Cat Schroedinger の 部屋
 
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大漢和辞典 その2

 大漢和辞典が出来るまでの話を、いろんなサイトからまとめました。

 大正14年(1925) 大修館書店社長鈴木一平、諸橋轍次博士に、漢和辞典編纂を依頼。

 昭和18年(1943) 6月、東京会館において『大漢和辞典』出版記念会を催し、予約募集を発表。

 昭和20年(1945) 2月15日、戦災により、東京は爆撃され、焼け野原になってしまいます。その時に、大漢和辞典の鉛の版がすべてやけてしまいました。量にして100t。本社の事務所、倉庫、特設付属工場の一切を消失。この時『大漢和辞典』は巻2を印刷中であったが、巻3以降の原版とともにすべてを消失しました。しかし、諸橋轍次博士は不慮に備え、全ページにわたる校正刷3部を諸方に分けて疎開していました。

 昭和35年(1960) 5月25日、『索引』を刊行。これをもって『大漢和辞典』全13巻の刊行を完了。編纂開始以来実に35年の歳月と、延べ25万8000人の労力、及び巨額の経費が注ぎ込まれて、ここに『大漢和辞典』が完成しました。

 初めて辞書を作るにはいくつもの作業が必要です。諸橋轍次はまず漢字を集めました。いったいいくつの漢字を集めたのか。その数6万。そしてその漢字ごとに熟語も集めました。中国の古い書物を一冊一冊ずつ調べていきました。集めた熟語の数は120万を越えました。次に漢字と熟語をカードにして整理しました。カードの数40万枚。

 なんと言っても一番大変なのは、大漢和辞典のためには新しく5万字もの文字を作らなければならない事でした。一文字をつくるのにも、鉛筆で下書き、ペンや小筆でかき、修正をして、筆を入れる、そして仕上げ、難しい文字はもちろん活字がありません。活字を作る職人も大変でした。
 
 こうしてついに昭和35年、大漢和辞典全13巻が完成しました。諸橋博士78歳の時でした。右目はほとんど見えず、左目も病気になっていました。大修館書店社も経営が傾くほどでした。

 辞書の中で、最高のものです。私の陶芸のお友達に、この辞書を個人所有している方があります。大変教養が深く、とても尊敬しています。

 私も漢詩などが好きで、この辞書はとても欲しいのですが・・・データーベース化するにも、文字が無いから映像にでもするしかなく、大変でしょうね~~



2005年11月21日(月)02:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

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