Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



書籍 (短歌、漢詩)
~説明~
万葉集から、俳句、短歌、漢詩なんでもあり。

大江戸見聞録

大江戸見聞録 (江戸文化歴史検定公式テキスト)
出版 : 小学館

内容説明
 「大江戸八百八町」ホントは何町? 江戸っ子が好んだ寿司ネタは何? みんなまとめてお答えします! 「江戸文化歴史検定」2級・3級合格に必要な知識をまとめた、公式テキストブック。このテキストは、読者自身が旅行者となり、商家のご隠居や江戸留守居役の武士などに案内されながら江戸の町を見聞するという設定のなかで、楽しみながら検定に必要な知識を蓄えられるように構成されています。

 親しみやすい語り口調と豊富なカラー図版、そして丁寧な脚注により、検定受験者のみならず、時代劇や時代小説ファンをも含め、江戸時代に興味を持つすべての人にお勧めできる、知的エンタテインメントとなっています。

 監修は東京都江戸東京博物館です。

 先日入手しぼちぼち読んでいました。わかりやすい書き方になっています。挿絵、図版が多くとてもわかりやく、楽しい本でした。
 内容は難しい物は少なく、一般の江戸時代を知るには良い本でした。



2006年9月15日(金)23:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

世界の日本人ジョーク集 その3

 Ethnic Joke で必ず出るのがイギリス料理です。

 昨日書いたように、イタリアンレストランでも、イタリア人が経営していれば、「アルデンテ」でと言えば、普通に茹でてくれます。黙っているとイギリス風に柔らかく茹でます。もちろんイタリア人のコックは心の底で、イギリス人を馬鹿にしています。

 一般家庭でも、スパゲッティを茹でるとき、「茹で時間が書いてあるのですが・・・」と質問したら、「良いのよ!これは違っているのよ。」と意に介さないで、茹で上がった麺を壁にぶつけて、ベッタリ付くまで茹でます。・・・実話です。(笑)

 お友達のお姉さんですが、イギリス人と結婚して、スペインに住んでいます。とても料理が上手な方で、何でも作られます。
 なのに時折イギリス人の御主人が、「フィッシュ&チップスを食べたい。」と言うので、「どうしてあんなまずい物を食べたがるの!」と言って嘆きます。

 つまりイギリスはコックが悪いのでなくて、イギリス国民が世界の標準と違った食べ物を、好きだと言うことなのです。小さい頃から変わった物を食べ続けているため、どんなに外国から美味しい物が入ってきても、広まりません。(笑)

 ヨーロッパ全般ですが、ウナギなどはブツ切りです。骨が入っています。長いものはすべてブツ切りです。これなどは絶対日本のウナギ職人の技を教えるべきです。

 知り合いのベルギー人は自分の国では、ウナギは骨がいっぱいあって、泥臭くて、とても嫌いな食べ物でした。日本に来てウナギを食べて、いっぺんに好きになりました。日本の白焼きをベルギーで出したら、みんな大好きになりました。

 ヨーロッパの家庭では、長いものはすべてブツ切りです。鼓型に切ったりするのは、レストランだけです。面取りなどはもってのほかです。あとはすべてフードプロセッサーでと言ったところです。ですからコックの地位はとても高いのです。

 日本では普通の家庭でも、そこそこに料理できる人が沢山います。障子なども昔はみんな家庭で貼りました。昔は着物でしたから、裁縫が出来ないとお嫁に行けなかったそうです。お箸を使う民族は一般に器用です。

 ですから日本では職人さんや、料理人は外国ほど身分が高くありません。

 



2006年9月8日(金)23:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

世界の日本人ジョーク集 その2

昨日に引き続いて、ジョーク

題 「食文化」

 日本を訪れたフランス人が言った。
「日本は豊かな国だと聞いていたのに、海草などを食べている。そんなに食べ物に困っていたなんて」

 フランスを訪れた日本人が言った。
「フランスは豊かな国だと聞いていたのに、カタツムリなどを食べている。そんなに食べ物に困っていたなんて」

 イギリスを訪れた世界中の人々が言った。
「イギリスは豊かな国だと聞いていたのに、イギリス料理などを食べている。そんなに食べ物に困っていたなんて」

 
 実際イギリス料理は外国人には不向きです。名物の「フィッシュ&チップス」には参りました。何しろ魚はたぶん鱈ですがぬるい温度の油で揚げてあり、ヌルヌル、ベタベタ。それに甘酸っぱいビネガーを掛けてあるのです。我々日本人旅行者で、残部食べることが出来た人は希でした。
 されに「チップス」は日本のポテトフライなのですが、またこれが全然カリッとしていなくて、ベタベタで手に油が付きます。

