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2011年6月21日を表示

最後の忠臣蔵

最後の忠臣蔵

監督: 杉田成道
配役:
役所広司 (瀬尾孫左衛門)
佐藤浩市 (寺坂吉右衛門)
桜庭ななみ (可音)
山本耕史 (茶屋修一郎)
風吹ジュン (茅野きわ)
田中邦衛 (奥野将監)
伊武雅刀 (進藤長保)
ヨシ笈田 (茶屋四郎次郎)
安田成美 (ゆう)
片岡仁左衛門 (大石内蔵助)

あらすじ:
 赤穂浪士の中に、討入り後の使命を与えられた二人の生き残りがいた。一人は討入り後、切腹の列に加わることを許されず、大石内蔵助(片岡仁左衛門)から「真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」との密命を受けた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。

 そしてもう一人は、討入り前夜に忽然と姿を消した瀬尾孫左衛門(役所広司)である。孫左衛門は、まもなく生まれてくる内蔵助の隠し子を守り抜くという極秘の使命を内蔵助本人から直々に受けていた……。

 討入りから16年間、名誉の死を許されなかった二人は、それぞれの使命を果たすためだけに懸命に生きてきた。吉右衛門は赤穂浪士の遺族を捜して全国を渡り歩き、遂に最後の一人にたどり着く。一方、孫左衛門は武士の身分までも捨て素性を隠し、可音と名付けた内蔵助の忘れ形見を密かに育てあげる。やがて凛とした気品を備えた美しい娘に成長した可音(桜庭ななみ)は、天下の豪商・茶屋四郎次郎(笈田ヨシ)の嫡男・修一郎(山本耕史)に見初められる。


感想:
 赤穂浪士については詳しいので興味深く観られました。史実と違うけれど部分的には真実も入っていました。足軽と武士とでは全く違うので、武士である瀬尾孫左衛門と足軽の寺坂吉右衛門とは身分違います。瀬尾孫左衛門は浅野家の家臣ではなく、内蔵助の家来でしたが、内蔵助の信頼が厚く逃亡の後赤穂に戻ったという説もあり、わざと逃がした可能性はあります。

 寺坂吉右衛門については、逃げたのか意図的に逃がしたのか現在でも不明です。大目付仙石久尚の決定により一切の追っ手はかからず、無事に逃げることが出来ました。83歳で病死するまで生き延びました。大石内蔵助が「軽輩者だから構うな」と書き残していることからも、意図的に逃した可能性は十分あります。基の雇い主吉田兼亮の娘婿の伊藤治興に奉公しています。伊豆大島に遠島に処された兼亮の遺児吉田兼直にも忠義を尽くしています。

 大石内蔵助は赤穂時代にも妾腹の子供をもうけています。内蔵助の遊蕩は、りくの山科
在住中からすでに激しくなり、伏見はおろか大阪まで足を伸ばし家計が困窮、「ご主人様の遊びが激しく・・・」と、りくが実家に金子(きんす)を無心した手紙が残っています。

 山科生活でりくが実家に帰った後、内蔵助の遊女屋通いが一段とひどくなり、山科に帰らない日々もあったらしく、浪士の小山源五右衛門と進藤源四郎が、「側女を置けば、少しは乱行も収まるか」と世話した、のが可留です。

 可留は京都二条寺町の二文字屋次郎左衛門の庶子であったといわれています。当時可留は十八歳・内蔵助は四十四歳・主税は十五歳でした。

 可留が内蔵助のもとで暮らしたのは、わずか半年たらずでした。

 大石内蔵助は潮田又之丞・近松勘六らと江戸に向かって京都を発つ。三条大橋まで見送った可留はその時既に内蔵助の子を宿していました。映画とは違い男の子でしたので連座を恐れその後の消息は不明です。

 大石内蔵助は十一月二十五日付で大西坊証讃に送った手紙で、旧浅野家御典医の寺井玄渓や内蔵助の養子の大西坊覚運(内蔵助の叔父・小山源五右衛門の子であり、内蔵助の従弟である)に生まれ出る子の将来を頼んでいます。映画のように秘密ではありませんでした。
 「玄渓へ頼候二条出産之事も、出生申し候わば、金銀遣し、いずかたへなりとも、玄渓遣し申すべく………」と書きはじめ、男の子なら陰間、女の子なら私娼になっても仕方ないが、そのことが心にかかり、これからの志の邪魔になると述べ、後事を託しています。身重の可留と生まれてくる子供のことを気に掛けてはいました。


 映画としては面白くできています。けれど史実を曲げると、映画の影響力は大きいので、それが心配です。



2011年6月21日(火)23:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理


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