写真の整理 |
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| 先日のトルコ旅行の写真の整理に手を焼いています。
旅行中撮った写真が何処なのか解らない物が続出。電波の関係かGoogleマップのタイムラインが曖昧なところも有り苦労しています。
一番の原因はトルコの歴史が長く、理解できていないことがあります。地政学(geopolitics)的にもアジアとヨーロッパの境目で複雑です。
旅行中の案内人の説明も、どうかすると世界史の授業のように感じました。
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Apr.10.2023(Mon)23:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 今日の出来事 | Admin
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落選 |
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| 夜遅くまで選挙事務所に居ました。続々人は集まるけれど接戦。
新聞記者も来ていて明日の朝刊の締め切り時間を気にしていました。出口調査では全く解らないとのことでした。
開票所へ行っている人達から残り3000票で山が少ないという連絡。僅かな差で落選となりました。重苦しい空気が流れ選挙対策本部長らの挨拶の後、候補者の挨拶が有り終了となりました。
候補者の中で一番の人なのに、選挙は非情でした。
残炎で残念でなりません。
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Apr.9.2023(Sun)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 今日の出来事 | Admin
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県議会選 |
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| 選挙運動が今日までなので、応援している方の選挙事務所へ行きました。
最後の演説で色んな方が話をされました。
風が強く冬のような寒さで大変でした。素晴らしい話も多かったのですが、寒くて寒くて早く終わって欲しいとばっかり思っていました。
明日は投票日、是非とも当選して欲しいと願うばかりです。
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Apr.8.2023(Sat)22:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 今日の出来事 | Admin
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一日中雨で |
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| 疲れも取れ旅行の写真の整理をし始めました。カッパドキアが雪だったため、旅行の案内表と実際に訪問した順序が一致していません。
一体何処だったのか解らない写真もあり苦労しています。
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Apr.7.2023(Fri)20:29 | Trackback(0) | Comment(0) | 今日の出来事 | Admin
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トルコで買った物 |
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| カッパドキアは雪でした。露店で合成皮革の帽子があり旅行客の4人が購入しました。
おおよそ2000円位いでした。
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| 旅行案内の方から参加者全員にプレゼントされたアクセッサリーで、旅行中リュックに下げていました。
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| 至る所にある熱気球のお土産。
今回天候が悪くカッパドキアでは熱気球は見られませんでした。
以前事故があり気球の乗船はお薦めされていませんでした。乗る方は自己責任になっていました。
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| 3月30日カッパドキアで絨毯工場に連れて行かれました。
安い絨毯からとても高額な絨毯まで見ることが出来ました。
旅行者の2人が購入されました。
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| 4月1日クサダシの「Doma Milan」という皮革工場に行きました。
ファッションショーがあり、綺麗な革のジャンパーなどが所狭しと展示され、売り込みが凄かったです。
友人はジャンパーが欲しかったので大変高額なリバーシブルのジャンパーを購入しました。
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Apr.6.2023(Thu)14:09 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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帰国しました |
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| 4月5日イスタンブールから現地時間2:20発で約11時間で、19:25羽田に到着しました。
京急で品川、最終の新幹線で帰宅しました。
雪道を歩いたりで極度に疲れて、荷物を開く元気も無く眠りこけました。
写真の整理も何時になることやら。
旅行記は遡って記載の予定です。
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Apr.5.2023(Wed)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 今日の出来事 | Admin
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エジプシャンバザール |
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| 画面右のリュステム・パシャモスクから東側にエミノニュ広場があります。地元の人も多く賑わっていて沢山のレストランや食べ物を売る店があります。
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| 広場の東端がエジプシャンバザールの入り口です。
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| 中はアーケードになっていて天井も美しく装飾されています。
スパイス、食品、織物、装飾品、陶器などを扱う店が軒を連ねています。
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| エジプシャンバザールはイェニ・モスクの複合施設群の一部として1664年に造られました。歴史のあるバザールです。
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| 18世紀中頃よりエジプトから輸入される香辛料や生薬を多く取り扱うようになったことからエジプシャンバザールと言われるようになりました。
その後、シルクロードを経由して中国やインド、ペルシアなどの商品も売られるようになり、香辛料を多く扱う市場となり、別名「スパイス・バザール」とも言われています。
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Apr.4.2023(Tue)12:50 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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リュステム・パシャモスク |
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| このモスクは商店街の2階に建てられていて、入り口さえも殆ど判りません。ハシルジュラル通りに面したアーチをくぐり、安アパートの階段より狭い、曲がりくねった階段を上るとモスク横の中庭へ出ます。
