Cat Schroedinger の 部屋
 
                        雑談の部屋です。
 



陶芸
~説明~
陶芸が趣味。アマチュアですが、陶芸教室の師範代をしてます。師範はロクロを使わないので、私がもっぱら電動ロクロを教えています。

新しい先生に弟子入り

 今日は先日作ったくみ出し湯のみの、高台を削りました。

 先生は作品を美術館などで売っています。とても小さい一輪挿しが良く売れるそうです。

 私も作ってみました。写真では大きさが判り難いのですが、左にあるのが、普通の湯飲み茶碗です。全部志戸呂風に焼くつもりです。

 寿司屋からも、志戸呂焼のぐい飲みを頼まれているので、次回はぐい飲みに挑戦するつもりです。

 練習が終わってから、陶芸をやっている居酒屋で一緒に食事しました。そこのご主人もなかなかの陶芸の名手で、開店から看板まで、途中関係ないお客が一人あっただけで、3人で、陶芸の話で盛り上がって、遅くなりました。
 
                  



2005年11月29日(火)23:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

茶壷

 写真は私の作った茶壷ですが、このように紐で結わえます。後ろの水指なども私の作品です。 

 茶壷はお茶を入れておくものでした。結構大きなものもあり、肩には必ず4つの耳があります。これは壷に蓋をして、その口を紐で縛り、それを4つの耳に通して結わえます。その結びは装飾的に結ばれます。他人が解くと結べないように、とても複雑にします。毒殺を防ぐため、他の人が解くと、二度と同じようには結べないようになっていました。

 江戸時代は、お茶壷道中と言うものがありました。京都の宇治から、江戸の将軍様に献上するお茶が運ばれました。お茶を信楽焼きのお茶壷に入れ、それを大名行列以上の行列で運びました。とても権威が在って、道中は大変だったようです。献上用の壷は上が黒の天目釉、下が白い釉薬で、一般の使用は禁止されていました。壷を見ただけで、献上用とわかるものでした。

 モア美術館に、国宝の仁清のお茶壷があります。あれは江戸時代、観賞用として作られたものでした。



2005年11月28日(月)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

新しい先生

 新しい先生と、寿司屋で飲みました。

 先生は染付けと、黄瀬戸をやっていくそうです。私は志戸呂焼をやることにしました。
 
 志戸呂焼は静岡県の金谷、島田などで16世紀頃から焼かれていた焼き物です。特に茶入れは有名でした。またお茶所の所為か茶壷も有名です。祖母懐壷と言われます。主に鉄釉で、いらぼといわれる焼き方です。祖母懐の発祥は瀬戸でした。

 遠州七窯と言われる窯の一つです。遠州とは小堀遠州のことで、遠州が指導した窯です。七窯にははっきりしないものもありますが、志戸呂、膳所(ぜぜ)、上野(あがの)、高取、朝日、赤膚、古曾部(こそべ)、あるいは伊賀を言います。



2005年11月27日(日)23:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

新しい先生

 新しい陶芸の先生の工房を訪問しました。
 
 以前から知り合いでしたので、陶芸についていろいろ話をしました。さすがに専門家は、技術も、知識も豊富で、時々指導を受けることになりました。

 これからしばらくは鉄釉系の、「いらぼ」それと「黄瀬戸」、銅釉系の「織部」などをやっていこうと思っています。

 これは以前作った「織部」の水指です。



2005年11月8日(火)21:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

陶芸教室で難問勃発

 今まで教室の先生をされてた方が、突然やめることになりました。教えられる人は師範代の私と、教室のオーナーだけになったのですが、オーナーは陶芸に関しては、未だしという腕前なので、大変なことになりました。

 陶芸教室は作品を作ることも大事ですが、適当に乾いたときに、器をひっくり返し後ろを削り高台を作ります。後ろからでは厚みが判らないため、ある程度削ったら、叩いて音を聞き厚みの見当をつけます。でこぼこで厚みが一定でないものは、気を使います。また口が水平でないものは、裏返しにすると、底が斜めになってしまいます。もちろん削り過ぎれば、穴が開いて作品にはなりません。補修は不可能なのです。自分が作ったものならまだいいのですが、他人の作った物の後ろを削るのはとても大変で、かなりの力量が必要です。

  削るには乾きすぎても大変で、乾き過ぎないように、管理したりします。乾きすぎたら、霧吹きで水を掛けたりもします。お天気しだいのこともあり、毎日乾き具合をチェックする必要があります。

