Cat Schroedinger の 部屋
 
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富について

 落語では富札を扱った噺は「宿屋の富」以外にも、「富久」、「水屋の富」、「御慶(ぎょけい)」があります。

 江戸時代の「富くじは現代の宝くじそのものです。
室町時代から有りましたが、寛永年間(1624~44)ころ幕府が認めたようで関西の寺社が始め、江戸では宝永年間(1704~10)ころより盛んになったようです。

 寺社の修繕費用捻出のために始まりました。文化文政期(1804~29)に最盛期となり、月に20回以上富がありました。落語に出てくる千両富はまれで、普通は100両~500両が一の富でした。千両富は現代の年末ジャンボといったところです。

 富札は時代によって違いますが、1枚1朱~1分でした。1分は1両の四分の一ですからとても高額でした。1朱は1分の四分の一です。庶民にはおいそれと買える金額ではなかったので共同購入する「割り符」や、現代の私設馬券(ノミ屋)みたいな違法の「影富」が盛んになりました。

 有名なのが谷中感応寺(天王寺)、湯島天神、目黒龍泉寺(目黒不動)で江戸の三富と呼ばれました。倍率は2000倍~3000橋でした。勧進元の寺社は30%~50%の収益になりました。現代の宝くじの期待値が50%ですから、現代よりましだったと言えます。

 いつの世もギャンブルに熱中する人は居たもので、いろんな弊害が出てくるようになりました。御三家の水戸藩が「影富」をやって、これを河内山宗春がゆすったスキャンダルが勃発し大変な騒ぎになりました。正式な記録はありません。

 そんなことで、幕府はしばしば禁止令を出すこともありました。また抑制政策も取られたこともありました。逆に文化文政から天保年間は緩やかになりましたが、天保13年(1842)富は全面禁止になりました。

 



2011年2月17日(木)23:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理


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