Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 


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宝龍

 今日は掛川市の桜木にある「宝龍」に行きました。古くからあるラーメン店です。以前は何時も混んでいる店でしたが、沢山の競合店が出来て最近は普通の店となりました。



 



 ここのラーメンは昔風で、ごく普通の醤油ラーメンが好みです。

 



 この店の餃子もニンニクが強くて、個人的には好みです。


2020年10月18日(日)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

丹後半島めぐり 三日目 「天橋立」

 旅行最後の日は天橋立です。「天橋立を歩いて渡る」がこの旅行の売りです。

 初めに橋立の北側に位置する「丹後國一之宮 元伊勢 籠(この)神社」に行き、そこからロープウエーで「天橋立傘松公園」に上りました。

 



 天橋立を一望できる展望所があります。天橋立が昇り龍のように見えることから昇龍観と呼ばれています。有名なまた除きの場所です。転ばないように手すりがありました。

 天橋立の北側の橋立大丸シーサイドセンターで昼食、地域交流券をお土産に使い切りました。

 バス旅行の人達は全員歩きでしたが、我々二人は乗り捨てOKのレンタル自転車で橋立を渡りました。全長3.6kですから、ゆっくり歩いて45分ほどです。

 さっさと渡り、天橋立知恩寺文殊堂を訪れ、焼き栗を買って、回旋橋の麓の小洒落た喫茶店「カフェ・ドゥ・パン café du pin」でアイスコーヒーを飲みながら栗を食べました。

 目の前をモーターボートが走り賑わっていました。近くの「橋立大丸土産物店」に集合し、米原駅に向かい新幹線で帰路となりました。

 Go to キャンペーンと、地域交流券でずいぶん安い旅行となりました。

 



2020年10月3日(土)15:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「城崎温泉」

 今日の宿泊は、志賀直哉の小説「城崎にて」で名高い城崎温泉です。個人的には当時の流行でそれほどの小説とは思いませんでした。

 ホテルは温泉街の一番東端の「東山荘」でした。まだ禁漁が解けていないので、越前蟹の料理は冷凍物でした。

 「越前かに」とは、福井県の漁港に水揚げされる雄のズワイガニ(標準和名)のことです。越前かにというと蟹の種類の一つのように聞こえますが、実はそうではありません。松葉がにや加能がにもズワイガニです。
 

 



 東山荘の前には川が流れ両側に北柳通り、南柳通りがあります。名前の柳がとても綺麗です。すぐそばに山陰本線の踏切があります。写真からも判るように単線です。


 通りは本当に風情があり、たそがれ時に似合います。西に向かうと商店街が多くなります。


 城崎温泉駅は南に折れます。この辺りもお店があります。

 城崎温泉は7つの外湯めぐりを勧めています。そのため内湯の規模を比較的小さくしています。

 食事前に「一の湯」に行きました。なかなか大きくて立派な温泉でした。

 夜中に「東山荘」の湯に入り、翌朝は「地蔵湯」に行きました。



 温泉街の夜は意外と早く閉まり、やや淋しい感じでした。

 踏切近くのスナックで少し飲みましたが、イカのから揚げが絶品でした。さすがに日本海が近く太平洋側とは違います。

 



2020年10月2日(金)20:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「玄武洞」

 約160万年前の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩溶岩の厚い層が形成されました。

 その後、河川による侵食により玄武岩塊がむき出しとなった。玄武洞の玄武岩はマグマが冷却される際に体積が小さくなることでできる割れ目(節理)が顕著で切り出しやすかったこともあり、これを人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残ったものです。