  一番の問題は焼成です。ガス窯でも最低10時間くらいはかかるので、付きっきりになります。皆忙しいのでなかなかボランティアで焼成には参加できません。

  師範がボランティア的な所も有ったので、みんなそれに甘えていたのも問題でした。オーナーも陶芸には素人で、師範との金銭的な問題もあったようです。私は無料で師範代をしていて、気まぐれに教えていました。金銭的なことには無関係なので、責任は無いのである程度気楽です。しかし生徒たちにとっては大変な問題となって、陶芸教室存亡の危機となってしまいました。

  もともと陶芸などはお金にならないものです。陶芸作家で芸術家らしい暮らしが出来る人はほんの一握りで、多くの方は陶芸教室や、注文の雑器を作ったりして生計をたてています。原因の根本に金銭問題があるとすると、厄介なことです。オーナーも陶芸はお金にならないことを覚悟しないと解決しません。

  今日も遅くまで話し合いでしたが、妙案がありません。素人でも情熱があれば、いくらでも指導しますが、誰か暇があって、お金にはならないけど、お金も要らない陶芸に打ち込める人いないかな~~と思っています。  

  過去の芸術家の多くがそうであったように、純粋な陶芸は貧乏と情熱です。やっぱりパトロンが必要かも・・・



2005年11月3日(木)23:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

陶芸のお便り(2)

  有田焼についてのお便りが来たので、焼き物辞典(平凡社)などで確認しお返事しました。

----- Original Message -----
有田焼
  有田の陶器市に行ったとき、有田焼は、古唐津と伊万里の両方の影響を受けていると聞きました。
実際、唐津も伊万里も有田も全盛期は短かったと、話してくれた方は言っておりました。

  私とお話してくれた有田の陶器店の方は、有田ではいい土が取れたから、始めは伊万里に運び、伊万里焼として生産していたが、そのうち有田でも生産を始め、唐津焼と伊万里焼の両方を作っていたけれど、独自性に欠け知名度争いで負けたようなものだと言っておりました。
  
  しかし、実の所、有名な古唐津の作品の多くは、伊万里から生まれているとも語っていました。そういえば、展示会でも斑唐津とか朝鮮唐津とか名札がついている物がありました。

  古唐津と言うと骨董品的なイメージがわき、手の届かない感じもしますが、シンプルで親しみやすくも感じます。叩き唐津は叩いて作ると言いますが、口が小さい物は作って叩いて口の方を作るのでしょうね。どうして叩くのでしょう?締まるから?

中里太郎右衛門の作品は見たことがあります。
キビ色の地に黒で力強い柄が入った作品のイメージが強いです。

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Re. 有田焼
 地元の方のご意見ですから、そういうこともあるのでしょう。

少し整理してみましょう! 一般の説です。調べなおしましたからかなり正確です。

 唐津焼は、佐賀県西部から長崎県一帯にかけて焼かれた陶器をさします。窯跡は唐津市、北波多村、伊万里市、有田町、平戸市、佐世保市、波佐見町など沢山のところで作られていました。唐津港から船積みされていたため、唐津物と言われていました。総称でした。桃山前期には窯があったようです。この頃茶陶に優れたものが多かったのです。江戸時代には日用雑器も多く作るようになりました。

 伊万里焼は有田で焼かれた磁器をさします。伊万里から出荷されたため、伊万里焼と言われていました。朝鮮から連れて来られた、李参平という陶工が、有田に磁器土を発見し、日本で始めて白磁を焼けるようになりました。登り窯も彼が持ち込んだのです。それまでは日本全国穴窯でした。

 明治になって、有田で焼かれたのだから、伊万里というのはおかしいといって、有田焼という名称が起こりました。いってみれば、有田の独立ブランドが出来たのです。

 これとは別に鍋島というのがあります。これは有田を領地にもつ、鍋島藩が、大名に贈り物として特別に作らせていたものです。藩窯といいます。中国、朝鮮では官窯といいまして、厳密に宮廷用に焼いていました。少しでも傷があると、すべて割ってしまいます。また普通の庶民が持つことは禁止されていました。欠片一つ持つことが出来なかったそうです。日本では鍋島藩窯がこれにあたります。日本ではここだけでした。個人的にはごてごてしてて好きではありませんが、超高額です。

