 道灌には、この意味がわからないので、返す言葉もないところ、家来が「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という歌があること、「実のない」を「蓑ない」にかけての断りだということを教えました。この一件で、自分の無知を恥じた道灌が、その後に一念発起して一流の歌人になったのだそうです。

 これを大家さんから習った八っつあん、これを使いたくて堪りません。
 ちょうど友達が提灯を借りにきました。生憎傘ではないので、「傘を貸してくれ」と言えば、提灯を貸すからと説得します。

 無理矢理言わせて、待ってました「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」と・・・
 相手は「なんだそりゃ・・・」

 「お前さん歌道に暗いね~~」

 「そうさ、角が暗いから提灯借りに来た。」

 なかなか面白い落ちです。

 



2010年5月20日(木)23:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

続き

「鮑のし」はあまり演じられませんが、志ん生が良く演じていました。
 「祝いのし」とも言われ関西落語の話のようです。

 貧乏なので、お祝いに尾頭付きの魚を届け、お返しを貰って幾らかにしようとするのですが、元金が足りなくて、鮑を買って持っていきます。

 鮑は「磯の鮑の片思い」というので、縁起が悪いと突っ返されてしまいます。それを聞いて、熨斗はおめでたに使うけれど、あれは元々は熨斗鮑から作られていて、本来鮑はとても縁起物だと・・・
 ちょっと渋い話です。

 噺家さん二人で、二つの話ととても豪華な落語会でした。
 どちらの話もとても良くこなれていて、素晴らしい出来でした。久しぶりの友人達にも会えて楽しい日でした。

 次回の落語会がずいぶん先になりそうで、とても残念です。



2010年5月19日(水)01:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

江戸の花見

 江戸時代花見と言えば、上野東叡山寛永寺でした。現代では一番ドンチャン騒ぎが見られる場所です。
 けれども当時は将軍家の菩提寺だったので、酒盛りやドンチャン騒ぎは禁止で、夜は門が閉められました。
 
 そこで庶民が気楽に花見が出来るようにと、八代将軍吉宗が隅田川堤、飛鳥山、御殿山に桜を植えさせました。飛鳥山、御殿山も正確には江戸の外でした。隅田川堤は江戸市中で下町でしたから、大変な人出でした。落語にも度々登場します。「百年目」では花見の様子が詳細に語られています。

 当時船は重要な交通手段で、隅田川はたくさんの船が行き交っていました。この隅田川を上って、三谷堀に入り、ここから日本堤を歩くと吉原でした。

 花見の時期には、吉原では仲の町の大通りに桜が運び込まれ「吉原の夜桜」として有名でした。



2010年4月2日(金)23:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

噺家さんのお話しを伺いました。

 落語が終わってから、2人の噺家さんと一杯やりながら落語について語りました。

 以前から疑問に思っていたのですが、笑いの取り方について、最近は関西風になって、与太郎さんでもまるで白痴のように演じたりする傾向があることについて尋ねました。

 それについて、もし昔のようにさらっと演じたのでは殆ど受けないのだそうです。同様に面白いところを更に強調したり、説明っぽく話さないとお客はついて行けないのだそうです。

 昔から落語を聞いているお客はそもそもその話を知っているのだから、くどくど説明されるのはは嫌な物だし、知っているのだからそれほど大笑いもしないのだそうです。
 落語を演じる方だって、粋な洒落た遣り取りにいちいち説明なんか付けたくはないのだそうです。面白さも、相手は話しを知っているのだから、更に突っ込むと、聞く方はうっとうしくなるに決まっているのだそうです。

 でも実際に寄席でも、そんな客は少数で、単純な笑いを求めているのです。

 それに悪いことには、古典落語は、昭和40年頃までに、名人が続出し古典落語が完成されてしまった事だそうです。
 今どのように演じても、少しでも自分流にすればそれだけ減点になるのです。
  

 それを聞き納得。お客に理解させての落語です。確かにどんな芸事でも大衆から遊離したのでは、単なる保存芸能になってしまいます。

 芸事は奥が深く、難しい物だと思いました。
 



2009年9月16日(水)23:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

今日は落語会で・・・

「金明竹」 「野ざらし」
の二題でした。

「金明竹」
 金明竹は中国の銘木というか、名竹のことです。

 骨董屋さんに関西言葉のお使いが来て、関西言葉の早口で道具のことを長口上で話すのですが、江戸っ子の留守番は全く聞き取れなくて、何度も何度も口上を言わせると言う話です。

「野ざらし」
 向島に釣りに出かけたご隠居が、髑髏を見つけ、どこの誰か分からないが、こんなところで野ざらしになっているのは気の毒と、回向してやった。
 その夜、娘が家に尋ねてきて「向島に屍をさらしておりました者でございますが、あなた様のお心づくしによりまして、浮かばれました。今日はそのお礼に参りました。せめておみ足などさすりましょ」