 鉄分の含有量が多く、漬物石としても重宝されました。

 1807年幕府の儒学者柴野栗山がここを訪れ伝説上の動物玄武の姿に見えることから「玄武洞」と名付けました。

 1884年東京大学の地質学者小藤文次郎が岩石の日本名を制定する際に、玄武洞の名に因んで玄武岩と命名しました。つまり玄武洞の名前の方が玄武岩の名前より先なのです。

 1929年松山基範はここの玄武岩の持つ磁気が、現在の地磁気と反対の向きを指していることを発見しました。

 彼はこの地の玄武岩が出来たときの地磁気の向きが現在と反対の向きであったと判断し、かつて地球の磁場が反転したとする説を発表しました。

 過去360万年の間に11回は逆転し、現在では、2つの逆磁極期があったことが判明しています。

 589.4万年前から358万年前の逆転期は、「ギルバート」と名づけられ、

 258.1万年前から78万年前の逆転期は「松山」と名づけられています。

 地磁気逆転は氷期の原因になる説もあり、地球温暖化も疑わしくなります。



 地質学的に、とても面白い所でした。

 いわれてみれば亀と蛇の玄武に見えるかもしれません。



2020年10月2日(金)16:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「丹後松島、間人、琴引浜」

 舟屋を出て次は丹後松島です。丹後松島は丹後町此代(このしろ)から東に向かって島々が連なっている様子が、日本三景の松島に似ていることから「丹後松島」と呼ばれています。


次は丹後町間人(たいざ)です。

 山陰海岸ジオパークの京丹後を代表する「立岩(たていわ)」は、高さが20mもある巨大な一枚岩。安山岩の直線的な荒々しい岩肌が特徴的で、地域のシンボルとして親しまれています。


 



 難読で有名な地名の由来として、用明天皇の皇后で聖徳太子の母穴穂部間人皇女が物部の乱を避けて大浜の里に滞在したが、乱が治まって退座されたことによるという伝承があります。


 琴引浜鳴き砂文化館は、鳴き砂をテーマにした文化館として2002年10月にオープンしました。

 鳴き砂を接点として、人と自然との関わりや海の環境保全について考え、学ぶ施設です。



2020年10月2日(金)11:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「伊根の舟屋」

 宮津を出発し伊根の舟屋に行きました。遊覧船に乗って海から舟屋を観ました。

 カモメやトンビがえさを求めて飛んできます。日本には各地に舟屋があるそうですが、この集落は規模でも日本一で圧巻の景色です。



 舟屋は元々は単なる船の倉庫(船倉、船庫)でしたが、次第に上を住居にするようになったようです。この辺りは潮の満ち引きが50㎝ほどと少なく、舟屋から船の出し入れが簡単だったこともあります。

 昔は木造の小さな船なので、係留し続けると船が痛むため陸に揚げる必要がありました。



 古い舟屋の内部です。ごく普通の船庫です。


 外から見ると海に繋がっているのが解ります。


 とても穏やかな海なのに、綺麗で驚きました。

 昔は迷い込んだクジラを、みんなで協力して捕獲してもいました。クジラの解体所も残っていました。



2020年10月2日(金)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり

 ちょうど一カ月間サイトにアクセス出来ずお休みしました。

 10月1日から「丹後半島めぐり」3日間に行って来ました。新幹線で岐阜羽島駅で降りてバスに乗り込み、レインボーラインを走り三方五湖に到着しました。



 ロープウエーで上がると、湖が一望でした。


 次に舞鶴に行きました。水軍の軍港があり、今でも自衛隊の船が沢山停泊していました。戦後ロシアからの引き上げ船が到着したところでもあります。

 海軍ゆかりの港町で、レンガ作りの兵器庫の跡を見学しました。



 一日目は「宮津・ホテル&リゾーツ京都宮津」に宿泊となりました。

 大変豪華なホテルでしたが、まだまだ客は少なくてひっそりしていました、遠くに天橋立が見えとても良い景色でした。

 今宵は満月で静かなホテルにお似合いでした。



2020年10月1日(木)18:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

虹が

 仕事帰りに土砂降りの雨に遇いました。まさに車軸を流すような雨でした。

 ゆるゆると徐行しているうちに雨がやんだと思ったら、見事な虹が東の空に見えました。


 車を停て、少し濡れましたが写真を撮りました。



2020年9月15日(火)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

経営が大変

 日曜日近くのスナックに一人で行きました。お客が激減で大変だそうです。一人でやっているので何とか持ちこたえていると言っていました。

 今日は日帰り温泉「ならここの湯」に行きましたが、第三セクターで半分は市が経営しているから、何とかなっているけれどコロナウイルスの影響で、半分以下の収入だそうです。

