Cat Schroedinger の 部屋
 
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2006年9月2日を表示

江戸という幻景 その2

感想
 沢山の資料から、当時の人々の暮らし向きを伝えています。
大げさでなくて、実際の出来事に基づいていますから、当時めずらしいことであっても、とにかく当時の各身分の意識がよく解ります。西洋と違って、形式的には身分制度が厳しかったのですが、意識の中では、それほどでなかったことが解ります。ある意味とても民主的でした。

 一概に江戸時代が素晴らしい時代だったとは言えませんが、現代より優れた制度だった部分がたくさんあるようです。
 
 特に驚いたのは、ある事件で賄賂を送った人より、受け取った奉行などが厳しい刑罰を受けていることです。江戸時代の犯罪に対する刑罰は、現代とは比べものにならない重いものでしたが、少なくとも現代より公務員に対する正義を求める姿勢は大変評価できます。

 町人同士のいざこざで、大阪町奉行が、知行半知召し上げ、お役ご免で、閉門となり、わずか1両の賄賂を貰った、代官所の役人与力が死罪です。賄賂を送った方は遠島でした。
 
 町人は元々卑しい者とされ、武士は民の手本であるべきと言う精神がありました。武士であっても、町人であっても、ある意味同等でした。どうかすると町人以上に武士に厳しかった面があります。

 現代では警察の不始末があっても、公務員と言うことでかなり保護されています。江戸時代は、身分が高いほど自ら律するという精神が貫かれていました。平和な時代ですから、武力では民を押さえられません。結局武士の精神的高さが、尊敬を集めていたと言えます。

 面白い逸話に、ある商売屋の息子が本業に打ち込まないで、本ばかり読み、勉強ばかりしたがる、幾ら言っても聞かない。仕方ないから武士の家に預けて、「こんな子では到底我が家を継げません。仕方ないから武士にでもしてくださいと!」

 実際お金があれば、御家人とか、旗本になることが出来ました。

 江戸時代は、武士はお金がないけど、精神が高く、高い身分とされ、町人はお金があるが卑しい身分でした。
 農民も国の宝と言われ、実際は大事にされていました。百姓一揆は、何度も起こりましたが、体制批判や、倒幕とか、領主反抗という一揆は一つもありませんでした。むしろ要求闘争でした。百姓も一揆が収まらないと、大名自身が隠居させられたり、お取り潰しになったりすることをよく知っていました。

 「直訴すると死罪」嘘です。目安箱があり、誰でも将軍にまで直に訴えることが出来ました。

 百姓もお殿様がお国入りとなると、みんなで大歓迎したそうです。ちょうど現代の開かれた皇室や、お国代表の代議士のようでした。殿様もみんなに気を遣って、酒を振る舞ったりして、サービスを心がけていました。

 この本での話ではないのですが、幕末には藩の財政が逼迫し、とうとう一揆によって、藩の財政が百姓の管理のようになり、大名の奥向きの費用まで、決められてしまった事もありました。
 それでも農民は革命を起こそうとは決して思わず。殿様を大事にはしました。
 その一揆も明治時代になってからの方が、遙かに多いのです。

 西洋の王侯貴族のように権力も、富も、名声もすべて一転に集中している、絶対君主制の世界ではありませんでした。言ってみれば三すくみで、お互い助け合って生活していました。
 このシステムが、江戸幕府300年、平和に過ごせた一番の理由のような気がします。



2006年9月2日(土)22:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理


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