 現代では陶器も珍重されますが、当時はなんと言っても磁器は羨望の的だったのです。どの国も陶器から磁器へと移行していきました。

 幸か不幸か、日本では茶道の影響で、美しい白磁だけでなく、陶器も滅びることなく大事にされてきました。作る方は、人気のある磁器に移行し、窯も登り窯となって、良い陶器は作られなくなりました。
 
 それでも茶人は桃山時代の陶器を大事にし、現代に受け継がれてきたのです。近代になって、たとえば、中里 無庵などが桃山の唐津を再現したように、各地で復興が起こりました。

 外国の人には陶器は解りにくく、磁器が好きなようです。もちろんマイセン、ウエッジウッド、セーブルなどなど綺麗系に人気があります。あるものは日本で下地を作っていたりしました。不思議と日本のヤングギャルでも、陶器の良さはある程度解る様です。日本の磁器の技術は中国と並び実は世界一です。残念ながら、なぜか外国の人気に敵いません。車や時計と一緒ですね!性能は世界一でも人気はなぜか二番なのです。



2005年10月4日(火)23:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

飛び鉋(かんな)

  昨日話に出た、飛び鉋模様の湯飲みです。
これは乾ききらない粘土のときに、鉋を軽く当てますと、鉋が飛び飛びになって、小さい鉋の傷跡が連続してつきます。技術的にはそれほど難しくはありませんが、粘土の乾き具合が大事です。

  陶芸をやっていると、家の中は焼き物だらけです。知り合いが来たりして、「頂けるならどれでもいいです。」と言いながら、結構素人でも目は確かで、必ず一番いいものを持っていきます。ですから残っているものはさらに駄作ばっかりになります。作った本人にとっては捨てがたく、ガラクタの山です。

 ですから人の作品は決して買いません!いつか作ってやろうと思います。この湯飲みもお土産に頂いたものです。

 写真をクリックすると大きくなります。口元と、腰の部分の茶色の飛び飛び模様が、飛び鉋です。触ると少し凹んでいます。詳しく言いますと、茶色の土に白い化粧土を掛けて、鉋で削るので、表面の白い化粧土が取れて、地肌の茶色が見えるわけです。



2005年9月27日(火)00:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

小石原と、小鹿田

  陶芸のお便りを9月7日に掲載しました。その後実際に小石原と、小鹿田に行かれたというお便りをいただきました。行ったこともないのに、勧めたみたいで、恐縮しましたが、やっぱりとても良い所のようです。陶芸を志すものとしては、一度は行って見たいと思っています。カメラを忘れたそうで、文中に出てくる、沢の流れを利用した唐臼の写真を一枚きり頂きました。もう少し沢山写真があると良いのですが、そこは素敵な文章力で想像できそうです。

いきました!
小石原と、小鹿田。
よかったですよー。タイムスリップしたようで。
小石原と小鹿田は福岡と大分の県境を挟む山に阻まれていますが、お隣村も様な位置関係で(もの凄く遠いお隣です)、陶器街道と呼ばれる道が続いていました。
(陶器街道を辿る旅もいいかも知れません。)

  小鹿田焼きは、小石原、高取、唐津の影響をうけているということで、小鹿田の方が、小石原よりも、形や色が多様になっていると感じました。

  小石原は、近くの大きな町からひと山ふた山抜け、少しひらけた小さな町で、陶器店や土産物、地元の食材や素朴なそばを出してくれる店が割とたくさんありました。訪れる人も地図上で感じた印象よりも多そうでした。
私がのぞいた窯元は、展示室には埃をかぶった剥製と陶器が一緒になっており、奥さんは「新婚さんいらっしゃい」を見ながら私たちに「いらっしゃーい、はっはっはー」なんて感じの、まるで商売気の無い所でしたが、飛び鉋模様の陶器達が生産されて行く様子をちょっとだけ見せていただくことができました。
厚みもあり、風合いも素朴で、シンプルだけど、存在感のある器達でした。
基本は白かと思っていましたが、黒に近い焦げ茶から飴色の物もありました。柄は基本的に付けないみたいでした。
私が見た物のほとんどに飛び鉋模様がほどこされていましたが、縄目模様?みたいな物と、刷毛模様?刷毛で色を付けた様な物が少しだけみられました。
私の中では、小石原=白地に飛び鉋の炊き合わせを盛るのにぴったりの器  というイメージを勝手に作っています。(刺身もいいかも…)


