大雁塔 |
|
| 史記の項羽本紀に、項羽が咸陽に入り、秦王子嬰を殺害し、秦の宮室は焼き払われ、3か月間にわたって火が消えなかったとあります。この話は最近疑問が持たれています。
司馬遷は項羽のファンだったので、項羽を本紀に入れています。なので阿房宮の話は正確さを欠くのかもと思います。
当時の長安の都は渭水に近い阿房宮や始皇帝陵より、南に造られました。現在の西安はほぼ長安の都の場所です。
西安に戻り、一番の名所大雁塔(だいがんとう)に行きました。 652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。
高さは7層64mで現在は、西安市の東南郊外にある大慈恩寺の境内に建っています。
701年に建て替えられたそうです。最上層まで登ることが可能で、登りたい人は申し出るのですが、今回昨夜遅くホテルに到着し、兵馬俑の予約のため早起きし、みんな疲れていたので誰も登りませんでした。
やっぱりこの旅行の、飛行機の便の悪さが一因です。
塔はやや左に傾いています。これはカメラの所為ではなく、近年地下水を汲み上げしすぎたため地盤沈下の所為です。古都のイメージのある西安は、人口が1000万人もあり、雨が少ないので水不足になりがちなのが原因です。寺社仏閣以外に古都のイメージは希薄でした。
習近平国家主席の出身地なので、今後さらに近代化しそうです。
| |
| 玄奘三蔵の銅像が建ち、背景に大雁塔が見えます。みんなが写真を撮る所で、混みあっていました。
玄奘三蔵の旅の苦労はよく知られていることですが、とにかく大変な旅でした。インドでの5年学び16年後に長安に戻りました。
玄奘は仏舎利150粒、仏像8体、経典520夾657部を唐に持ち帰り、サンスクリット語を漢字で書いてきたので、はじめは弘福寺、のちには大慈恩寺で経典の翻訳をしました。
| |
|
2019年11月7日(木)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理
|