Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



2022年8月を表示

盛岡の思い出

 今度の旅行では盛岡に5泊しました。今回はのんびり出来ました。

 盛岡には2017年9月に訪れています。一人旅でしたが慌ただしい旅行でした。同じ所を散策して、Blogを読み返し懐かしく思い出しました。

http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc5bb559CA6D62/1/

 二度泣き橋の気持ちになりました。



2022年8月11日(木)22:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

祭りの写真

 旅行で撮った写真の整理をしましたが、良い写真が少なくてがっかりしました。


 写真撮影は適切な光の量です。光の量は絞りとシャッター速度で決めます。

 夜間撮影は光の量が少ないので、絞りを開けることになります。絞りは開けるほど被写体深度が少なくなります。詰まり焦点が合う位置が少なくなり前と後ろがぼやけます。

 行列など奥まで焦点を合わせるには、絞ることになります。すると入ってくる光が少なくなりシャッタ-速度が遅くなり手ブレしやすくなるし、動く物がボケます。

 今回踊る人のアップの写真は絞りを開いているので良く撮れましたが、集団の写真は良い物が少ない感じでした。

 一番問題なのは報道関係者で無い限り、沿道からしか撮れません。良いショットが撮りたくても、後ろの街路灯や看板の光も邪魔します。踊っているので狙ったときにはもう違う姿勢になっています。更にドンドン動いて行きます。


 結局「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」でしたが、あまり当たらなかったと言うのが結論です。



2022年8月10日(水)22:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

疲労困憊

 長い旅行だったのと、最後の2日間のホテルが最悪だったせいで疲労困憊(ひろうこんぱい)

 今日は仕事にやっと行けました。旅行の写真整理も明日からです。



2022年8月9日(火)21:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 今日の出来事 | 管理

仙台七夕祭り

 8日間の長い旅行も最終日となりました。今日は仙台七夕祭りの最終日でもあります。

 今までの笛や太鼓ので踊る祭りに比べ静かな感じです。

 



 折り紙で作った小さな鶴やサイコロを沢山配置した手の込んだ七夕飾りです。


 これはちょっと換わった形で全て鶴の折り紙でできています。

 



 これも手の込んだ七夕飾りです。


 これも時間を掛けて作った七夕飾りです。手が込んでますが色が統一されています。


 どうしても手の込んだ物に目が行きますが、統一されたシンプルでも良い感じの物もありました。

 花火大会もあったようですが、今日は月曜日の最終日とあって静かな七夕祭りでした。


 集合時間より少し早めに駅に着いて、お土産に「白松ヶ最中(胡麻餡)」を買いました。白松ヶ最中は胡麻餡に限ります。



2022年8月8日(月)11:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

山形花笠祭り その2

 このグループの踊りは素晴らしい物でした。


 踊りが整然と揃うのみならず、非常に力の入った演技で感動しました。


 花の付いた和傘の演技でした。色鮮やかで盛り上がりました。


 実に嬉しそうに太鼓を叩いている姿は見ている方も楽しくなります。


 亜取りの最後はミス花笠です。

 上手い演出で有終の美を飾りました。


 花笠音頭はよく練習されていて見ていて気分良く盛り上がりました。流石に有名な祭りだけのことがあります。

 踊りが終わっても街は賑わっていて、屋台などを覗いて回りました。


 夜遅くバスでボロホテルに到着。せっかくの感動も少し薄らぎました。



2022年8月7日(日)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

山形花笠祭り

 山形に早く到着したので花笠祭りのパレードの最終地点になる「文翔館(ぶんしょうかん)」を見学しました。

 明治9年、16年に県庁舎、県会議事堂が建てられましたが火事で焼失し、大正5年に再建された建物です。昭和50年まで県庁舎として使われていました。

 大変立派な建物で現在文化遺産の保存、郷土館などが有りました。

 祭りが始まると前庭は屋台で一杯になりました。



 食事するため街を歩きました。綺麗で落ち着いた雰囲気の街でした。


 この姿が典型的な花笠音頭の衣装で、花の付いた傘を持って踊ります。

 案内も的確で分単位で開始時間を知らせます。無駄がありません。



 わらじ祭りに比べ時間も正確だし、踊りも綺麗に揃っています。


 ミス花笠登場、太鼓の車も艶やかです。


2022年8月7日(日)19:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

銀山温泉

 昨夜遅く到着した「ホテル・パールシティ・仙台」は酷いホテルで釜ヶ崎のドヤ街と言えるほどで、狭い、汚い、不味いの三拍子そろい踏みでした。

 七夕祭りの会場に近いだけが取り柄の木賃宿で、旅行者全員非難囂々でした。

 ホテルからバスで北上し銀山温泉に向かいました。銀山温泉は3回目の訪問です。

 この「古勢起屋別館」に宿泊しました。
 http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc61RZ5F00832A/1/