この写真の左上の白いアーチの有る壁がモスクの壁です。
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| 左の壁にイズニックタイルが見られます。
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| このモスクは膨大な量の優美なイズニックタイルで知られていてこれほどのタイルを使ったドームは他にないそうです。
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| 色も統一感があり美しいドームでした。
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| 階段を下るとハシルジュラル通りで、商店街に入居している店舗の賃料はモスクの維持に使われているそうです。
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Apr.4.2023(Tue)11:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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スレイマニエモスク |
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| 主礼拝堂の建物は前後59m、左右58mで、直径27.5m、頂点の高さは地上53mに達する大ドームを中心としたドーム群と4本の長いミナレット持っています。
大モスクの立ち並ぶイスタンブール旧市街の中でもひときわ大きく、丘の頂上よりやや北側の斜面に位置するため、旧市街北の金角湾方面から見て特に印象に残るモスクのひとつでです。
スレイマニエ・モスクは礼拝堂のほか、マドラサ(イスラム教神学校)、医学学校、病院、給食所、宿泊所、商業施設、ハンマームなど、多くの付属施設を持ち、複合施設群を形成しています。
巨大なモスクです。
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| 中庭も整然としています。
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| ドーム内は装飾は少ないのですが、窓が多く明るくまとまっています。
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| 過剰でない綺麗なドームの印象を受けました。
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| 貯水池ですが宮殿のような作りとなっていて、レーザーショーがありました。
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Apr.4.2023(Tue)09:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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インターコンチネンタル イスタンブール |
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| ホテルはボスポラス海峡を望める高台の「インターコンチネンタル」でした。夜景が綺麗で、遠く「7月15日殉教者の橋」も見えます。
この辺りは沢山のホテルが有り、写真左の大きな建物は「リッツカールトン」です。
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| 昼間見るとボスポラス海峡のチェラーン宮殿が微かに見られます。
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| 画像が変ですがクリックすると普通に見られます。
ホテルの最上階にラウンジが有り午後5時から7時まで無料飲み放題が付いていました。
一緒に行った友人は、ほぼアルコール依存症なので毎日此処を離れません。お金に困っているわけではないけれど、ただ酒という言葉にめっぽう弱いのです。
行く先々のレストランでも「ビールの方?」と聞かれると手を上げ、「赤ワインの方?」と聞かれると手を上げます。「白ワインの方?」手を上げます。
一緒の旅行者の方は何か一つですが、彼は必ず3種類飲みます。
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| 奥には喫煙室も有り良い眺めです。上の窓は開いていますが天井にヒーターが入るようになっています。
喫煙者にも優しいホテルです。
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| 希望で急遽近くのホールへ「ベリーダンス」を見に行くことになりました。
セクシーな踊りに皆ノリノリでした。最後には一緒に踊る人もいて面白かった。もちろん酔っ払った友人も参加しました。
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Apr.3.2023(Mon)22:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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ボスポラス海峡クルーズ |
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| イスタンブールは西側のヨーロッパと東側のアジアに分かれ、北から黒海に面する「ヤヴズ スルタン セリム橋」、「ファーティフ・スルタン・メフメット橋」、「7月15日殉教者の橋」の3本だけです。
一番南にアブラシャトンネルがあります。
チュラーン宮殿近くの船着き場から出発し、ファーティフ・スルタン・メフメット橋で戻ってきました。
旧オスマン帝国の宮殿「チュラーン宮殿」が綺麗でした。
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| 建国の父として現在も人々の心の中に生き続けるアタテュルクは、1938年11月10日にドルマバフチェ宮殿の執務室の隣の部屋で息を引き取りました。
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| アルナヴトキョイ埠頭でとても賑わっていました。
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| ファーティフ・スルタン・メフメット橋をくぐります。北上しているので向かいはアジア側となります。
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| アジア側はヨーロッパ側と比べると幾分素朴な感じが残っています。
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Apr.3.2023(Mon)15:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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アヤソフィア |
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| アヤソフィアは元々は、東ローマ帝国時代に首都コンスタンティノープルで建てられたキリスト教正教会の大聖堂です。
その後はオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落が起きた1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりイスラム教モスクとして改築を繰り返し使用されてきました。
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| アヤソフィアの建物をモスクや教会など宗教的行事の場として使うことは厳しく禁じられてきましたが、エルドアン大統領はアヤソフィアをモスクへ戻す方針を宣言しました。
中の綺麗なモザイクには目をみはりました。
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| 博物館の礼拝堂への変更は国の内外で議論となっているようです。