 単独の民間経営なら休業だそうです。出る温泉の温度は40°位だそうですが、お湯の量が少なくて沸かしているのですが、燃料費が一月100万円位かかるそうです。


 スナックなど飲み屋が一番大変そうで、食食事処も芳しくないようです。このままだとスナックなどは半分くらいになりそうな雰囲気です。

 以前の様な状態に戻るには、ワクチンが出来るまでかかりそうな雰囲気です。

 



2020年9月14日(月)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

日本でのコロナウイルス感染が少ないのは

 日本の新型コロナウイルスの感染者数や重症者数、死者数の少なさは世界の特にアメリカ、ヨーロッパに比べると明らかです。

 同様の現象は台湾などアジアで見られます。
「日本人の生活習慣」、「マスクや入浴などの衛生意識」、「BCGワクチン」などを候補としてきましたが、いまだ明確な答えは見つかっていません。あるいは複合的なものかもしれません。

 そのなかですでに多くの日本人は免疫を獲得しているので、新型コロナを恐れる必要はないのではというのが一番有力かもしれません。

 新型コロナはS型、K型、G型の順に変異しています。S型とその変異形であるK型は“弱毒タイプ”で、G型は人間の細胞とくっつきやすいスパイクに変異した“強毒タイプ”です。

 最初に中国で発生したS型は昨年12月にはすでに日本に上陸していたことがわかっています。また、1月中旬にはK型が日本に上陸するなど中国近隣諸国にも広がっていた。

 つまり、日本において新型コロナの感染や重症化がおさえられたのは、S型、引き続きK型が早期に日本に流入していたことにあるという。今年1月中旬に武漢滞在から帰国した男性が国内最初のコロナ感染者とされたが、昨年末の段階で、すでに弱毒性のコロナが蔓延していたのです。

 さらに1月23日に武漢が封鎖されてからも、3月8日まで中国人の渡航を制限しなかったことです。

 政府の方針は対応が遅いと批判されましたが、昨年11月から2月下旬にかけて約184万人もの中国人観光客の入国によって、S型とK型が日本中に広がった。それにより、日本人は知らない間に集団免疫を獲得できた。

 日本人はすでに新型コロナを克服していたと考えられます。台湾、韓国など中国との行き来が多かった国は押しなべて感染による被害が少ないことと矛盾しません。


 話を複雑にしているのは、S型とK型の関係です。

 S型は欧米に充分に流入していましたが、S型の抗体だけだと、かえってウイルスの増殖を盛んにする「抗体依存性免疫増強(ADE)」を引き起こします。欧米では、K型が入らなかったことにより、S型によってADEが起こり、重症者が増加したと考えられます。

 「抗体依存性免疫増強(ADE)」の可能性があるので、ワクチンの接種も同様な問題があります。ですからワクチン接種を急ぎ過ぎると危険です。

 日本では新型コロナのIgGの検査してみると、殆どで陽性です、新型コロナのIgGを持っている人は、かなり多い可能性があります。

 いまのところ日本人は、S型50%、K型55%、武漢G型80%、欧米G型85%で集団免疫が成立し、このままいけば、11月にはほぼ100%の日本人が免疫を持つはずです。高齢や基礎疾患などの重症化リスクがなければ、今後亡くなる人は少なくなるでしょう。