 イタリア料理店も、黙っているとイギリス人用に調理します。スパゲッティーなどは、壁にぶつけるとべったりするほど茹で上げます。アルデンテで出すと、生だとクレームが出ます。それほど恐ろしいものを食べているのがイギリス人です。

 ロンドンでは、最近出来た有名レストランに行きました。ごく普通の味でしたが、ご当地では超美味しい店だそうです。やっぱりね~~
 でも食事を待っているときのバーで飲んだマティニーは素晴らしい味でした。
 



2006年9月7日(木)22:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

世界の日本人ジョーク集

「世界の日本人ジョーク集」 早坂 隆 著:中央公論社

出版社 / 著者からの内容紹介
 世界から憧憬の眼差しが注がれる経済大国? それとも、物真似上手のエコノミック・アニマル? 地球各地で収集したジョークの数々を紹介しながら、適材適所に付された解説により、異国から見た真の日本人像を描き出していきます。『世界の紛争地ジョーク集』『世界反米ジョーク集』に続く、同著者入魂の第三弾は、読者からも問い合わせの多かった「日本人をネタにしたもの」を満載しました。笑って知って、また笑う。一冊で二度おいしい本の誕生です。知的なスパイスの効いた爆笑ネタを、ぜひご賞味あれ!

感想
 とにかく面白い本でした。中にはちょっと品の無いものもありますが、その辺はジョークと言うことで。一つ一つのジョークの間にコメントが入っているのですが、わざとらしくなく、また説明しすぎでもなく的確でした。
 あまり披露しては問題ですが、特に素晴らしいのを一つ、二つご披露します。もし気に入ったら、あとは是非書店で・・・

 これはethnic joke と言われる、各国の典型的なパターンを皮肉った話です。

題 「スープに蠅(はえ)が入っていたら・・・」
レストランで出てきたスープに蠅が入っていた時の各国の人々の反応。

ドイツ人・・・・・・・・・・「このスープは熱いので十分に殺菌されている」と冷静に考え、蠅をスプーンで取りだしてからスープを飲む。

フランス人・・・・・・・・・スプーンで蠅を押しつぶし、出汁(だし)をとってからスープを飲む。

中国人・・・・・・・・・・・問題なく蠅を食べる。

イギリス人・・・・・・・・・スプーンを置き、皮肉を言ってから店を出て行く。

ロシア人・・・・・・・・・・酔っぱらっていて蠅が入っていることに気がつかない。

アメリカ人・・・・・・・・・ボーイを呼び、コックを呼び、支配人を呼び、あげくに裁判沙汰となる。

アイルランド人・・・・・取りだした蠅を片手で摘みながら、こう蠅に叫ぶ。「吐き出せ、スープを吐き出せよ、ちくしょう!」

日本人・・・・・・・・・・周りを見回し、自分だけに蠅が入っているのを確認してから、そっとボーイを呼びつける。

韓国人・・・・・・・・・・蠅が入っているのは日本人のせいだと叫び、日の丸を燃やす。



2006年9月6日(水)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

再び書籍の注文

 先日INで本を注文して、とても便利だったので、再度注文。

 在庫があればすぐに届くし、送料も無料なので、これからはこれで行こうと思っています。



2006年9月5日(火)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

逝きし世の面影 その2

 今日行きつけの寿司屋で、「逝きし世の面影」を紹介してくれた人と同席しました。なかなかの論客で、議論白熱・・・・(笑)
 