http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc61Yd5F01274B/1/

 銀山温泉は夜の景色が素晴らしいです。



 「古勢起屋別館」の少し奥にある、使われていなかった(右手前に写っている)「古勢起屋」が改装されて開業していました。


 「能登屋」、「旅館永澤平八」と赤い橋

 「千と千尋の神隠し」を思わせる定番の写真スポット。



 銀山温泉は食事処が少なくて、「伊豆の華」で蕎麦を食べました。

 私は写真を撮りに行き、取り終えてもまだ飲んでいる友人が窓から見えます。、



 「伊豆の華」の向かいの「古山閣」には鏝絵(こて絵)があります。壁を塗る漆喰と左官ごてで描かれる装飾で此処が一番沢山有ります。

 大正ロマンを彷彿とさせる、着物姿の観光客がマッチしています。

 昼食を済ませ、これから少し南下し山形市に向かいます。



2022年8月7日(日)13:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

福島 わらじ祭り

 福島わらじまつりは、長さ12mの大わらじを信夫山の羽黒神社へ奉納する「信夫三山暁まいり」に由来して始まりました。

 これがわらじですが、なんとなく貧相な感じです。

 

 



 踊りのパレードは笛、太鼓は無くて、この三角広場で生演奏しそれをスピーカーで沿道に流します。

 参加者が踊る「わらじ音頭」は連続テレビ小説「エール」のモデルになった古関裕而氏の作曲。

 2019年に50回の節目を迎え、福島市ゆかりの音楽家大友良英氏の手により、笛太鼓の生演奏・生唄のわらじ音頭へとリニューアルしました。

 この演奏が酷く明らかに音痴! 司会者は地方の放送局のようで、楽屋落ちのくだらない話を延々と続け時間通りに始まりません。



 「わらのわ」と呼ばれる輪を両手に持ちながら、健脚をイメージさせる下半身の動きに特徴をつけ踊りますが、殆どの団体が揃った踊りを披露できません。

 明らかに練習不足と言うより、殆ど練習していない踊りでした。幼稚園のお遊戯会程度です。小学校のお遊戯会よりは劣ります。

 

 



 最後に長いわらじを担いで歩くだけ。


 後に小さい金のわらじを運ぶだけ。全く盛り上がりません。


 
 コロナ禍だから参加者は声を出せないのでしょうが、中央から音量もテストしていないかのような爆音で音痴の歌を聴かせるのは問題で、しっかりした歌手を選ぶべきだと思いました。

 地元のアナウンサーであってもある程度の台本を作るべきだし、タイムキーパーも必要です。

 見学した人達の意見も、今回の旅行で最低のお祭りとの評価でした。

 わらじ祭りが有名で無いのも頷けました。



2022年8月6日(土)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

二本松城跡

 盛岡駅から新幹線に乗り仙台に向かい2泊します。盛岡ともお別れです。

 盛岡に5日間も滞在し色々な店で食事し、散歩しました。開運橋は、別名「二度泣き橋」と呼ばれ、盛岡駅へ向かう途中に再びこの橋を渡り、二度目は離れるのが辛くて泣くという気持に共感しました。

 県庁所在地ですが街がこぢんまりしていて、実に良い街でした。

 仙台駅からバスで福島県の「二本松城跡」別名霞ヶ城」に到着しました。旧奥州街道二面していて重要な城でした。城主も何度も変わっています。

 戊辰戦争でふるさとを守るために若い命を散らした、二本松少年隊を顕彰する群像。



 この城はもともと天守閣は無くこの「箕輪門」が有名です。
 特に石垣と松が見事です。石垣と累々たる城壁、城門が十万石大名の威容を示していました。

 戊辰戦争によって、灰燼(かいじん)と帰しましたが、再建の声が高まり、昭和57年(1982年)に再建されました。



 霞ヶ城の笠松です。庭は綺麗で風情がありました。


 もともとは丹羽藩主時代、霞ヶ城内の庭園にいくつかあった茶室の一つ「墨絵の茶屋」です。

 天保8年(1837年)山崩れにより墨絵の茶屋が倒壊し、これを阿武隈川河畔に移して再建し、藩主の釣り茶屋となっていたのを、後に現在地に移し「洗心亭」と名づけたものです。

 戊辰戦争でもこれだけは焼けなかった貴重な建物です。



 今回時間の関係で天守までは行かれませんでしたが、途中の展望台には行きました。安達太良連峰が見えるのですが生憎曇っていて何も見えませんでした。

 高村光太郎の愛妻智恵子の故郷のため「樹下の二人」の初めの部分の句碑もあります。仇等田山が見えなかったので、全文を

 高村光太郎 「樹下の二人」(詩集『智恵子抄』より)
樹下の二人
――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――


