Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



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丹後半島めぐり 二日目 「城崎温泉」

 今日の宿泊は、志賀直哉の小説「城崎にて」で名高い城崎温泉です。個人的には当時の流行でそれほどの小説とは思いませんでした。

 ホテルは温泉街の一番東端の「東山荘」でした。まだ禁漁が解けていないので、越前蟹の料理は冷凍物でした。

 「越前かに」とは、福井県の漁港に水揚げされる雄のズワイガニ(標準和名)のことです。越前かにというと蟹の種類の一つのように聞こえますが、実はそうではありません。松葉がにや加能がにもズワイガニです。
 

 



 東山荘の前には川が流れ両側に北柳通り、南柳通りがあります。名前の柳がとても綺麗です。すぐそばに山陰本線の踏切があります。写真からも判るように単線です。


 通りは本当に風情があり、たそがれ時に似合います。西に向かうと商店街が多くなります。


 城崎温泉駅は南に折れます。この辺りもお店があります。

 城崎温泉は7つの外湯めぐりを勧めています。そのため内湯の規模を比較的小さくしています。

 食事前に「一の湯」に行きました。なかなか大きくて立派な温泉でした。

 夜中に「東山荘」の湯に入り、翌朝は「地蔵湯」に行きました。



 温泉街の夜は意外と早く閉まり、やや淋しい感じでした。

 踏切近くのスナックで少し飲みましたが、イカのから揚げが絶品でした。さすがに日本海が近く太平洋側とは違います。

 



2020年10月2日(金)20:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「玄武洞」

 約160万年前の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩溶岩の厚い層が形成されました。

 その後、河川による侵食により玄武岩塊がむき出しとなった。玄武洞の玄武岩はマグマが冷却される際に体積が小さくなることでできる割れ目(節理)が顕著で切り出しやすかったこともあり、これを人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残ったものです。

 鉄分の含有量が多く、漬物石としても重宝されました。

 1807年幕府の儒学者柴野栗山がここを訪れ伝説上の動物玄武の姿に見えることから「玄武洞」と名付けました。

 1884年東京大学の地質学者小藤文次郎が岩石の日本名を制定する際に、玄武洞の名に因んで玄武岩と命名しました。つまり玄武洞の名前の方が玄武岩の名前より先なのです。

 1929年松山基範はここの玄武岩の持つ磁気が、現在の地磁気と反対の向きを指していることを発見しました。

 彼はこの地の玄武岩が出来たときの地磁気の向きが現在と反対の向きであったと判断し、かつて地球の磁場が反転したとする説を発表しました。

 過去360万年の間に11回は逆転し、現在では、2つの逆磁極期があったことが判明しています。

 589.4万年前から358万年前の逆転期は、「ギルバート」と名づけられ、

 258.1万年前から78万年前の逆転期は「松山」と名づけられています。

 地磁気逆転は氷期の原因になる説もあり、地球温暖化も疑わしくなります。



 地質学的に、とても面白い所でした。

 いわれてみれば亀と蛇の玄武に見えるかもしれません。



2020年10月2日(金)16:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「丹後松島、間人、琴引浜」

 舟屋を出て次は丹後松島です。丹後松島は丹後町此代(このしろ)から東に向かって島々が連なっている様子が、日本三景の松島に似ていることから「丹後松島」と呼ばれています。


次は丹後町間人(たいざ)です。

 山陰海岸ジオパークの京丹後を代表する「立岩(たていわ)」は、高さが20mもある巨大な一枚岩。安山岩の直線的な荒々しい岩肌が特徴的で、地域のシンボルとして親しまれています。


 



 難読で有名な地名の由来として、用明天皇の皇后で聖徳太子の母穴穂部間人皇女が物部の乱を避けて大浜の里に滞在したが、乱が治まって退座されたことによるという伝承があります。


 琴引浜鳴き砂文化館は、鳴き砂をテーマにした文化館として2002年10月にオープンしました。

 鳴き砂を接点として、人と自然との関わりや海の環境保全について考え、学ぶ施設です。



2020年10月2日(金)11:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

丹後半島めぐり 二日目 「伊根の舟屋」

 宮津を出発し伊根の舟屋に行きました。遊覧船に乗って海から舟屋を観ました。

 カモメやトンビがえさを求めて飛んできます。日本には各地に舟屋があるそうですが、この集落は規模でも日本一で圧巻の景色です。



 舟屋は元々は単なる船の倉庫(船倉、船庫)でしたが、次第に上を住居にするようになったようです。この辺りは潮の満ち引きが50㎝ほどと少なく、舟屋から船の出し入れが簡単だったこともあります。

 昔は木造の小さな船なので、係留し続けると船が痛むため陸に揚げる必要がありました。



 古い舟屋の内部です。ごく普通の船庫です。


 外から見ると海に繋がっているのが解ります。


 とても穏やかな海なのに、綺麗で驚きました。

 昔は迷い込んだクジラを、みんなで協力して捕獲してもいました。クジラの解体所も残っていました。



2020年10月2日(金)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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