  小鹿田は小石原から更に山を越え、道がなくなるのでは??と不安を抱きながら進みました。
こちらは沢に沿ったわずかな平地に居を構え暮らしている、本当に本当に山の中の村でした。

  各家庭ごと、土をひくための唐臼、土を水にさらす池(すいひって言うのでしたっけ?)、土を乾かす為かわからないけれど小さな窯(六人がけのコタツ位の大きさと高さの窯の上に土が張り付けてあった)、登り窯、作業所、ちょっとした店頭を持っていました。
  沢の流れを利用し、唐臼を動かし、食用と思われる鯉を飼い、ちょっとした畑も潤している様子で、自給自足に近い様な昔の暮らしの様な印象も受けました。本当は見かけよりも近代的なのでしょうけれど。
展示館があると地図に載っていたので、訪ねたのですが、どう見ても公民館?!で、蛍光灯も無く、管理人も居なくて驚きました。
しかし、小鹿田焼きの歴史がわかる展示を見ることができました。(泥棒もいない平和な村なのでしょうね。)
二階からは「マツケンサンバ」と笑い声と足音が響いていました。
  村を歩き窯元を訪ねても人っ子ひとりおらず、作品が道ばたに並べられているのに、店番も居なくてどうしたもんかと思ったら、その日は村人達のお楽しみの日だった様で皆さんマツケンサンバを踊っていらしたようです。(^^)
小鹿田の方が、素朴な色合いや形にプラスされて、かわいらしさと言うか、やわらかさがある印象を受けました。
でも、教えてくださった通り、伝統を守り作品を作っている厳しさがあるようでした。

  どちらの村にも、詳しいパンフレット等がなく、もっと詳しく知りたかったのに~と思うところもありましたが、そういうのが無いあたりが、ここの良さかな。とも思えるような場所でした。

自由なお時間がとられるようになったら、小鹿田も訪ねてみてください。
(きっと、10年20年たってもあの場所はそのままだと思います。)



その後以下の文章と共に、小鹿田の写真が送られてきました。中心奥の蓋付きの壷が飛び鉋です。左の白地に緑色の壷は、透明釉に、織部釉(銅)を流し掛けしたものと思われます。

小鹿田の公民館もどきの展示室で撮った一枚がありましたので、添付します。



2005年9月26日(月)00:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

窯出し

  先日焚いた窯を開く日でした。やはり期待はします。
窯の中の温度はまだ150~200度くらいです。

  今回は総じて焼けが良くまあまあの出来でした。沢山の生徒たちが取りに来て、良い出来だとほっとしますが、中にはあまり焼け方が良くないものもあって、気になります。

  コンクリートの床に置くとあまり栄えないのですが、きちんとしたところに置くと、焼き締めは迫力があります。



皿は結構綺麗に焼けて、満足でした。徳利もひとつは良い出来でした。


これは桶型の花入れです。
こういった場所に置くと結構栄えます。右下に見える蔓物の植物を入れると、良いかもと思います。向かって左側の白い模様は、焼くときに貝を支えにした跡です。これはこれで、景色として、問題ありません。



2005年9月25日(日)21:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

今日の陶芸教室

夕べは先日の窯焼きで疲れたためか、たったの3人でした。
 ガスで焼いた桶型の花入れが、出来上がりました。 
←土の時の写真です。実は間に素焼きと言う工程があります。
黒い釉薬である、黒天目を掛けて焼成しました。

 まあ普通の焼き上がり。



←天目釉を掛けて焼成したものです。

蔓(つる)物の花を入れると、栄えそうです。



2005年9月23日(金)00:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

焼成完了

  昨夜1270度まで温度を上げて、今日は午前中から1200~1240度の範囲でゆっくり燃やした。
だんだん疲れて、夜10時頃に窯を閉めて終了としました。

  今回は湿度が低く、温度を上げるのが楽で比較的簡単な焼成でした。気温も暑くも無く寒くも無く、絶好の焼成日和でした。夕方東の空から中秋の名月が昇り、今回は良い作品が出来そうな予感!!