 一概に江戸時代を礼賛するつもりはありませんが、現代の殺伐とした競争社会は、ほんの戦前までは日本は無かったのです。多くの人々はまだまだのんびりと暮らしていました。
 
 現代でもヨーロッパでは、日本ほどではありません。いつの間にか、日本はアメリカの様な実に厳しい社会になろうとしている。そんな話をしていると、その方の教え子で、裁判官をしているが現れ、さらに議論が白熱しそうなので、そうそうに帰路につきました。

 「逝きし世の面影」は元々ある方がみんなに紹介したのだそうです。その方はS市の江戸時代の研究をなされていて、町並みの検討や、当時の様子を研究されていて、最近出版なされた方です。その方とも時々この店でお会いします。江戸時代のことについて沢山教えていただきました。

 今度お会いしたら、この本について教えを頂きたいと思っています。

 



2006年9月3日(日)23:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

江戸という幻景 その2

感想
 沢山の資料から、当時の人々の暮らし向きを伝えています。
大げさでなくて、実際の出来事に基づいていますから、当時めずらしいことであっても、とにかく当時の各身分の意識がよく解ります。西洋と違って、形式的には身分制度が厳しかったのですが、意識の中では、それほどでなかったことが解ります。ある意味とても民主的でした。

 一概に江戸時代が素晴らしい時代だったとは言えませんが、現代より優れた制度だった部分がたくさんあるようです。
 
 特に驚いたのは、ある事件で賄賂を送った人より、受け取った奉行などが厳しい刑罰を受けていることです。江戸時代の犯罪に対する刑罰は、現代とは比べものにならない重いものでしたが、少なくとも現代より公務員に対する正義を求める姿勢は大変評価できます。

 町人同士のいざこざで、大阪町奉行が、知行半知召し上げ、お役ご免で、閉門となり、わずか1両の賄賂を貰った、代官所の役人与力が死罪です。賄賂を送った方は遠島でした。
 
 町人は元々卑しい者とされ、武士は民の手本であるべきと言う精神がありました。武士であっても、町人であっても、ある意味同等でした。どうかすると町人以上に武士に厳しかった面があります。

 現代では警察の不始末があっても、公務員と言うことでかなり保護されています。江戸時代は、身分が高いほど自ら律するという精神が貫かれていました。平和な時代ですから、武力では民を押さえられません。結局武士の精神的高さが、尊敬を集めていたと言えます。

 面白い逸話に、ある商売屋の息子が本業に打ち込まないで、本ばかり読み、勉強ばかりしたがる、幾ら言っても聞かない。仕方ないから武士の家に預けて、「こんな子では到底我が家を継げません。仕方ないから武士にでもしてくださいと!」

 実際お金があれば、御家人とか、旗本になることが出来ました。

 江戸時代は、武士はお金がないけど、精神が高く、高い身分とされ、町人はお金があるが卑しい身分でした。
 農民も国の宝と言われ、実際は大事にされていました。百姓一揆は、何度も起こりましたが、体制批判や、倒幕とか、領主反抗という一揆は一つもありませんでした。むしろ要求闘争でした。百姓も一揆が収まらないと、大名自身が隠居させられたり、お取り潰しになったりすることをよく知っていました。

 「直訴すると死罪」嘘です。目安箱があり、誰でも将軍にまで直に訴えることが出来ました。

 百姓もお殿様がお国入りとなると、みんなで大歓迎したそうです。ちょうど現代の開かれた皇室や、お国代表の代議士のようでした。殿様もみんなに気を遣って、酒を振る舞ったりして、サービスを心がけていました。

 この本での話ではないのですが、幕末には藩の財政が逼迫し、とうとう一揆によって、藩の財政が百姓の管理のようになり、大名の奥向きの費用まで、決められてしまった事もありました。
 それでも農民は革命を起こそうとは決して思わず。殿様を大事にはしました。
 その一揆も明治時代になってからの方が、遙かに多いのです。

 西洋の王侯貴族のように権力も、富も、名声もすべて一転に集中している、絶対君主制の世界ではありませんでした。言ってみれば三すくみで、お互い助け合って生活していました。
 このシステムが、江戸幕府300年、平和に過ごせた一番の理由のような気がします。



