抜け雀 その2 |
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| 感想 おちは、「駕籠舁(かごか)き」と、「籠(とりかご)を描く」のしゃれになっています。現代では駕籠という物が有りません。江戸時代いわゆる流しの駕籠屋は、今のタクシーとは比べものにならない、料金も曖昧で、旅人のやっかいな物の一つでした。街道の宿(しゅく)の流しの駕籠舁(かごか)きや馬牽きなど冬でも褌一つで、そりゃ~柄が悪かったそうです。
この話で好きなのは、宿の主人がお人好しで、困った旅人にぶつぶつ言いながらも、役人に突き出すでもなく、口約束で無賃宿泊させてしまうところ。更にぼろは着ていても、気品がある絵描きを演じるところ。柄悪く演じたのでは、この話は台無しです。単に脅しただけになってしまいます。
その後の雀の描写、更に絵描きの父親である落ち着きと気品、宿の主人の女房の口うるさい様子、どれも見事に演じて言います。
武士の品の良さは、お兄さんの「金原亭馬生(十代目)」ゆずり、宿の主人のとぼけっぷりは、親父の「古今亭志ん生」ゆずりで、じつに見事な出来でした。
まくらのタクシーから始まって、駕籠舁(かごか)きの悪さを説明するのは親切で良いのですが、笑いが無く、話も長く、説明ぽっくてまどろっこしい感じがするのは、今の時代駕籠舁(かごか)きを知っている人は殆どいないから、仕方ないことかなと・・・
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2007年1月11日(木)00:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理
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