 これを聞いた熊さんは、自分もいい女に会いたいとさっそく魚釣りに出かけます。はなから魚を釣る気はないので、他の釣りの人達に迷惑をかけまくります。

 熊さんも偶然骨を見つけます。なんだか妙に大きい骨だなとは思いつつ、しかしまぁ、若い女よりも少し年増の大柄な女の方がいろいろと楽しいからと、ご隠居に言われたとおり、御神酒をかけ、念仏を唱えてやります。
 それを見ていた太鼓持ちが夜熊さんを訪問します。

「へぇ、あっしは新町の幇間持ちです」
「なに、新町の太鼓? それじゃあ、あれは馬の骨だったか」

 その頃の太鼓は馬の革を使っていたので、この落ちになりました。ちょっと判りにくいので、最近は釣りの人達にさんざん迷惑をかけ、しまいに釣り針を自分の顔に引っ掛ける辺りで、落ちにすることが多いのですが、今日は最後の落ちまでちゃんと演じられました。

 今夜は生憎の雨でお客さんも少なかったのですが、さすがに熱心な客ばかりで、良い雰囲気の落語会でした。



2009年9月15日(火)23:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

寿司屋で

 先日の落語の評判を聞きました。初めての噺だったそうですが、大変よい出来との評判でした。

 志ん生の噺と同じでした。志ん生はこの噺を得意にしていました。

 志ん朝も、馬生もこの噺を得意にしていました。馬生の武士は品があって、侍の出てくる話を得意にしていました。



2009年5月24日(日)23:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

落語会その2

「抜け雀」

 大好きな話の一つです。お人好しの主人、ちょっと横着な絵師、その絵を直す品の良い老人。三者を明確に演じる必要があります。

 今日はとても良い出来でした。

 人の良い主人が客引きで、旅籠にいれます。見た目にも一文無し風なので、店の者としてもハラハラしていたのですが、案の定、5日たち、6日たちしても、男はいっこうに支払う気配がありません。たまりかねた店の主人が、そろそろ一度精算を……と声をかけると、男はケロッとした顔をして、「ない」と言います。

 「ない」と言われて、「はいそうですか」と答えていたのでは、店はやっていけません。主人が「そこをなんとか」と食い下がると、男は、筆を所望します。

 不審に思いつつ、主人が筆を渡すと、男はふすまに見事な雀を描きます。それはまるで生きているかのようで、今にもふすまから抜け出してきそうなほど、生き生きとしています。

 店の主人も心得たもの。男の描いた雀の見事さに感服し、なにも言わずに男を送り出しました。

 しばらくして、男の描いた雀がふすまから抜け出し、チーチーとさえずるという噂が広まり、その雀見たさで訪れる客も現れ、旅籠はたいそう繁盛します。

 このあとアッと言う展開になります。あまりにもよい落ちなので、この後は書かないでおきます。



2009年5月20日(水)23:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

落語会

 今日は落語会でした。二人の演者で、二題でした。

「千早振る」

「ちょっと教えて欲しいんですが、百人一首の”千早振る”あれは一体なんの歌なんでしょうか」

「竜田川だから……そうだ、あなた竜田川がなにか知ってますか?」

「いえ、あの、どこかの川の名前でしょうか」

「いや、川じゃないんです。あれは関取の名前なんです」

 と言う具合に、話はどんどん脱線していって、名高い「ちはやぶる」が、竜田川という力士の失恋話に発展してしまいます。

 結局千早が竜田川を袖にし、妹分の神代も言うことを聞かない、失恋した竜田川は、家に帰って、家業の豆腐屋をやります。
 ある日落ちぶれ、乞食になった千早が、何も食べていないので、「おから」をくれと物もらいに来ます。千早と気づいた竜田川は、もちろん「おから」は渡しません。我が身を恥じたのか、千早はそばの井戸に身を投げて自殺しました。

 つまり千早が竜田川を振る、だから「千早振る」、神代も言うことを聞かないから、「神代も聞かず」となります。竜田川は「おから」をやらないから、「からくれない」となり、井戸に身投げするから「水くくる」となります。こんな説明になってしまうのですが、最後の「とは」の意味を聞かれ、苦し紛れに千早の本名だと言い逃れします。



2009年5月19日(火)23:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

与太郎

 最近落語ブームだそうで、TVなどでも良く放映されています。

 与太郎は、少し足りない役柄で登場します。昔の落語では、噺によって与太郎はとても足りない人であったり、かなりしっかりしていたりします。

 本来与太郎は口の利き方を知らなかったり、常識が無いだけで、知能が低くはありません。新しい落語ほど、与太郎はう~~と馬鹿に扱われています。更に与太郎を馬鹿にするような演じ方には、馴染めません。

 江戸っ子は、与太郎であっても何かとかばったり、援助したりしようとします。一見馬鹿にしているようでも、江戸っ子の優しさが有ります。
 江戸っ子は口は悪くても、人情味に厚いのです。

 同じように、TVでも関西落語の出身の人達が、客を「いじったり」馬鹿にしたり、容姿の事をなじったりするのが受けていますが、やっぱり馴染めません。

 関東の笑いとは違っているような気がします。志ん生の落語では、よくよく聴いていると、乱暴者が出てきても、周りの人達はとても優しくて、常識人なのです。乱暴者ばかりでは噺が成立しません。いくら面白くても、噺の根本に優しさや、人情味が無いのでは、後味の悪い噺になりがちです。