2006年9月2日(土)22:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

江戸という幻景

「江戸という幻景」
 渡辺 京二著 出版 : 弦書房

 先日の渡辺 京二氏の「逝きし世の面影」の次作品です。

 江戸時代、というよりその時代に生きた人びとの話しがしたい-。国内資料の精査から逸話で読む江戸人の風貌を活写。その豊かな心ばえが近代への内省を促す。『西日本新聞』連載に加筆。

 多くの資料から当時の時代を理解しようとする、まじめな良い本でした。



2006年9月1日(金)23:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

逝きし世の面影

 Net で注文した本が届きました。

 送料がないので、本屋で買うのと同じです。慣れれば便利だと思いました。

 頼んだ本は一冊です。

 「逝きし世の面影」:渡辺京二 平凡社

 江戸時代はどのような世界だったのでしょうか?
著者は江戸期から明治にかけて、その時期に来訪し滞在した数十人にもおよぶ西洋人の書き残した、この国についての記録を紹介しています。

 競争とか、進歩が無い世界では、人々は大変穏やかに暮らしていました。外国人にはこんな日本が、素晴らしい国と写ったようです。

 とても分厚い本で、さらに著者が膨大な文献を披露しているため、読むのが大変です。

 読み切っておりませんが、とても良い本のようです。表紙の絵はちょっと頂けません(笑)



2006年8月27日(日)23:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

本屋さん

 地方にいると、新しく出た本を手にするのが困難です。

 大量に出る物は、本屋さんに行けば見られますが、発行部数の少ない物や、特殊な本はお取り寄せとなります。

 本の場合手にとって見てみないと、本当に必要なものか判断できません。またちょっと見てみたいだけの物も見る事が出来ません。

 新聞などで宣伝が出ていても、お取り寄せして買わないのも気が引けて、なかなか大変です。

 昨日薦められた本を、本屋で探しましたが無かったので、インターネットで購入しました。送料も無料ですし、ある程度の内容の紹介もあるので便利です。

 良い本に出会えるチャンスが増えたようで、良い気分です。けれど地方の小さい本屋さんの経営は、ますます大変になるでしょうから、心配でもあります。



2006年8月23日(水)23:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

夏祭り

 今日S市へ行きましたら、夏祭りでした。何年も前この祭りで露店を開き、コロッケパンと、陶器を販売したことがあります。暑くて暑くて死にそうになりました。

 浴衣(ゆかた)姿を沢山見ました。やはり和服は良いですね~~

 「清水へ祇園をよぎる桜月夜
      こよひ逢ふ人みなうつくしき」

 ふとこんな歌を思い出しました。



2006年8月6日(日)01:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

言葉診療所

「Dr.金田一&柴田理恵のことば診療所」 :明治書院

 「正しい言葉」に縛られるのではなく、個人の感性やその場の状況に応じた「適切な言葉」を使うことの大切さを教える日本語指南書。人とのコミュニケーションをスムーズにするために、すぐに役立つテーマを満載。

 とてもわかりやすい対談形式になっています。特に感心したのは

 「多様な価値観では、教育は出来ない」もっともな意見です。
「ゆとり学習で学力が落ちるのは当たり前・・・」

 そうですよね、詰め込み学習でゆとりがないから始めたことです。始めてから効果も現れないうちに、止めるのも問題です。
それにしても、ゆとり学習と言っても、基本的なことなどは無理にでもたたき込まないと、話にならないような気もします。これじゃまるで愚民化政策です。一部のエリート以外は、馬鹿ばっかりでは・・・

 日本の繁栄は、一部のエリートでなく、一般の国民の教育程度の高さや、勤勉さによるところが多いと信じている私です。



2006年6月6日(火)00:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

いつか一緒にパリに行こう

 秋にはヨーロッパに行くことになりそうなので、ふと手にした、 パリに着いての本を読みました。おかしな題名ですが、中身は以下のようにまともな本でした。

  「とにかく、パリに行きたい。いますぐ、何がなんでも、行きたい。なのに先立つものがない。時間もない。一緒に行ってくれる恋人もまだいない。さまざまな理由でいますぐ出発できない人は多い。でも、いつかはパリに行きたい、という思いに変わりはないはず。一年半にわたって取材し、書き続けてきたのが本書。2003年からパリに暮らす著者の誰にも教えたくなかったパリ。」

