中尊寺金色堂 |
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早朝「盛岡」から新幹線で「一ノ関」に行き、東北本線で「平泉」に到着しました。電車の便が悪く時間調整に苦労しました。流石に日本で一番大きな県だけのことがあります。四国4県より岩手県の方が大きいことは意外と知られていません。
一ノ関駅は新幹線が停まる駅にしてはこじんまりした駅で、街も静かな感じでした。
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無事平泉に着き、中尊寺金色堂に向かいました。歩けなくは無いけれど、2キロ以上有るのでタクシーで金色堂に向かいました。
帰りは電車の便が悪く、タクシーの運転手さんに聞いたら、一ノ関の駅まで3000円以内とのことで、そのまま一ノ関駅まで、ちょっと贅沢しました。
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金色堂は鉄筋コンクリートの覆堂(さやどう、おおいどう)の中でガラスで隔絶され、撮影禁止で、やや味気ない感じでした。
普通に訪問すると、この場所での撮影となるのでみんな同じ景色です。
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近くに松尾芭蕉の銅像があり、有名な句
「五月雨の降り残してや光堂」と歌いました。
五月雨の中でも金色堂は光り輝き、まるで雨が避けているかのように見える様を歌いましたが、そもそもこの俳句が誤解の元です。
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金色堂は建立当初は屋外に建っていましたが、建立の数十年後には建物を風雨から守るための「霧よけ」のような施設が造られました。 それでも痛みがひどくなり、正応元年(1288年)鎌倉将軍惟康親王の命令で金色堂を外側から覆う様に覆堂(さやどう)が建設されました。
芭蕉が訪れたのは元禄2年81689年ですから、覆堂で覆われてから400年も経っています。光り輝く金色堂は外からは見ることが出来なくて、五月雨の降り残した様には見えません。
もちろん比喩ですが、普通に読めば雨の中に燦然と輝く光リ堂を想像します。
建築当時の建物であった時間より、旧覆堂で覆われていた時間の方が10倍近く長いのだから、現在コンクリートの建物の中に入っていても、当然のことかもしれません。旧覆堂もそばにあり、重文指定となっています。
それでもあのコンクリートの建物から、五月雨が振り残す様な荘厳な様子を想像することはとうてい出来ませんでした。やっぱり旧覆堂に近い形で覆って欲しかったように思いました。
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Sep.25.2017(Mon)14:52 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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