Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



2022年6月6日を表示

住吉神社

辰ノ島遊覧を終え、今日最後の訪問地は島の中央にある「住吉神社」です。御祭神は住吉三神(日本書紀と古事記では少し異なる)です。

 神功皇后が三韓出兵を成し遂げその帰途壱岐に上陸して三神を祀ったとされています。

三韓征伐に由来する住吉神社は、三大大社の住吉神社(福岡市博多区)・ 住吉神社(山口県下関市)・ 住吉大社(大阪市住吉区)など沢山ありますが、壱岐市のこの住吉神社が日本最古です。

 三韓征伐(さんかんせいばつ)は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である神功皇后が、仲哀天皇の没後新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本における伝承です。

 はっきりしているのは白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)以後です。白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の体制の建設をもたらしたと考えられています。
 
 境内は鬱蒼と木々が繁り、厳かな雰囲気です。



 それ程広い舞台ではありません。客席にはお米のお土産が置かれていました。

 700年も続く神職のみで継承されてきたとても神聖視された神楽(かぐら)で、12月20日には「壱岐大大神楽がこの住吉神社で奉納され6~7時間に及ぶそうです。



 舞台の裏の本殿は綺麗に整備されているようでした。発見された大陸系の神鏡、平安から室町時代の貴重な文化財も所蔵しているそうです。

 



 総勢5人の神職のの方々が笛、太鼓で演奏し順に神楽(かぐら)を奉奏されました。


 熊野三山で目にした、神武天皇の道案内をした「八咫烏(やたがらす)」の面を付けての神楽は親しみを感じました。


 ありがたい神楽ですが、踊りが長く見ている方も疲れて来ました。眠りそうになる友人に笑えないのを良いことに、ヒソヒソ話をしていました。

 そのうち話がメチャクチャになり、「かけ声」を掛けろと言うと、屋号を知らないと。じゃあ「待ってました!」で良いのではとか、

 二人で踊り出したので、「待ってましたご両人!」と声を掛けろとか引き抜きの早変わりは無いのかとか、お面の早変わりはどうかなとか

「パ・ド・ドゥ(Pas de deux)だ~~」と言ったら、男女2人の踊り手で踊るのがPas de deuxで同性の二人で踊るのはduoだとか、馬鹿な話をしていました。

 更に話はエスカレートして、おひねりを投げろとか、千円札で作ったレーを首に掛けに行けとか、不謹慎な冗談を言っていました。

 友人は「なんだか熱っぽい」と、落語「寝床」の義太夫による「義太熱」でなく「神楽熱」のようだと言い出しました。


 
 やっと舞が終わり、
「如何でしたか?」と問われて、
「お能の様な振りが少ない物を想像していましたが、」と答えたら
「今日は特別激しい振りの有る演目を選びました。」と答えられました。


 個人的には振りは多いのですが、やや繰り返しが多いので退屈になるのではと思いました。元々神事なので娯楽性は少なく長い鑑賞は大変です。巫女の舞もあれば雰囲気が変わるかもしれません。

 12月20日には「壱岐大大神楽がこの住吉神社で奉納され6~7時間に及ぶそうです。

 もし観劇すれば、不謹慎な二人は途中で「神楽熱」で倒れるかもしれません。

 



2022年6月6日(月)16:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

辰ノ島遊覧

 壱岐島の北の端西側には名鳥と辰ノ島があります。小さな4つの島をあわせて名島と言われ人が住んでいます。辰ノ島は無人島ですが、海水浴場があります。

 
 玄界灘の宝石と称される辰ノ島の遊覧です。壱岐では屈指の観光地です。

 天気も良くなり絶好の遊覧です。

 それ程大きな船でなく知床の船に似た大きさでした。
 乗り込むとき「これが沈んだら大ニュースになる」と言ったら、皆が「ギャ~~!」とか「縁起でも無い!」とか・・・



 漁港でもある勝本浦を出発です。海は綺麗で波もありません。


 辰ノ島は逆Uの字形で凹んだ真ん中に砂浜があり、辰ノ島ビーチで海水浴場になっています。写真の白く見えるところが砂浜です。

 海の色が青から緑色に変わっています。



 東側の「海の宮殿」と言われる切り立った岸壁です。アブラメ瀬戸と呼ばれ潮流が速く地元の潜り(海士)もここでは漁が出来ないそうです。

 海底まで透けて見える緑色の海は、まさに宝石のようです。岩が突き出ているところを巧みに避けて船が近づき、ちょっと怖い感じもしました。

 



 今日は外洋の波が荒く、東側だけの予定でした。

 船長は「今日は波が荒いが短時間ならなんとか行ける!」とちょっと不安な言葉を発しながら西に回りました。 

 島の西側は外洋で対馬海峡です。急に波が荒くなり海の色も青くなりました。西の端の高さ50mの切り立った断崖の割れ目「蛇ヶ谷(じゃがたに)」です。

 荒い波の中を手前にある海に突き出た岩を避けて、岸壁に近づきます。誰も声を発せられない程の緊張感でした。

 通り過ぎてから船長に「危ないですね~~」と声を掛けたら
「いや~毎日やってるからね~、慣れだよ慣れ」と事もなげに言いました。

 緊張感もありましたが、最高の遊覧となりました。



2022年6月6日(月)15:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

黒崎砲台跡・猿岩

 壱岐には多くの砲台跡があります。壱岐要塞(いきようさい)は、対馬要塞と共に対馬海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞です。

