「骨董屋からくさ主人」 その2 |
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| 沢山の話の中で、こんなのがありました。
著者が韓国で三島手のかけらを拾ってきて、それをガラス板の下に敷き詰めて、テーブルに仕立てました。
ある陶芸家が、一つのかけらを勝手にもって行き、後にそれを写しに作って、さらにその鉢を割ってかけらを作ってきました。これをガラス板の中に入れると、もうどれが十五世紀の李朝時代に作られたものか、新しく作られたものかなかなか判らなくなりました。
いろんなお客が来ると、「一つ新作のものがありますが、どれでしょう?」と言って喜んでいました。 そのうち作った本人さえ、「俺の作った破片はどれだっけ?」といい始める始末です。
韓国から陶芸の勉強に来ている若い女学生に見せた所、一瞬にしてこれが違いますと言い当てた。 「あなどるなかれ、韓国には韓国の血がある。血は争えない!」
この話にはとても感動させられました。異文化の理解とはそういったものです。現在では日本は韓国とギクシャクしていますが、江戸時代までは文化の面でも中国はもとより、朝鮮も日本の先生でした。
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2006年2月17日(金)23:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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