 一人で実際に行って見た事が書かれているので、ガイドブックとは違って、作者の個人的な見解が、強く表れていますが、良い本でした。

 



2006年6月5日(月)00:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

「縞のデザイン」 わたしの縞帖

 落語を聞いていても、銘仙の羽織に・・・盲縞の・・・と聞いても、解らないことが一杯です。

志ん生の「らくだ」の中に、らくだの兄貴分という人が現れますが、「松坂木綿の袷に、そろばん玉の三尺を前の方へトンボで結んで・・・豆絞りの手ぬぐいを巻き付けて・・・」

 「お初徳兵衛」でも「その頃の船頭の形(なり)といえば、結城木綿の・・・一重に、白木の三尺をトンボに結んで・・・」

 情けないのですが、ぱっと聞いてもなかなか様子が浮かびません。

特に柄や、色の表現は、現代では使われることも少なく、なかなか理解できません。

 盲縞という言葉も、最近では差別用語とか言われ使われることも無くなりました。濃い青色の糸を縦横に細かく使い、無地のように見える縞を言います。

 日本人は色については、とても細やかで、赤色一つ取り上げても、分類は世界一の多さだそうです。以前「色の本」を見たことがありますが、この縞についても日本的な感覚を知るのに、良い本でした。

 「縞のデザイン」 わたしの縞帖
               ピエ・ブックス

 「縞帖」という物がありました。 かつて日本の各家庭では、農村部を中心に機織りが行われていました。

 その際、過去に織られた縞柄の端切れを和紙に貼り付け、各家庭で保存したのが縞帖です。いわゆるスクラップブックです。カーテンなどを選ぶときの、見本帳みたいな物です。

 この本では、京都で入手した戦前の縞帖を中心に、大正・昭和の古い着物などから約350種類以上の多彩な縞のデザインを紹介されています。

 現代の感覚から観ると、古い感性の物もありますが、なかなかの物もたくさんありました。世界中織物の柄は、実に様々で個性的ですが、この縞こそ日本的な物の一つといえます。

 観ていて楽しい本でした。

 



2006年5月9日(火)00:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

江戸300年「普通の武士」はこう生きた

江戸300年「普通の武士」はこう生きた
  誰も知らないホントの姿
           八幡 和郎、臼井喜法:ベスト新書

 サムライというと、日本の内外問わず武士道礼賛が盛んですが、実際はどうであったのかを、いろんな見地から書かれたものです。

 武士という言葉が一人歩きして、格好いいものになっていますが、実際にはごくごく平凡な生活をしていました。さらにそれほど勉強していたわけでもなく、武道もそれほど練習していませんでした。仕事も適当でした。まるで現代のお役所の役人の様でした。

 生活も上級武士は確かに裕福でしたが、中級、下級の武士はとても大変でした。

 参考になっている、神坂次郎「元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮き世」、磯田道史「武士の家計簿―加賀藩御算用者の幕末維新」はここでも取り上げた一級資料といえます。

 この作者は、他の本からの内容を取り入れて意見を述べていますが、少し知識のある人には何ら目新しい内容ではなく、普通の読み物です。確かに一般に思われている武士というものは、とても美化されていますが、そのことを強調しすぎで、もう少し歴史的な変遷や、社会構造にまで及ぶ考察がほしいところです。



2006年4月22日(土)22:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

貧困率

貧困率
 今日暮らしの手帳を見ていたら、貧困率についての記載がありました。
 
 貧困率とは、国民のうち何%が貧困であるかを示すもので、OECDは全家計平均所得の半分以下の所得しかない家計を貧困層と定義づけています。

 収入ではそれほどでなくても、税金などを差し引いた所得で見ると、OECD諸国全体の平均が10・4%なのに対して、日本の貧困率は15・3%、6~7人に一人が貧困層に分類されます。

 日本より貧困率が高いのは、メキシコ20・3%、米国17・1%、トルコ 15・9%、アイルランド15・4%の4カ国だけです。
 反対に、貧困率が最も低いのはデンマーク4・3%で、チェコ4・3%、スウェーデン5・3%、ルクセンブルク5・5%で、ドイツ10%、フランス7%となっています。

