「週末アジア!」 |
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| 「週末アジア!」 思い立ったらすぐに行けちゃう プラス有給1日で行ける12都市案内
吉田友和著 情報センター出版局刊
紹介文章 『仕事が忙しいあなたのための週末海外!』の続編です。2007年後半から2008年前半にかけて旅した、タイ、シンガポール、インドネシア、マレーシア、ベトナム、韓国、中国、香港・マカオ、沖縄、グアムの週末旅行記と、ノウハウ的な内容をまとめました。うちの奥さんをはじめ、おなじみ?の旅仲間たちも登場。今回は1人旅も多いです。
土 日プラス有給1日の3日間で行く週末旅行に特化した今作。超短期旅行なので、航空券やホテルの選び方など、普通の海外旅行とは勝手が違う部分もあります。 そこで、最後の章では、週末海外旅行を少しでもお得で快適にするためのノウハウについて、個人的な経験を元にまとめました。マニュアルのような堅苦しいものではなく、オススメお役立ち情報といった感じの内容になっています。 感想 著者は607日間の世界一周新婚旅行も行っている、旅行のベテランです。長く旅行していると、だんだん感動が少なくなってくるそうです。それにモチベーションも下がり、行くか行かないかとなると、まあいいやと止めてしまうことも多くなったそうです。 週末だけの3日間の旅行は、忙しいけれど中身の濃い良い旅行が出来ると述べています。
確かにそうかも知れません。パック旅行も自由が利かなくて、忙しいスケジュールですが、何もしなくても中身の濃い旅行には成ります。途中でお土産店に連れて行かれたりする事はありますが、安全で割安です。
週末旅行はとにかくフライトスケジュールが大切です。週末を利用するわけですから、木曜日の夜中出発し、月曜の早朝帰国が最高です。寝る時間は飛行機の中です。上手くできれば、まるまる三日間現地に居られます。のんびりした3泊4日や4泊5日の旅行と変わらないくらい中身の濃い旅行が出来ます。
欠点は時間がピンポイントなので、割安航空券が手に入りにくい事です。関空やセントレは24時間フライトが可能なので、深夜発着便がありとても有利です。 ホテルの予約から、向こうでの交通手段、観光地の日程など綿密に調べておかないと、大変なことに成りかねません。短期とはいえ、やはり外国です。風習も、商習慣もまるで違います。一度行った国で、リピーターとして行くような場合は大変有効だと思いました。
第4章の「快適な週末アジアのためのノウハウ」は航空券の選び方や、手荷物を預けるか、機内持ち込みにするかなどまで、大変実践的な内容になっています。
この本を読んで、気楽な一人旅がしたくなりました。
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2009年2月3日(火)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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梅小路蒸気機関車館 |
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| 新幹線に乗っていたら、「ひととき」という雑誌に梅小路蒸気機関車館の事が出ていました。
梅小路蒸気機関車館はとても有名で、今更書くことではないのですが、鉄道関係の雑誌だから開館までの困難が書かれていました。
少し引用すると、 梅小路機関区に、梅小路蒸気機関車館を作られたのは1972年10月10日のことでした。これは鉄道開業100年を記念してのことでした。
所が当時の国鉄は巨額の債務を抱えていて、費用も手間もかかる保存事業をしている場合ではないと、考えられたのです。 しかしさすがの国有鉄道です。磯崎副総裁が「スチームエンジンの最後を見届けるのは鉄道だ。その文明を後世に残すのは技術陣の崇高な使命ではないのか?」
その結果国鉄がJRになっても、崇高な使命は受け継がれているのだそうです。
補修する部品どころか、工具すら無い中で、18両が保存されていて、その内今でも完璧に整備された蒸気機関車7両が走行可能です。
そのうち是非行こうと思っています。
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2009年1月16日(金)23:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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漢字と日本語 |
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| 以前金田一氏の本で読んだと思うのですが、フランス人がフランス語の新聞をほぼ完全に理解するのに必要な語彙は5000語くらいです。対して日本語の場合日本語の新聞をほぼ完全に理解するに必要な語彙は10000語くらいだそうです。