  帰り道、車に轢かれた狸を三箇所で見た。月夜の夜はやっぱり狸も・・・運転する人も気をつけてあげたいものです。



2005年9月18日(日)23:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

焼成

  温度も順調に上がり、950度くらいから、本格的な還元焼成に入り、1150度くらいから中性~酸化焼成に入りました。

  夜は少し冷え込んで、湿度も低く、月も綺麗で、絶好の焼成日和でした。明け方まで焚いて、酔っ払いたちを起こして、交代しました。これから1250度~1270度くらいまで温度を上げ、明日は1200度前後で長時間焼成します。



温度は1200度前後、攻め焚きの忙しい頃。
炎の色は赤色からだんだん白くなってきます。中を覗くと、焼き物は金色に光っています。
右奥の薪の山は、赤松です。焼成に使う薪のほんの一部です。



2005年9月18日(日)23:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

窯焚き始めました。

 今日から陶芸の窯焚きが始まりました。今日はまだ暖める位で、時々薪を入れるくらいで温度も700度あたりです。明日からだんだんあげていきます。昨日の雨で窯が湿っているので、慎重に温度を上げています。

 今宵も月が綺麗でした。今日は十三夜です。本格的に攻め焚きに入る18日は中秋の名月です。良い天気が続くのを祈っています。

 ちゃんとお神酒も供え、お祈りもして始めます。もちろん毎回良い焼き物が出来ると、信じて始めるのですが・・・



2005年9月17日(土)00:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

陶芸のお便り

今日陶芸についてのお便りを頂きました。嬉しくなって、あれやこれやと沢山書いたお返事をしました。

----- Original Message -----
   茶碗などの足の部分を糸底「いとじり」と言うのですね。
私も陶芸が好きで、茶碗や湯飲みを作ったことがあったのですが、先日始めて知りました。
新しいことを知って嬉しかったので、陶芸好きの方に伝えたくなってしまいました。

   九州は伊万里焼、有田焼等有名ですが、私はもう少し素朴な感じが好みです。(薩摩焼は陶器らしい感じの物が多いように思います。)
もちろん、あの鮮やかな色使いや、繊細かつ精密な柄も素敵ですが。
有田陶器市は有名ですが、陶器?磁器ではなかろうか?なんてちょっと思っちゃいました。
磁器も陶器の一部なんですかね…。

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Re.
  「糸尻」という言葉のほかに、「糸底」とも言います。これはロクロで作る際、最後に一番下を糸で切るからです。他にたたみに着くことから、畳みつきとも言われます。

   お茶の世界では、この糸の模様を、珍重したりします。特に「お茶入れ」では通常底は、碁笥底(ごけそこ 囲碁の石を入れる、器)と言って、切りっぱなしで、糸の切り口が渦巻き状になっていることが、決まりです。

   糸底はその部分を高台とも言って、お茶の世界ではとても重要な景色です。わざと中心をずらしたり、柿のへたの様にしたりします。形によって沢山の名前があります。

   陶器と磁器は別のものです。と言うか両方とも焼き物ですが、簡単に言うと、陶器は古い焼き物で、焼成温度も(1250度)土が原料です。磁器はどちらかと言うと新しい焼き物で、焼成温度も高く(1300度)で石の粉から作ると言ってもいいでしょう。叩いて金属的な音がすれば磁器、低音ですと、陶器です。

    九州ですと、唐津焼は陶器です。
大分県の小鹿田(おんた)焼きはご存知でしょうか?これも陶器です。
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----- Original Message -----
   お返事をありがとうございます。
返信いただけて感激しました。

   さすが、すばらしい知識ですね。
たくさんの呼び方があるのですね。
高台の無い器の底のざらざらした感触や景色は、さざ波や、風紋の様で美しいですね。
わざとずらすのは、難しそうですね。(だから珍重されるのですよね…)
繊細なのも素敵ですが、茶碗の高台の中に削った跡が渦巻き状に残っている姿も、未完成の美と言うか、荒々しいような、かわいらしいような感じがして好みです。
   久しぶりに器について考えました。
意識して見ると、どの器もかわいらしく見えてきますね。
食器棚の奥に眠っている器もたまには出してあげなくては…という気持ちになります。

   唐津焼は見たことがありますが、小鹿田焼きは知りませんでした。
チャンスを作って観に行ってみます!

