鉄道と磐田 (その3) |
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| 次が幻の「天竜軽便鉄道」敷設計画でした。
大正7年天竜軽便鉄道建設の構想がまとまり、出願書類が作られました。
明治43年軽便鉄道法、44年には同法補助法が公布されたことにもよります。
天竜軽便鉄道の路線は、磐田郡袖浦村字駒場(現在の磐田市駒場 磐田市の南の端)から天竜川の東岸を北進し、 磐田郡野部村上野部字神田(現在の上野部)まで23.3kmを結ぶ計画でした。
この軽便鉄道敷設許可願が詳細に保存されていました。全員が署名捺印し後は提出するだけになっていました。おそらく直前になって中止されたようです。 個人的には、天竜川西岸を走る「遠州鉄道奥山線」が大正3年に開業しており、結果が華々しくなかったこともあるかと思います。
所がこの3年後、大正10年に光明電鉄計画が持ち上がります。
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2019年12月6日(金)00:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理
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