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2014年1月7日を表示

「孔子の教え」

「孔子の教え」
     2009年中国映画

内容:
 中国が生んだ史上最高の思想家、孔子。弟子が編纂した言行録「論語」は日本でもなじみ深いが、孔子がどのような人物であるか、そしてどのような生涯を送ったかはあまり知られていない。

 多くの門弟を抱え、成功者のように思える孔子だが、現実には本作で語られるように彼の理想の政策は道半ばにして挫折し、理解はされても実行される事がなく、失意の日々を多く味わっていた事がわかる。


あらすじ:
 紀元前701年から403年の中国は春秋時代であり、特に孔子が生まれた紀元前552年頃は小国外交時代でした。

 孔子が生まれた国は晋・斉・楚の大国3国に隣接する小国でした。

 魯の国政は、権力を握る三桓と呼ばれる3つの分家により混乱していた。君主・定公(ヤオ・ルー)は安定した国を築くため、孔子に大司寇の位を授ける。

 孔子はその期待に応え、次々と改革を進める。殉葬など古い慣習の撤廃や新しい礼節の制定だけでなく、斉との同盟条約を無血で締結させ、外交でも力を発揮しました。

 孔子の非凡な才能は各国に伝わり、他国の為政者は孔子に関心を寄せる。なかでも衛の君主・霊公の妻で実質的な権力者である絶世の美女・南子は孔子を気に入り、自国に引き込もうと画策する。衛や斉から孔子を招聘したいという書簡が次々と届き、孔子の功績は季孫斯ら三桓も認めるところとなる。

 紀元前498年、孔子は国相代理となる。孔子は国相代理として、三桓の影響力を弱めようとひそかに動き出す。しかし、孔子の弟子・公伯寮の密告により、そのことが三桓に知られてしまう。三桓は定公を抱き込み、孔子を魯から追い出す。

 孔子は家族を残し旅に出る。しかし、顔回や子路をはじめ多くの弟子たちが合流する。孔子たち一行の諸国巡遊の旅の先には、数々の出会いと別れのドラマが待ち受けていた

 
感想:

 実際戦国時代孔子の主張する儒教は当時は相手にされなかったけれど、時代が下がり漢の時代平和になると、儒教は重要視され国教となり、その後の中国思想の根幹になっていきました。

 日本でも儒教の影響は大きく、江戸時代は武士の思想の根幹でした。

 
  話は知っていましたが、当時の服装、しきたり、暮らし向きなどが史実に忠実かどうかは解りませんが、かなり詳しく描かれ興味深く観られました。



2014年1月7日(火)23:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 映画  ドラマ TV | 管理


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