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| アヤソフィア博物館の内装は、ほぼモスク時代のものを踏襲し、2階までの壁面は多色大理石と金地モザイクで、その上部は漆喰で飾られています。
アーケードは大理石の象眼細工で覆われ、古代建築から剥ぎ取られた大理石円柱によって支えられているが、 柱頭部分は新規に製作されたアカンサスの葉の模様のある変形イオニア式で、ユスティニアヌスのモノグラムが刻まれている。つまり、この部分は創建当時のものだそうです。
大聖堂内部には、今日少数かつ断片的にキリスト教聖堂であった頃のモザイク画が残っています。
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| 現在ブルーモスクは改装中で外から見るだけとなりました。
とにかくモスクだらけで、どれがどれだか判らないほどあります。
そのため明日「スレイマニエモスク」と「リュステム・パシャモスク」に行くことになりました。
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Apr.3.2023(Mon)11:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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トプカプ宮殿 |
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| トプカプ宮殿は北は金角湾、東はボスポラス海峡、南はマルマラ海に囲まれた小高い丘にあります。1453年にコンスタンティノープルを陥落させイスタンブールをオスマン帝国の首都としてから378年間スルタンの宮殿として使われました。
ブルーモスクからは10分程度、アヤソフィアからはすぐの所です。
トプカプ宮殿外門の「挨拶の門」ですが以外と飾り気のない作りです。
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| スルタンのハマム
ハマムとは、ローマ時代からオスマン帝国時代にかけて発祥したトルコ式の伝統的な浴場です。
スルタン専用のハマムには、安全のために金色のブロンズの手すり代わりの仕切りが付けられています。
すっきりしていた良い感じです。
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| 謁見室でスルタンの王座とお気に入りの女性が据わる場所、大時計やロッキングチェア、大きな花瓶などがあります。
ロココ調の部屋の白と青のタイルはオランダから持ち込まれたもので、この部屋に置かれている時計は英ヴィクトリア女王から送られたものだそうです。
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| 何から何まで細かい絵柄で驚きます。日本の美とは対比的です。
幕末時将軍に謁見した外国人が、江戸城の謁見の間で襖の繪以外に全く装飾が無いこと、将軍は王冠をかむることもなく、宝石を身に付けていることもなく、上等ではあるけれど普通の服装であったことに驚いています。
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| エメラルドの短剣は世界一美しく価値があると言われています。
これも日本刀の飾り気のない美しさとは対極にあります。
そのほか沢山の宝石がありました。
長い年月をかけて増設されていった宮殿は沢山の建物が有り、ごく一部が見られました。
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Apr.3.2023(Mon)10:15 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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石灰棚 |
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| パムッカレの石灰棚の下から見上げると、雪が降ったような丘が見えました。
弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となります。
その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となり、その温水中から炭酸カルシウム(石灰)が沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出しています。
沈殿すると石灰が更に堤のように発達して棚田のような景観を作っています。
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| 温泉が湧き出ているので、沢山の人が足湯を楽しんでいます。
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| 見下ろすと、先ほど通った池が見下ろせます。
下から見た景色より遙かに広くて雄大でした。
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| 確かに棚田のようになっています。
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| 小さなデニズリ空港から、最後の訪問地イスタンブールへ向かいます。
イスタンブールには今夜から2泊の予定です。
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Apr.2.2023(Sun)18:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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ヒエラポリス遺跡 |
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| パムッカレの石灰棚の下を通り、石灰華段丘の一番上にあるヒエラポリス遺跡に行きました。
ローマ帝国の温泉保養地として栄えました。ローマ帝国時代にも地震で破壊されるが、その後復興しました。
しかし1354年の大地震で完全に廃墟となりました。
とても広くこの図のように一番左下がネクロポリス(使者の街)となっています。
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| とても広いので車で奥まで行きました。景色を見ながらなので楽ちん。
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| ネクロポリスですが、大きな墓もありましたが地震で崩れているので少しずつ修復しています。
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| 街への門ですが、上に綺麗な装飾がありました。これも地震で全て崩れたようです。
日本も同様ですが温泉のあるところは地震を覚悟しなければならないようです。
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| ローマ浴場や競技場などが残っています。
この劇場は大きな物でした。
ローマ帝国は浴場、競技場、劇場は何処にでもセットで作りました。不思議なほど同じように三点セットで作っています。
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Apr.2.2023(Sun)14:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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パムッカレ |
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| 昨夜はパムッカレの「ドア サーマル ヘルス&スパ}ホテルに宿泊しました。
大きな円形の温泉ホテルです。
パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味だそうで、綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の生産地でした。
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| ホテルの中が温泉プールになっていています。外にも大きなプールがあります。更にサウナ、スパ、マッサージなど充実した温泉施設となっていました。