   教えてくださってありがとうございます。
楽しみが増えました。
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Re.
    碁笥高台はロクロを廻しながら、糸を引いて切るので、自然に偏ったさざ波のようになります。わざとずらすのではありません。

    高台を偏って削ることもあります。それは「三日月高台」あるいは「片薄高台」と言われます。代表的なものとして、高台の途中に節があるものは、「竹の節高台」、 真ん中が盛り上がったのを「兜巾(ときん)高台」十字に割れたようなものを、「割高台」と言います。お茶の世界では高台は重要な景色とされているようです。

    唐津はとても良い所と聞いております。また小鹿田は山深い谷間の集落だそうで、10軒の窯元が江戸時代から続いているそうです。一子相伝とか言って、増えもしなければ減りもしないシステムで、10軒の窯元を守っているそうです。県隣の、小石原(福岡県)も良い所と聞いています。どちらも民芸風で、陶器です。「飛び鉋(かんな)」と言う手法で、器に飛び飛びの鉋の模様が特徴です。一度は行って見たいと思っているのですが・・・

    唐津焼をごらんになったことがあるそうで、私が作った唐津風?茶碗の写真を送ります。
写真手前は萩焼き、奥が唐津焼きのつもりです。

    私はお茶を致しませんが、お茶の世界では、一楽、二萩、三唐津と言います。



2005年9月7日(水)23:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

8月18日の陶芸教室

  生徒の一人がやっとロクロが挽けるように成ってきて、一人で何とか出来るめどがついた。ロクロを教えるのはとても大変で、これからはワンポイントで教えればいいから、ほっとした。

  今日の教室は暑くて大変だった。教える合間に、大き目の徳利を作った。
  黒い土で作ったから、刷毛目の柄にでもと思っています。



2005年8月18日(木)23:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

ビアーカップ 2

信楽や、備前のビアーカップを差し上げて、みんなに喜んでもらったけど・・・

1.ビリヤードでの知合いは、ゲーム中しょっちゅう飲んでいて、と言うか飲んでないと調子が悪い人です。「酔拳」と呼ばれています。とてもビールが好きで、カップを送ったが、「酒が薄くなったような気がする」と。彼はビールより純粋にエチルアルコールを楽しんでいるので、このように味がまろやかになるカップは、意味がありません。ちなみに彼は日本酒も純米とか一級酒にこだわりません。二級酒が一番のお気に入りです。ですが、ビールでなくて二級酒の日本酒に使うと、美味しいといってくれました。

2.同様な人は結構います。朝から飲んだりする方ですが、その人もこのカップは酒が薄くなると言っていました。やっぱり二級酒が好きです。この方もビールでなくて、日本酒に使うと言っていました。

3.なんでも沢山飲む方ですが、このカップは好評でしたが、夏はビールが甘くなりすぎると言われました。

4.とにかくビールしか飲まない方ですが、特に生ビールが大好きなので、缶ビールが生ビールのようになると、とっても喜んでくれました。一般にこんな方はとても喜んでくれます。

5.とってもビールが好きな方、夏でも冬でも缶ビール6本、350mlを6本と決めていたのですが、さすがに毎日では、γ-GPTは常に100以上でした。それでとうとう医者に止められて、毎日4本に減量されていましたが、このカップによって6本に逆戻り。γ-GPTも、また3桁に。一番喜んでくれた方の一人です。



2005年7月31日(日)00:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

ビアーカップ

このところ暑い日が続きます。ビールがおいしい時期です。
ビールは日本には無かったのですが、じつは歴史は古く、紀元前3500年古代エジプトで飲まれていました。

ビールは泡が命、おいしい飲み方について。
冷やし方? 注ぎ方?器?
冷やし過ぎない方が美味しいと言われますが、人によってはうんと冷たいビールが好きな人もいます。注ぎ方は、三分の一~四分の一くらいの泡が出るのが良いそうです。

一番大事なのは、やっぱり器です。香りが抜けないように、口が狭まった方が良いとか、ふたつきが良いとか、言われますが、なんといっても素焼きの器です。
遠赤外線効果とか言われたことがありますが、水の中に陶器のものを入れたり、炭を通したりすると、とたんに美味しくなります。じつはこれは多孔質のものに触れて、水の粒子が小さくなることと、不純物が吸着されることによります。昔から備前の水入れは、水が腐らないと言われています。
備前焼や、信楽焼きは、「焼き締め」といって、釉薬を掛けないで、焼く器です。専門的には炻器(せっき)と呼ばれます。焼き物は大きく土器、陶器、炻器、磁器の4種類に分けられます。土器(素焼き)と、炻器にだけこういった多孔質の性質があります。

最近ではビールがおいしくなる、素焼きの器として市販されています。作用は同じですが、一寸贅沢して、備前や、信楽のビアーカップで飲むと、ムードも満点です。欠点は飲んだらすぐ洗わないとカビが生えたり、においが残ったりします。