あれが阿多多羅山あたたらやま、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹せんたんを魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉とらへがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫さかぐら。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国きたぐにの木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

 二本松市歴史観光施設(愛称「にほんまつ城報館」)で色々な物を見学しました。



2022年8月6日(土)14:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

五所川原市 立佞武多(たちねぷた)その2

 立佞武多(たちねぷた)は3年毎に新しく投入され常に3台のねぷたが展示され祭りに使われています。

 人口が少なく祭りに参加する人数も限られとても大変そうですが、みんな元気いっぱいで頑張っています。

 手前のねぷたは小さい物ですが、右奥に小さく見えるナプタはビルの上を遙かに越して動いています。



 これらは子供用の小型ねぷたですが、それでも結構な大きさです。


 「神武天皇」のねぷたが帰ってきました。展示場に入る所を下から摂りました。


 下から撮影した「暫」の入庫です。


 近づいて見るととんでもない高さを感じます。このような高さのある物の設計、製作は難しく感動しました。


2022年8月5日(金)19:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

五所川原市 立佞武多(たちねぷた)その1

 五所川原は去年の4月22日「みちのく三大桜の旅」で訪問しています。

  http://catschroedinger.btblog.jp/cm/kulSc637c608428A5/1/

 人口5万人程度の小さな街ですが元気があります。立佞武多(たちねぷた)館は前を通りかかっただけでした。

 ここも立佞武多(たちねぷた)と半濁音になります。その名の通り非常に高さのあるねぷたです。3台有りますが大きな展示場に3台とも展示されていて、祭りになると巨大なシャッターが開いて街へ登場となります。

 これは一番新しいねぷたで歌舞伎十八番の「暫(しばらく)」です。紋も成田屋の三升です。



 これはかぐや姫の「かぐや」です。

 サムネイルの表示が回転していますが、クリックすると正常の画像になります。



 これは稽古照今・神武天皇、金の鵄を得る(けいこしょうこん・じんむてんのう・きんのとびをえる)だそうです。高さは22mもあり7階建てのビルの高さです。


 神武天皇のねぷたの登場です。下に移っている人の大きさから高さが解ります。


 我々は2階の屋上の観客席から見ましたがとにかく高さに圧倒されます。


2022年8月5日(金)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

奥入瀬渓流・酸ヶ湯温泉

 今日は秋田県五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)」です。ここも「ねぷた」と半濁音です。

 盛岡から八幡平市を抜け、十和田湖を半周し奥入瀬渓流で休憩。



 せっかくの奥入瀬渓流の清流も昨日までの大雨で濁流になっていました。

 倒れたばっかりの木々が目を引きました。



 更に北上し「酸ヶ湯(すかゆ温泉)」に到着。此処で入浴です。


 ヒバ千人風呂、今時珍しい混浴の大きな風呂で有名です。

 男性用、女性用の風呂も別にあります。混浴は一時期問題になったそうですが、伝統を守るため再開されたそうです。



 浴室はもちろん撮影禁止なので、この旅行会社のサイトからの転用です。

 完全な掛け流しでお湯は床の木の隙間から沸いています。かなり熱い風呂でした。千人はともかく確かに広い浴槽でした。

 
 入浴を終え、少し遅い昼食を取りこれから五所川原市へ向かいます。



2022年8月5日(金)14:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

さんさ踊り その2

 一般にミスの場合3人程度で、車に乗って手を振るくらいです。

 2022ミスさんさ踊り 太鼓連は十数人なので、パレードでは広がって踊り間近に見られました。

 演技中は一段と美しく見え驚きました。沿道の観客も我先にとカメラを向けていました。

 



 ミス横笛が目の前を通過しました。華やかで驚き!


 大原学園の生徒達です。とても揃った良い演技でした。


 午前中に出演していた保存会の方達の演技は、一段と目を引きました。


 気合いの入った太鼓。太鼓は重くてかなりの重労働だそうです。

 コロナ禍のため短縮されていて早く終わりました。

 
 



2022年8月4日(木)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

さんさ踊り

 疲れてきた旅行4日目は移動無しで、盛岡市のさんさ踊りです。今日はさんさ踊りの最終日です。

 駅の東側にあるホテルから駅の西側にある「盛岡市民文化ホール(マリオス)」で伝統さんさ踊り競演会を鑑賞しました。アナウンサーの段取りが悪く無駄な話が多くて困りましたが、2022ミスさんさ踊り・さんさ太鼓連による「華麗なさんさ踊り」が終わるまで我慢してみました。
 
 ミスさんさ踊り・さんさ太鼓連は綺麗なだけで無く、踊りも、太鼓も、笛も一流でした。
 



 頭に傘を被るのが伝統的な踊りの装束のようです。


 夕食後は駅東側の中央通で鑑賞です。3年ぶりとあって出演者も、観客も気合いが入っていました。

 



