江戸の裏長屋 |
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| 杉浦向日子の本の中に、江戸の裏長屋の記載がありました。
裏長屋にも種類がありましたが、最も安い長屋は間口九尺(2.7m)、奥行き二間(3.7m) 家の広さが6畳です。この中に土間と、小さなかまどの付いた台所がありました。主に独身男性が住んでいました。
欧米の人々は「このような劣悪な居住環境で、何百年も我慢できたのか?」と不思議がりました。
それは江戸の長屋の人たちは、町単位で暮らしていました。職人は早朝風呂に行き、仕事が終わればまた銭湯に来ました。銭湯の二階にはパブのような集まり場所があり、世間話をしたり、将棋を指したりできました。 町には髪結床があり、そこも社交場でした。文化文政の頃には外食産業も盛んになりました。
町単位で暮らしていたので、長屋はワンルームマンションではなくて、寝室でした。単に寝るだけの部屋でしたから、小さくて構わなかったのです。それにしても隣との仕切りは板壁一枚でした。寝室ですから、単に寝るだけです。それほど騒ぐ必要もありません。
杉浦氏が住んでいた京橋の長屋も、隣との仕切りは板壁一枚で、隣家の物音がはっきり聞こえたそうです。煩わしくなかったかの問いに、 「すぐに聞こえなくなります。」と答えたそうです。
これにはとても驚きました。どんなに本を読んでも、実際江戸の人たちがどんな気配りで暮らしていたのか知る術がありません。実際暮にらしていた人しか判らない感覚が述べられていて、いたく感心し、納得しました。
もちろんお互いに気は遣ったのでしょうが、昔の人はプライバシーがなかったと単純に考えるのは、少し違うような気がしました。
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2011年11月12日(土)23:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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