ドナウ川の宝石8日間(その15)5月2日 |
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| グラーベン通りの中でも目を引くのは、ペスト記念柱です。
ペストは伝染病で、かつては高い致死率で、皮膚が黒くなって死亡することから黒死病と呼ばれヨーロッパでは時々大流行し沢山の死者を出していました。
1679年にペストウイーンでペストが大流行し、その流行が収まったのを記念して、マリア・テレジアの祖父である当時の皇帝レオポルド1世によって立てられました。
当時は暫定的に木で作られた記念柱でしたが、その後1693年に大理石になりました。
記念柱の最上部に見られる、神様、イエス・キリスト、鳩の3つで、これは父・子・精霊の三位一体なので、三位一体の像とも呼ばれています。
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| そのまま歩いて、聖シュテファン寺院に行きました。ウイーンの街のシンボルです。オーストリア一の大きさで、ゴシック建築の教会です。古い部分は13世紀に造られています。
時間が足りなくなったので、シェーンブルグ宮殿は諦めて、すぐ近くのモーツアルトハウスに行きました。
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| モーツアルトは何度も引越しをしていて、ウイーンの街に18個所も住んでいたところがあるそうです。
しかしモーツアルトハウスはここだけで、博物館になっていました。モーツァルトが「フィガロの結婚」を書いたことから、フィガロハウスとも呼ばれていました。
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| モーツァルト一家は、1784年9月29日にここに入居し、1787年4月23日に引き払っていますので、2年と約7か月住んでいました。
日本語のガイドもあり解りやすく、とても参考になりました。評判通り作曲の楽譜に、殆ど修正がありません。
天才でしたが、アマデウスの映画の通り、私生活ではめちゃくちゃな人でした。
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| 彼はとても小さかったのですが、ベットは当時の眠る姿勢もありますが、驚くほど小さくて驚きました。
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2019年5月2日(木)15:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理
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