Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



 今日は中秋の名月です。

 江戸時代は現在の太陽暦でなくて、太陰暦でした。つまり月の満ち欠けで日にちを決めていました。1月は29日か30日でした。月の満ち欠けは29.530日です。ですから30日の大の月と29日の小の月があるのですが、毎年どの月が大の月か小の月かは一定ではなく、暦を見ないと誰も解らないのでした。毎年凝った暦が発行されました。
 更に太陰暦だと1年は354.36になるから、3年に一度くらいで、閏月がありました。

 江戸時代は天文学などはからっきし駄目で、自国で暦を作る能力が無くて、中国の暦をそのまま使っていました。

 では太陽暦は知らなかったのでしょうか?いいえちゃんと知っていました。太陰暦の法が便利だったのです。超省エネであった江戸時代は、照明に無駄なエネルギーを使わないために、太陰暦だったのです。毎月14日か15日は必ず満月でした。月の光で外出も可能でした。新月の日は暗いので、極力外出は控えました。

 時間も超省エネでした。一日の長さは24時間でしたが、昼は開け六つから暮れ六つまでとしました。それを6分割して1刻(とき)としていました。暗くなったら夜です。

 春分と秋分以外は昼と夜との長さが違います。(厳密には東京は緯度が高いので、少し違います。)夏の1刻は2時間12分もあり冬の1刻は1時間48分くらいでした。これを不定時法といいます。普通の時計では役に立ちません。常に調整が必要でした。元禄期には二丁天符という、昼と夜とで天符の速度が変わる究極の時計が作られるようになります。

 しかしこれが超省エネなのです。明るい内に働くのです。暗くなったら仕事はしないで、さっさと寝るのです。照明の燃料が殆ど要らない素晴らしい方法だったのです。



2008年9月14日(日)02:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

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