2009年2月27日(金)01:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

大工調べ その2

 先日は最後まで演じられませんでしたが、最後は公事方に申し出て、お裁きとなります。

 大家の言い分は通りますが、大工の手間賃を払わされます。一日銀10匁と少し高めにふっかけます。

 1両は銀50~60匁です。ですから文に換算すると、日当660文~800文です。足りなかった800文はほんの一日か、二日の日当でした。
 



2009年2月26日(木)23:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

記念品

 落語会の時記念品が6人分抽選でした。運良く当たりました。


 とん馬師匠の、粋な藍染めの手ぬぐいでした。


2009年2月20日(金)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

大工調べ

大工調べ

 おなじみの落語ですから、あらすじは簡単にします。

 与太郎が家賃を滞納していたので、大家が大工の命である大工道具を持って行ってしまいます。仕事が入ったからと、棟梁が尋ねてきて、貯めた家賃の1両2分と800文の内1両2分を渡し道具箱を取りに行かせるのですが、足りない800文に「たかが800」と言ったことから喧嘩になります。
 それではと言うことになって、代官所に訴え出ます。そこで大岡越前の名裁きとなります。

独自の解説
 越前忠相が江戸町奉行になったのは、享保2年(1717年)です。民事訴訟は「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」によって裁かれていましたが、御上も根気強く双方の話し合いを奨め、和解調停をさせていました。

 さて当時の家賃ですが、時代によって、また場所によって値段は大きく違いました。江戸後期には都心部は家賃が高くなりすぎて、いわゆるドーナツ現象が現れたりしています。

 しかし裏長屋の家賃は2朱(1両は4分、1分は4朱)くらいでした。2朱とは1分の4分の1ですから、500文(1両は4000文)になります。時代が下がっても、400文~1000文くらいでした。大工の手間賃は一日250~500文でしたから、2日分で払える金額でした。しかし中には10文とか日払いで払う人も居ました。

 それに家賃を何ヶ月も滞納する人はそれほど多くはありませんでした。また困っている人には待ってあげるという、人情深い世の中でした。

 落語の中で、大工が1両2分と800文の家賃を貯めるなんて、とても高い家賃の長屋に居たか、とても長く滞納していたことになります。
 棟梁がたかが800と言ったのも、棟梁なら1日1分以上でしたから、本当に1日で稼げる金額だったのです。

 時代が下がりますが、1845年の「柳庵雑筆」という考証随筆にちょうど借家に住む大工の家計が有ります。

 夫婦と子供一人の3人暮らしです。収入は銀建てですが、換算すると年収はおおよそ26両です。家賃は年2両、一月700文くらいでした。当時の家賃は400文~600文でしたから、ちょっと良い長屋に住んでいたことになります。雨の日も有るので毎日は働けないけれど、ほぼ1~2日分の日当でした。
 家賃の支出に占める割合は8%で、現代よりとても低いものでした。



2009年2月19日(木)00:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

味噌蔵

とてもケチな主人がおりまして、こういう店で働く奉公人というのは、苦労が絶えません。そんなある日、主人が用事で遠方に出かけることになりました。出かける前に、蔵に穴が開いているので、火がはいるといけないから、味噌を塗っておくように言いつけて、出かけます。
出先で一泊してくるから、と主人が言うと、小僧さん達は、もう大喜び。普段絶対に食べられない寿司を頼んだり、刺身を頼んだり、それから豆腐の田楽焼きというのも、なかなか美味なものです。田楽は冷めてしまっては美味しくないので、一度に届けないで焼けた分から届けて欲しいと注文を出しました。
 と言うわけで、食べるわ、飲むわ、歌うわの大騒ぎ。
 
ところが。

 出先の用が早く済んでしまった主人が、夜遅く帰って来たものだから、さぁ大変。店のものは大慌てでバタバタと料理やら徳利やらを片付けます。
それでも見つかってしまい、大変なお叱りを受けます。

その時「焼けました。」と、豆腐屋が表の戸を叩きます。
火事を心配していた主人は、
 「どこから?」と尋ねると、
 「豆腐屋です。」
ああやっぱり夜まで火を使っている豆腐屋が火元だ・・・
戸を開けると、田楽の味噌の焼けた匂いがぷんとします。
「いけない、蔵に火が入った。」

感想
 とんま師匠の噺でしたが、名演でした。軽妙な話しぶりは、この噺にぴったりでした。

 番頭の話しぶりや、仕草がとても板に付いていました。



2009年2月18日(水)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

「味噌蔵」「大工調べ」

 今日はいつもの寿司屋で、落語会がありました。

 今日のお題は「味噌蔵」と「大工調べ」でした。
「味噌蔵」はベテラン噺家「大工調べ」は二つめの噺家さんでしたが、間もなく真打ちになるそうです。

 落語が終わって、遅くまで騒いでいたので眠くなりました。お話しと感想は明日に
        (-_-)ゝzzz



2009年2月17日(火)23:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理


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