これは日本語が漢字の組み合わせによって、沢山の語彙があるからです。普通に人はおおよそ2000字くらいの漢字を知っています。すると組み合わせによって沢山の語彙を知ることが出来ます。
何かを読むとき漢字がはっきり読めなくても、漢字の意味を知っていれば、意味は判ります。
私は元々漢字が苦手ですが、最近はPCで入力するため漢字がますます書けなくなりました。一応読むことは出来ます。けれど麻生さんのように、声に出して読むと違っているのかも知れませんが、一応入力する時にそれほど違っていないから、大丈夫と思っています。
麻生さんはごく簡単な漢字も知らないし、その意味もしっかり理解しているとは思えません。やっぱり変な人が総理になったと思っています。
国会の答弁聞いていても、かなりおかしいもの・・・
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2009年1月10日(土)23:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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「静岡発 ローカル線てくてく歩記」 |
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| 「静岡発 ローカル線てくてく歩記」 清 邦彦 (著) 静岡新聞社 あの日あの町、線路の旅。今もひっそりそこにある、ノスタルジアの風景。大井川鉄道、大井川本線からJR飯田線まで、古い駅舎と駅前の味をイラストと文章で綴る人情紀行。
感想 沢山の古い駅舎が、精密なスケッチで取り上げられています。現在の駅の様子も細かく自分の見たイメージで書かれていました。
駅の由来とか、歴史とかが書かれていれば更に鉄道ファンには、喜ばれたでしょう。鉄道、駅舎自身にはそれほど深い記載はありません。
前書きにあるように、食べ物屋はその時たまたま著者が食べたくなって立ち寄った店が取り上げてあります。必ずしも名店とか、お薦めの店ではありません。そんなところがごく自然で、個人出版のような本ですが、好感を持てました。
綿密に取材し、詳細に書かれた物ではありません。旅の案内書ではなくて、むしろ旅日記のように、著者が普通に小旅行したままに書かれています。それがとても新鮮で、自分が歩いているような気にさせられる楽しい本でした。
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2008年12月25日(木)23:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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東京に暮らす 1928~1936 |
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| 「東京に暮らす 1928~1936」 著者名:キャサリン・サンソム 出版社:岩波文庫
著者は、外交官夫人として、昭和初期の東京に暮らしたイギリス人。見たこと感じたことが、女性らしい優しい気持ちで、いきいきと綴られています。女性だけに政治的な見方は全くなく、ごく普通の東京の日常をイギリス人の目から見て書いています。
この手の書物は、極端に日本贔屓だったり、反対に極端に批判的だったりすることが多いのですが、とてもナチュラルな目で見ています。それ以上に感心するのは、作者は日本語も話せるかなりの日本通ですが、知識をひけらかすところは全くなくて、日本人なら説明できるようなことでも、これ以上は不明ですと素直に書いています。
面白い話が沢山出てきます。この面白さは少しイギリスのことを知っていると倍増します。 樹木と庭師という一節ですが、最近ガーデニングが流行していますが、イギリスでは日当たりが悪く、日本に比べ木の種類も、花の種類も自然ではなかなか大変のです。作者は「木が好きな人なら必ず日本が好きになります。しかしその木は庭師の存在で更に素晴らしい物になっていると」と書いています。
「ここに木を植えたいと言っても、庭師は頑としてあそこに植えるべきだと言って、絶対譲りません。しかし後で家の中から見るとやっぱり庭師の言ったとおりだったのです。」
「ある時庭師が、変わった桜の木を持ってきて植えました。植えた木が花を付けないばかりか、ひどく惨めに見えたとき、我々は秘かに喜び、彼がどんな言い訳をするか楽しみにしていました。所がその庭師は相変わらず得意そうな顔をしていました。案の定その木は立派な木になったのでした。」
さらに「私たちは、自分たちが庭や木の所有者であると思ってしまうことが時々ありますが、間違いです。本当の所有者はあくまでも庭師です。」
これには本当に笑えました。当時の日本にはいわゆる職人が素晴らしい働きをしていました。 冷静な文章に、日本の靴について書いています。日本人の真似が上手なことは世界一だと認めています。