この写真?もちろん私が作った信楽のビアーカップです。一寸不揃いでしょう(笑)みんなに差し上げて喜んでもらっています。基本的にガスや、電気の釜ではこうはなりません。素焼きになるだけです。薪で焚かないといけないので、じつは手がかかっています。市販のものも結構なお値段です。



一寸不揃いです。まったく釉薬を掛けないで、薪の窯で焚きます。薪の灰がかかってこのような柄が出来ます。自然釉と言います。


2005年7月30日(土)01:43 | トラックバック(1) | コメント(1) | 陶芸 | 管理

陶芸歴

 アマチュアのため、断続的にやっていましたので、年数だけですと、10年くらいになります。ある程度からはぜんぜん上達しません。
 私が陶芸を習ったころは、素人がロクロに触れるのは、普通の陶芸教室では なかなか敷居が高く、仕方ないので、陶工さんに習いました。とても口数が少ない方たちで、3人並んで黙々と作り続けます。朝「おはようさん」(京都弁)と言って、次の言葉が「お昼にしまひょ」(京都弁)でした。つまり午前中、朝の挨拶以外何も話しません。仕事の邪魔と思っても、強引に質問し、やっと習うことができました。

 陶芸家とは違って、陶工さんは、たとえば2合徳利をトンボひとつで、まったく同じように、みんな同じ容量で、同じ重さで、100個でも200個でも作ります。計量して土をロクロに置いて、10個の徳利を作ると、最後に土はほとんど残りません。さらにまた同じ容量の土を置きます。また10個作ると、土はさっきと同じように、まったく残りません。
 欠点もあります。あまり見事に作るので、型で作ったのか、轆轤で作ったのか、ほとんど区別がつきません。

 いくら練習しても、こんな人たちに適うわけありません。プロは、毎日同じものを作り続けます。私は一週間に一度か、一ヶ月に一度くらいですから、永久にこれ以上の腕にはならないと思っています。だから素人らしく作ればいいと、発想を転換しました。(笑)それでも私の作品は習った影響で出て、おとなしい形です。

 腰が上がる事について

 以前有名な陶芸家が、ロクロを披露していて、紹介している主催者が、ロクロの難しさを強調するためか、失敗するのを期待して、「どなたかやってみますか?」と・・・
 怖いもの知らずの私は、いの一番に「は~~い」と手を上げて、素人代表として、ロクロをまわしました。失敗は相手の思う壺なので、壊さないように慎重にまわすと、陶芸家の方が隣から「もっと水使っていいよ、土が良いんだよ!」「ヘタらないから大丈夫」と、自慢げに横から土に水を掛けました。土が軟らかいのにヘタリません。楽々と土が立ち上がり、見掛けは陶芸家の先生と同じような徳利を、けっこう薄く作陶出来ました。観客から拍手を貰いました。

 陶芸家の方は備前焼の方でしたので、さらにそうでしょうが、土の採取、調整制作に大部分を費やすのだそうです。プロなら「作り」などは出来て当たり前だそうで、それは陶芸学校の練習で誰でも出来るようになるんだそうです。

 結論から言うと、プロの土は良い!!簡単に腰も上がるし、沢山水を使っても、ヘタりません。さらに焼くと良い色が出る土なのです。
昔から「1土、2焼き、3作り」と言います。陶芸は「土」これに尽きます。



2005年7月23日(土)01:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理

昨日の陶芸教室

 

 夕べの陶芸教室は、暑くて、生徒もまばらだった。

 何気なく大きな鉢を作ったが、単純な形になったので、縁(ふち)を外反させて、輪花模様にしてみた。涼しそうで、綺麗な形になった。
 みんなから金魚鉢にでもしようとからかわれた。



  上から見た形、目検討で適当に8個の稜を持つように作った。土物だから寸法は適当でいいのです。
  こういったものは、割れ易いけど、端をやや薄く作ると綺麗に見えます。



2005年7月22日(金)19:38 | トラックバック(0) | コメント(2) | 陶芸 | 管理

7月7日の教室

暑くなると陶芸教室も大変、幸い昨日はやや涼しくて、5人ほど生徒さんが来た。やっと一人の生徒が電動ロクロができるようになって、意欲が出てきたようだ。

手本用に作った皿を、適当に波打たせて、花弁のような皿にした。



2005年7月8日(金)23:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 陶芸 | 管理


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