吉野千本桜と春香る京都・奈良桜紀行7 |
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| 「下千本」の入り口近くの駐車場から「中千本」に向かうと、1985年の再建された黒門があります。
次の銅で出来た鳥居は重要文化財で、銅鳥居(かねのとりい)があります。東大寺の大仏を作ったとき、余った銅で作ったそうです。現在の鳥居は室町時代に再建されました。ごく普通の鳥居なので、そのそばに腰掛けてお弁当食べている人達もいました。
次の「仁王門」は国宝ですが、修復工事中でした。
金峯山(きんぷせん)寺の本堂の蔵王堂も国宝で、木造建築では奈良の大仏殿に次ぐ大きさです。
金峯山(きんぷせん)寺は白鳳年間、役行者(えんのぎょうじゃ)が開設しました。その後栄枯盛衰があり、南北朝時代多くの僧兵を抱えていて、後醍醐天皇が吉野に移り、南朝を興しました。見学者で一杯でした。
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| 次に「吉水神社」に行きました。
初めは僧坊でしたが、南北朝時代(1336)、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、吉水院に行宮を設けました。日本最古の書院作りとなっています。
「身はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄(こんぱく)は常に北闕(ほっけつ)の天を望まんと思う」 後醍醐天皇 辞世の句
文治元年(1185)頼朝に追われた源義経と静御前は、弁慶らと共に吉水院に隠れ住みました。ここが義経と静御前が過ごした最後の場所となりました。義経の鎧が展示されています。
「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」 静御前
文禄三年(1594)秀吉が吉野で花見の宴を行ったとき、吉水院を本陣として数日間滞在しました。
ここの庭からの景色がいわゆる「一目千本」です。今日は桜はあいにくでした。とても残念です。
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| 参道には沢山のお店が並び、お祭りのような感じです。
一番初めに桜餅を食べました。漉し餡ですが、白あんで本当の白餡の味がしました。
この辺りの名物は柿でと葛で、柿の葉寿司を出す店が沢山あります。お昼は柿の葉寿司のミニセットにしました。寿司が三個と煮物、豆腐、おすましはそうめんが入っていました。デザートに葛きりが付いていました。 思いの外良い味でした。
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| つるし柿の店があったのでこれも食べました。自然の味で懐かしい感じがしました。
さらにお串団子を食べました。花より団子です。
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| ぽつんと咲いている桜を入れて写真を撮って帰りました。
今回桜が見られなかったので、是非リベンジしたいと思いました。
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2018年4月9日(月)13:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理
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