Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



播州赤穂2

 昨日歩きすぎて足が痛くて歩けません。
 赤穂城は今日の予定だったのですが、近いというので無理して歩いたのが祟りました。

 主君刃傷の事件は赤穂藩を混乱に陥れました。素直に城を明け渡すか、戦うか等様々な意見が飛び交いました。筆頭家老の大石内蔵助は見事にこの難題を解決します。城明け渡しの前夜、大手門から出てくる大石の姿は忠臣蔵の前半のハイライトです。
 
 そんなわけで夕刻のお城を見たくて無理をしました。(笑)

 歩けないので仕方なくタクシーをチャーターし、見て回りました。
浅野家の菩提寺「花岳寺」には浅野家、森家と共に47義士墓碑があります。泉岳寺が本物で、こちらは遺髪を納めています。



 大手門、本丸、赤穂市立歴史博物館を見て、大石神社拝観しました。ここから大石邸の跡も見られました。

 神社の前に中国製の47義士の石像が有りますが、あまり趣味に合いませんでした。

 神社の中は義士ゆかりの武具などもあり、大変参考になりました。

 



 大石邸の庭です。

 義士木造泰安殿には、昭和28年義士自刃満250年大祭を記念して、人間義士の像と赤穂城の一部復興が企画され、当時の帝室技芸員文化功労者山崎朝雲、芸術院会員平櫛田中、綿引弘、羽下修三などら当代超一流の木彫家49人が一人一体づつを彫り奉納されていました。 とてもリアルな木造でした。 



 時間が余ったので、坂越の町並みを見て旧坂越浦会所を訪問しました。坂越浦は江戸時代回船業の盛んな所でした。役所でもあったのですが、赤穂藩の茶屋としても使われ、二階は「観海楼」と呼ばれ、藩主もたびたび立ち寄り休憩や、宿泊していたそうです。

 建て増しした小さな部屋が藩主専用の部屋でした。藩主が宿泊した割には質素な作りでしたが二階からの眺めは素晴らしく、当時の城内での藩主の暮らし向きが分かる貴重な建物です。

 予定より早く終わったので、痛い足を引きずりながら早めに帰宅しました。

 播州赤穂の町はとても綺麗で、ゴミ一つ落ちていません。南に海、北に山を背負い温暖で、塩はとても有名で、禄高以上にとても裕福な藩でした。この城下の藩士が一夜にして禄を失い、ここを去る思いは如何ばかりだったかと、帰りの電車の中で思いを巡らしました。



2011年5月16日(月)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

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