「運がよいと日本でも手頃な値段で、良い靴を作って貰えることがあります。」 「日本で作って、数年はいたワニ皮の靴を見たロンドンのある靴作りの名人が、その靴を見て一体どこで作ったかと尋ねました。」 その靴はあらゆる面で完璧でした。所が二度目に注文したらもう駄目でした。 こんな所にも職人気質に感心しています。
日本通の多くの外人は、日本の社会はとても良い職人の仕事をあまり大事にしていないことを不思議がります。 確かに日本では外国に比べて料理人も、それほど高い社会的地位を得ていません。それは外国に行くと判ります。外国の一般家庭では、料理の技術は実にお粗末です。日本人は器用なので、料理でも、着物の仕立てでも、障子の張り替えなどでもかなりのレベルまで家庭の主婦が出来ました。
そんなところに作者も感心しています。老人がとても大事にされている事にも感心しています。我々が失ってしまった、戦前の日本の良かった部分を知り、再確認させられる良書でした。
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2008年12月17日(水)23:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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「あきらめたから、生きられた」 |
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| 「あきらめたから、生きられた」 ―太平洋37日間漂流船長はなぜ生還できたのか
BE‐PAL Books 武智 三繁 (著), 石川 拓治
「コンチキ号漂流記」、 「大西洋漂流記76日間」、「ダイバー漂流」、「太平洋漂流実験50日」と読みました。今回は漂流物の第5弾、漁師さんの話です。
武智三繁さんは、2001年夏に長崎県西彼杵半島沖で漁船のエンジントラブルで、37日間太平洋上を漂流して千葉県銚子沖で奇跡的に助けられました。 食料も水も無く、世間からは絶望であると思われていました。しかし、その間、食料が尽きれば漁をしたり、水が無くなれば海水を沸かして塩分の無くなった蒸留水を飲んだりして、生きのびたのでした。
感想 漂流し始め、ちょっとのんびりしていたのも問題でしたが、その後の態度は見事なもので、「明日死ぬかもしれないけど、ナイター中継も聴いた。演歌も歌った。空いっぱいの星も愛でた。」と語っています。
「救出後の武智さんの胃の粘膜はとてもきれいで、ストレスの痕跡などはまったく無かったので驚きました。」と診察医師の談話も有ります。
表題は「あきらめたから、生きられた」となっていますが、決して自暴自棄になったのではありません。実際には反対でした。どうせ死ぬんなら、じたばたしないで行けるところまで行ってみようと思ったのでした。
4冊ほど漂流記を読んで、もちろん助かった人は、みんなそれなりの幸運に恵まれたのですが、精神力が大事なことが共通していました。多くの漂流者は、絶望し平均3日以内で亡くなってしまうのです。漂流したときは、何より心の平静が大事です。
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2008年12月10日(水)23:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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「太平洋漂流実験50日」 |
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| 「太平洋漂流実験50日」 斉藤実著 依光隆画 フォア文庫
「コンチキ号漂流記」、 「大西洋漂流記76日間」、「ダイバー漂流」と、この所漂流物を読んでいます。
今回の漂流は、「コンチキ号漂流記」に似ていますが、崇高な目的があり4冊の中では一番とも言える物でした。
海の遭難では飢えや渇きのためだけでは無く、絶望による精神の混乱が死を早める。 だが、海水は遭難後5日程度であれば飲むことが可能だ。」と説き、自ら漂流実験を行ってその効果を示した仏人医師アラン・ボンバールの著作を読み、自らを実験台にした海水飲用実験など、万が一、遭難漂流しても海難遺族を出さない方法の究明と実証を行う決心しまた。
昭和50年10月7日、単独でサイパンから沖縄まで2ヶ月強に及ぶ、第四次漂流実験を開始しました。 食料はシイラやカワハギを釣り、飲み水は海水真水の混合液で、11月20日まで順調に航海を続けました。
沖縄本島まであと少しとなったところで、風速60mを超える超大型台風20号(ジェーン)の直撃を受けまた。 最後まであきらめず、生き抜くために徹夜で補修を行い、台風の只中に乗り込むこととなりました。波に叩かれ天幕は破れ、必死に排水作業を繰り返す中、大波を受け11月22日ヘノカッパⅡ世号は転覆。
いよいよ駄目かという時、11月25日午後5時、和歌山県那智勝浦港所属のマグロ延縄漁船「第五亀甲丸」に救助され、生還を果たしました。
