Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



岩瀬 忠震(いわせ ただなり)

 先日のオフ会で幕末に詳しい友人からいろんな話が聞けました。。

 ペリー艦隊との交渉にあたった、林 復斎(はやし ふくさい)。日露和親条約締結および、アメリカの総領事タウンゼント・ハリスと交渉して条約締結に臨み、日米修好通商条約に井上清直と共に署名した岩瀬 忠震(いわせ ただなり)等の話が出ました。幕府はアヘン戦争から、清国の状態をかなり正確に知っていました。

 彼等はとても優秀で、当時の状況を考えると、最良の選択でした。

 幕末尊皇攘夷を唱えていた長州藩などは幕府の持つ情報にはとうてい及ばなくて、攘夷はそもそも不可能でした。

 尊皇という意味では、幕府も討幕派もさほどの違いはなく、思想的にも混沌とした中で、倒幕だけになっていきました。

 後から振り返ってみると、幕府の官僚は大変優秀で幕府内の派閥争いが悪く作用しましたが、立派な人達でした。

 討伐に成功した薩摩、長州、土佐、肥後の立派だった人の多くは明治政府までに生き延びれなかった人も多く、政府の要職に就いた人達の中には私腹を肥やしたり、官位を欲しがったりいわゆる田舎侍だった感が否めません。

 明治維新後も下級官僚は、江戸幕府の官僚を採用しました。とても優秀だったのと、自己にも規律正しかったのでした。身分社会が無くなり日本は近代化の道を進み大いに発展しましたが、幕府方の優秀な人達の功績がないがしろにされている感があります。

 そんな話で盛り上がりました。



2015年12月23日(水)23:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

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