 
 今後亡くなった方の基礎疾患の有無、S型、K型、武漢G型、欧米G型ウイルスの型の検査、さらにそれぞれの型に対するIgGの有無など詳細な検査、分析検討が必要です。



2020年9月13日(日)12:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

土屋誠一 「祈 展」

 菊川市の「花いかだ」で今日から土屋誠一氏の「祈展」が始まり早速訪問しました。

 「花いかだ」では木工や、茶道具、万華鏡などを扱っていて時々陶芸作家さんの展示があります。

 土屋誠一氏は金谷にある工房で石の彫刻、主に石地蔵を製作しておられます。

 静岡県内で時々個展を開いておられます。作風は自然石を生かした素朴な作りです。



 初めに目についたのが「あまびえ」の石像でした。土屋誠一氏の自由な作風を代表するような作品です。


 小さな小石に一部分だけ顔を彫り込んだ作品は、まるでマリア像のようで面白いと思いました。



2020年9月12日(土)18:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

わらび餅の「洛匠(らくしょう)

 新型コロナウイルスの影響で、京都の菓子店や喫茶店の閉店が相次いでいるそうです。

 ねねの道沿いには、わらび餅で知られる「洛匠(らくしょう)」がつい最近まで営業していた。名物の「草わらびもち」は、京都をはじめ全国の百貨店で販売されるほどの人気店でした。

 ところが、洛匠は、8月11日付でホームページに「閉店のお知らせ」を掲示しました。

 文面には「諸情勢を鑑み7月末をもって閉店することといたしました」とある。同時期には百貨店での販売も終了した。


 この店は京都に行くとよく寄っていた店で、ここのわらび餅は大好物でした。小さな庭もあり、雰囲気も良く名店だと思っていました。

 こんなことで閉店するとは思いもよりませんでした。



2020年9月11日(金)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

「漂流484日 船頭重吉の究極サバイバル」

 池内博之の漂流アドベンチャー4「漂流484日 船頭重吉の究極サバイバル」TVで観ました。

 江戸時代後期、太平洋を484日も漂流、故郷に生還した男がいた。千石船の船頭・重吉だ。

 俳優・池内博之がヨットで漂流記をたどりながら、重吉のサバイバルの秘密を探る。

番組詳細:
 今から200年前、嵐に遭って太平洋を484日も漂流した千石船の船頭・重吉。船はかじも帆柱もなくして操縦不能。

 飲み水も尽き、食料は積荷の大豆だけ。風と潮流任せの日々に乗組員たちは希望をなくし集団自殺を図る。

 さらに謎の病気が発生、全員が寝込んでしまう。そんな絶体絶命の危機的状況を、重吉はいかに生き抜いたのか?重吉の体験を記した江戸時代最高の漂流記・船長日記を俳優・池内博之がヨットと一人芝居でたどる。



 漂流の話は「コンチキ号漂流記」「太平洋漂流76日間」「ダイバー漂流・極限の230キロ」「あきらめたから生きられた・太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか」「太平洋漂流実験50日」などを読んだことありましたが「船長日記」は初めて知りました。

 このような実話があったことに驚き、とても感動しました。やはり船長という立場が成しえた偉業だと思いました。


 



2020年9月10日(木)23:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

北の三部作

 2005年の「北の零年」、2012年の「北のカナリアたち」は先日、2018年吉永小百合、映画出演120本目の「北の桜守」を観ました。

 
「北の零年」

 明治政府から北海道移住を命ぜられた淡路の稲田家主従546名。半月に及ぶ船旅の末、静内へと上陸した先遣隊は、家老・堀部賀兵衛と家臣・小松原英明を中心に、未開の地に自分たちの国を作るべく理想と希望に燃えていました。

 だが、様々な困難が彼らの前に立ちはだかる。稲はなかなか育たず、第二次移住団を乗せた船は難破、更に廃藩置県によって彼らの土地が明治政府の管轄となってしまいます。

感想:
 この後の苦労はリアルで良いのですが、夫が開拓使の役人として戦の為の馬の徴用にやって来るというのはいただけません。あまりにも偶然でリアリティーを失くしていました。常識的に考えても、捨てた元の妻の財産を取り上げに来るとは不自然すぎます。


