Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



2011年5月15日を表示

播州赤穂

5月15日夕方播州赤穂に降り立ちました。
 駅に続くホテルにチェックインし、シャワーを浴びて町出ました。駅からまっすぐ南に向かうと、ほどなく息継ぎ井戸がありました。

 元禄14年(1701年)3月14日の浅野長矩の殿中刃傷の知らせを、未の刻(午後2時頃)、大学は書状を国家老・大石内蔵助にしたためて、早水 藤左衛門満尭(はやみ とうざえもんみつたか)と萱野三平重実(かやの さんぺいしげざね)を第1の急使として赤穂へ派遣しました。赤穂藩に報が伝わったのは3月19日卯の刻でした。
 
 当時普通の旅人なら17日、飛脚で8日かかるところを早駕籠で4日と9時間で走破しています。これは江戸時代最高記録で、その後も破られていません。

 この二人が赤穂に着いて、この井戸の水で一息次いで城内の大石内蔵助邸に入ったとされています。この井戸は自噴でなく、水道でした。赤穂は海が近く井戸が掘れません、そのため近くの千種川から取水し。備前焼の土管で城内くまなく給水したのでした。



 そのまままっすぐ南へ下ると、赤穂城の大手門に至ります。夕方なので。隅櫓に夕日が少し当たってとても綺麗でした。映画で何度も見た赤穂城を目の当たりにし、感激しました。


 少し東に逸れると大石内蔵助邸が有ります。現存しているのは大石邸長屋門だけです。瓦の紋が、例の太鼓の文様「右回り二つ巴」になっています。その裏手が大石神社です。神社はもう閉まっていたので、町に引き返しました。


 あいにく日曜日の夜なのでどの店も開いていなくて、「冑鮨」という寿司屋に入りました。鯛、カンパチ、イカを切って貰いお酒を少々飲んでいると、女将さんが話し好きで赤穂のことを色々話してくれました。口数の少ない御亭主が赤穂の名物の穴子を奨めてくれました。
 他の客が頼んだ折を包む包装紙がとても綺麗で誉めると壁に原画がありました。堀部安兵衛武庸(ほりべやすひょうえたけつね)とその妻堀部ほりの別れの絵だそうです。このとき安兵衛32歳、ほり27歳でした。ついでにマッチも沢山作ったけど、マッチは人気がないので持って行くようにと6個も貰いました。

 高田馬場の決闘において助太刀をしようとした中山安兵衛(のちの堀部武庸)は、たすきがないことに気づいて何か紐を捜そうとしたが、適当な紐がない。そこへ観衆の中からほりが出てきて、自分のしていたひじり綿のしごきを渡す。安兵衛はこれをたすきにして、村上兄弟と対決したという逸話がありますが。史実ではありません。でもこの助太刀で有名になり、ほりと結婚することになりました。

 寿司屋を出て店を探しましたが、何処も開いていないのでホテルに帰りました。歩きすぎて足が痛くなりました。明日は大丈夫かな?



2011年5月15日(日)23:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

備前焼

 焼き物が趣味なので、違った角度から見ると、驚きがありました。

 どの店も値段の付け方が、見事に統一されています。一番に作家のランク、作家の下に陶工というランクがあります。まあ見習い助手というランクです。二番目に焼け方です。窯変した「桟(さん)切り」が一番高く、電気でも焼ける火襷(ひだすき)が一番安くなっています。

 ガスでの焼成は出来ないので、原則として薪釜です。写真のような登り窯が至る所にあります。登り窯では窯変が沢山取れないので、穴窯も使用しているようです。

 昔は燃料と言えば薪でした。その後石炭になり、石油、ガスになり、電気になりました。陶芸の窯もそのまま変化してきました。
 今では薪による焼成が一番高くつきます。備前が高いのも、そのためです。

 あまりの見事さに、おそらく厳しい決め事が有るような気がしました。もっともそうしなければ、これだけの店が成り立っていけません。大手が安売りすればあっという間に小さな店は潰れてしまうでしょう。また有名でない作家は食べていけません。

 とはいえ赤松でしか焼けない備前の持つ不思議な魅力は、日本人の心に響きます。どんなに価格を保とうとしても、焼き物そのものに魅力がなければ成り立たないのです。

 焼き物は陶磁器といわれるように、土から作られる陶器(土物と呼ばれます)と、石から作られる磁器(石物と呼ばれます)に分けられます。

 備前焼や、信楽焼は、陶器と磁器の中間である、炻(せつ)器に分類されます。炻器とはストーンウエアーの訳です。
 
 釉薬を使わないで、そのまま焼くので、焼き締めとも言われます。実はそれほど温度に強くなくて、ゆっくり温度を上げていかないと早めに外が溶けて気泡(ぶく)が出来てしまいます。そのため数日から10日もかけてゆっくり焼いていきます。また焼き直しがききません。焼き損なっても何度でも焼ける信楽焼とはその辺りが大変違います。