 これは由々しき問題です。国会でも取り上げられていますが、こうなることはある意味必然でした。自由競争になればなるほど、企業が国際競争力を付けようとすればするほど、低賃金で働く人たちが増えるのです。

 ここまではよく言われていることですが、政治の責任とばっかりはいえないと思います。今までどおりの高賃金では、人を沢山使うような業種は全て外国に移転されるか、外国からの商品に席巻されてしまいます。

 今日の話の中に出ていたように、現在パートの人や、低賃金の人がいつかは正社員になれて、順調に所得が増えていく社会はもう当分来ないと思えます。どの国でも高所得であった国は多かれ少なかれ同じような道を辿っています。

 まだ日本では中流意識があり、若い人はのんびりしていますが、そろそろ本気で考えないといけません。先進国のように、(1)経済のグローバル化に対応できる少数エリート(2)専門分野に通じたスペシャリスト(3)低賃金で雇える多くの労働者の3種類になって行くと思われます。

 ひとたび貧乏になったら、その子供はもちろん子々孫々まで貧乏から抜け出せない、日本は今、そんな「階級社会」に突入しようとしていると言われています。

 少数エリートはコンピューター関係と、語学は必須です。苦労の割には確率が悪く、普段の努力が必要です。
 狙うのなら専門職ですね。これからは何かの資格取得が、安全な道かと思います。国家試験による資格であることが必須です。そこら辺のいい加減な資格では意味がありません。

 マスコミは何かとエリートをもてはやしますが、これも問題です。また公務員も現在は調子がいいのですが、税収がどんどん少なくなり、そのうちにはリストラの嵐が吹き荒れる可能性があります。
 これからは地道にそこそこ努力して、資格を得るか、勉強が駄目ならドイツのマイスターのように、専門職人になるのが良いのでしょうね!

 このままでは選挙で問題になるから、経済が立ち直れば、最低の生活保障は先進国がそうであるように、今よりはきっと良くなるであろう事は容易に想像できます。贅沢を望まなければ、生きていく自体は今より楽にはなるでしょう。

 少し心配なことがあります。アメリカは先進国のようですが、とても生活保障が悪い国なのです。日本がアメリカ型になるのか、ヨーロッパ型になるのか、多少の不安はあります。たぶん同一民族の多い日本はヨーロッパ型になると信じています。

 日本だけはそうならないと思っていましたが、あっという間に諸外国のようになってしまいました。

 しかし大きな視点から見ると、とても貧しい国は山ほどあります。絶対性貧困の人たちは、先進国の巧妙な仕組みの犠牲者なのです。地球の資源に限りが見えてきました。以前からヨーロッパでは、アメリカのような生活は、軽蔑されていました。日本もいつまでもアメリカの上流社会を夢見るのは、反省しないといけない時期なのかもしれません。



2006年3月24日(金)23:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

「骨董屋からくさ主人」 その2

沢山の話の中で、こんなのがありました。

 著者が韓国で三島手のかけらを拾ってきて、それをガラス板の下に敷き詰めて、テーブルに仕立てました。

 ある陶芸家が、一つのかけらを勝手にもって行き、後にそれを写しに作って、さらにその鉢を割ってかけらを作ってきました。これをガラス板の中に入れると、もうどれが十五世紀の李朝時代に作られたものか、新しく作られたものかなかなか判らなくなりました。

 いろんなお客が来ると、「一つ新作のものがありますが、どれでしょう?」と言って喜んでいました。
 そのうち作った本人さえ、「俺の作った破片はどれだっけ?」といい始める始末です。

 韓国から陶芸の勉強に来ている若い女学生に見せた所、一瞬にしてこれが違いますと言い当てた。
 
 「あなどるなかれ、韓国には韓国の血がある。血は争えない!」

 この話にはとても感動させられました。異文化の理解とはそういったものです。現在では日本は韓国とギクシャクしていますが、江戸時代までは文化の面でも中国はもとより、朝鮮も日本の先生でした。



2006年2月17日(金)23:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

「骨董屋からくさ主人」

 「骨董屋からくさ主人」 中島誠之助:角川文庫

 以前にも中島誠之助の「焼き物の目利き」など2~3冊読んだことがあるのですが、以前のものは、知識偏重だったり、商売人の裏話っぽい所も見えたりして、すべてを好きになれませんでした。今回のものは人とのかかわりが多く、とても面白く読めました。