「北の桜守」

 同戦中から戦後にかけて、北の大地で懸命に生きた親子の約30年の軌跡を描いています。

 1945年、ソ連の侵攻によって樺太を追われた江蓮てつ(吉永)は網走にたどり着き、意識を失うほどの厳しい寒さと飢餓に苦しみながらも、息子2人を懸命に守り抜く。やがて時は経ち71年、行方知れずの夫を待ちながら、1人で質素に暮らしていきます。

感想:
 映画の中で時々舞台の様な演出があり、付いて行けません。実際の引揚者の苦労を見事に描いているほどでもありません。セットもロケーションも安っぽいし、映画としての主張もありません。失敗作ではと思いました。



2020年9月9日(水)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

燃え尽き症候群

 介護系の仕事をしていると、一生懸命お世話してかなり状態が改善しても、また悪くなったり、亡くなったりします。

 もし育児なら手がかかっても、子供はどんどん成長し、お世話した甲斐があります。

 介護系では一生懸命やればやるほど、無常観に苛まされることがあります。いわゆる「燃え尽き症候群」です。


 みんなに聞くと、改善することを願うのでなく、いろいろやってあげたことを喜びとするように心がけているという答えが一番多くありました。また仕事として冷静に対処している人もいます。無感動になっている人もいます。

 特に特別養護老人ホームは治療を目的としない施設です。当然最後の時間を穏やかに過ごすとか、人として尊厳をもって死を迎えるとかが目的となります。

 そうは言ってもだんだん食べられなくなって、ドンドン弱っていく入所者のお世話をするのは辛いこともあります。

 7年もの間長く入所していた方が、だんだん弱っていくのを見ている今、ちょっと落ち込んでいます。



2020年9月8日(火)23:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 仕事の話 | 管理

北のカナリアたち

 礼文島に行ってきたので、「北のカナリアたち」の映画を観ました。ちょうどHULUにありました。

監督:阪本順治

出演:吉永小百合、柴田恭兵、仲村トオル、森山未來、満島ひかり、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平、石橋蓮司

あらすじ:
 20年前に起きた悲劇により引き裂かれた教師と教え子たちがある事件を機に再会し、それぞれが抱える心の傷や真実が明らかになっていくさまを描いています。

感想:
 出演者を見ても明らかなように、上手い人ばっかり出ています。

 話はどうにも暗くて、ちょっとなじめないところもありました。

 後半の吉永小百合は良いとして、前半の若い先生役は少し無理が有るかなと

 いつの時代を設定しているのか判りませんが、吉永小百合の言葉使いが、ばかっ丁寧です。前半はそれで、後半は少し現代的にと工夫を凝らすべきだと思いました。

 実際に礼文島に行ったばかりなので、景色には感銘を受けました。

 また子供たちの歌のうまさは素晴らしいものでした。あの人数で完璧な合唱となっています。もちろん吹き替えですが、(笑)

 写真の看板は礼文島の「カナリアパーク」の物です。撮影に使われたセットがそのまま残されて、公園になっています。



 映画のエンドロールですが、全島あげて撮影に協力したようです。

 黄色い丸を付けた「ホテル雲丹御殿」「プチホテルkリンシアン」に泊まりました。

 「海鮮処かふか」ではウニ丼を食べました。



2020年9月7日(月)21:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理

ふるさと納税

 ふるさと納税で、桃が届きました。まだ少し硬いのですが、一個食べてみました。

 なかなか良い味です。ふるさと納税で届く果物は今までの所外れがありません。

 地方の市役所が地元生産者としっかり信頼関係を保っているためでしょう。

 品質を確認することなく納税するので、かなり責任をもって管理されているようです。どこも競争だから大変でしょうが、多分原価に近い計算なので、寄付金額の3割と言ってもかなりお徳用なのでしょう。

