Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



2014年5月18日を表示

大阪のふぐ

 親戚と落ち合い、ふぐを食べに行きました。こんな時期にと思ったのですが、大阪では年中あるそうです。

 もちろん養殖ですが、最近は技術が進歩して天然物と味が変わらないそうです。天然物は味のバラツキがあるけれど、養殖はその点でも一定で評価が高くなっています。何より毒が殆ど無いので安心です。

 テトロドトキシンは、ふぐが作るのではなくふぐが食べる物の中の毒を蓄積していく事に依ります。天然物でも毒が少ない物もあります。

 心斎橋の日航ホテルだったので、近所の「七ふく神」東心斎橋店に行きました。値段を見て目が丸くなりました。信じられない値段表です。

 とりあえずコースで頼んで、さらに二人前ふぐだけを追加しました。おじやに行き着く頃にはお腹いっぱいになって少し残しました。やっぱりコースの量で十分でした。
 なのに大衆的な店とはいえ3人で食べて、静岡なら一人前の料金です。安すぎ~~~~!
 静岡県では大衆的な店は無いし!

 



 激安で驚きました。味もなかなかでした。


 こんな時期でしたが、結構満足しました。


 お腹一杯になりすぎたので、アメリカ村当たりを散策しました。三角公園という意味の解らない小さな公園も行きました。



 古いホテルですが交通の便が良く、大阪に来るときはここの決めています。

 何より今時一階の喫茶室が全面喫煙というのが、潔くて気に入っています。(笑)ネットで予約するととても割安です。



 今回は早めに予約したので、30階でした。夜景がとても綺麗でしたが、残念ながら御堂筋側ではありませんでした。

 明日はあべのハルカス、こんな高さじゃありません!



2014年5月18日(日)23:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

「大阪あそ歩(あそぼ)」その3

 舎密局(せいみきょく)跡。舎密はオランダ語シェミー(科学の意)の当て字。
 当時の大阪府知事 後藤象二郎は理化学教育の重要性に鑑み、明治2年(1869年)オランダ人ハラタマを招いて公立学問所を作りました。その後京都に移転し、京都大学になります。

 そのハラタマの像です。

 その横にかって大阪憲兵隊本部が有ったところが、現在の大阪府警察本部になっています。



 NHKがある大阪歴史博物館に難波宮跡があります。孝徳天皇の前期難波宮と、聖武天皇による後期難波宮が有ったそうです。

 事前に申し込めば地下の様子も見学できるそうです。



 歩兵八聯(れん)隊跡および歩兵37聯隊跡
         (大阪医療センター)
とても弱かったと言われていた八聯隊ですが、事実とは異なりそれなりの理由があったようです。

 この大阪医療センターの地が大村益次郎終焉の地です。詳細は省きますが、軍の最高位だったため、左大腿部切断が必要になったとき、手術のための勅許を必要としました。東京都の調整に時間がかかり、手術が遅れたのが敗血症を悪化させました。


 



 昭和16年(1941年)大村益次郎終焉の地に「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」が建立されました。

 巨大な石碑建立の発起人は、松下幸之助、野村徳七、伊藤忠兵衛、東条英機など88名の蒼々たるメンバでした。



 戦犯なので滅多に見ない名前がありました。


2014年5月18日(日)17:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

「大阪あそ歩(あそぼ)」その2

昭和14年近衛文麿の書によって建てられた「義侠 天野屋利兵衛之碑」です。

 仮名手本忠臣蔵では「天野屋利兵衛は男でござる」のセリフで有名ですが、赤穂事件とは無関係というのが定説です。そのためか裏の文字が、削られていました。

 播州赤穂で見た限りでは、討ち入りの武器はそれぞれバラバラでした。火消し装束でしたが、揃いの衣装も着ていなかったようです。



 大阪西町奉行所跡です。文久3年(1863年)勝海舟と親交があった、大阪西町奉行松平大隅守勘太郎を坂本龍馬や、海軍塾の塾頭佐藤与之助や門下生が数回訪れていたそうです。

 この奉行所跡が慶応4年(1868年)に大阪府庁が設立されました。



 大阪商工会議所に三体の立派な銅像があります。

 「五代友厚」「土居通夫」「稲畑勝太郎」です。



 大阪では唯一の能楽堂です。聞けば「観世流」だそうです。大阪は商人の町の所為か、武士の能楽は盛んでは無かったようです。大阪では歌舞伎と文楽です。


 これが大村益次郎「漏月庵」跡です。

 1846年緒方洪庵の適塾に入学した頃は村田良庵と名乗っていました。大変優秀で、僅か2年で塾頭になりました。

 始めは寮生活でしたが、初めて自分の家を持ったのがこの地でした。奇しくも医院になっていました。



2014年5月18日(日)16:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

「大阪あそ歩(あそぼ)」その1

「大阪あそ歩(あそぼ)」に参加しました。

 今回は村田蔵六、のちの大村益次郎は、諸藩の存在を否定して、四民志願制の国軍を建設しようとした。大阪に陸軍の拠点を定めたが、藩制にこだわる一派から命を狙われた。大村の一人住まい住居跡「漏月庵」を訪ね、終焉の地を訪れる。

コースは
・曲渕地蔵尊~料亭三橋楼跡~本町橋~井原西鶴文学碑~義侠天野屋利兵衛之碑~坂本龍馬訪問の地 大坂西町奉行所跡~牢屋跡~大阪府庁跡~明治天皇聖躅碑~英照皇太后・昭憲皇太后行啓之所~五代友厚像・土居通夫像・稲畑勝太郎像~宇野薬局~旧熊野街道~大村益次郎寓居(漏月庵)跡~舎密局跡~K・W・ハラタマ博士像~大阪憲兵隊本部跡~五世紀の高床式建物~豊臣秀次邸跡~安国寺恵瓊屋敷跡(安国寺坂)~難波宮跡~歩兵第八連隊之碑~昭和天皇御臨幸之~歩兵第三十七聯隊跡~小松帯刀治療の地~大村益次郎終焉の地~司馬遼太郎終焉の地~大村益次郎殉難報国碑~南組惣会所跡

 とても長いので話だけで近くで済ませた物もありましたが、4時間に及ぶ内容の濃い物でした。夏のような気候でずいぶんバテました。

 集合場所は地下鉄「堺筋線堺筋本町駅中北改札口前」でした。今回2回目の参加でしたが、ガイドの方も前回と同じお二人で、参加者の中にもお馴染みの方がいらっしゃりました。ボールペンや、パンフレット、お菓子まで頂きました。既に昨夜前夜祭としてガイドの方とお馴染みさんでの集まりがあって、ずいぶん盛り上がったようです。



 先ず始めに訪れたのがこの写真の「曲淵地蔵尊」でした。金網に囲まれていますが、由緒ある物です。

 豊臣秀吉が大阪城の外堀としてこの川、江戸期には東横堀側を作ったとき、浄国寺を避け、川筋を曲げたため俗称「曲がり」がはっせいしました。
 流水が渦を巻くようになり、入水自殺する人が絶えないため地蔵尊が作られたそうです。



 出席者の皆さんはとても熱心で、素晴らしい説明に聞き入っています。


 本町橋は東横堀川の開削とともに、豊臣秀吉の大阪城築城の時に懸けられた橋です。

 この橋を挟んで、大阪冬の陣でのやりとりなど面白い話が聞けました。

 近くの「ぜー六」という老舗のアイスモナカを店の案内もありました。



 井原西鶴の文学碑。大阪市内には沢山の碑があるそうです。中央区内本町橋4


2014年5月18日(日)13:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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