 あとがきの解説にあるように、物に対する姿勢に、物の向こうにいる人に関心を深くなるタイプと、あくまでも求心的に物を冷徹に眺め、物に固執するタイプがあるそうです。著者は人に関わっていくタイプです。ですからこの本も骨董のことより人との関わりが、とても面白く書かれております。
 
 古美術鑑定書でなくて、骨董にまつわるいろいろな人の所有欲や、金銭欲、目利きとしての誇りなどが実話として書かれているので、迫力があります。骨董より、人間模様の本ともいえます。



2006年2月16日(木)23:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

暮らしの手帖その後

 先日の often の発音の件について、編集部からお返事がありました。作者はそういう発音があることは知っていたそうです。けれど、日本語の発音の難しさを説明するために対比して、英語の発音の難しさを述べるために、取り上げたそうです。

 だけど 「オフティン」という発音があるのを、敢えて取り上げるのは、紛らわしい!揚げ足を取ってるのではなくて、日本語においても、大和言葉については、漢字はもともと当て字であったことを自覚するべきなのです。

 言葉は「生きている」からと言われます。外来語の影響を受けたり、言い回しのうちにどんどん変化したり、便利だから違う意味に使われたりと、ですからとても難しいのです。



2006年1月30日(月)16:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理

暮らしの手帖から

今月発売の「暮らしの手帖 20号」の中の記事に、こんなのがありました。 96ページ 

「肥後守は何のカミ」
 小さな小刀の「肥後守」の名前の不思議を述べた面白い話しでした。その一部を書きます。

 紀伊国屋文左衛門と聞いたときのそれ、と言いかえてもいいかもしれない。なぜ「きいくにや」でなく「きのくにや」なのか。「伊」を「の」と読むなどという暴挙が許されるのなら、・・・・中略

 でもそれなら OFTEN はなぜ「オフトゥン」ではなく「オフン」なのか?・・・

 ここが問題です。OFTEN は「オフトゥン」とも発音します。辞書にも載っています。(キッパリ)
 英国では上流の人たちは「オフトゥン」と発音します。あるイギリス人夫婦に尋ねたことがあります。
 奥さんに聞くと「そんな発音する人は、BBCのアナウンサーだけと、イギリス王室の人たちだけよ!」と言い切りました。
 ご主人に聞くと「もちろんそう発音します。」とこともなげに言いました。

 奥さんはアイルランド出身の方ですが、とても綺麗な英語を使われます。
ご主人はロンドンのごく近くの出身で、パブリックスクール出身のエリートです。
というように「オフトゥン」は上流の人たちが使う発音なのです。

 この問題の文章の著者は翻訳業だそうで、情けない話です。そこで「暮らしの手帖」編集部にご注意の電話を入れました。辞書を見るように言うと、「あっ、ありますね~」その後何の返答もありません・・・(笑)

 文章全体は面白いのですが、日本語の特徴をよくご存じないようです。もともとの大和言葉に、漢字を当てはめたことによって、日本語には音読みと、訓読みという一つの文字に、全く違う読み方が出来てしまったのです。
 
 日本語は大昔から日本にあったのですが、日本人は文字を持っていなかったのです。そこに漢字が入ってきて、それを使うことにしました。所が日本にはもともとの大和言葉がありました。そこで大技を使ったのです。例えば山という文字は中国語では「サン」あるいは「セン」であるけれど、大和言葉では「やま」というからこの字を、「やま」と呼ぶことにしたのです。もしこのとき中国語で無く、英語が入ってきていたら、mountain を訓読みでは「やま」と、音読みでは「マウンテン」と発音していたことでしょう。

 さらに文字が入ってきた当初は、全くの当て字だったのです。ですから万葉集の原文は、漢字の音だけが使われていて、個々漢字の意味は全くありません。
 この著者も、このような歴史認識の上で、書いてもらいたかったな~~と思うしだいです。作者も「漢字と日本人」高島俊男:文春新書 などを一度読んでみてはと思います。



2006年1月25日(水)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理


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