 盛岡市民文化ホール(マリオス)に出演していた2022ミスさんさ踊りが登場し祭りは最高潮です。


 この方達は去年のミスさんさ踊りのようです。

 踊っていると更に綺麗に見えます。



2022年8月4日(木)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

秋田竿燈祭り

 なまはげ館から男鹿半島を海沿いに走り、秋田市に到着。

 観覧席が用意されていて、席に留まって鑑賞です。

 竿燈は皆殆ど同じで、沢山の竿燈が並びその位置で演技します。



 片手で持ち上げたり、額に乗せたり、肩に乗せたり、腰に乗せたりとさまざまな乗せ方を披露します。

 提灯の中は本当のろうそくが入っているので、火が付くこともあります。



 これは肩に乗せています。かなり難しそうです。更に竿燈をわざと傾けたりします。


 縁起が終わると、竿燈が移動し、笛と太鼓の山車(だし)も移動します。

 女性ばかりの笛、太鼓もあり艶やかです。



 時々やり過ぎて倒れます。客席に向かって完全に倒れないようワイヤーが張ってあります。

 ワイヤーの無い方へ倒れると提灯が燃え、周りの人が大急ぎで消火します。

 コロナ禍のため予定より少し早めに終わりました。

 夜中に盛岡のホテルに戻りました。バス移動が多くだんだん疲れてきました。



2022年8月3日(水)20:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

なまはげ館

 盛岡から西に向かい男鹿半島の「真山(しんごん)神社」に行きました。

 巫女さんから丁寧な説明がありました。とても歴史のある神社です。




 



 古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登ったそうです。

 そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。



 ご神木の榧の木で、横に広がった不思議な形をしています。


 隣になまはげ館があり、なまはげのショーがありました。

 実際に傍で見ると迫力が有りました。

 なまはげが「悪い子はいねーか?」と秋田弁で叫ぶと、
 小さなお子さんが「僕良い子だもん!」と、東京言葉で何度も叫び笑えました。



 なまはげは村によって色んな種類があり、沢山展示されていました。


2022年8月3日(水)15:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

青森ねぶた祭

 「ダイワロイネットホテル」は駅に近く、北上川に掛かる開運橋の袂に有ります。開運橋を進むと不来方城(盛岡城)です。以前訪問しましたが、何も無い城でしたが、啄木の「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸はれし十五の心」の句碑が印象的でした。

 一緒に行った友人は飲んでばかりいるので、一人で今回は城の下まで散歩しました。

 開運橋は、別名「二度泣き橋」とも呼ばれます。

 首都圏などからの転勤族の間で語られたのが由来で、初めて盛岡へ訪れ開運橋を渡る際「遠く離れた所まで来てしまった」と一度泣き、転勤期間を終えて盛岡を去ることになり盛岡駅へ向かう途中に再びこの橋を渡り、二度目は離れるのが辛くて泣くというもの。

 宮沢賢治の短歌
 「そら青く 開うんばしの せとものの らむぷゆかしき 冬をもたらす」が書かれています。



 お昼頃盛岡を出発し、八幡平で休憩しましたが生憎少し雨で何も見えませんでした。

 夕方に青森市に到着し夕食を取ってからねぶたです。
 
 弘前のねぷたは扇方ですが、青森市は立体です。サイズも遙かに大きく立派です。



 風神雷神のねぶたです。とても立体的で張り子ですが間近で見ると迫力一杯です。


 毘沙門天と吉祥天のねぶた。これも見事でした。

そのほかにも立派なねぶたが沢山出てきました。



 笛太鼓とかけ声で祭りは盛り上がります。コロナ禍のため3年ぶりの開催なので気合いが入っていました。

 夜遅く岩手のホテルに帰りました。



2022年8月2日(火)23:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

弘前ねぷた祭り

 東京駅から新幹線で盛岡に到着。盛岡のホテルに5泊し北東北を回ります。

 盛岡からバスで弘前市に到着。弘前城近くの「津軽藩ねぷた村」で何種類かのねぷたと津軽三味線を聞きました。



 椅子の大きさから解るように大きな物でした。他に地区では「ねぶた」と濁りますが、弘前では「ねぷた」と半濁音になります。


 ねぷたの会場は弘前城の直ぐ前で行われます。これはそれ程の大きさではありませんが、円筒形を横にした形で前と裏に色んな絵柄が描かれています。


 曳いている人と比べると解りますが、とても大きなねぷたです。大きな声のかけ声で次から次へと出てきます。


 最後に大太鼓の登場です。上と下から叩きます。女性はさらし巻きで勇ましく、幻想的な感じを受けました。



 コロナの影響で比較的早く終了し、バスで夜遅く盛岡の「ダイワロイネットホテル」にチェックインしました。

 新しいホテルで部屋は狭かったのですが、綺麗なホテルでした。



2022年8月1日(月)23:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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