友人は旅行で疲れているのに、かなり泳ぎました。
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| 朝ふと見ると気球が上がっていました。カッパドキアでは天候が悪く見られませんでしたが、パムッカレでも気球がありました。
急いで写真を撮りましたが、あっという間に終わりました。
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| のどかな温泉地の風景に気球が綺麗でした。
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| 出発前の時間、ホテルの前の小さな雑貨店で友人とビールを飲んで、店の人にタバコを1本あげて少し話しました。ラマダン中なので、喫煙以外飲み食いが出来ないのが気の毒です。
トルコは日本人に友好的です。店主は「日本の車に乗っているのだ~」と言いました。見たら確かにカローラでした。
地元の老人が二人ほど来ました。ちょっとしたサロンのようになっているようです。
豪華なホテルも良いけれど、地元の人が集うような鄙びた店が好きです。
これからパムッカレの石灰棚観光です。
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Apr.2.2023(Sun)08:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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シリンジェ村 |
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| イズミールからさほど遠くない「シリンジェ村」です。100年ほど前までギリシャ人が住んでいて赤い屋根の村が美しい風景を作っています。
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| プチホテルやレストランも沢山有りました。少し素朴な感じでトルコ人にも人気があるようです。
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| 小高い丘の上に登る細い道沿いに、小さな店が並んでいます。
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| トルコの人にも人気があるようなお店が沢山ありました。
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| この辺りは、果物やナッツの栽培が盛んで、シリンジェ村へ向かう狭い道の脇には、ぶどう・もも・りんご・ざくろなどの果樹園が広がっています。
果物屋さんも沢山有り、ジュースを売っています。ざくろジュースを飲みました。
地中海性気候のためか果物も新鮮で美味でした。
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Apr.1.2023(Sat)13:30 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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エフェソス博物館 |
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| エフェソス遺跡の近くの「エフェソス博物館」に行きました。
エフェソス遺跡からの発掘品を展示しています。遺跡にある物はコピーでこちらに本物があったりします。
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| 見事は彫刻です。紀元前の物が見事に残っていることにも驚かされます。
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| とてもリアルな少年の顔。
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| 紀元2世紀頃のアルテミス像 更にもう一体アルテミス像が有りました。
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Apr.1.2023(Sat)11:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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エフェソス その2 |
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| クレティア通りは両側に位置する屋根付きで支柱のあるモザイクで覆われたギャラリーに向かって、商店や家々、その他の建物の扉が開かれていました。
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| クレティア通りを下っていくと右手に見えてくるのがトラヤヌスの泉。皇帝トラヤヌスに捧げられた泉です。
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| エフェソス遺跡のシンボルになっている図書館の門です。
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| 素晴らしい彫像が残っています。
目を見張るほどの美しさです。
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| この大劇場には24000人入ります。
音響効果が良く演劇や集会や演説が行われました。
この他アルテミス神殿跡も見ましたが、ローマ時代に再建されたものです。現在は1本のイオニア式の巨大な石柱だけが残されています。広々としていて当時の建物の大きさが偲ばれました。
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Apr.1.2023(Sat)10:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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エフェソス |
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| 今日はエフェソス遺跡です。紀元前6千年前の新石器時代には周辺に人が住んでい、ヒッタイト、ギリシャ、後にローマの支配となります。
現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたもので、巨大な図書館と劇場を備えていました。
始めは聖母マリアの家です。
珍しく日本語の説明看板もありました。
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| イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられる小さな建物で聖母マリアの教会(審議会の教会)になっています。
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| ヴァリウスの浴場です。2世紀に造られた豪華なローマ浴場跡で、冷水浴、温水浴、マッサージ室、脱衣場、トイレなどがあります。
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| 音楽堂・オデオン
この音楽堂は、収容人数1400人で、当時は上部に屋根がつけられていました。コンサートの他、会議にも使われました。
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| 両側がイオニア式、真ん中がコリント式の柱です。また単純なドリス式の柱も見られました。
新しく建物を建てるとき、古い建物を壊してその石材を使っていました。また地震で壊れると再建しています。そのため色々な様式が混ざったりしているようです。
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Apr.1.2023(Sat)09:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 気紛れ写真 | Admin
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