 対馬海峡、壱岐海峡の防備のため1924年10月から工事が開始され、1938年12月までに全ての砲台が竣工しました。

 1922年ワシントン軍縮会議で当時建造中の「戦艦土佐」が廃艦となりましたが、その主砲がこの黒崎に設置されました。

 かなり深くて大きな物です。



 黒崎砲台跡の直ぐ近くに、猿の顔にそっくりの岩があります。

 高さ45mの玄武岩の断崖に孤立して立っています。

 各地に沢山の名前が付いた岩がありますが、言われてみればという物もありますが、この猿岩はかなり猿です。

 右側の湯の本湾に面して「湯ノ本温泉」があり、湾内には小さな手長島があります。

 少し北に進むと蒙古襲来上陸地があり、文永の役の「新城(しんじょう)神社」は島の中央の新城古戦場にあります。弘安の役の「壱岐神社」は島の南芦辺フェリー港にあります。

 700年以上前の元寇がこの島ではそのまま受け継がれていることに驚き、戦争の悲惨さが身に染みました。
 



2022年6月6日(月)13:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

郷ノ浦の街

 昼食は宮の通りの「三益寿司」でした。「少し贅沢に玄界灘の恵みをお届けします。」とあるようにやや甘めですがなかなか美味しい店でした。
 
 もちろん醤油は持参しています。



 天気も回復し食後街を散歩しました。コーヒーショップを探したのですがシャッター通りとなっていたり、夜の店ばかりでした。

 橋の欄干に「壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)」が有りました。

 家内の安全、無病息災の魔除けとなる壱岐島伝統の民芸品です。長崎県指定の伝統的工芸品。

 玄関、床の間など室内の装飾として。壱岐には初節句やお祝いの際に鬼凧を贈る風習があります。



 メイン通りは入り江になっていて美しい街ですが、人っ子一人歩いていません。

 まだまだ観光客が戻っていないようです。



 土産屋も開いているところが少なく、「長田(おさだ)商店」で買い物となりました。ウニなどの海産物が専門の店です。


 大きな「壱州鬼凧(いしゅうおんだこ)」が沢山ありましたが、とても小さい壱州鬼凧を買いました。


2022年6月6日(月)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

小島神社・はらほげ地蔵・塞(さい)神社

 古代日本の原風景を色濃く残す壱岐の島は至る所に神社を作っています。

 添乗員さんが神社の名前を覚えるだけでも大変で、祭ってある神々の名前はややこしくて覚えられないと嘆いていました。もっとも聞く方も間違いを言っても解らないので大丈夫だと。


 壱岐の小島に浮かぶ「小島神社」は潮の満ち引きで参道が現れるモンサンミッシェルのような神社です。

 今回それ程潮が引いていませんでしたが、微かに参道が現れ始めていました。



 海に面した六地蔵ですが、掲示板にあるようにお腹に穴が空いていて、お備えをすると満潮時には胸まで浸かりお供えが海に運ばれる地蔵です。


 訪問したときはまだ足下に潮が満ちていました。

 何時何のために作ったかは定かでないようです。



 昼食のため郷ノ浦に戻りました。

 食べ物屋が多い「ふれ愛通り」と「宮の通り」の真ん中の辻にある「塞(さい)神社」は天岩戸の神話で天照大神(アマテラスオオミカミ)を大胆な舞で誘い出した女神・天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、のちに男神・猿田彦命(サルタヒコノミコト)と結ばれて、一体神になった猿女命(サルメノミコト)が祀られています。

 拝殿脇にある巨大な男性シンボルと石像の御神体が目を引きます。



 社殿にも男女の営みに関するものがたくさん奉納されています。

 良縁、安産、夫婦和合、性の病、子どもの守護の祈願がされます。

 



2022年6月6日(月)11:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

原の辻(はるのつじ)遺跡

 一夜明け曇りがちながら、一部に青空も見えるまあまあの天気です。

 ホテルから見た港も賑わいが感じられます。鉄道が無い島々ではフェリーの港がちょうど鉄道の駅前の雰囲気です。



 ホテルの左側に大浴場から少し見える塔が建っていました。

 ホテルのフロントの方と話していて聞いたのですが、宿泊した「ビューホテル壱岐」の裏に「春一番の塔」がありました。春一番は春先に吹く南風といい春が来たノン降りした気分の気象用語になっていますが、実はこの言葉の発祥の地は壱岐だそうです。

 1859年この地で春一番を受け、50余名の漁師の方々が亡くなり、1987年郷ノ浦港入り口の元居公園に春一番の塔が建てられました。



 今日の一番目の訪問地は「原の辻(はるのつじ)遺跡」です。壱岐一番の史跡で、静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と同じく国特別史跡に指定されています。

 邪馬台国で論議を呼んでいる「魏志倭人伝」に記載されている国の中で、唯一国と王都が「一支国(いきこく)」と特定されています。

 まだ発掘調査は2割程度ですが、沢山の土器などが発見されています。

 沢山の住居が復元されています。この家は「王の館」で最大規模の竪穴住居です。



 建物が似ていて区別が難しい感じですが、これは高床式で「食材の倉」です。

 儀式に使う特別な米、海産物、木の芽、果実酒などが入れられていたと考えられています。



 「物見櫓(ものみやぐら)」は高くて一番目立ちます。

 「内海湾(うちめわん)」に通じる幡鉾川(はたほこがわ)河口方面を見張っていたようです。

 原の辻(はるのつじ)遺跡は丘陵の周囲を環濠(かんごう)で囲まれている環濠集落です。

 



2022年6月6日(月)09:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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