Cat Schroedinger の 部屋
 
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禊の祓 (みそぎのはらえ)

 島田の大井神社では例年6月30日には「禊の祓 (みそぎのはらえ)」のお祭りがあります。今は「みそぎの祓い」とか「夏越(なごし)のはらい」と呼ばれます。

 紅白の紙で出来た人形(ひとがた)に半年の罪穢(つみけがれ)を移して、拝殿前の参道に建てられた大茅(おおち)の輪(直径約3.5m)をくぐり、神前に納めます。

 参道に設けられた「茅の輪」をくぐれば、けがれが落ち、心身が清められるといわれます。島田市の大井神社では、16時からの大祓式の後、多くの参拝客でにぎわいます。

 今宵は天気も良くて大変な人出でした。露店も沢山出て歩けないほどの賑わいです。祭りの夜は浮き浮きします。祭りが終わるとあっという間に人通りが無くなり寂しい町に戻りました。

 島田の町もいつもこのくらいの賑わいがあると楽しいのにと思いました。多くの町で条例のため8時か9時には祭りが終わります。なんだか余情が無い感じです。色々問題はあるけれど1年に一度くらいは、せめて深夜0時頃まで祭りをやりたい物です。

 古くから有る祭りは15日とか30日が多いのです。江戸時代は陰暦でしたから毎月15日は満月で明るく、30日頃は新月で真っ暗闇でした。陰暦では立春の頃から新年が始まるので、1~3月が春で、4~6月が夏でした。6月30日は夏の終わりだったので、「夏越(なごし)のはらい」となります。
 お正月に新春と書くのはまさに春の初めだったのです。

 陰暦では月の満ち欠けで日にちを決めていたので、一ヶ月は小の月は29日、大の月は30日でした。例年変わるので、暦を見ないと大の月か小の月かは全く解りませんでした。一年が354日くらいなので、3年に一度閏月(うるうつき)を作って調整していました。

 実は日本では暦を作る科学力が無くて、中国の暦をそのまま使っていました。地方により暦が違っていて、江戸と上方では日にちが違うこともありました。

 
 暦の話は尽きませんが、岡田准一主演の映画「天地明察」は実に良く暦を扱っています。暦を作るには天体観察が必須なのです。

 古代エジプト時代から暦を作るのは王様の仕事でした。日本でも暦は形式上は天皇の仕事でした。一度だけ織田信長が勝手に暦を作ろうとしました。天皇を蔑ろにする行動が、本能寺の変の一因と言われています。



2016年6月30日(木)23:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

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