「斉安郡後池絶句」 |
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| 吟遊詩人/井上洸霊さんから今月の漢詩が届きました。
今月は梅雨季節の穏やかなひとコマを詠った杜牧の名詩 「斉安郡後池絶句」をお届け致します。
<原文> 「斉安郡後池絶句」 杜牧
菱透浮萍緑錦池 夏鶯千囀弄薔薇 尽日無人看微雨 鴛鴦相対浴紅衣
<読み下し文> 「斉安郡の後池絶句」 杜牧
菱は浮萍を透す緑錦の池 夏鶯千囀して薔薇に弄る 尽日人無く微雨を看れば 鴛鴦相対して紅衣を浴す
<日本語読み> 「さいあんぐん あといけ ぜっく」 とぼく
ひしは ふひょうを とおす りょくきんの いけ かおう せんてんして しょうびに たわむる じんじつ ひとなく びうを みれば えんおう あいたいして こういを よくす
<語釈> 斉安郡後池絶句→斉安郡の役所の後庭にある池の風景を詠む、の意。 斉安郡→湖北省の長江中流(武漢の近く)にある都市/黄州、の意。 菱→ヒシ、の意。 浮萍→浮き草、の意。 緑錦→緑色の錦のような、の意。 千囀→しきりにさえずる、の意。 薔薇→バラの花、の意。 尽日→一日中、の意。 微雨→そぼふる雨、の意。 鴛鴦→つがいのオシドリ 紅衣→オシドリの羽の色、の意。
<通釈> 池は菱と浮き草が織りなす美しい緑の錦を呈し、池辺では薔薇の花と戯れ るかのように鶯がしきりにさえずっている。 今日は一日来客もないので、しばしそぼふる雨を眺めて過ごすこととしよう。 池では仲むつましい鴛鴦たちが向かい合って水浴びをしているのが見える。
<杜牧メモ> 晩唐の詩人。803年~852年。 現在の陝西省西安出身。 歴史や風雅を味わい深く詠う詩風で有名。 杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。
<鑑賞> 杜牧の「斉安郡後池絶句」 、いかがでしたか? 斉安郡は長江中流域にある黄州の別名。杜牧は四十歳の時にここに赴任。 しとしとと降る雨を眺めながら夏の鶯の鳴くのを聞き、可愛いオシドリたちを 眺めてはゆったりとした時の流れを楽しむ杜牧。 実にいいですね~。 私たちもこの梅雨の季節、心に余裕を持って元気に過ごしましょう。
感想: 杜牧はもっとも好きな晩唐の詩人です。 幼き頃父が亡くなって生活が困窮します。それでも26歳の時進士及第となります。弟も杜牧に4年遅れて進士及第となりました。32歳頃揚州に在任。
この頃毎晩歓楽街で遊んでいました。後にこれを歌ったのが有名な「遺懐」です。遊んではいましたが、とても情に厚い人でした。
杜牧35歳の時、弟の杜顗(とぎ)の目が悪くなります。この後弟のために苦労し、出世をコースから外れます。それでも彼の才能は高く評価されていました。
「遺懐」 落魄江南載酒行 楚腰腸断掌中軽 十年一覚揚州夢 贏得青楼薄倖名
<読み方> 江南に落魄(らくたく)し酒を載(の)せて行く 楚腰繊細(そようせんさい) 掌中に軽し 十年一たび覚(さ)む 揚州の夢 贏(あまち)得たり 青楼薄倖(せいろうはっこう)の名
<通訳> 水郷に身を持ちくずして、酒びたりの遊蕩三昧 江南美女のたおやかな柳腰は手のひらにも乗りそうな軽さであった あの揚州での十年間は一場の夢だった 一たびさめた今となっては、ただ色里での浮気男の名を残しただけだ
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2012年6月11日(月)23:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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