Cat Schroedinger の 部屋
 
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2018年8月12日を表示

桂林 両江四湖ナイトクルーズ その2

 岸辺にちょとした舞台が作られていて、やや怪しげな衣装をまとった、少数民族の踊りが観られました。

 踊り自体は中学校の学芸会程度ですが、幻想的でした。



 一番奥の木龍湖、この先が漓江への出口となります。クルーズの最先端ですが、ここにも舞台がしつらえていて、かなりの人数の民族ショーがありました。

 すべての船が舳先を向けて、しばらくショーを見る仕組みです。



 木龍湖観光区は、自然な山水と歴史文化を一体とした魅力を見せています。

 木龍湖の北側では、宋の時代の城壁などの歴史的景観に依り、宋の町並みなどの古代の雰囲気にあふれた建築群も建てられています。

 漓江への出口となる畳彩山もライトアップされて見事です。

 



 木龍塔は上海の宋の時代の竜華塔を模して作られ、45メートルの高さです。

 戻し船の中では、音楽を奏でてくれます。至れり尽くせりのサービスです。


 両江四湖クルーズはほとんどの物が人工的に作られており、しかも新しい物ばっかりです。歴史的な意味合いは全くありません。テーマパークみたいなものです。しかしとても中国的で、観光客には大変な人気です。



2018年8月12日(日)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

桂林 両江四湖ナイトクルーズ

 夜は300元のオプションで「両江四湖クルーズ」です。

 両江四湖とは、桂林市内の2つの川(漓江、桃花江)と4つの湖(杉湖、榕湖、桂湖、木龍湖)のことで、これらすべてを繋いで観光船でクルーズ出来るようになっており、桂林市内を一周することが出来ます。

 両江四湖を結ぶという計画は、最初北宋時代(960~1127年)に建てられましたが、実現したのは2002年。「水の都」と呼ばれた宋時代の桂林市の繁栄の姿を再現しようと着工されました。

 榕杉湖観光区は桂林市中央に位置し日月両塔は湖の中心に建てられ、日塔は銅で作られ、合わせて9階で、41メートルの高さを持っています。

 それに対し、月塔はガラスで作られ、七階で35メートルの高さがあります。
 


 



 中国風の建物が鮮やかにライトアップされ、とても綺麗です。


 各湖のつなぎ目にはたくさんの橋が架かっています。これらの橋は世界の有名な橋のコピーでした。

 この橋はパリのポンヌフ?その他にゴールデンブリッジ、凱旋門など 滅茶苦茶です。



 いかだに乗った鵜飼いが行われています。結構魚が獲れていました。

 日本の鵜飼いはたいまつを乗せた船が川を下って行き、あっという間に流れていきます。ここでは湖なので、動くこともなく獲れた魚を見せてくれます。サービス満点の鵜飼ショーです。



2018年8月12日(日)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

桂林観光 穿山岩 訾洲公園

 桂林中心部へ戻り、「古南門」に寄りました。昔の桂林を囲っていた壁の門で何回も建て替えられています。

 橋の麓にあり象徴的な存在です。


 



 桂林の辺りはカルスト地形です。昔の珊瑚など石灰を多く含む生物が堆積し、それが隆起してできたのが来栖と大地で、水に溶けやすいため川による浸食で特異な地形となります。

 地価は地下水の浸食で、鍾乳洞が出来ます。桂林にはたくさんの鍾乳洞があります。その一つの「穿山岩」に行きました。

 とても暑い日なのですが、鍾乳洞の中は涼しくて助かりました。どこの鍾乳洞も規模こそ違え、ほぼ同じような感じです。

 日本でもそうですが、まして中国です。鍾乳洞は照明が色とりどりで、どうにもしっくりきません。



 訾洲は桂林市内、漓江の東岸に位置し、象鼻山と河を隔て向かい合っています。また、訾洲河と漓江が合流してできた中洲にある公園です。

 日曜日なので子供連れの市民も多くて大混乱でした。

 暑い日なので海の無い市民は川で泳いでいます。



2018年8月12日(日)12:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

桂林観光 大墟古鎮(だいきょこちん)

 中国に人向けのモーニングはどれも口に合わず、適当に食べました。

 今日は桂林観光の第一日目です。まず初めに向かったのは「大墟古鎮」です。大墟は桂林から18km程離れた南にある古い町で、約1100年前、北宋の時代(960年 - 1127年)に町づくりが始まりました。

 その後明(1368年 - 1644年)や清の時代(1616年 - 1912年)に入り、人口の増加に伴って物流はさらに盛んになり物流の中心地となり繁栄しました。中国では昔から「南船北馬」という言い方があります。

 北方では馬が中心で、南方では船が運搬に使用されました。大墟は側を流れる離江の水運にょり繁栄しました。

 明、清の時代に築かれ、民の時代の広西北部の風貌を窺わせる建築物が多く残されています。
 

 



 とても長い木造の家が、長屋のように続いています。火災から延焼を防ぐために、奥に見えるように所々に防火壁があります。また屋根には「うだつ」もついています。


 



 明、清の時代の民家が残されているのは非常に貴重です。さらに年寄りが多くなったそうですが、実際に人が住んでいます。


 700年ほど前の明の時代に造られた万寿橋が残っており、旧時代の華やかさを示す証として貴重な文物に指定されています。

 通りの裏側、橋のすぐ横は漓江です。



2018年8月12日(日)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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