感想 単なる冒険物ではありません。しっかりした計画と、海難事故に対する今後の改革を目指した最高の実験でした。 安全の為の実験ではないので、周到な用意にも拘わらず、もう少しで死ぬところでした。崇高な志に神が微笑んだのか、運良く助かったのでした。とても良い本の一つに挙げたいと思いました。
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2008年12月9日(火)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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本当の星になった中原中也と金子みすゞ |
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| 本当の星になった中原中也と金子みすゞ (詩人の金子みすゞ、中原中也の名前が付けられた小惑星)
夜空をめぐる詩人の星――。愛媛県久万高原町の久万高原天体観測館に勤務する中村彰正さん(47)が1995、97年に発見した小惑星に、それぞれ詩人の金子みすゞと中原中也と名付け、4日までに国際天文学連合(IAU)に登録されたそうです。
登録名は「Misuzukaneko」と「Chuyanakahara」。いずれも約4年周期で太陽を周回し、明るさは最大で18等級ほど。暗いため望遠鏡では見えず、カメラを望遠鏡に設置し、長時間の露出で撮影に成功されたそうです。
二人とも大好きな詩人なので、とても嬉しく思いました。どちらも夭折で(金子みすゞ26才、中原中也30才)不遇でした。特に金子みすゞは服毒自殺という、とても悲惨な最期だったので、星になれてなぜか救われたように感じました。
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2008年12月8日(月)23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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ダイバー漂流 極限の230キロ |
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| ダイバー漂流 極限の230キロ (新潮OH!文庫) 小出 康太郎 (著)
紹介 男は、陸地の影すら見えない太平洋のまっただなかに首ひとつ出して漂っていた。 大河の急流をも凌ぐ黒潮は、男の地力による生還への途を閉ざしている。一人のダイバーの異常な体験が始まった。 夜が来ると海が荒れ、地獄の底をかいま見せつつ、時間がゆるやかに移って幻想の世界がはからずも展開する。
感想 先日から「コンチキ号漂流記」「大西洋漂流76日間」と漂流物を読んでいます。
この漂流は、潜水していてそのまま流された恐ろしい話です。
途中で覚悟し、自分が死んで遺体が上がらなかったらすぐには生命保険が出ないだろうから、身体を浮力器にくっつけて、沈まないようにしようとしています。
黒潮に乗って漂流すると、流れからして助かった例は少ないのです。奇跡的に漁船に救われるのですが、とにかくすごい話でした。
ヨットにしても、太平洋と、大西洋では全然リスクが違います。太平洋はとにかく広いのです。北の方ではハワイ以外に島もなにもありません。
ダイバーもSOS発信器でも付けて潜るようにでもしないと、ほんの少し流されても大変なことになります。しかし何よりも海の状態です。危ない所は判っているので、無茶をしないことです。
漂流した本人が書いたものではなくて、取材した作者は文章が上手くて、少し装飾的に書かれているのが気になりました。
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2008年11月15日(土)21:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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大西洋漂流76日間 |
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| 大西洋漂流76日間
著者 スティーブン・キャラハン 訳者 長辻象平 出版社 早川書房
スティーブン・キャラハン Steven Callahan
1952年、アメリカ、メイン州に生まれる。12歳からセーリングを始め、たちまちとりこになった。高校卒業以来、ヨット設計者として艇の設計・製作に携わり、また教えている。 1982年、イギリスからカリブ海へ向かうミニ・トランザット・レースに参加したが難破、ゴム製救命イカダで76日間漂流するという、海洋史上でも希なサバイバル体験をした。それをまとめたものが本書である。 (本書より著者紹介文)
感想
この世界ではよく知られた話で、海でのサバイバル教本としても有名です。技術より精神力なのです。