 外国人に言わせると、日本の果物は確かに美味しいけれど、値段が高すぎるそうです。

 消費者も品質にうるさく、少しでも形が悪いとか小さな傷があると選ばないとかもあるけれど、流通が複雑で効率が悪いと言われています。



2020年9月6日(日)15:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

金谷御前崎連絡道路

 3号橋の桁架設工事がP2~P4がほぼ完成しました。

 3号橋は張出し架設工法と呼ばれる方法です。橋脚から左右に橋体を伸ばしていく架設工法で、3~4mを1ブロックとし、これを10日前後のサイクルで張り出していきます。

 右端がP2で左奥に張り出しがほんの少しのP5です。



 反対側からです。右橋がP5で御前崎川です。左端が金谷側のP1です。

 この調子だと2カ月ほどで、全て繋がりそうです。



 右の道路は掛川から島田へ向かう国道1号線バイパスです。金谷ICとなっています。これも片側2車線の拡幅工事が行われ、ICも現在島田方面向きだけですが、フルの形になります。

 金谷御前崎連絡道路とは、立体交差で接続になりそうです。

 



 P1も張出し架設が始まり、左のP2に接続します。

 右の2号橋は来年始まるため、工事のための仮設橋が作られています。



 P4と左のP5です。P5は少しですが張出し架設が行われています。

 接続しても道路が完成するまでにはかなりかかりますが、来年3月頃にはほぼ完成しそうです。

 凄い高さで下から見ると怖いほどです。

 これが完成すると新東名金谷島田IC、国道1号線バイパス、静岡空港、東名牧之原IC、国道150号線、御前崎港と南北の重要道路が繋がります。

 静岡県は東西の道路は大変充実していますが、海から一気に山となるので、南北はとても不便です。

 この道路の完成に期待しています。



2020年9月5日(土)18:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 車の話 | 管理

春雨や雷蔵さんの落語「黄金餅」

 「黄金餅」2020年8月31日(月) 午後3:00~午後3:30(30分)をNHKで観ました。

 演じたのは春雨や雷蔵でした。五代目 古今亭 志ん生や志ん朝、談志の「黄金餅」を聞き慣れているので何とも違和感がありました。

 志ん生は「え~~~」などとノンビリ話始めますが、一時期講談師をやっていたこともあり、道順を語り始めると一気に講談口調で語り切ります。

 道順は
 下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、

 私(志ん生)もくたびれた。志ん朝はくたびれたは言いません。談志はもう少し沢山町名を入れ、更に早口で語ります。

 談志のスピードは凄いけれど、リズムがありません。やっぱり志ん生が一番好きです。

 春雨や雷蔵の道順を語る様子全く違いました。この話はややもすると凄惨な話です。この道順の語り口が一番の売りだと思っています。

 昔の真似ばかりしていても発展はないから、新しい語り方として認めるべきなのでしょうか、



2020年9月1日(火)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 落語 | 管理

宗谷岬

 礼文島香深(カフカ)フェリーターミナルを早朝に出て、稚内に着きました。やっぱり利尻富士が曇りがちの天気でしたが良く見えました。

 ここからバスで一路宗谷岬を目指します。飛行機が2便あったのですが、1便となり時間が短くなりました。



 間宮林蔵の銅像が一番目につきます。曇り空でしたが、北海の地の雰囲気です。


 この説明のように樺太探検をした人です。


 日本最北端のお土産店です。最北端到着証明書を売っていました。バスで来ただけですから、到達と言っても・・・

 



 隣の小さな店で再びツブ貝を買いました。北海道のツブ貝は最高です。

 かなりギリギリまで居て、とても小さな稚内空港から羽田空港まで直通便で帰りました。

 直通便は夏の行楽シーズンだけ運用されます。今年はコロナの関係で、一日1便です。

 今回の旅行では利尻富士が曇ることもなく見え続け、実にラッキーな旅行となりました。コロナの影響で普通なら人が一杯の観光地も、ほぼ貸し切りでした。



2020年8月25日(火)13:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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