インターコンチネンタル イスタンブール |
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ホテルはボスポラス海峡を望める高台の「インターコンチネンタル」でした。夜景が綺麗で、遠く「7月15日殉教者の橋」も見えます。
この辺りは沢山のホテルが有り、写真左の大きな建物は「リッツカールトン」です。
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昼間見るとボスポラス海峡のチェラーン宮殿が微かに見られます。
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画像が変ですがクリックすると普通に見られます。
ホテルの最上階にラウンジが有り午後5時から7時まで無料飲み放題が付いていました。
一緒に行った友人は、ほぼアルコール依存症なので毎日此処を離れません。お金に困っているわけではないけれど、ただ酒という言葉にめっぽう弱いのです。
行く先々のレストランでも「ビールの方?」と聞かれると手を上げ、「赤ワインの方?」と聞かれると手を上げます。「白ワインの方?」手を上げます。
一緒の旅行者の方は何か一つですが、彼は必ず3種類飲みます。
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奥には喫煙室も有り良い眺めです。上の窓は開いていますが天井にヒーターが入るようになっています。
喫煙者にも優しいホテルです。
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希望で急遽近くのホールへ「ベリーダンス」を見に行くことになりました。
セクシーな踊りに皆ノリノリでした。最後には一緒に踊る人もいて面白かった。もちろん酔っ払った友人も参加しました。
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Apr.3.2023(Mon)22:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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ボスポラス海峡クルーズ |
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イスタンブールは西側のヨーロッパと東側のアジアに分かれ、北から黒海に面する「ヤヴズ スルタン セリム橋」、「ファーティフ・スルタン・メフメット橋」、「7月15日殉教者の橋」の3本だけです。
一番南にアブラシャトンネルがあります。
チュラーン宮殿近くの船着き場から出発し、ファーティフ・スルタン・メフメット橋で戻ってきました。
旧オスマン帝国の宮殿「チュラーン宮殿」が綺麗でした。
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建国の父として現在も人々の心の中に生き続けるアタテュルクは、1938年11月10日にドルマバフチェ宮殿の執務室の隣の部屋で息を引き取りました。
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アルナヴトキョイ埠頭でとても賑わっていました。
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ファーティフ・スルタン・メフメット橋をくぐります。北上しているので向かいはアジア側となります。
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アジア側はヨーロッパ側と比べると幾分素朴な感じが残っています。
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Apr.3.2023(Mon)15:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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アヤソフィア |
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アヤソフィアは元々は、東ローマ帝国時代に首都コンスタンティノープルで建てられたキリスト教正教会の大聖堂です。
その後はオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落が起きた1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりイスラム教モスクとして改築を繰り返し使用されてきました。
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アヤソフィアの建物をモスクや教会など宗教的行事の場として使うことは厳しく禁じられてきましたが、エルドアン大統領はアヤソフィアをモスクへ戻す方針を宣言しました。
中の綺麗なモザイクには目をみはりました。
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博物館の礼拝堂への変更は国の内外で議論となっているようです。
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アヤソフィア博物館の内装は、ほぼモスク時代のものを踏襲し、2階までの壁面は多色大理石と金地モザイクで、その上部は漆喰で飾られています。
アーケードは大理石の象眼細工で覆われ、古代建築から剥ぎ取られた大理石円柱によって支えられているが、 柱頭部分は新規に製作されたアカンサスの葉の模様のある変形イオニア式で、ユスティニアヌスのモノグラムが刻まれている。つまり、この部分は創建当時のものだそうです。
大聖堂内部には、今日少数かつ断片的にキリスト教聖堂であった頃のモザイク画が残っています。
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現在ブルーモスクは改装中で外から見るだけとなりました。
とにかくモスクだらけで、どれがどれだか判らないほどあります。
そのため明日「スレイマニエモスク」と「リュステム・パシャモスク」に行くことになりました。
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Apr.3.2023(Mon)11:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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トプカプ宮殿 |
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トプカプ宮殿は北は金角湾、東はボスポラス海峡、南はマルマラ海に囲まれた小高い丘にあります。1453年にコンスタンティノープルを陥落させイスタンブールをオスマン帝国の首都としてから378年間スルタンの宮殿として使われました。
ブルーモスクからは10分程度、アヤソフィアからはすぐの所です。
トプカプ宮殿外門の「挨拶の門」ですが以外と飾り気のない作りです。
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スルタンのハマム
ハマムとは、ローマ時代からオスマン帝国時代にかけて発祥したトルコ式の伝統的な浴場です。
スルタン専用のハマムには、安全のために金色のブロンズの手すり代わりの仕切りが付けられています。
すっきりしていた良い感じです。
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謁見室でスルタンの王座とお気に入りの女性が据わる場所、大時計やロッキングチェア、大きな花瓶などがあります。
ロココ調の部屋の白と青のタイルはオランダから持ち込まれたもので、この部屋に置かれている時計は英ヴィクトリア女王から送られたものだそうです。
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何から何まで細かい絵柄で驚きます。日本の美とは対比的です。
幕末時将軍に謁見した外国人が、江戸城の謁見の間で襖の繪以外に全く装飾が無いこと、将軍は王冠をかむることもなく、宝石を身に付けていることもなく、上等ではあるけれど普通の服装であったことに驚いています。
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エメラルドの短剣は世界一美しく価値があると言われています。
これも日本刀の飾り気のない美しさとは対極にあります。
そのほか沢山の宝石がありました。
長い年月をかけて増設されていった宮殿は沢山の建物が有り、ごく一部が見られました。
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Apr.3.2023(Mon)10:15 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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