死に神 |
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| 「死神」 借金で首が回らなくなった男、金策に駆け回るが、誰も貸してくれない。 かみさんにも、金ができないうちは家には入れないと追い出され、ほとほと生きるのがイヤになった。
一思いに首をくくろうとすると、後ろから気味の悪い声で呼び止める者がある。驚いて振り返ると、木陰からスッと現れたのが、年の頃はもう八十以上、痩せこけて汚い竹の杖を突いた爺さん。 「な、なんだ、おめえは」 「死神だよ」 逃げようとすると、死神は手招きして、 「恐がらなくてもいい。おまえに相談がある」と言う。 「おまえはまだ寿命があるんだから、死のうとしても死ねねえ。 それより儲かる商売をやってみねえな。医者をやらないか」 もとより脈の取り方すら知らないが、死神が教えるには 「長わずらいをしている患者には 必ず、足元か枕元におれがついている。 足元にいる時は手を二つ打って『テケレッツノパ』と唱えれば死神ははがれ、病人は助かるが、枕元の時は寿命が尽きていてダメだ」 という。
半信半疑で家に帰り、ダメでもともとと医者の看板を出したが、間もなく日本橋の豪商から使いが来た。 「主人が大病で明日をも知れないので、ぜひ先生に御診断を」 と頼む。 行ってみると果たして、病人の足元に死神。 「しめた」 と、教えられた通りにすると アーラ不思議、病人はケロりと全快。 これが評判を呼び、神のような名医というので往診依頼が殺到し、たちまち左ウチワ。 ある日、麹町の伊勢屋宅からの頼みで出かけてみると、死神は枕元。 「残念ながら助かりません」と因果を含めようとしたが、 先方は諦めず、 「助けていただければ一万両差し上げる」 という。 最近愛人狂いで金を使い果たしていた先生、そう聞いて目がくらみ、一計を案じる。 死神が居眠りしているすきに蒲団をくるりと反回転。 呪文を唱えると、死すべき病人が生き返った。
さあ死神、怒るまいことか、たちちニセ医者を引っさらい、薄気味悪い地下室に連れ込む。そこには無数のローソク。これすべて人の寿命。男のはと見ると、もう燃え尽きる寸前。 「てめえは生と死の秩序を乱したから、寿命が伊勢屋の方へ行っちまったんだ。もうこの世とおさらばだぞ」、と死神の冷たい声。 泣いて頼むと、 「それじゃ、一度だけチャンスをやる。てめえのローソクが消える前に、別のにうまくつなげれば寿命は延びる」 つなごうとするが、震えて手が合わない。 「ほら、消える。……ふ、ふ、消える」
この噺はオペラから翻訳された噺だそうです。 悲劇になるので、途中で道楽者になって愛人狂いになる設定になっています。しかしこれだけで死んじゃうのは可哀想ですから、ハッピーエンドの「誉れの幇間」に変えた噺もあります。
明治のステテコの「鼻の円遊」こと、初代三遊亭円遊は、「死神」を改作して「誉れの幇間(たいこ)」または「全快」と題しハッピーエンドに変えています。
圓遊さんは、師匠の圓朝から教わったのですが、・・・『主人公が最後に死んでしまうのはどうも、というわけで、改作してしまいまして、主人公はたいこもちにし、死神のスキを見て蝋燭をついでしまい、ついでに自分の旦那をはじめ何人かの分をついで帰って来るということにしてしまいました。この圓遊流は昭和三九年になくなった三代目の金馬さんがやっていました。
「死に神」は六代目圓生、五代目古今亭今輔が得意にしていました。 あたくしのは原作どうりのやり方です。これは特異な噺なんですから、あえて結末をおめでたくする必要はないと思います。』・・・と、圓生の覚え書にあります。 圓生は、死神の笑いを心から愉快そうにするよう工夫し、サゲも死神が「消える」と言った瞬間、男が前にバタリと倒れる仕種で落としました。 圓生の死に神は何度も聞いたことがあります。とても見事ですが、どうにも圓生の真面目さや、意地悪い死に神が嫌いで、好きになれない噺でした。
柳家小三治は、 男がくしゃみをした瞬間にろうそくが消えるやり方です。ちゃんと男が風邪気味でという仕掛けが入っています。
ちょうど男の誕生日なので、死に神がハッピーバースデーを歌うと、調子に乗って男がろうそくを吹き消す、というのもあるそうです。これはおもしろい落ちだと思いました。
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2011年2月16日(水)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理
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