Cat Schroedinger の 部屋
 
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2005年7月7日を表示

チャングムの誓い 第38話「丸薬の秘密」

たまねぎや、にんにく、米糠は確かに脚気によい。今日のドラマの中で、チャングムが食事に気づくと言うのは、ちょっと出来過ぎかな?しかし韓国での医学は中国の影響で、医食同源と言う考えが浸透していて、食事はとても大事に考えられていた。

 脚気は、江戸時代は一般に江戸煩い(わずらい)と言われた。そもそも江戸の食事は、米が中心だった。しかし白米が庶民にまで普及したのは、元禄年間のころからである。江戸初期はほとんど玄米に近いものだった。玄米が中心だったころは、米糠も貴重品だったが、白米にするようになると、米糠が大量に余って、漬物の普及につながった。 米は蛋白も結構あり、主食として味もいいのだが、VB1は米糠に含まれるので、白米にするとVB1欠乏症になりやすいのだった。いわゆる脚気になったのである。地方からやってきた商人や、武士が多く罹患した。江戸時代の江戸で将軍をはじめ、富商等裕福な階層から患者が多く、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分摂らなかったことで非常に多くの患者を出した。

 また庶民の中にも、白米崇拝が強く、「江戸っ子だい!将軍様と同じ様に白い御まんまで育ってるんだ!」と言って、田舎者の食べる麦入りの食事などを馬鹿にしてた。庶民は結構いろんなものを食べていたが、武士や、商人は質素で副食は贅沢として、白い御まんまがいただければありがたいなどをいう風潮があった。しかし誰も脚気の原因が、VB1の不足とは気づかなかった。いつもありがたがって食べていた白米の、つい外側の米糠にVB1が含まれていたのは、実に皮肉な話。

 大正時代以降、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である。一説にはノーベル賞級の発見だった。

 脚気の原因を巡ってはドイツ系の感染症説と、英国系の栄養障害説が対立してた。脚気菌を発見したとかしないとか言う話も出てた。さらに、日本陸軍がドイツ系学派と、海軍が英国系学派と提携するという構図で対立していた。このため、高木兼寛が麦飯の食用で脚気を予防できる旨を発見し海軍で脚気が撲滅された後も、陸軍では森林太郎(森鴎外)、石黒忠悳等が科学的根拠がないとして麦飯の食用に強硬に反対したため、脚気により大きな犠牲を出し続けた。 特に日清戦争で、戦死者より脚気で病死した兵士のほうが多かった。ちなみ日露戦争でも多くの脚気による死者を出した。

 解らなかったとはいえ、あの有名な森鴎外はこのことでは大変な失敗をした。彼はことごとく海軍のやり方に反対した。

 高木兼寛は脚気の本当の原因は発見できなかったが、チャングムのように、食事の大胆な工夫をしてこの事実をつかんだ。はじめは外人に脚気がないことから、パン食にした。お金もかかるし、みんなが嫌がったので、パンと同じ麦飯を思いついたのであった。



2005年7月7日(木)23:45 | トラックバック(2) | コメント(6) | 映画  ドラマ TV | 管理


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