日本人の宗教 |
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| 熊本でお寺や、神社の再建に困っていると聞いたので、日本の宗教について考えました。
幕末から明治初期に訪れた外国人の記録には一面的な見方ではあるけれど、江戸時から外国人には日本人は宗教心の薄い民族に見えたようです。ラフカディオ・ハーンなどは例外で、彼は日本人の独特の宗教心を理解していたようです。 「日本人はまるで気晴らしか何かをするように祭日を大規模に祝うけれど、宗教そのものには至って無関心である。なのに迷信には非常に広く普及している。」
外国人の観察では、寺参りをするのは下層階級と女性。役人とか地位のある男性の姿はめったに見ない。
仏教と神道との区別もはっきりしないし、民衆は宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りをささげる。
社会の上層部、特に知識人は無宗教で儒学を学び、宗教を馬鹿にしている節さえある。神聖に振る舞うのは宗教心より、礼儀としての振る舞いである。
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)は、イギリスの女性旅行家、紀行作家。明治11年より東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記"Unbeaten Tracks in Japan"(日本語題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書きました。彼女が端的にいうには、「日本人は最も非宗教的な国民である。巡礼はピクニックだし、宗教的祭礼は市である。」
明治になり西洋文明が入り込んで日本の国民の宗教心が薄くなったように感じる外国人が見られますが、実は江戸時代から日本人の宗教は上記のような特徴を持っていました。
宗教心が薄いように見えても、いざ本願寺の再建などには多額の寄付が集まったりしていました。キリスト教徒には驚くことばかりだったのでしょう。外国の人には理解できない宗教なのでしょう。
もともと日本では仏教と神道が明確に分けられていない「神仏習合」でした。武士は儒教の影響が強く、国民の多くは「八百万の神」を崇める独特の宗教観を持っていました。上はご来光の太陽から下はトイレの神様まで生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという「アミニズム」です。またシャーマン(巫師・祈祷師)の能力により成立している「シャーマニズム」も残っています。
宗教的には必ずしも遅れているとは言えないけれど、原始宗教の影響が色濃く残る宗教観があります。さらに仏教も大乗仏教で、なんでもありの雰囲気でした。
現代の日本では宗教は信じていない人がかなり大多数ですが、いざという時神頼みをする人は沢山居るという調査結果があります。
諸外国から見ればとても変わった宗教観を持った国民 であることは間違いありません。
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2016年5月17日(火)23:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理
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