76日間漂流というのは、常識では考えられない日数です。人は漂流した場合どれくらい耐えられるのでしょう。
答えは3日なのです。海難者の90%は遭難から3日以内に亡くなってしまいます。食べ物も水も無くても、もう少しは生きられるはずなのです。多くの人は絶望感から亡くなってしまうのです。 山での遭難も同様です。多くの人が絶望感と、恐怖心から亡くなることも多いのです。 キャラハンは76日なのですから、驚く他はありません。尋常の精神力ではないのです。船が突然沈むときも、冷静に必要な物を出来るだけ船から回収し、ゴム製救命イカダに運び込もうとしています。あまり上手くいかなかったのですが・・・
そのサバイバルぶりの中には、海水は飲んではいけないとか(実際は真水がないときは、5日以内で、海水を毎日800~900ml位は飲んでおいた方が良いのです)、魚の取り方などもう少しという面はありますが、何より強靭な精神力が素晴らしく、次から次へと起こる生死に関わる難題に、限られた材料で実に上手く対応しています。
一番ビックリしたのは、ゴムボートの耐久性が40日なのです。その頃からボートから空気が抜けると言う普通なら死へのカウントダウンの恐怖にも打ち勝って、76日間耐えたのです。
彼は鉛筆で作ったおもちゃのような六分儀と漂流速度から、自分の位置と陸地に着くまでの日数をかなり正確に割り出しています。この事が生きる勇気と希望を持たせています。
「コンチキ号漂流記」とはまた違った素晴らしい本でした。
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2008年11月7日(金)23:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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本屋で |
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| 夜いつもとは違う本屋に行きました。結構大きな本屋でしたが、CD販売や、レンタルもしている本屋です。夜遅くまで営業しているので、便利です。
所がらしい本が殆どありません。漫画が多いのは最近の本屋の特徴ですが、新刊書は芸能人が書いた本ばかりです。後はハウツー物、新書などは全くと言っていいほど無くなっていました。
どうも超若者用の本屋になってしまったようです。
活字離れを体験した日でした。
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2008年11月2日(日)23:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む |
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| イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む 平凡社ライブラリーoffシリーズ) 宮本 常一 (著)
1878年(明治11)6月から9月にかけて東京から北海道(蝦夷)までの旅行の記録で、明治維新当時の日本の地方の住居、服装、風俗、自然を細かく書き留めてあり、近代以前の日本の情勢を知ることのできる資料である。またアイヌ人に関する記述も豊富にある。
1885年版で省略された部分の主なものが、楠家重敏他訳『バード 日本紀行』、細部が高畑美代子訳『イザベラ・バード 日本の未踏路 完全補遺』として出版された。さらに1880年版からの全訳が、時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行(上・下)』として出版されている (Wikipedia)より この本はその『日本奥地紀行』をテキストにして、宮本常一が読み解いた解説書みたいな物です。
感想 著者の意見が所々に入っています。もっともなことが多いのですが、解決にはならないような意見もあります。やはり民俗学をやっている人だから、教育学とか政治学の専門家ではないので、首をかしげざるを得ないところもあります。 現象だけにとどめておいて、それ以上書かない方が良かったのではと思いました。
イザベラ・バードは、明治と言っても江戸時代を残している奥地の貧農や、整備されたと言っても、江戸時代の駕籠かきから人力になったような人達、馬子のようなものまで詳しく観察しています。
その時代(1859年頃)世界で最も安全と言われていた、イギリスでさえ、ロンドンからドーヴァーまで一人歩きは、危険で出来ないとされていました。同じ時期(安政6年)東海道の女の一人歩きはいくらでもありました。
それほど日本は安全な国だったのです。治安が良いというのは、そこに暮らす人達が平和だったのです。農村などでは夜路戸締まりをする家は、ありませんでした。
江戸末期いろんな事が起こりましたが、地方は相変わらず平和で、特に下層階級とされていた労働者が勤勉で、正直で、自分の仕事に誇りを持っているのに驚かされています。
