Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



大ネタ落語会 その2

 昨日のもう一つの噺は「ねずみ」でした。
 左甚五郎の話です。

 左甚五郎を題材とした落語には
 「竹の水仙」
 「叩き蟹」
 「三井の大黒」
 「ねずみ」
 「四つ目屋」艶笑落語などがあります。

「竹の水仙」が上方から江戸へ来る途中の噺で、次が、「叩き蟹」「三井の大黒」、その後旅に出て仙台での落語が、「ねずみ」です。

 どの話も名人で、気に入った仕事しかしない変わり者とされています。甚五郎は気取っている様な気がして、個人的には好きではありません。同じような話でも、自分の芸の未熟さを恥じる所があって、「抜け雀」に出てくる絵描きの方が、ず~~と好きです。

 落語には講談などから取り入れた物語のような噺も多く、三井の大黒などもそれほど面白い噺とは思えません。その中で「ねずみ」では甚五郎は自ら名前を明かし、助けようとします。勧善懲悪で単純な筋立てですが、落ちが面白い噺です。甚五郎の噺の中では一番好きな噺です。

 落語好きなら解りきっている落ちを、どう持って行くかが問われるので、演じる方は大変です。

 左甚五郎の日光東照宮の「眠り猫と牡丹」その裏手は「竹に雀」の話。
 
 また、左甚五郎は左利きだったから、そう呼ばれたとか、飛騨の出身で飛騨の甚五郎が訛って左甚五郎になったとかの枕から始まります。

 仙台へやってきた甚五郎は、十二歳の卯之吉《うのきち》に頼まれて、虎屋という大きな宿屋の前にある鼠屋という貧乏旅籠に泊まります。
 主人の卯兵衛は虎屋の主人でしたが、後添《のちぞ》いにした女中頭と番頭の丑造に乗っ取られたうえに階段から落ちて腰が立たなくなり、知人の世話で物置小屋を鼠屋にして細々と生活していたのでした。
 甚五郎は鼠を彫って、たらいに入れてうえから網をかけます。
 この鼠が動くので評判となって鼠屋は繁盛し、虎屋は落ちぶれてしまいます。ねたんだ虎屋は仙台一の彫物師飯田丹下《いいだたんげ》に頼んで虎を彫ってもらい、虎屋の二階にすえたので鼠が動けなくなってしまいました。
 卯兵衛が怒りを発すると腰が立ちましたので、江戸の甚五郎に
 「あたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」と手紙を出します。
 やってきた甚五郎が鼠に「おまえを彫るとき精魂込めたつもりだが、そんなにあの虎が怖いのか」と訊くと、「え、あれ虎ですか。あたしは猫だと思った」。

 宿の名前が「ねずみ」、番頭が「丑造」、元の宿屋が「虎屋」、主人の名が「宇兵衛」、子供が「卯之吉」。
子、丑、寅、卯となっています。

 今日の噺は始まりの甚五郎の紹介は講談調で滑らかでした。この手の噺は講談にもあるので、滑らかであることは必須条件です。更に子供が登場しますが、子供らしさと、客引きである丁寧な言葉使いが難しい所です。わざとらしさが無く大変上手でした。主人の落ちぶれた話しぶりも人情噺調で、素晴らしい出来の噺でした。

 ただ最後の落ちになる前の、「おかしな虎なのに・・・から 猫だと思いました。」迄がやや長く、落語を聞き慣れていない人には、親切な持って行き方ですが、聞き慣れた人には少しくどいようにも思われました。

 まあ解っていても、「あまりおかしな虎」、「出来の悪い虎」といいすぎると、「猫だと・・・」が生きてきません。虎といっておいて、猫にというところは、一気に持って行く方が良いような気がしました。

 余談になりますが、象や、ラクダは早くに輸入され見せ物小屋で人気になりました。虎は江戸末期に輸入されました。江戸時代は見せ物小屋はありましたが、動物園は無く、庶民は虎を見ることが出来ませんでした。
 しかし中世期には「虎の敷物」は貿易上、わが国に入って来ていましたので、多くの絵描きは外見は猫を観て、細部はその敷物を観ながら、あとは想像で虎を描きました。
 資料も限られていたので、虎、獅子、豹の区別も出来ませんでした。

 ですから虎の絵はとても猫に似ています。(笑)



2008年5月21日(水)23:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

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