Cat Schroedinger の 部屋
 
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古典(クラシック)について

オペラなどと言うと、なんだか高級そうに聞こえるけど、ちょうど現在の歌舞伎が、高級そうに扱われるのと同じで、盛んだったころは、共に高級どころか使い捨ての、三流映画作りや、テレビドラマのようでした。当時の事件や、他愛無い男女の恋愛物語を、題材にし、作家が適当に作って、お決まりの筋立てで安易に製作されていました。もちろん今のようにテレビや、映画のように、一度に広がることは無いから、当たれば繰り返し上演されていました。

歌舞伎は大衆相手であったけれど、オペラは暇な貴族相手だったから、多少の違いはあるけど、似たようなものでした。あまり芸術的なものは少なかったのです。

中にはだんだん洗練されて、変わったものや、芸術的なものを作ろうとする人たちも出てくるようになりました。しかしそういった挑戦は、いつの時代でも、商業的にはリスクがあるし、多くの大衆は、マンネリを好んだから、似たような他愛無いもののほうが、圧倒的に多かったのでした。その中から時代と共に、名作と言われるものが残って今に到っているのです。

現在でも、初めはテレビドラマで一寸ヒットして、人気が出て映画化されて、シリーズ物になって、古典になってといった具合です。一般に舞台物は時間、舞台の制限があって、それほど込み入った筋立てが難しいから、歌舞伎などでは長い話の、有名なところだけを2幕ほどやったりするようになりました。ひどい話で、たとえるなら水戸黄門の筋はみんな知っているから、それは省いて、印籠出すところだけを上演していたわけです。現在では有名なところはよく上演されるが、その前後は話は残っているが、役者さんも含め誰も見たこともないという演目もあります。

実際に歌舞伎など見ても、出てくる言葉は下町のちゃきちゃきの江戸っ子弁だったり、話の内容も、現在の週刊誌の「ねた」のようだったりします。当時の江戸でもお芝居見物ともなれば、良い席で見る人は、着飾って朝早くから出かけて、一日がかりで芝居見物しました。安い席で見る人は、ちょっとした小遣い程度で見られました。夜は上演されてなかったので、全部マチネーでした。

オペラも始めのうちは、貴族階級のものでしたが、市民層が台頭してくるとだんだん大衆化していきました。その後の経過は歌舞伎と似たようなものです。ただ外国は戦争に負けてないので、伝統が受け継がれています。残念ながら日本では戦後、文化までも圧倒的に洋風となり、というかアメリカンになって、邦楽の分野は衰退の一途です。これはある意味残念なことです。

日本ではオペラはとても高いのですが、外国では立ち見などは300円くらいから見ることができます。歌舞伎もじつは、立ち見ですが安い金額で見ることができます。

思うに。みんながどっと押し寄せるころは、単価も安く出来るし、駄作も沢山出ますし、芸術的な試みも行われます。勢いがなくなると、高級になって、興行的にも当たりそうな物しか上演されなくなって、保存されていく傾向があります。こうなるとクラシックいわゆる古典となります。

今はロック、ジャズ、ポップス、流行歌などとても盛んですが、もう百年くらいすると、「ご趣味は?」「ロック!とか演歌!」 「え~~~高尚なご趣味」とか言われ、男性はタキシード、女性はイーブニングドレスでないと聴きに行けない、と言うようなことになるかもしれません。



2005年7月19日(火)23:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

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