確かに農村は不衛生で、蚤や虱に悩まされますが、明治初期に通訳を連れて外国人の女性の旅をした彼女は、貧しい人々に触れ合って日本は天国のような国だと書いています。
他の著書でも読んだことがありますが、当時の西洋人が、日本が文明開化、富国強兵を唱えながら、西洋の真似からドンドン西洋化して行く姿を見て、日本人が持っていた美徳が失われていくのを惜しんでいる文章が沢山あります。
これは国が富むと言うことではなくて、300年にわたる平和がもたらした素晴らしい美徳であったのです。それでも第二次世界大戦前までは、人の心の中に随分残っていました。
今でも日本人が持っていた残り少ない美徳が、更に無くなっていくのを惜しんでいます。
面白い逸話を一つ 彼女がお祭りに出くわします。人出は32000人なのに警官ははたったの25人でした。これでけが人もなく、乱暴者も居ないで整然とお祭りをやっていたのです。この警官の少なさに彼女は驚いています。 つまり集まった人々は、ちゃんとした心得があったのでした。
最近の花火大会で、何人もの死者が出たりしましたが、当時の人は我先に争うような人は居ませんでした。みんな自律性を持っていました。実に良い時代でした。
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2008年10月30日(木)23:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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コンチキ号漂流記 |
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| コンチキ号漂流記 著者/訳者名 トール・ハイエルダール/著 神宮輝夫/訳 出版社名 偕成社
トール・ヘイエルダール(1914~2002) ノルウェーの民族学者・探検家。 ペルーの神話や巨石の類似から,古代のアメリカとポリネシアのあいだに交流があったとするコン=チキ学説をたてその証明のため,1947年4月,バルサ材の筏「コンチキ号」でペルーを出航。101日後7,000km余りを漂流,太平洋ポリネシアのツアモツ諸島のラロイア環礁に達した。
感想 子供向けの本ですが、最高に面白い本です。以前から読もうと思っていましたが、機会が無くて・・・ ふとネットで見かけて、さっそく購入しました。教科書にも載っていたこともあるようです。とても有名な話なので、知っている人も多いのでしょう。
時代の違いもあるけれど、命知らずというか、軍隊に行っていた人達の向こう見ずで、少年のような情熱と行動力に、驚かずにはいられません。
しかし単に危険な冒険だけではありませんでした。古代の歴史的な研究から産まれた冒険だったのです。この冒険で彼の学説が正しいことを証明したのです。
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| コンチキ号博物館にある、コンチキ号
バルサ材で作られた、14メートルほどの筏船です。古代人の言い伝えとおりに、草の綱で縛っただけの船です。
バルサ材は海水を含んですぐに沈むとか、草の綱は擦れてすぐにバラバラになると言われましたが、古代人の経験から造られた船は、何とか無事でした。
驚くことに、公開前に殆どテストをしないで出航していることです。この向こう見ずな試みには、思わず笑えました。
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2008年10月21日(火)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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玉を拾ふと |
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| 新幹線の雑誌を見ていたら。万葉集の歌が紹介されていました。あまり有名でない作者の歌や、詠み人知らずの歌の中に素朴で心を打つ作品があります。紹介されていた歌もこんな歌でした。
「妹(いも)がため玉を拾ふと 紀(き)の国の由良のみ崎にこの日暮らしつ」
意味は 「貴女のために、私は真珠を拾おうと思い、紀伊の国の由良の岬で一日中過ごしました。」
紀伊の国は真珠が獲れるとされていました。当時は天然真珠ですから、大変貴重な物でした。 彼女のためのお土産にしようと真珠を探したのですが、素人に真珠が獲れるはずもなく、一日中海辺を探して歩いたのでしょう。
真珠をお土産には出来なかったけれど、この歌は真珠以上に素晴らしいお土産になったことでしょう。
なんと素朴で、優しさあふれる歌でしょう。
昔観た映画で、彼女とティファニーへ行ったのですが、どれも高くて手が出ないので、お菓子のおまけの指輪に、彫ってもらうことになる。そんなシーンを思い出しました。