 駅前の喫茶店でも、器は備前です。

 陶器店で山のようにある器を見ると、いささかげんなりしますが、こうやって使ってあるとやっぱりっ勢いがあります。



2011年5月15日(日)16:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

備前焼きの町「伊部(いんべ)」

 備前はそのまま焼き物の町でした。タクシーの運転手さんの同級生も焼き物作家であったり、窯元だったりだそうです。町中みんな知り合いのようです。

 百数十件の焼き物店が並ぶ町並みはそれは見事でした。どの店も備前焼一色です。大きなショップ、小さな個人商店、古い物を売る店、美術品といわれる人間国宝の作品を売る店などいろりろ有りますが、すべて備前焼一色でした。
 小さな町で焼き物以外何も無いという雰囲気でした。沢山見て回る内にだんだん飽きてきて、息苦しくなるくらいでした。(笑)



 どの店も備前ばかりで、見事に一色です。備前以外の焼き物は一切ありません。


 昔から有る形ですが、素晴らしい形の備前です。


2011年5月15日(日)14:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

「閑谷学校」その2

 岡山藩主「池田光政」には、ちょっとした面白い話があります。今NHKの大河ドラマ「江」の孫、「千姫」の娘「勝姫」がこの閑谷学校を作った「池田光政」と結婚しているのです。

 名君といわれた「池田光政」が、寺院を淘汰して神職請けへと切り替えたため、僧侶の還俗が進みました。
 その結果読み書きを教えていた寺子屋も教える人が居なくなりました。民衆はこれでは文盲が増えると大騒ぎになりました。そこで全領内に123カ所藩営の郷中手習所を作ったのです。

 この手習所もその後財政難のため十分な経費が出せず、だんだん衰退していきました。さらに「池田光政」が引退し、「綱正」の時一つを残して全廃してしまったのです。
 
 このとき唯一残ったのが、「閑谷学校」だったのです。その後「閑谷学校」は明治の廃藩置県まで存続しました。結構紆余曲折があったのです。

 全国的に農民は豊かになるにつれ、自分たちで先生を雇ったりして自分の子供に読み書きを教えるようになっていきました。
 農業書の発達、税金の取り立て、役所からの通達など字を読めることはとても大事になっていきます。さらに次男坊以下は町へ奉公に行くに有利なよう、読み書きは重要でした。

 その結果幕末に来日した外国人たちな皆こぞって日本の国民の識字率の高さに驚いています。


 閑谷学校からタクシーで、そのまま備前焼の里「伊部(いんべ)」に行きました。



2011年5月15日(日)14:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理

「閑谷学校」

 朝起きると天気がよいので、急遽旅行を思いつきました。調べてみると以前から行きたかった「備前」は意外と時間がかからないようなので、朝8時過ぎに新幹線に乗りました。「浜松」で「ひかり」に乗り換え、「相生」には11時ころ到着しました。
 「相生」から赤穂線に乗り換え「播州赤穂」でさらに乗り継ぎ、「備前片上」で下車、そこからタクシーで「閑谷(しずたに)学校」に到着しました。

 「閑谷学校」は江戸時代初期寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって、日本最古の地方のリーダーを育てるための学校として作られました。他藩の子弟も学ぶことが出来ました。


 講堂が国宝に指定され、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されています。2本の巨大な楷(かい)の木や周辺のもみじも紅葉として有名です。

 屋根瓦は備前焼の瓦で赤い色をしています。備前焼は少し吸水性があるからでしょうか、いったんこけら葺きの屋根を作り漆を塗った一枚板を張り、その上に備前焼の瓦を乗せているそうです。



 聖廟には孔子が祀られ儒学(朱子学)が教えられました。建物全体がやや中国風で、講堂の前の広場は整然としており、まさに学問の場といった感じです。

 講堂の中は綺麗に磨き上げられ、飾り気は何もなく宗教色も有りません。周りは奥深い山で、勉強以外何もすることがない雰囲気でした。



 沢山の門がありますが、正門である鶴鳴門とも呼ばれる「校門」がとても綺麗な形をしています。江戸時代初期の建造物の特徴を良く残しています。

 どれもこれも庶民を対象とした現存する学校建築では、世界最古とされています。

 これを見ても庶民の教育が、いかに大事とされてきたかが解ります。



2011年5月15日(日)12:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 気紛れ写真 | 管理


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