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2008年10月20日(月)23:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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オールコックの江戸 |
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| オールコックの江戸 : 初代英国公使が見た幕末日本 佐野真由子著 中央公論新社 ,
一九世紀半ば、江戸‐ロンドン間の文書のやりとりに蒸気船で半年近くを要した時代、一人の外交官が担う責任は、今日とは比較にならないほど大きかった。 そんな時代、日英関係の仕事は、初代駐日公使ラザフォード・オールコックの手に完全に託されていたといってよい。 本書は、一八五九年から六二年まで、日本の外交にとって決定的に重要だった三年間の彼の思考と行動を、在外史料を駆使していきいきと描いた幕末物語である。
目次 第1章 広東から江戸へ 第2章 上陸 第3章 神奈川問題 第4章 江戸駐在代表の生活 第5章 アメリカ公使との確執 第6章 一八六一年夏 第7章 ロンドンへ 終章 歴史への奉仕者
感想 江戸と言っても、主として外交問題が主であり、それほど幕末を詳細に見ている内容ではありませんでした。
不平等条約など、文化の違いもあり、オールコックの物の見方に、それほどの感慨はありませんでした。
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2008年10月11日(土)23:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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秋の漢詩 |
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| 吟遊詩人/井上洸霊さんから送られてきた漢詩が素晴らしいので、紹介
秋夜丘二十二員外に寄す 韋 應物
君を懐うて秋夜に属す 散歩涼天に詠ず 山空しゅうして松子落つ 幽人応に未だ眠らざるべし
<読み方>
しゅうや きゅう にじゅうに いんがいに よす い おうぶつ
きみを おもうて しゅうやに しょくす さんぽ りょうてんに えいず やま むなしゅうして しょうし おつ ゆうじん まさに いまだ ねむらざるべし
<漢詩原文>
秋夜寄丘二十二員外 韋應物
懐君属秋夜 散歩詠涼天 山空松子落 幽人応未眠
<語句の解説>
寄・・・・・・ 手紙を出す、の意。 丘二十二・・・ 丘家の二十二男、の意。 員外・・・・・ 定員外で補充された役人、の意。 属・・・・・・ ちょうど今、おりしも、の意。 涼天・・・・・ 涼しい秋の季節、の意。 山空・・・・・ 葉も散り人影もない寂しい山、の意。 松子・・・・・ 松かさ、の意。、 幽人・・・・・ 人里離れて静かに暮らす人、の意。 応・・・・・・ きっと・・・のだろう、の意。
<通釈> 秋の夜に、丁度君のことを懐かしく思い浮かべているところだ。 僕の方は涼しい日には散歩して好きな詩を詠じたりしているよ。 葉もすっかり落ちて人気もなくなった山に、ただカサっと松かさ の落ちる音だけが聞こえている。今頃は、山中にひっそり暮らす 君もきっと眠れずに起きていることだろうな。
<韋應物メモ> 中唐の詩人。737~804年。現・陝西省西安市の人。 自然を詠う詩に巧みで、特に自然の静けさや穏やかさを主題とする 詩に秀でている。盛唐の孟浩然や王維を受け継ぐとされ、柳宗元も 一括して”王孟韋柳”と並称される。 <鑑賞> これから日毎にそんな季節となります。 「山空松子落」し~んと静まり返った山中に、ただ松かさの落ちる音 だけが・・・いかにも韋應物らしい巧みな趣向ですね。 山々は盛秋の紅葉から晩秋落葉の季節へと駆け足で移っていきます。 私たちも時には遠く離れた友人に思いを馳せたいものです。
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2008年9月26日(金)23:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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読書 |
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| 一度に沢山注文したので、仕事の合間は本ばかり読んでいます。
将に読書の秋です。
NHKでも紹介されていましたが、万葉集の面白い歌を見つけました。
来(こ)むといふも来(こ)ぬ時あるを
来(こ)じといふを
来(こ)むとは待たじ 来(こ)じといふものを 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)
訳 来ると行っても来ないときがあるのに、来ないと言っているのに、来るのを待ちませんよ、だって来ないと言ってるんだから!
この歌の句の頭はすべて来(こ)で統一されいます。一種の言葉遊びです。なのに軽やかな恋の歌になっています。 万葉集には言葉遊びの歌も沢山あります。内容の良く解らないものもあります。
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2008年9月25日(木)23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本 |
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| 英国人写真家の見た明治日本 この世の楽園・日本 講談社学術文庫 ハーバート・G.ポンティング/〔著〕 長岡祥三/訳
スコット南極探検隊の映像記録を残したポンティングは、世界を旅し、日本を殊の外愛し、この世の楽園と讃えた。 京都の名工との交流、日本の美術工芸品への高い評価。美しい日本の風景や日本女性への愛情こもる叙述。浅間山噴火や決死の富士下山行など迫力満点の描写。 江戸の面影が今なお色濃く残る百年前の明治の様子が著者自らが写した貴重な写真とともにありありと甦る。
ポンティング,ハーバート・G. (ポンティング,ハーバートG.) Ponting,Herbert George 1870年、イギリス生まれ。写真家。1910年、スコット南極探検隊に参加し、写真と映像による記録を残す。著書に“The Great White South”などがある。1935年没
感想 ポンティングが初来日したのは1902(明治35年)年頃です。日露戦争にも従軍写真家として参加しています。帰国したり再来日したりしていますが、1906年(明治39年)まで日本に居ました。
写真だけではなくて、文章も沢山ありました。とても親日的というか日本贔屓すぎるきらいはありますが、興味本位の写真でなく、心から日本を愛している所が随所に見られました。また写真家としての技術も素晴らしく、当時の日本の素晴らしさをあたたかい目で写し出しています。
富士山にも登っています。頂上に4日間も泊まり写真を撮ったようです。当時のカメラを持って登山するのはとても大変で、剛力を4人も雇っています。富士登山の様子は日本人以上の感性で、素晴らしい文章でした。
江戸時代でもなく、明治初期でもなくて、やや中途半端な時期なのが、この写真家をそれほど有名にしていないのでしょう。 日本は日清、日露戦争の後めざましく発展していきます。この書では、まだまだ素朴な日本の素晴らしさが見事に描かれています。
本書の沢山の写真は、オリジナルプリントではなくて、印刷物から取った物です。オリジナルは、ロンドンの大英博物館に保存されているようです。
翻訳の長岡祥三氏はえらく誉めてある書評もあるが、少なくても文学者ではないと思う。詩情というか、美しさに欠けています。個人的には評価できません。
いろんなサイトを見たら、少数ですが酷評されている文章があって、ちょっと安心。
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2008年9月24日(水)01:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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江戸時代から明治へ |
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| 面白そうな本を見つけたので、ついでに沢山買いました。
一度に沢山あると、簡単な本から読む癖があります。今回も写真が多い、「英国人写真家の見た明治日本」から読もうかと思っています。
最近は本屋で探すより、ネットで探した方が、同一分野の本が簡単に見つかり便利です。取り寄せなくても内容がある程度解るので安心です。まとめて買うと送料も無料です。
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2008年9月23日(火)23:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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中秋 |
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| 明日は中秋の名月です。十五夜と言えば白楽天の有名な漢詩があります。和漢朗詠集や、源氏物語にも引用されていて、昔習ったのですが、初めだけしか覚えていません。改めて調べました。
八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九 白居易
銀台金闕夕沈沈 独宿相思在翰林 三五夜中新月色 二千里外故人心 渚宮東面煙波冷 浴殿西頭鐘漏深 猶恐清光不同見 江陵卑湿足秋陰
読みかた 銀台(ぎんだい)金闕(きんけつ)夕沈沈(ゆふべちんちん) 独宿(どくしゅく)し相(あひ)思ひて翰林(かんりん)に在り 三五夜中(さんごやちゆう)新月(しんげつ)の色 二千里外(にせんりがい)故人(こじん)の心 渚宮(しょきゅう)の東面(とうめん)煙波(えんぱ)冷ややかに 浴殿(よくでん)の西頭(せいとう)鐘漏(しょうろう)深し 猶(な)お恐る清光(せいこう)同じくは見ざるを 江陵(こうりょう)は卑湿(ひしつ)にして秋陰(しぅいん)足る
大意 銀の高殿・金の城門は、夕方ひっそりと静まりかえっている 独りの宿直で元槇のことを思って翰林院にいる 十五夜の夜の満月の色 二千里かなたの友の心を思っている 楚の宮殿の東側、もやで煙った水面は、冷ややかに光っているだろう 浴殿の西側では水時計の音が静かに時を告げている 気がかりなのは、月の清らかな光を同時に見ていないかもしれないことだ 江陵は、低温で秋はくもりが多いから
銀台、金闕、浴殿は白居易が当直していた、翰林院の周りの建物です。 渚宮は元槇(げんじん)が左遷されていた、江陵にあったいにしえの楚王の宮殿です。
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2008年9月13日(土)23:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 書籍 (短歌、漢詩) | 管理
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